遭遇
概要:MK5(マジで食われる5秒前)
古い木戸をギッと軋ませながら押し開いて外に出る。
とある森の中に建てられたこのあばら家は、随分昔に廃棄された猟師用の小屋のようで、非常食どころか薪一本無い有様だった。
それでも風雨をしのげるだけでも今のウィルには魅力的で名残惜しく、たった今出てきたばかりのあばら家をついついチラリと見遣ってしまう。
けれど、同じ場所に留まり続ける事は呪い子にとって難しかった。
理由としては単純明快。食糧問題だ。
現在ウィルは人里から離れた野山を彷徨い歩く生活を送っている。
魔獣や賊などに遭遇すればいつ死んでもおかしくない日々であったが、下手に人の近くで生活すれば迫害の対象となり、どちらにしろ身の危険である事には変わらないからだ。
けれど、森や山の奥地には魔獣しか生息していない。通常なら食糧として狩猟対象となる魔力を持たない鳥獣と出会う機会はほぼない為、狩り以外で食料を手に入れる方法は植物採集ぐらいしかない。
付け加えるなら可食植物の群生地にはその分ライバルも多い為、非力なウィルははぐれて孤立しているような個体のものを狙うしかない。当然、量に限りがあるのですぐ食いつくしてしまう為、次の採集の場所を探すしかない。
同様の理由で同じ場所に留まり続けて農業をした所で、食料の匂いで自分の天敵を呼び寄せるだけの結果となってしまう。
移動し続けた方がまだマシなのだ。
また、移動し続ける事には一応の利点もある。魔獣は基本的に魔力の強さで相手の脅威を測るため、大した実力を持たない低級魔獣もウィルに襲い掛かってくる時がある。
魔力を持たない獣に比べれば圧倒的な脅威であるのには違いないが、ある程度の実力と経験があれば逆に狩り返す事自体はそれほど難しい事ではない。
もっとも魔力を持つ魔獣は賢く、すぐに周囲にウィルの情報が行き渡って警戒されるようになるので、その周辺の低級魔獣を狩り尽くすといった事は難しいのだが。
更に言えば、有効な遠隔攻撃手段を持たない為に低級魔獣相手でもウィルではまともな狩り自体難しいのだ。
逃げ足は普通の獣以上に早く、素人が自作するような武器では基本的に効かない。
ちょっとやそっとの飛び道具は魔法で弾かれ、致命傷でない傷はあっという間に治されてしまう。敵わない相手と知ればすぐに逃げる。
それが向こうから来てくれるのだったらウィルとしては大いに歓迎するというものだ。
仮に魔獣狩猟用の良質な弓矢でもあればもう少しマシな食生活が送れるのだろうが、まともな収入手段がないウィルにとってそういった逸品を手に入れるのはほぼ不可能だった。
遠隔攻撃の魔法に関しては言わずもがなである。
魔力が無く、頼るものと言えば身体能力と義父の遺したナイフぐらいしかないウィルは、油断して襲ってきた低級魔獣の急所を素早く突く。これくらいしか肉を手に入れる手段はない。
そして中級以上の魔獣が襲ってきたら逃げるしかない。
だから、ウィルにとって安住の地なんてものはない。
最低限疲れを取る為に休憩をして、すぐに食料を求めて移動して、また羽休めの場所を見つけて束の間の休息を取り、またあてもなく流れていく。
それが、ここ数年におけるウィルにとっての日常だった。
ヒヤリと肌寒い空気が全身を侵食する。時節的には春とはいえ夜はまだまだ寒い。
防寒具であるフード付きの外套を纏ってるはずなのだが、低品質であった為か、その役割はあまり果たしていないようだった。
もっとも、ウィル自身あまりその事を気にしてはいない。元々、この外套を使っているのはいざという時に人前に出る為、フードを深く被って自分の眼を隠す為だ。その前提を考えるのであれば、防寒具としては強い冷風から身を守るだけでも上等とも言えるだろう。
「さてと……ッ!」
小屋を出た途端、急にキーンと耳鳴りが始まり、ウィルに緊張を走らせた。
初めて人を手に掛けてからしばらくして、ウィルは時々かなり強烈な耳鳴りがするようになっていた。
最初は、あの乱戦の中で気づかない内に身体に異常を負ってしまったのかと思っていたのだが、その耳鳴りが起きた後、いつも何かしらのトラブルが発生している事に気付いた。
ある時は魔獣の群れに追われ、またある時は野盗に襲われた。
山間部を歩いてる時に耳鳴りがした際は、がけから崩れてきた落石を咄嗟に回避した事もある。
端的に言ってしまえば警告音なのだ。これは。
どういう理屈なのかはウィル自身分からなかったが、この危険を察知できるおかげで脱した窮地も多く有難かった。
もっともいくつかの欠点を除けば、の話ではあったが。
(ぐぅっ……ホント何度なってもキツイな、これ……)
その一つは、身に迫る危険を回避する前にショック死するのではないかと思う程の頭痛である。
痛み自体は一瞬だけなので我慢できない事にはないが、せっかく身の危険を事前に察知できてもタイミングが悪ければこの痛みに気を取られて回避し損なってもおかしくない。
そして欠点はもう一つある。
その欠点とは耳鳴りが起きてすぐに身の危険が迫るという事。
本当に直前の危険しか感知できない、という事だ。
――ガサリ。
草むらから次々と現れる人型の、しかし決してそれが同類でないと分かる異形が這い出て来る。
柑橘系の果実表面のような吹き出物だらけの薄緑色の肌であるその身を露わにしたと同時に漂う、汗や血、し尿といった生物由来の体液を混ぜ合わせたような悪臭に、ウィルは顔を歪めた。
(ゴブリン……!)
しかも、かなり大きい群れだった。
敵性亜人種の中では危険度最底級、否、理性が無い分呪い子にとってみれば魔法が使える人間よりもよほど厄介な集団との遭遇に、ウィルは思わず舌打ちをする。
(いつの間にここまで近づかれたんだ……!?)
ゴブリンは本来であればその猛烈な悪臭を放つ体によって、新米冒険者でも不意な接近を許す事はない。
すぐに察知して迎撃あるいは逃走等の行動に余裕を持って移れるはずで、これは魔力を持たないウィルも共通である。
ふと暗がりに目を凝らすと、錆びついた鉈や不格好な棍棒といった武器を装備する群れの中に、一頭だけ明らかに棍棒とは違う、正体不明な頭骨が先端に備えられた棒を持つ個体がいるのが確認できた。
その個体は他の個体に比べ体格が一回り以上も大きく、また、他の個体のような布切れとも呼べないような代物ではなく、きちんと衣類であると認識できる程度には立派な物を纏っていた。
(あれが頭……しかも魔法杖装備って、そうか、そういう事か)
一般的にゴブリンは低能とされており、事実人間よりも本能的な行動を優先しがちである。
けれど、それでも辛うじて言語を理解するには十分な能力を種族単位で有しており、珍しい場合ではあったが、他のより危険な魔獣よりも複雑な魔法を使ってくる場合がある。
しかもこういった群れを束ねるような個体は、ゴブリンに限らず能力が高くなる傾向がある。
どういった魔法を用いたか素人以下であるウィルにとって皆目見当も付かなかったが、おそらく自分達の存在を隠蔽できる術を、目の前の群れを束ねている頭目は持っているのだろうと、ウィルは納得できた。
が、その問題は事ここに至っては非常に些末なものであった。
(まずいまずいまずいまずい……こんな数のゴブリンを相手になんて、できるわけがない!)
反射的にナイフを逆手に構えを取って対峙しつつも、この場を切り抜ける算段を頭の中で巡らせる。
じりじりと近づいてくるゴブリン共に呼応し、ゆっくりと、けれどしっかりと目の前の捕食者達を見据えながら後退して距離を保つ。
目の前の蛮族共に少しでも隙を見せればすぐにでも襲い掛かってくるのは想像に難くなく、ウィルのこの膠着状態に持ち込む対応自体は、決して間違っていない。
しかし、それはあくまで自分を救ってくれるような仲間、あるいはそれに準ずる存在がいるときに限って、という話なのだが。
(とにかく時間を、時間を稼ぐ!)
時間を稼いだところで意味はない。こんな夜更けにこんな人里離れた森林地帯の奥地で、万に一つ何者かが助けてくれる事なんてありえない。
それでもウィルは諦めきれない。
生物としての本能である生存欲求が、必死になって思考を急き立て、脳内をグルグルと廻る。
そう時間も経たないうちに崩れるであろう膠着状態の中、自分の生きる道をウィルは必死に模索し続けるのであった。
ゴブリンス〇イヤーじゃないけど、仮にゲーム等で雑魚扱いされるような奴でも群れて襲撃されたら普通に死ねると思います。
2018年1月18日。文章を簡素化する改稿をしました。