闖入者
象とヒアリの群れ。どっちがマシか。
変事というものはいつも前触れもなく起きるものである。
(あれ? 何か来た?)
ゆっくりと接近しつつあったその気配に気付いたウィルは、傍に転がしていた金棒を手に取り、やおら立ち上がる。
(焼き魚のニオイに誘われてきたのかな?)
なかなかに香ばしいかおりを漂わせる焚き火を見遣りつつ、面倒な事になったと溜息をつく。
以前ならばこういう時は、さっさと食料を見捨てて逃げるが勝ち一択であった為、残念ではあったものの頭を悩ませる必要も無かったのである意味楽であった。
しかし、今はある程度までなら身の危険をもたらす獣は撃退ないし仕留められるようになっていた為、よほど厄介な相手――例えば群れで襲ってくるような――でない限りはその場に留まって狩ってしまった方が手間は掛からなくなったのだ。
そしてウィルが感じられる気配は今のところ一つ。余程の事が無い限り対処ができるはずである。
『やっと手に入れられた魚を捨てるのも癪だしな』
「最近違和感無くなってきたけど、あんまり無意味に人の思考を読むのやめてほしいんだけど」
軽口を叩いていると、ガサガサと音を立てて近くの木々がぱっくりと割れた。
いや、正確に言うなら気配の正体が木と木を掻き分けて姿を現したのだ。
浅黒く、毛の無い筋肉質で光沢のある皮膚。
姿形だけならばウィルとそう変わらない。
もっとも、その大きさは一回りどころか三、四回りは上回っているが。
先日、散々ウィルを苦しめたゴブリンと同じ亜人種――オークである。
「また人型か……」
『? なんか問題でもあんのか?』
問題という程でもないが、人型相手だとウィルは少し苦手意識というべきか忌避感と呼べるモノを覚えていた。
初めて人を殺した時もそうだが、命を奪う行為は大なり小なりの嫌悪感に襲われるのだ。
一応、ある程度経験を積んだらソレは無視できるようになったのだが、時折忘れた頃に鬱々とした衝動に襲われる事がある。
とは言っても、ウィルにとって大した問題ではないと考えていた。
いや、自分の気持ちを考えるなら些細な事ではないのだが、ソレが生きる上で差し支えた事が無いから気にする必要はないのである。
そう。気にするべきなのは別のこと。
「人型って群れている事が多いから嫌になる」
目の前のオークもそうだが、先日のゴブリンしかり。その基準としている人間を始めとした人型生物は集団を形成している事が多く、その集団が持つ力に対してウィルは苦い記憶しかない。
そもそも、本来人間ならば誰でも受けられる筈の数の力という恩恵を、ウィルは感じた事すらない。むしろその暴力を受ける側に立たされ、その余波の被害者が義父だった。
肉体的にも、精神的にも。
直接的にも、間接的にも。
義父が助からなかったのも、直接的には冒険者ギルドのクエストの狩猟対象が原因であったが、ある意味ではウィルに向けられたその暴力的な人々の意思のせいだった。
だからなのか、ウィルは人型ないし、集団を形成する生物に対して知らず知らずのうちに嫌厭の意識を持っていた。
『あー、まあ確かに“戦いは数だよ!”なんて言葉もあるしなあ……でも、今回は大丈夫そうだろ? 周囲にアイツ以外の気配無いし』
「まあね。けど、なんだってオークがこんなところに一体だけいるんだ?」
先述したように、オークもまた群れを形成し、集団生活をする亜人だ。
ゴブリンよりも遥かに恵まれた肉体が持つ身体能力と、それを更に魔力で強化された怪力を考慮すれば、周囲のその正確な数を把握できないのなら一時撤退が推奨されるのが一般的だ。
オーク側もその数の利点を分かっているらしく、狩りを行う時は集団でしか行わないはずなのだが……どういうわけだか今回は単体で姿を現れていた。
『うーん、多分なんだけど“はぐれ個体”なんじゃないか?』
はぐれ個体はその名の通り、集団生活を行う生物の一個体が追い出されて単独で行動している存在の事で、同種の個体より厳しい環境で生き延びた為か単体での能力が高い場合が多い。
『ほら。耳が欠けているし、歯も折れているみたいだから、多分縄張り争いか群れのボス争いに負けて追い出された奴なんじゃないか?』
レッドの仮説にウィルはなるほどと得心する。同時に、少しだけこのはぐれオークに共感めいた感情を覚える。誰の協力も得られずに独りで生きる、という意味ではウィルもそう大差が無い。
――まあ、向こうは襲う気満々みたいだし、こちらとしても殺し合う事に躊躇いは無いのだが。
『イけそうか?』
「ん。多分大丈夫」
オークと戦うのは初めてだったが、あまりイヤな感じはしない。
ゴブリン達に囲まれた時のようなヒリつく危機感も、鉱竜に挑んだ時のような妙な圧迫感もない。
本能が恐れる相手ではないと、教えてくれているようだった。
「大きいけど鉱竜程じゃないし、ゴブリンの大きいやつって思ったらそんなに怖くないから」
『まあ、鉱竜に比べりゃ可愛いもんだけど油断するなよ? オークの一撃はまともに受ければ普通に死にかねないからな』
オークの丸太よりも太い腕を見ればそれくらいの事は容易に想像がつく。単純な威力もそうだが、見た目からの威圧感などサイズが大きいというのはそれだけで利点になりうる。
もっとも、利点を活かせるかどうかはまた別問題なのだが。
こちらの様子を伺っていたオークが勢いよく駆け出してきた。何の警戒もなく正面から来る辺り、こちらをなめきっているらしい。。
ウィルは金棒を肩に担いで迎撃態勢を取る。攻撃が振り下ろしに限定されて柔軟性は減るが、こうして肩に支点にした方が一番楽に振るえるからだ。
間合いに入ったところでオークが大鉈を振りかぶる。得物の大きさを見る限りウィルのソレより大きいはずだが、片手で易々と振り回せるのはさすがと言ったところか。
その様子をじっと動かずに観察しつつ、全身の力をぎゅっと溜め込むように腰を落とす。
――そして。
「ふんっ!」
振り下ろされた大鉈に合わせて、ウィルも金棒を振り下ろす。
身長差からウィルが迎え撃つような形で衝突した金属塊同士は、オーク側がぶつかり負けて大鉈を持った腕がかち上げられる。
「がら空きだあっ!」
何が起きているのか理解できないといった様子で目を見開いて体勢を崩したオークを捉えつつ、ウィルは衝突によって腕に与えられた電流のような衝撃を誤魔化すように、そして軋み音を上げる自らの筋骨を叱咤するように声を張り上げ、振りきった金棒の威力を殺さないようにそのまま体ごとブン回して無防備になったオークの横っ腹へと叩き込んだ。
吸い込まれるようにオークの脇腹へ叩きつけられた赤鉄の金属塊は、そのままオークの肋骨を砕き、肺を潰し、表層の皮膚や筋肉及び血管を引き裂きながら振りぬかれた。
「――っ! っ!」
悲鳴を上げようとするオークだが、既に肺から空気が強制排されている為か声にはならない。
代わりに、骨の破片が肺に突き刺さったのか、ドス黒い血が口の端が漏れていた。
横倒しに倒れたオーク。
すかさずトドメを刺そうとウィルが駆け寄る。引き摺るようにして金棒を携えたままオークの頭を捉えると、駆けた勢いのまま振り上げた。
ゴキン!
ウィルが両手で金棒を振りぬくと、首の骨が折れた音を立てて一瞬頭があらぬ方向に跳ね上がると、直後にダランと首から先が垂れてビクンビクンと痙攣を始めた。
『お疲れさん。危なげなく倒せたな』
「まあね……はあ。しんどい……」
以前とは比べ物にならない程に力をつけたウィルだったが、あまり気分は優れない。
慣れた事には慣れたが、やはり自分はこういう事が苦手らしい。
「……ん?」
ふとオークの背を見てみると、最近できたばかりと思われる火傷や切り傷がついていた。
当然、鈍器が得物のウィルがつけたわけではない。
『……なあウィル。なんかオイラ、嫌な予感がするんだが……?』
「奇遇だね。俺もそう思う」
恐らく何者かに追い立てられていたのだろうオークの死体から急いで離れ、すぐ近くの叢に身を潜めた。
程なくして、数人の冒険者らしき集団が姿を現した。
ウィルの苦手意識は鉱竜>>越えられない壁>>ゴブリンの群れ>オークという図式。
鉱竜と戦ったが為に変にデカブツ耐性ができてしまったせいでオークが当て馬に。




