第二話~中等部1年
ところで博和のこの冬の夢というのは、少女への憧れというような甘いものではなくて、彼の意思をさらに強靭にする方向に働いた。あの白いコンクリートの巨大な邸宅や、そのに住む美少女……そう、彼はそういった煌く世界に憧れを持ったのである。
そしてますます、受験への熱意を新たにした。
これでは彼がまるで単純な俗物根性の持ち主と思われそうだが、そうではない。彼はあくまで純粋に人生で最高の環境やものを手に入れようとして、最終的には半ば成功したのである。
2月半ばの受験の日、博和は緊張した面持ちで受験会場を後にした。やることはやったのだ。
彼が受けたのは東京の私立中高一貫男子校と、藤沢にある県立のスーパーサイエンスハイスクール指定の中高一貫共学校。
翌月の発表で、彼は自分がどちらの学校にも合格したことを知ったが、大学教授の父が言うに、毎日往復3時間かけて東京まで通学するのは流石に時間の無駄であること、学費が高すぎることなどから、結局県立の湘南学園を選んだ。
入学式の日。博和はみっともないから両親に同伴しないでくれ、と頼んだ。制服のブレザーに袖を通して、覚えたてのプレーンノットでネクタイを結んだ彼は、意気揚々とひとりで横須賀線に乗り込んだ。
湘南学園は一学年8クラス。一クラスは大体30人前後。だから全校生徒が集まってもそれほど体育館は窮屈ではなかった。入学式が始まり、お決まりの校長の訓示が終わると、新入生代表の挨拶がはじまる。訓示には全く興味が無かった博和も、トップ合格者がどんな人物なのか、興味津々だった。
「新入生代表、三枝睦美さん」
女なのか!ちょっとした驚きだった。あの入試をほとんど満点でクリアするとは……
「はい」
という声とともに、演壇に一人の少女が階段を登ってゆく。肩までの髪、良くは見えないが整った白い顔立ち、ピンと伸びた背筋。
その後の挨拶は短く、博和も良く覚えていないが、彼女がこちらを一瞬向いたとき、その切れ長の瞳と大人びた美貌にはどこか見覚えがあった。
そこで入学式は終わり、各自生徒は指定のクラスに散っていった。
博和は中等部一年B組。皆神奈川県内のばらばらな小学校から集まった生徒ばかりで、見知った顔はいない……筈だった。
「あれ、佐伯くん?一緒のクラスだよ!」
突然話しかけられて博和の腕を掴むのは、小学校からの幼馴染だった。武藤美幸、彼女の父親も博和の父とまた同じ大学の教員で、しかも大学院では博士課程の同期だった。そのため、家族ぐるみの付き合いがある。
「なんか信じられないくらいのすごい縁だね!中高もよろしく!」
彼女はうれしそうに声を弾ませて言った。
「うん、この学校受けるのは父さんから聞いたよ。武藤さんならきっと合格すると思っていた。でも同じクラスとはびっくりだよ!」
武藤美幸はショートボブのヘアスタイルを振り乱さんばかりにぴょんぴょん飛び跳ねて喜んでいた。素直でいい娘だ、と博和は思った。丸顔にくりくりした大きな瞳、ともすればおおげさに表情を映し出す唇。背は博和よりもやや低いが、思春期特有の肉付きの良さは誰しも好感を抱くほど可愛らしい。
「帰るのも一緒だね、同じ浄明寺だから。ね、今日帰るときにメールするね!」
いかに博和少年が醒めた感性の持ち主であったとしても、美幸の笑顔を見ると入学初日の緊張感も和らいだ。
「ねぇ、部活とか入る?」
クリーニングをかけたようなピカピカの新築の住宅が並ぶ夕暮れの鎌倉の坂道を、博和と美幸はゆっくりと歩く。
「そうだな……メジャーどころはみんな体育会系できっついところばっかりみたいだし、結局帰宅部かな」
「え――そんなこといわないでよぅ。博和テニス結構上手いじゃん?」
二人は近くの逗子市の市民公園でよくテニスに興じることがあった。
「僕はあれくらいがちょうどいいな。合宿とか大会とか、そういうのはどうも苦手でさ。武藤さんはどうするの?」
「あたしはテニス部で様子見かな。博和に鍛えてもらったことだし。ねぇ、一緒にテニス部入ろうよぅ……」
ふと二人は巨大な邸宅の前で立ち止まった。地上3階はある。地下室もあるかもしれない。外壁のコンクリートは真っ白で、並の住宅より一桁以上広い庭園にはちいさな温室がある。間違いなく、博和が去年の冬の夜に見たあの邸宅だった。
「すっごいね~こんな豪邸、いつのまに出来たんだろう?」
美幸はこんな邸宅にしてはシンプルな表札にしげしげと見入った。
「S-A-E-G-U-S-A さえぐささんって言うんだ」
博和はこの瞬間にすべて納得した。つまり、この一家の娘で、白いアンゴラのミトンをくれた彼女は、あのトップ合格を果した三枝睦美でほぼ間違いない。
「入学式で挨拶した三枝睦美さんって知ってる?あの人の家だったりして」
美幸は単純な名前からの思いつきでそう言ったが、それがずばり正解なのだ。
「あの人見た?あたし演壇に近かったから良く見たよ。すっごい綺麗な人」
「――――ふぅ~ん……」
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