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瑠璃草子  作者: 九藤 朋
5/13

其ノ伍




挿絵(By みてみん)




 あゆの部屋の片づけは他の人間に任せ、瑠璃たちは昼間、檸檬絵郎が絵を描いた南の座敷に移動した。沖田と七瀬、あゆと津蔵坂、檸檬絵郎が座る。半月が、障子を透かして入り込む中、行燈に火を灯し、一同の顔はそれぞれの思惑に彩られていた。沖田が朗らかな声音で檸檬絵郎に言う。


「絵師の檸檬絵郎殿ですね。お噂はかねがね。うちの七瀬が危ないところを助けていただきました。礼を言います」


 それは謝辞を装った一種の尋問だった。

 なぜ一介の絵師が吹き矢など扱うのかと。護身用にしては特異である。

 檸檬絵郎は動ぜずに応じる。


「天下の新撰組、一番隊隊長はんがそない簡単に礼を言わはったらあきませんえ」

「では言い方を変えましょう。公家筋とのこと。貴方の背後にいるのはどなたですか」

「…………」

「絵師という生業も、情報収集には適しているでしょう。さしずめ、貴方は三条のあたりのお方と通じているとお見受けしました」


 三条のお方。

 明確には名指ししなかったが、沖田が言ったのは尊王攘夷過激派の公卿、三条(さんじょう)(さね)(とみ)である。実美の父は安政の大獄の憂き目に遭い、実美自身もまた父の遺志を継ぐかのように将軍・徳川家(とくがわいえ)(もち)に攘夷を促す程の行動派である。『魔弾』も尊皇攘夷過激派だが、三条実美とはまた思惑を異にして動いている。


 檸檬絵郎は沖田の柔らかな尋問に柳のように答えた。


「儂はしがない絵師どす。政局には関わりも繋がりもあらしません」

「成程。七瀬さんを助けていただいた恩に代えて、この場は退きましょう。いずれ貴方を、縛する日が来ないよう願います」


 暗に派手に動くな、という沖田の忠告とも牽制とも取れる言葉に、檸檬絵郎は明確な言葉を返さずただ一礼した。

 瑠璃と樹人は、初めて見る人であるかのように、この謎めいた絵師を凝視していた。


「津蔵坂さん。貴方も」

「儂?」


 矛先が津蔵坂に向かう。


「公では死人の身です。くれぐれも軽挙妄動に走りませんよう。派手に動かれ過ぎると、我々新撰組も目こぼしが難しくなります」

「世知辛い話じゃのう~」


 津蔵坂が肩を竦めて両手をひらひらさせる。

 沖田は淡い色の瞳であゆをしばらく眺めたが、あゆには何も言わず、瑠璃と樹人に今宵の出来事を口外しないようにと念押しした。恐らく店主にも同様にするのだろう。店にいた客や他の陰間、遊女たちはこの手の騒ぎには今時分、慣れている。多少の驚きはあっただろうが、静まった今、自らの成すことに意識は向き直っているだろう。そうした現金さが、この時代の風潮でもあった。


「樹人はん。小佐野(おさの)様が呼んではります」


 陰間の一人が樹人を呼ぶ。瑠璃は両手をぎゅっと握り締めた。今から樹人は、男の相手をしに行くのだ。小佐野というのは偽名で、実は坊主である。陰間茶屋を頻繁に使うのは、坊主や後家、女中などが多かった。


「今、行きます」


 樹人は瑠璃を一瞥して安心させるようにちらりと笑うと、居並ぶ一同に礼をして、座敷を出た。そんな樹人の後ろ姿を、瑠璃が追い縋るように見つめ、七瀬や檸檬絵郎、あゆが物思う視線を投げていた。


 遊女一人を買うのに、一本の線香が燃え尽きるまでを目安とする。時間にして凡そ一刻(約三十分間)である。円月屋では陰間も遊女も同じ値で売っている。然るに客は存分に悦楽に浸ろうと思えば、線香を何本も費やすことになる。当然、その分の料金は増すのだが、それでも構わないという客が多いのが、この商売だった。


 線香の白い煙一筋立つは欲情の証。


 樹人は買われる立場でありながら、客を支配して線香を使わせることに長けていた。客は樹人に乞い、肌を合わせ、妙技を尽されて歓喜の声を上げる。


 沖田と七瀬が店から退去し、あゆや津蔵坂、檸檬絵郎もそれぞれの部屋に戻り、瑠璃は一人、部屋で樹人のことを想っていた。今日、買ってもらった珊瑚の簪に手を遣る。障子を開ければ半月が瑠璃を見ている。今、この瞬間にも樹人は望まぬ契りを交わし、耐えている。それらの結晶とも言える珊瑚の簪が、瑠璃には忌まわしくも愛おしかった。




 西本願寺の屯所に戻った沖田と七瀬は、今後のことについて話していた。

 沖田は思慮深い表情で、懐手をして慎重に言葉を発する。


「円月屋は情報の宝庫のようだ。危険な場所とも言えるが……。七瀬さんはなるべく、あの店に通ってください。私も顔を出すようにします」

「はい」

「しかし、第一義は身を守ることです」

「……」

「渚様」

「お止めください。私は只の平隊士です」

「会津候の縁戚の姫君でおられる」

「捨てた、いえ、捨てられた身分です」


 七瀬は松平(まつだいら)(かた)(もり)に連なる血筋の姫君だった。幼少より剣の腕前に優れているのを見た父が、新撰組に寄越したのだ。七瀬には兄弟姉妹が多かった。加えて、七瀬の母は父の戯れで手をつけられた腰元だった。七瀬を持て余した父の、体の良い厄介払いが新撰組への入隊だったのである。加えて、時勢に関わる情報は知らせろという身勝手さ。事情を知る沖田は、少なからず憤りを感じていた。


 何かを言おうとした沖田が、咳き込む。

 背をさすろうとする七瀬の手を制した。


「大丈夫ですから。……近寄らないでください」


 切れ切れの息でそう言う沖田の拒絶に、七瀬は悲しく切なくなった。沖田が労咳(ろうがい)だということは知っている。けれどそのことをおいても沖田に触れたい。触れられたいと思った。


「本当なら今の状況も、本意ではない。貴方にうつしてしまうかもしれません」

「――――構いません」

「渚様」

「構いません、貴方の病なら。貴方の病で果てるなら本望です」


 微かに目を瞠る沖田と七瀬の距離が近くなる。顔と顔が。

 七瀬の双眸に潤む熱を沖田は見る。口づけ出来る距離だった。


挿絵(By みてみん)


 しかし沖田は身を離した。


「病になる前に、貴方と出逢えたなら或いは――――」


 その続きを口にすることなく、沖田は部屋を出て行った。七瀬は震える左手で、次いで右手で顔を覆う。沖田は独り、病を抱えて逝く気だ。自分を置いて。自分に触れないままで。ぱたた、と涙が畳を叩く。

 姫としての待遇など要らない。

 錦の衣も、煌びやかな飾りも要らない。

 欲しいのは唯一つ。唯一人。


 苦しい。

 苦しい。


「沖田さん」


 誰も聴くことのない哀切な音色が、こぼれて落ちた。





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