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瑠璃草子  作者: 九藤 朋
6/13

其ノ陸




挿絵(By みてみん)

(左から永倉新八、山崎烝、斎藤一)




 樹人が単衣を着ていると、カタン、と襖が鳴った。


「瑠璃」

「小佐野様は」

「あの生臭坊主? 帰ったよ。線香気前よく使える程、金はないらしい」


 まだ夜明け前である。瑠璃は樹人が客の相手をしている間、一睡もせず、唇を噛み締め堪えていた。同じく堪えているであろう樹人を想い。瑠璃色の小鳥が鳴く。


「こいつの餌、取ってきてやらないとな」

「樹人」

「どうせ長く生きないだろうけど」

「樹人」

「また寝なかったんだね、瑠璃」

「ごめんなさい」


 瑠璃の瞳に涙の膜が張る。樹人はかぶりを振った。瑠璃が何に対して謝罪しているのか、樹人は解っている。金色の線で構成された鳥籠を見る。


「瑠璃を解き放ってやりたいよ」

「私は樹人に自由になって欲しい」


 震える声音で言う瑠璃に、樹人は目を閉じて、開く。


「瑠璃が双子の姉じゃなかったら良かった」

「……なかったらどうするの」

「どうするか、教えて欲しいの?」


 行燈の火が消えた濃い闇の中、樹人の目が、光ったように瑠璃には見えた。

 気付けば赤い褥に組み伏せられていた。

 瑠璃からは、真上にある樹人の表情は定かに見えない。どこか怒っているような、切ないような。


 このまま奪われたい。


 唐突な欲求が瑠璃の内に生じた。

 がむしゃらに口づけされて、必死に応じる。樹人の舌は荒ぶる龍神を思わせた。


 長い口づけだった。

 樹人の唇が離れると、二人共、荒い息をしていた。唾液が垂れて枕を濡らしている。


「……ね? 近づいちゃ駄目だよ」


 樹人の声は優しく悲しかった。

 瑠璃は小鳥が羨ましいと思った。樹人に気に掛けられ、世話をしてもらえる。誰憚ることなく共にいられる。瑠璃色の鳥。


「三千世界の烏を殺し 主と朝寝がしてみたい」


 瑠璃は知らないが、樹人が詠んだのは今、流行りの都都逸(どどいつ)だ。解釈は様々だが、情人との朝の別れの名残を惜しむ、という捉え方が多い。

 樹人には叶わぬ夢だった。

 儚い夢だった。



「休養が何より大事やと申し上げてる筈ですが」


 沖田を診た山崎烝(やまさきすすむ)は首を振りながら嘆息した。山崎は新撰組の監察方であるのだが、生家が薬種問屋だった為か医家の松本(まつもと)(りょう)(じゅん)に見込まれ、医学を学んでいた。几帳面な性分は、監察にも医家にも向いているかもしれない。寡黙で無表情が多い怜悧な風貌である。

 沖田の、どこか春風を思わせる面立ちとは逆であった。

 沖田は叱られた子供のように首を竦めた。幾分、芝居がかったその仕草は、山崎に対する気安さから来ている。


「お届け物があったので」

「貴方が行くことはないですやろ」

「そうですが」

「――――渚様ですか」


 山崎もまた、七瀬を会津侯縁の姫と知っている。


「余り過保護なんもどないかと。そもそも」


 尚も言い立てようとした山崎の声を遮り襖が開く。


「沖田さん、いるかい」

「永倉さん」


 水を差された山崎は眉間に皺を刻み、永倉をじろりと睨んだ。永倉はどこ吹く風、といった様子で沖田に続ける。


「『魔弾』とやり合ったそうだな。斎藤が羨ましがってたぞ」

「そんな良いもんじゃありませんよ。斎藤さんは、強い相手なら見境ないんだから」

「あっはっは。違いねえ。あんたも早く病気治して、あいつの相手してやれよ」

「永倉さんがすれば良いでしょう。腕だって十分でしょうに」


 ふ、とそこで永倉の呼気が静まる。


「俺は斎藤とは本気でやりたくねえ。やるんなら、命懸ける時さな」

「物騒な話はそのくらいにして、沖田さんははよう床に行ってください。永倉さんも、沖田さんを唆すようなこと、言わんといてください」

「斎藤が言ってるんだよう」


 唇を尖らせた永倉の子供じみた振る舞いからは、彼が新選組で沖田、斎藤と並ぶ遣い手だということは推し量りにくい。

 沖田に限らず、新撰組には傷病者が多かった。西本願寺の(きた)(しゅう)会所(えしょ)を屯所としているのだが、池田屋事変以来、とみに増した人員を収容するには手狭で、土方歳三が西本願寺に別所を借り受けたいと談判している。狭隘な居住区域では病も蔓延しやすく傷の治りも遅くなる。山崎は沖田の病状の為にも、土方の談判が早く通るよう願っていた。



 華月の追跡を振り切った『魔弾』と『猫』は、長州に同情的な商人の店に潜伏していた。場所は下京。二階の座敷を開けるとそこには先客が煙管を吹かしていた。『魔弾』と『猫』を見るとにこりと微笑む。人好きのする笑顔の、まだ若い武士だった。脱藩して追われる身にしては清潔感がある。洋風の総髪がしっくり馴染んでいる。


挿絵(By みてみん)


「……千尋(ちひろ)か」

「ご苦労なさったようですね。『魔弾』さん。『猫』さんも」

「あんたにゃ全てお見通しかい。いけ好かないねえ」


 そう言って『猫』はふいと姿を消した。神出鬼没が身上である。固まって動くのは危険でもあり、別の場所に身を隠すのだろう。千尋もまた、尊皇攘夷の志士の一人だった。出自は長州だが語る言葉に訛りはない。父が江戸藩邸に勤めていた為だ。そのあたり、『魔弾』と通じるものがある。姓名は空乃千尋だが、苗字を呼ぶ人間はいない。北辰一刀流を極めた千尋は、瞬く間に敵を屠る。命を、空に帰してしまう。だから空乃と呼ぶと畢竟、死が近づく気がして、誰もが千尋と名で呼ぶのだ。


 少しすると、店の小僧がしゃも鍋を運んできた。千尋の手回しだろう。気が利くものだ。敵からも味方からも恐れられる千尋を、『魔弾』は高く評価していた。機転が利き、腕が立つ。志は強固だ。これ以上、志士に望むものがあるだろうか。

 しゃも鍋の湯気が部屋に昇り、空腹だった『魔弾』の咽喉がごくりと鳴る。


「食べてから少し休んでください。武士にも休息が必要です」


 『魔弾』は千尋の言葉に甘んじることにした。しゃも鍋は出汁がよく効いてにんにくの風味が鳥の臭みを消し、食欲をそそる逸品だった。千尋と共に鍋を突きながら、ようやく人心地ついた頃。千尋がぴたりと箸を止めた。


「どうやら休息の暇はないようですね」


 『魔弾』の耳も捉えていた。忍ぶ、足音。華月を振り切ったと思ったのは早計だったらしい。酒が入っていなくて、まだ幸いだった。


「御用改めだ。美味そうなもん、喰ってんじゃねえか」


 永倉は襖を開け放ちざま、嬉々として言った。

 隣に立つ斎藤は平生の面立ちで、ただ黙したまま瞬息で剣を抜く。沖田と並び新撰組の双璧と称せられることのある斎藤は、春風を思わせる沖田の風貌とは対極的に、色のない、冬枯れのような風貌だった。整ってはいるのだが、華やぎが足りず和みよりは戦慄を呼ぶ。山崎よりもなお冷たい。異国の血が混じっている訳でもないのに、目はうっすら青味を帯びている。


 よりによって新撰組の選り抜きの隊士。二番隊と三番隊の隊長が揃って自ら出向いたという事実は、とりもなおさず新撰組が『魔弾』をどれだけ警戒しているかの表れだった。千尋が鍋を永倉たちに向けて引っ繰り返す。激しい音と湯気が上がる中、戦闘が始まった。


永倉新八:橋本洋一さん

山崎烝:恐怖院怨念さん

斎藤一:音叉さん

空乃千尋:空乃千尋さん


友情出演してくださいました。御礼申し上げます。

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