魔境 その弐
「本当に大丈夫なのかい?」
白の森の中を移動し始めてから、度々ユウが声を掛けてくる。
「しつこい。大丈夫も何も最初から何でもないって言ってるだろ」
「いや、あんな量の涙流しておいて何でもないは無理があると思うんだけど……?」
そうは言われても、ウィルだって自分が何故急に泣き出したのか分からないのだ。
考えられるとしたらまたいつもの本能的な云々だと思われるのだが、自覚している範囲では心当たりが全くない。
レッドに聞いてみても『ちょっと思い当んねえなあ……特に何も無くて泣き出すなんて鬼の子に限らず聞いたことない症状だ』と、何の解決にもならなかった。
「何かあったとしても涙はもう収まっているし、今は特にこれといって異常が無いから問題ない」
嗚咽が我慢できずに行動に支障が出るわけでもなく、他の実害も特にないのでウィルとしてはどうでもよくなっていた。
「気にならないのかい?」
「気にならないわけじゃないけど、お前程興味はないかな」
まるで自分を心配しているような言動のユウだが、実の所は好奇心によるところが非常に大きい事をウィルは知っている。
その証拠に、心配しつつも「サンプル取らせて」とウィルの涙を何やら錬金術の器具と思しき道具で採取していた。それも複数。
更には、その採取した内の一つを「味も見ておこう」とか言ってペロっと舐めていた。やっぱり、こいつは気持ち悪いド変態なんじゃ無かろうか?
ちなみに味は「普通にしょっぱくてつまらない」とのこと。うん。控えめに言って消えてほしい。
「――っと」
チリっと嫌な気配を感じたので金棒を手にすると、しっぽの先がやたら太い魔物が叢から飛び出してくる。
牙と爪を剥いて飛びついてきたので、金棒でそのまま叩き落とすと「ギッ!」と短い悲鳴を上げて地面に落ちて血をぶちまけながらひしゃげた。
この白の森に入ってから何回目になるか分からない魔獣の襲撃だった。
幸いにも襲ってくるのはどれも小型か中型で数も少ないので大したことないが、さすが魔境と言うべきかいつもよりもその頻度が比べ物にならないくらい多い。
しかも、奥に行けば行くほどまとわりつく嫌な感じがどんどん強くなる。ゴブリンだらけのあの遺跡にいた時とは比べ物にならないくらいなので、正直、ウィルは引き返した方が絶対良いと感じている。
が、その一方で何故かこの奥に進まないといけないような、いや、何かに誘われ引き込まれるような感覚も同時に覚えており、結果として大人しくユウに追従していた。
(変な感じ……これって魔境だから、って事?)
そんなことを考えていると返り血でジワリと重くなった金棒の感覚に現実に戻される。
そろそろ使用を控えないと今の片腕しか使えない状況じゃ手に余るなと思っていると、ユウが感心していた。
「ウィルって凄い力持ちだよね」
「? お前らは魔力で強化できるから多少力が強くたってそんなにすごいことじゃないだろ?」
これはレッドに聞いた話だが、鬼の子・呪い子は素の身体能力だけなら魔力持ちより優れているらしい。
ただ、それはあくまで素の能力の話であって、魔力による身体強化で出力する力には及ばない。
具体的に数値で言えば、呪い子が十だとすれば、普段の魔力持ちは五だが、魔力による強化込みならば二十以上の力が簡単に出るとのこと。
「でもそんなに重い武器を簡単に振り回しているじゃないか。ボクだと身体強化してもビクともしなかったのにさ」
昨晩ウィルが眠らされた後に、目晦ましに投擲した鬼の金棒を回収しようとしたらしいが、何をしても微動だにしなかったという。
寝ている間に勝手に人のモノを、と思わなくも無かったが、もうユウなら仕方ないかと思ってしまったのと、身体強化を使っても動かせなかったというのが気になったので一先ず置いておくことにした。
「……それは単にお前が物凄く非力なだけなのでは?」
身体強化は文字通り、あくまで元々持っている身体能力を強化する魔法だ。
つまり、その元々の身体能力が低ければいくら倍増させても程度が知れている。
「うーん? 元々体力に自信が無いのは認めるけど、そこまで酷くはないはず……」
『あー、ウィルよ。前に鬼の金棒には軽量化の魔法が仕込まれているって言ったと思うんだが』
ユウとのやり取りを聞いていたレッドが口を開く。
(そんな事言ってたような気がするな)
『構造としては柄の内部に“重力低下”の魔法陣が仕込まれているんだが、これにちょっと細工されてあるんだ』
細工?
『ああ。簡単に言うと一定量以上の魔力が流れると、魔法陣が一時的に崩れて機能が停止するんだ』
(……つまり魔力持ちが持とうとするとめちゃくちゃ重くなると?)
『そういう事だな』
鬼の子が使う武器として作られたので、それが鬼の子以外の手に渡らないようにする一種の保護機能なのだという。
『多分一番軽い状態でも、魔法使いならゴリゴリに体を鍛えた奴でも一人じゃ絶対持てないくらいの重量はあるはずだ』
こんな単純な鈍器にそんな大層なモノが仕込まれているとは、と金棒に視線を向けているとまた刺すような嫌な感じがした。
――前!
顔を上げると、先行しているユウの目の前に一体の魔獣――形状を見るにサルに近い――が飛び掛かっていた。
「『結界』」
顔色一つ変える事なくユウがその魔法名を口にした途端、薄い半透明の壁が魔法陣と共に瞬時に出現して魔獣の前に立ちはだかる。
「ウギャッ!」
突然現れた壁を回避できなかった魔獣はそのまま頭から激突して崩れ落ちる。
ユウはピクピクと痙攣する魔獣を一瞥する事も無くそのまま捨て置いて森の奥へ駆け、ウィルもその後に続いた。
「トドメを刺せてないぞ?」
「え? いや、だって可哀想じゃないか」
基本的にウィルは敵に回ったものは皆殺しにした方が自分の安全に繋がると考えている。
なので、ユウの中途半端な倒し方に苦言を呈したのだが、予想の斜め上の答えを返される。
「……可哀想?」
「いやだって、ボクらが入ってこなきゃ向こうだって襲ってこなかったはずだろ? 不必要に命を奪う必要はないだろう?」
「群れる種類だったら仲間を引き連れて復讐しにくるぞ」
「かもしれないけど、そうならないかもしれない。少なくともこっちの都合で必要以上に害を与えるのはダメでしょ」
「ソレお前が言うの!?」
我儘で周囲を振り回しているユウが言えるセリフではないだろう。
「ボクは必要だと思ってるから良いの」
「いくらなんでも勝手過ぎるだろ……」
「そうかな? 自分でも勝手な事しているなって自覚はあるけど、別に過ぎるって事は無いと思うんだけどな」
それは自分ではなく周囲が判断する事ではないだろうか?
「というか、そもそも疑問なんだけど、勝手な事して何が悪いのかな?」
「いや、悪いだろ」
「いやだから、何が?」
「何がって……迷惑になるだろ」
人に迷惑を掛ければ、悪く思われる。
悪く思われれば、敵視される。
敵視されれば、攻撃される。
攻撃の形は様々だが、いずれにせよやられる側は堪ったものではなくて、それをやめさせるには相応の苦労を要求される。
不必要にそんな苦労を作り出すのは馬鹿のする事だろう。
そう言うと、ユウに笑い飛ばされる。
「何が可笑しいんだ?」
「いやあ、意外とウィルって子供なんだなって」
は? と思わず声が出る。
お前が言うな、と返そうとしたら「だって、迷惑掛けない人なんていないんだよ」とユウが続けた。
「生きていれば大なり小なり他人に迷惑を掛けてるものさ」
一々それを気にしていたらキリが無いとユウは言うが、それで人から恨みを買われたらどうするのか?
「別に良いじゃないか。恨まれても」
「いや良くないだろ!?」
「良いんだよ。どんなに行儀良くしてたって嫌われる時は嫌われるんだからさ。それだったら、我慢して嫌われるより好き勝手して嫌われた方が良いでしょ?」
「それは……」
ユウの考えを否定しようとするが、その言葉はすぐに出てこなかった。
たしかに、呪い子というだけで、特に悪事を働いたわけでもないはずのウィルが睨まれるのだから、自分の言動と自分に向けられる悪感情は必ずしも関係があるとは限らないかもしれない。
(……でも)
でも、だからといってわざわざ人に迷惑を掛けて自分を恨んだり嫌う人間を増やす必要も無い筈だろう。
「それに、迷惑掛けてもそれ以上に恩を売れば問題は無いよ。今回のクエスト受けたのだってそれだし」
「……恩を、売る?」
ユウの思わぬ言葉に、ウィルは目を丸くする。
「そうそう。こっちが迷惑掛けまくる代わりに、こっちも迷惑されまくれば良いんだよ。持ちつ持たれつというヤツさ」
持ちつ持たれつ。
その言葉の意味を知らないわけではないのだが、ウィルにとってみればソレは理解しがたいものだ。
なにせ、ウィルは生まれてこの方義父に持たれっぱなしで役に立てた記憶はない。義父以外には言わずもがなである。
仮に誰かの役に立ちたくても、立てない。
自分が何かできるか問えば、答えは無い。
(恩を売るったって……)
それができない人間には、結局選択肢はないじゃないか。
「あれ? シュハが降りてくる?」
突然、高度を下げはじめたシュハに、ユウが訝しげに首をかしげる。
「どうした?」
「いや……シュハは契約者の元に向かってるから、多分降りた先にユースさんがいる筈なんだけど……」
何故か困惑しながら答えるユウ。聞くと探知魔法を使ってもユースやオヤジさんの反応が無いのだという。
「死んだとか?」
「縁起でもない事を……もしユースさんが死んだならその時点でシュハの召喚魔法が途切れるから消える筈だから、それはない」
どういう事なのかとシュハが降りた場所に到着すると、この召喚獣はとある光景を前にこちらを待っていた。
「え? 途切れてる?」
何がと言えば、先ほどまで辺り一面うっすら白みがかっていた森の風景が、シュハが待機するより先は普通の森のような景色になっていた。
「……魔境ってこんなあっさり通過できるの?」
「いや、まだ国境は越えてない筈だよ」
てっきり魔境の出口に着いたのかとウィルは思ったのだが、ユウが即座に否定する。
「まだ奥地……例の軍が壊滅した地点も越えてないはず」
「そうなのか」
「うん。まだ全体の三割くらいじゃないかな?」
どういう事だろうと周囲を見渡す。ユース達の姿も見えない。
その代わりに、白い部分とそうじゃない部分のちょうど境界部分に生えてる木が目に留まる。
木の幹半分こちら側は白く発光しており、その向こう側は焦げ茶色をした普通の色をしていた。
「……なんだこれ?」
「どうしたんだい?」
ウィルの視線を追ったユウは、その先の光景を見て一瞬硬直する。
そして。
「うっわなにこれなにこれ!」
はしゃぎ声をあげてすごい速さでその木に近付く。もう今日だけで何度も見た、ユウの病的な好奇心である。
『またか』
(ああ……レッドはこれどういう事か分かるか?)
げんなりとしたレッドの声に同調しつつも、ウィルも不思議というべきか不気味というべきか分からない木が気になって尋ねてみる。
『うーん、何故かは分からんがここから先は魔境の魔力がぽっかり存在していない空間なんだと思う』
レッド曰く魔境というのは、あくまで魔力が極端に多い土地というだけであって、実は生育している動植物の種類自体は珍しいものではないのだという。
ただ、その場所に長く留まると土地の魔力の影響を受けて、この森のように変わった色に変化したり魔獣化魔植物化して変異するらしい。
『色が変わって無いってことは、魔境独自の魔力が無いって事だと思う』
(ふーん……これって割とよくある感じ?)
『いや、異常』
少なくとも自然には起こりえない現象だと、レッドは断言した。
『魔境がオイラの知っているのと同じものなら、魔力溜まりを中心にして広がっているから、こんな風に内側の一部分を切り取ったみたいに空白地帯ができるのはおかしいんだ』
なんらかの要因で外側一部分が欠けたような状態ならともかく、中心に近い部分でこういう事が自然に起きるのはありえないという。
(じゃあ人がこれをやったと? それこそありえなくないか?)
ユウは魔力が強過ぎてここでは結界のような魔法が使いにくいと言っていた。
魔境の空間をそうじゃない場所と同じにする、消すというのは人力では難しいのではないか?
『そう言われてもな……オイラにしてみれば、昔ここを解放しようとしたこの国の軍が残した影響とかの方がまだ考えられるんだが――』
「ウィルっ! 敵が来たっ!」
レッドの話は、切羽詰まったようなユウの叫び声によって遮られた。
次回、久しぶりに戦闘回かも(未確定)




