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瑠璃草子  作者: 九藤 朋
12/13

其ノ拾弐



挿絵(By みてみん)



 檸檬絵郎もまた、嵐の予感を感じていた。

 彼は幕府の瓦解を信じて疑わない。問題は、どのように、誰がそれを成すかということだった。

 そしてそんな中、瑠璃と樹人が辿る道筋も、彼の関心事だった。


 目の前で二人、寄り添う姉弟を見る。

 その構図は檸檬絵郎が求めたものだ。密着し過ぎず、はんなり、添う。

 そうした在り様が彼らには相応しく思えた。水を替え、絵具に筆を浸す。

 絵描きは、実は相当に体力を要する生業だ。なまなかな体力では務まらない。檸檬絵郎が一介の絵師でなく、間者でもあるのは、ゆえに納得出来る事柄ではあった。


 絵の作業がひと段落して、瑠璃は障子を開ける。

 青味を帯びた卵白のような陽光が部屋に差し込む。

 中庭の紅葉は染まろうか染まるまいか、迷う風情だ。


 檸檬絵郎は慕い合う姉弟を不憫に思っていた。

 だが、己の手で彼らの窮状を救ってやりたいとまでは思わない。この先、政局がどう動くか解らない。無用な情は、誰にとっても命取りと言えた。恬淡とした気性で、檸檬絵郎は生きていた。

しかし、彼の中の僅かな心は、瑠璃と樹人の幸福を願っていた。

 それは、吹けば飛ぶような微かなものではあったが。


 障子を開け、檸檬絵郎の絵の道具の片付けを手伝う瑠璃と樹人は、そんな絵師の思惑を知ることはない。


 夜、広い座敷に、華月によって呼ばれた瑠璃と樹人は、そこに並ぶ面々に目を丸くした。

 津蔵坂と沖田、斎藤と山崎、永倉が酒を酌み交わしている。

 これは何の余興だろうか。


「どうせなら、皆で呑むがええがじゃろう?」


 津蔵坂はにこにこ笑っている。

 とても陰惨な過去を持つ岡田以蔵その人とは思えない無邪気な笑顔だ。


「津蔵坂さん、屯所に来たんですよ。全く、信じられない」


 沖田がくすくす笑う。

 岡田以蔵として捕縛される可能性は消えたとは言え、その大胆さに、鬼副長・土方歳三も開いた口が塞がらなかったそうだ。結局、腕の立つ沖田たちが津蔵坂の茶目っ気に付き合うことになった。永倉は津蔵坂の骨に興味を惹かれたそうだ。剣呑だ。だが今のところ、並ぶ面々は和やかに呑んでいる。あゆが三味線を賑やかに弾いている。


 瑠璃と樹人は津蔵坂と華月の間に座り、要り様な時には沖田たちの酌をしたが、新選組の彼らは専ら、手酌で呑んでいた。


「ほんでなあ。こっからが本題なんじゃが」


 津蔵坂が頭を掻きながら、少し言いにくそうに切り出す。

 沖田たちの表情が引き締まる。彼らも、津蔵坂が親睦を深める為だけに自分たちを招いたとは考えていない。


「薩摩と長州。結ぶかもしれんがじゃ」


 一瞬、場がしんとする。あゆの弾く三味線の音だけが響く。


「莫迦な」

「嘘じゃないき」


反射的に反駁した斎藤に、津蔵坂はじっと視線を据えて語る。言い含めるような語調だ。


「坂本さんが動いとるきの。儂は、新選組に忠告したかったぜよ。もう、時代の歯車は止めようがないがじゃき」


 沖田たちが顔を見合わせる。

 瑠璃と樹人は、檸檬絵郎から聴いていたことだ。つまりは、知る者はとうに知る事実なのだ。


「局長と副長に、進言する必要がありますね」


 山崎が冷静な声音で言う。うんうん、と津蔵坂は頷く。


「だが、何でそんな極秘の情報を俺たちに明かす? あんたには何の益もないだろう」


 永倉が当然の疑問を投げる。


「死んでほしくないがじゃ」


 ぽつりと、津蔵坂が呟く。


「儂の同志たちは次々、死んでいった。佐幕派も尊皇派も、どんな思想の人間も、もう、無駄に争ってほしくなかったきに」


 それは、津蔵坂だからこそ言える、重みのある言葉だった。


「ほいじゃきの、らぶいずぴーすぜよ」


 にかっと津蔵坂は笑って、沖田の盃に、手づから酒を注いだ。



 円月屋近くの路地の間。


 夜陰に紛れて集ったのは『魔弾』と『猫』、そして千尋だ。


「岡田以蔵、薩長の動きを新選組に漏らした」

「おやおや、そいつはまた」


暗い路地の中、『猫』の持つ行灯だけが唯一の光源となって彼らを照らしている。今夜は月が隠れた闇夜だ。


「殺しておくべきだったな」


 『魔弾』が口惜しそうに言う。


「まあ、過ぎたことは仕方ないさ」

「新選組が動くでしょうね」

「そらそうさ」

「……私は当分、彼らの動きを張ります」

「大丈夫かい? あんたは特に永倉に目をつけられてるだろ」

「まあ、何とかなるでしょう」


 千尋は静かな笑みを湛えて、『猫』に答えた。

 彼の腕前を熟知する『魔弾』と『猫』は、異を唱えなかった。



 津蔵坂の開いた宴席から、華月がするりと抜け出す。

 今夜は彼女の想い人である上田辰之進が来ているのだ。

 縁側に出ると、暗い闇夜の中、朱色の巨大な玻璃細工が威容をもって佇んでいる。

 黒の中に深い赤が潜み、闘いを繰り広げているようだ。その闘いはどちらが優勢とも知れず、長く、恐らくは朝になるまで続くものと思われた。そして先程の津蔵坂の話は、華月にはそうした諍いを呼び込む端緒のように感じられた。彼女には、これを上役に報告する義務がある。


 上田は華月が障子を開けると顔を向けて微笑した。


「堪忍、遅うなって」

「大丈夫じゃ。華月が売れっ子なのは知っとるきに」


 温和な風貌の上田はそう答えて、華月の腕を引き、自分の懐に納めた。互いの匂いを吸い込む。

 しばらくそうしてから、華月は上田の胸から離れると、準備されていた酒肴を、上田に供した。人の命が紙より軽い時代だ。自分もいつ死ぬか解らない。だから、上田と逢う時だけは彼の、また彼への恋情に身を浸すのだと華月は決めていた。




今回も檸檬絵郎さん、らむさん、なつのあゆみさん、津蔵坂あけびさん、音叉さん、恐怖院怨念さん、橋本洋一さん、魔弾さん、ねこさん、空乃千尋さんにご出演いただきました。ありがとうございます。

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