其ノ捌
新撰組の監察方を束ねるのは山崎烝である。洛中に監察を放ち、情報収集に怠りない。山崎は報告を受けた上で、土方なり近藤なりに伝えるべきことを伝える。ところが新撰組の中には独自の嗅覚を持ち、山崎と同じかそれ以上の情報を掴む者もいた。七瀬渚は幼少より子飼いの者を使い、探索に当たらせていた。
その七瀬が、神楽屋に向かったと聴いて、山崎は眉間に皺を刻んだ。終始、表情を変えることの少ない山崎には珍しいことである。聴いた間合いも悪かった。丁度、沖田が診察を受けに通り掛かったところだったのだ。
「私が行きます」
「急を要します。沖田さんは寝ていてください。俺が行きますよって」
西本願寺の北集会所の一画を、医療を施す部屋として仕切る山崎は、手にしていた各隊士の健康状態を記した紙を文机の上に置く。沖田のいるところで迂闊に報告した監察を責めたい気持ちだったが、今はそれどころではない。浅葱色の羽織に袖を通す。大小の刀を腰に差し、部屋を出ようとした山崎の腕を沖田が掴む。
「――――渚様を頼みます」
「解ってます」
沖田の顔色は透き通るように青白い。その色を見遣って、山崎は首肯した。同じ女に惚れている男として、身動きに制限のある沖田に、微かな優越を抱く自分がいて、山崎は軽く自己を嫌悪した。降るような蝉時雨の中、ひらりと馬に跨り、馬上の人となると短い掛け声と共に山崎は四条大宮の方角。道を急ぐ山崎を、何事かと通行人たちが振り向いた。
七瀬は両替商である神楽屋が、裏では武器を取引していること。その主な顧客は長州人であることを調べ上げていた。安静が肝要である隊長の沖田には告げず、神楽屋を、或いは捕縛する覚悟で赴いていた。七瀬の両隣には同じ一番隊隊士がいる。いずれも屈強の者たちで、七瀬に信を置いている。
「店主の神楽屋旭之助はいるか」
どこか薄暗い商家特有の影の深い屋内で、七瀬がそう尋ねると、番頭が少々お待ちくださいと言って、慌てる風でもなく奥に向かった。
やがて出てきた旭之助は思った以上に若く、非常に柔和な顔立ちで華奢な体躯をしていた。
「お勤めご苦労さんどす。私に何か御用でしょうか」
「直截に尋ねる。銃火器の類、長人らに便宜を図っているな?」
「物騒な話ですな。うちは只の両替商どすえ」
「米国から欧州。果ては露西亜にまで手広く両替しているのか」
銃の仕入れ先である各国を挙げ、皮肉を言う七瀬に、旭之助のこめかみがぴくりと動く。色が白いので、薄青く浮き出た静脈が明瞭に見て取れる。
蝦夷は国後において露西亜軍艦長のゴローウニンが監禁され、露西亜が商人・高田屋嘉兵衛を抑留するも、嘉兵衛の送還が無事に成り、ゴローウニンが釈放された。この、文化八(1811)年のゴローウニン事件を機に、江戸幕府と露西亜は関係を改善させていたが、文政八(1825)年の異国船打払令で各国と幕府との関係は緊張。しかし安政の五カ国条約で米国・阿蘭陀・露西亜・英吉利・仏蘭西と不平等条約を結び、それがまた攘夷派の浪士たちの憤懣やるかたないところとなっている。だが、武器を仕入れるとなれば話は別だ。神楽屋が何の思惑あってか攘夷派浪士、とりわけ長州に武器を流していることを七瀬は密偵の調べで知った。
「立派な蔵を従えているな。その蔵、中を拝見させてもらおうか」
「壬生狼」
「何?」
「狼さながらの傍若無人ですなあ。そない言わはるなら、中を見せたってもええですけど。お目当ての物が見つからへんかった時にはどないします? その綺麗なお顔で、お客さんを楽しませてもらいますか?」
は、と渚が一歩、後退する。旭之助の懐から、銃身が鈍く光るのが見えたのだ。
「なぎ……、七瀬さん!」
下馬した山崎が息せき切って七瀬の前に庇うように出る。下手に突いてはならぬ藪が世にはある。若い七瀬にはまだそれが解らない。恐らくは神楽屋が銃火器を置く蔵は別に隠し持っているであろうことも。
「この場は退く。神楽屋」
「へえ」
「その銃、よく磨いておいたが良えで」
「どないな意味ですやろ」
「いずれ俺たちがお前を縛する時の為にな」
「――――ご冗談を」
旭之助の笑みには殺気が織り交ぜてあった。手練れである山崎の迫力を前に、一歩も退かぬ気構えは、商人として立派とも言えた。
神楽屋を出た山崎たちは無言で西本願寺に戻った。馬上の山崎は蓬髪ということもあり、それなりに注目を浴びたが、山崎は七瀬の様子を窺いながら手綱を繰るだけだった。
やがて西本願寺に着き、厩に馬を戻しに行く山崎に七瀬が喰って掛かる。
「なぜ止めたのですか。神楽屋の行状は、山崎さんとてご存じの筈でしょう! 蔵さえ調べれば必ず証となる物は見つかったのに」
「あの蔵は見せかけ。ほんまもんの蔵は近くにはありませんやろ。それが判った頃には渚様、神楽屋の手の者の、玩具にされる気ぃですか」
七瀬が押し黙る。山崎が乗っていた鹿毛の馬がぶるる、と頭を振るい、蠅を払っている。
厩の横には楠の大樹があった。丁度今、七瀬と山崎が話す背後だ。楠に抱かれているのであろう蝉の声がわんわんと降ってくる。眩しい陽射しに、隊服に鉢金を巻いた七瀬の白い面の額から一筋の汗が伝い落ち、それは七瀬の唇を舐めるように降りて行った。山崎が七瀬の身体をとん、と楠に縫い止める。
「山崎さん?」
「沖田さんが良かったですか。迎えに行くんは」
「山崎さん、それは」
「渚様。俺にしときませんか」
目を瞠る七瀬を、山崎は常と同じ面持ちで見た。白い肌を吸いたくても、赤い唇に触れたくても、七瀬が望む相手は己ではないと知っている。
当時、英吉利は朝廷を、仏蘭西は幕府を、それぞれ支持して対立していた。
仏蘭西公使ロッシュは財政的・軍事的援助を幕府に与えていた。
「ムッシュ樹人」
すっきりとしながら甘い声で樹人を呼ぶのは、金髪碧眼の少女だ。日本に滞在している仏蘭西人商人の娘、アンヌ=マリーである。街中で財布をすりに盗られたところ、たまたま居合わせた樹人が助けてやり、以来、樹人に熱を上げている。樹人の生業を知り、最初こそ臆していたものの、樹人自身が好色な訳ではないと見て取り、それからは一緒に仏蘭西に行こう、の一点張りだ。何とも強引なのだが、笑顔が愛くるしく、心根が明るい為に、樹人も無碍に出来ないでいた。アンヌ=マリーは街中を出歩く時はシャツにズボンを履き金髪をキャスケットに隠し、二人の使用人を従えている。それはそれで目立つ。商家のお嬢様を自由にさせ過ぎではないかと樹人はアンヌ=マリーの両親の良識を疑った。しなだれかかるアンヌ=マリーからは花のような香りがして、男仕立てのシャツからは日本人の十七の娘には望むべくもない豊かな膨らみが窺える。
瑠璃がいなければどうなっていたか解らないと樹人は思った。
「瑠璃が好きなら一緒に来れば良いわ。私も瑠璃が好きよ」
アンヌ=マリーは無邪気に、深く考えず物を言う。耶蘇教(キリスト教)的にどうなんだそれは、と樹人は頭を抱えたくなる。そもそも樹人の生業自体が、耶蘇の教えに反するものであるのだ。
アンヌ=マリーがふ、と醒めた目をする。そうすると青い目が冬の空みたいになった。
「私がこんな我が儘を言えるのも、我が儘が許されるのも今の内だけよ。遠からず、同じ商人か、でなきゃ血筋の良い貴族に嫁ぐことになるわ」
老成したとも言える諦観の声音に、樹人は返す言葉を失くした。
金の鳥籠を見る。
どんな世界にも檻はあるのだ。檻の中、出逢えるかつがえるかの幸運の有無の違いだけで。檻から出て、生きていけるのはほんの一握り。そのほんの一握りになりたくて、樹人は足掻いている。
「樹人は瑠璃と一緒のほうが笑ってくれるわね。待ってて、今、瑠璃を呼んでくる!」
アンヌ=マリーはすっくと立ち上がると、止める間もなく部屋を出て行った。
程なくやってきた瑠璃はアンヌ=マリーに腕を組まれて困惑顔だった。一方、アンヌ=マリーは得意顔である。
「ほら、樹人。瑠璃よ。笑って?」
無茶を言う。
瑠璃はアンヌ=マリーの勝手に、苦笑している。初めこそ、樹人を盗られるのではないかと危惧して胸を痛めたものの、アンヌ=マリーがそうした性分ではないと知り、今では寧ろ好ましく思っている。
樹人は瑠璃の手を取り、跪いて手の甲に口づけた。異国ではこのようにやると聴く。怯えて引っ込みそうになる手を掴み、引き寄せて抱き締める。瑠璃はアンヌ=マリーの目を憚って抵抗するが、樹人の力に敵わない。アンヌ=マリーはそんな二人を透徹とした眼差しで眺めていた。
「アボアール ピティエ」
仏蘭西語で落とされた呟きは二人の耳に入らず、瑠璃は樹人の腕に身を隠すように俯いた。瑠璃色の小鳥が鳴いている。
神楽屋旭之助:神楽旭さん
アンヌ=マリー:野川真実さん
新たに友情出演してくださいました。御礼申し上げます。
アンヌ=マリーの最後の言葉はフランス語で「かわいそう」という意味です。