其ノ拾参
沖田や斎藤たちの報告を、近藤は笑って受け流した。
薩摩と長州が手を結ぶなどあり得ない、と。
常には物事を冷静に見極める土方でさえ信じなかった。情報元が津蔵坂だというのもある。
お前たちはからかわれているのだと局長、副長共にいなした。
沖田、斎藤、永倉、山崎は山崎が医務をする部屋に集い、嘆息した。
「まあ、そんなもんだろうよ」
永倉が肩を竦める。
「会津様に、直接進言出来れば良いのですが」
山崎はまだ望みの糸を繋ごうとする。
「渚様に口を利いて頂いては?」
斎藤の言葉に、皆が揃って沖田を見た。沖田は居心地悪そうにこほん、と咳払いする。
「……お伺いしておきます」
白皙の面が、僅かに朱に染まっている。
この頃、英吉利公使パークスは幕府の弱体を見抜き、天皇を中心とした雄藩連合政権の実現に期待するようになっていた。
一方で仏蘭西公使ロッシュは幕府支持の立場を続けたので、英、仏は対立する構図となり、それはまた朝廷・雄藩と幕府側との対立を激しくさせた。ゆえにこそ薩長が手を組むという話は、存外、眉唾ではないと沖田らには思えたのだが、近藤たちにはそうは思われなかったようだ。
明るい午後の日が麗らかな時刻、沖田は渚の部屋を訪ねた。
渚は丁度、巡察から帰ったところだった。隊服を脱ぎ、平服に戻り汗を拭っている。その白い肌に沖田は一瞬、目を奪われた。
「沖田さん? どうかされましたか」
「いいえ。渚様。お身体に変わりはありませんか」
「大丈夫です。それよりも、何かお話があったのでは」
沖田は微苦笑して、それから顔を引き締めると、津蔵坂から聴いた話を渚に語って聴かせた。
話し終えると、渚が得心したように頷く。
「解りました。私は会津様に文を書きます。私の言葉がどれ程の重みを持ってくれるか知れませんが」
沖田はほっとした顔で頭を下げる。
「お願いします」
沖田と渚の間に、沈黙が流れた。
沖田が渚の片頬に手を添えると、渚はそれに頬ずりした。柔らかく甘く、頭が痺れるようなこの感触に、酔ってはならないのだと沖田は自らを戒め、手を引くと渚の部屋をあとにした。足早に去ったので、沖田の耳に、渚の咳き込む音は聴こえなかった。
渚の書いた文を懐にした隊士は、馬を走らせていた。
大路小路を経て京都守護職上屋敷に至らんとする。場所は上京区藪之内町。屯所のある西本願寺からは北に上がって行くことになる。
蝉の声ばかりが煩い、人気のない道で、突如として銃声が鳴り響いた。
コルトM1851。
『魔弾』の撃った銃弾は、隊士が乗っていた馬を即死に至らしめた。どどう、と馬が倒れる。隊士は抜刀した。
「何者だっ」
『魔弾』はゆうらりと笑う。非情な銃声が、二発、轟いた。
事切れた隊士の懐から、密書を探り出すと、それを細かく破り捨てた。
付近の住民に銃声が聴こえていない筈はない。
こうした揉め事に慣れている住民らは、関与しないことが最も賢いことを知っている。『魔弾』は跪き、目を開けたまま絶命した隊士の、瞼に手を置き閉じさせてやった。青々とした柳のそよぐ葉の影が、『魔弾』の顔に深い陰影をつけた。
どうにもきな臭いことになってきた。
樹人は円月屋の雑用をこなしながら渋面だった。
津蔵坂は疫病神かもしれない。
樹人にとって、国の政情などどうでもよく、ただ瑠璃と二人、生きていればそれで良かった。だが厄介事のほうから樹人たちに歩み寄ってくる。ままならない。
時節は夏の盛りを過ぎて秋に移ろうとしていた。
雑用を片付けて瑠璃の部屋を訪ねる。
瑠璃は檸檬絵郎に借りた書を読んでいた。俄かに樹人の中から嫉妬心が湧く。
檸檬絵郎に対してではない。瑠璃が読んでいる書に対してだ。
瑠璃は樹人が部屋に入ると書を閉じ、文机に置いた。
「何、読んでたの」
「万葉集」
「お気に入りの歌はあった?」
「大名児を 彼方野辺に 刈る草の 束の間も 我れ忘れめや」
「どういう意味?」
「好きな女性に、はるか向こうの野辺で草を一掴みして刈り取る、そのほんの束の間さえも、私は貴方を忘れないよ、と言ってるの。草壁皇子の歌」
「へえ。僕と同じだ」
「同じ?」
瑠璃が首を傾げる。その唇にそっと触れる。
「僕も、瑠璃のことを片時も忘れずに想っているよ」
蝉の声が遠くなる。
瑠璃は悲し気に微笑した。自分もそうだと、この弟に告げたい。告げられない。
言葉は形になることなく、香のように宙に上り、揺らめき消えた。
樹人と二人、手に手を取って、どこまでも自由に駆けて行けたなら。
そしてこの想いを成就させることが出来たなら。
淡い朱は、もう深紅となって、瑠璃の心に息衝いていた。禁忌の壁さえ、飛び越えられるような、そんな気がした。片時も忘れないのは樹人だけではない。
瑠璃も、同じなのだ。
今回も音叉さん、橋本洋一さん、恐怖院怨念さん、七瀬渚さん、魔弾さんにご出演いただきました。
ありがとうございます。