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瑠璃草子  作者: 九藤 朋
11/13

其ノ拾壱




挿絵(By みてみん)





「無粋の極みだな」


 坂崎は首筋に充てられた仕込み杖の切っ先は静穏に光る。

 瑠璃は涙目で樹人を見上げた。樹人には耐えられなかった。陰間茶屋の掟を破り、瑠璃の純潔を守ることを優先したのだ。


「瑠璃から離れろ」

「こんな真似をして、只で済むと思っているのか」


 言いながらも坂崎は樹人の指示に従う。身を起こしつつ、傍らに置いた刀を素早く抜刀した。樹人の刃と刃がかち合う。ぱっと火花が散った。樹人が袈裟懸けに振り下ろした刀を、坂崎が受け、返す刃で樹人の脇を狙う。樹人はとん、と軽く身を引きこれを避け、体勢を整える。瑠璃は見ていることしか出来ない。乱れた着物の裾を直すのも忘れて二人に見入っている。

 そこに第三者の声が割り込んだ。


「そこまでにしておくれやす」


 華月だ。

 艶やかに、仄かに光りを纏うように立つ彼女には、坂崎にさえ有無を言わせない迫力があった。今の華月は寸鉄一つ帯びていない。けれど確かに感じられる殺気という圧力は、坂崎が優れた剣士であるほどにしのばれるものであった。

 坂崎は華月を寸刻、眺めたが、やがて刀を鞘に仕舞った。


「おおきに。この不始末の詫びは改めてさせていただきますさかい、今宵はこれにてお引き取りくださりませ」


 この顛末に至るまで、華月が円月屋の店主を説き伏せたのだと瑠璃も樹人も察しをつけた。円月屋一の妓女には、そこまでの力があった。


「今宵はここで退こう。不始末の詫びよりはさておき、瑠璃は必ず手に入れるがな」


 樹人のぎっと睨んだ眼光をものともせず、坂崎は着衣の乱れを整えると部屋から出て行った。


「瑠璃」

「樹人……っ」


 樹人が瑠璃に駆け寄り、その身を抱き締める。

 その二人を見て華月は哀れに思った。己自身、恋をしているから彼らの気持ちは痛いほどに解る。だがここは陰間茶屋。そして二人は姉弟。超えるべき障害は多過ぎると言えた。



 翌朝、円月屋を訪れたアンヌ=マリーは悄然としていた。

 いつもは溌剌とした少女がしょげているとそれだけで空気が重くなる。


「お父様に言われたわ。そんな散財を私の我が儘では出来ないって」

「無理もありません」


 瑠璃がアンヌ=マリーを慰める。

 昨夜はあのあと、樹人と一緒の布団で身を寄せ合って眠った。これもまた華月の計らいだった。一対の鳥が温め合うように触れる以上のことはなかった。

 瑠璃は華月にもアンヌ=マリーにも感謝していた。今後のことはどうなるか解らないが、ひとまず樹人以外の男のものにならずに済んだ。


「昨夜は坂崎が振られたそうじゃのう」


 津蔵坂がひょっこり顔を出した。

 異人のアンヌ=マリーのことも気にしていない。


「悪い男じゃなかが、思い込んだら一途じゃき堪忍な」

「お恨みしてはおりません」


 それは瑠璃の本心だった。


 その日も、檸檬絵郎は瑠璃と樹人を描いた。

 瑠璃の弾く三味線。樹人が構える仕込み杖。


 画業がひと段落したあと、檸檬絵郎は茶を飲みながら言った。


「天地が引っ繰り返るかもしれへんなあ」

「天地?」


 聞き咎めた樹人に頷く。


「薩摩と長州を結び付けようて動きがある」

「――――まさか」


 二つの雄藩の、犬猿の仲であることは周知だ。

 蛤御門の変で薩摩や会津を相手に長州は辛酸を舐めた。

 手を結べば幕府には脅威だろうが、およそあり得そうにない構図だった。


「儂は国絵図作りを請け負うてるさかい、尊皇の動きも耳に入るんや」


 檸檬絵郎はどこか遠くを見る目つきで、憂いがちに呟いた。


「今は時代の変わり目や。変わり目には血がぎょうさん、流れる」


 剣呑なことやでと言い、檸檬絵郎は茶を飲み干した。


 薩長の動きに感づいているのは檸檬絵郎だけではなかった。

 

 華月、あゆ、そして『魔弾』や『猫』、新選組では山崎などもそれぞれ不穏な風を感じていた。土佐が動いている。脱藩浪士たちの動きに更なる警戒が必要。

 それが彼らの共通認識だった。



 けんけん、と咳をする沖田の背中を渚がさする。

 その手をやんわり退けて、沖田は難しい顔をしていた。


「近い内に浪士たちと派手な立ち回りになるかもしれませんね」

「……山崎さんの情報は確かなのですか」

「そうでしょう。監察方は全て、そうした見解を抱いている様子です」


 沖田は自らの掌を見つめる。


「この、なまくらな身体がいつまで使い物になるか」

「沖田さん」


 沖田が切なげに双眸を細める。


「貴方にうつしてしまわなければ良かったのだが」


 その晩のことを考えて、渚が赤面して首を横に振る。


「私は本望です」


 きっぱりと言い切った。




 西本願寺にほど近い町屋に、『魔弾』、『猫』、千尋が潜んでいた。


「では本当に岩倉公もその御意思で?」


 『魔弾』の問いに千尋が頷く。


「雄藩二つ、合わせて幕府を潰す。そのお積りでいるようです」

「新選組や会津が黙っていないだろう」


 猫の指摘に無論とばかり、千尋は再度、頷いた。


「大きな戦が起きるでしょう」

「俺たちの出番だな」

「嬉しそうだねえ」


 血の香りがやがてどこまでも吹き荒れ、嵐となることを誰もが予感していた。

 



今回もご出演の皆様に御礼申し上げます。

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