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魔法は使えるけど使えない魔法陣

『さて、せっかくの大漁なんだし、いくらかは干して保存食にしようぜ』


 レッドに言われるがまま、干物にする為に魚を捌きはじめる。

 ウィルは保存食の作り方を一通り知っていたし、何度か狩りで得た鳥獣を干し肉にした経験がある。


 魚に関しては、何度か釣りをして食べた経験はあるが、今回のように捌いて保存が利くように加工するのは初めての経験であった。


『そうそう。そんな感じで腹を開いてだな……』


 しかし、まるで何度も経験した事を教えるが如くレッドの指示は的確であり、特に滞りなく処理を終える事ができた。


『海じゃないのが残念だなあ……塩水があれば一夜干しにできたんだけどなあ』

「何を残念がっているの? 別に、レッドが食べるわけでもあるまいし……」


 そこまで言いかけて、ウィルは気づく。


(あれ……そういやコイツ、俺の感じた情報を処理できるんだよな?)


 ウィルが修得をするまで、ゴブリンの感知や移動時における位置確認などはレッドが行っていた。

 その方法というのもウィルの五感の情報を得て、解析処理をしたと他でもない本人が言っていた。


(五感ってたしか味覚とかも含まれていたよな……?)


「ねえレッド。お前、もしかして俺が食った味とか分かるの?」

『うん? そうだけど……あれ? 言ってなかったか?』

「聞いてない。……その割にはゴブリン肉食べた時全然大丈夫そうだったけど?」

『そりゃあそうだ。美味そうなものの情報は受け入れるけど、明らかにあんな不味そうなものの味覚情報なんて要らんわ』


 あっけらかんとした答えが返ってきて、ウィルは思わず頬を引き攣らせる。


「…………まさかとは思うけど、実は今回の魚獲りってお前が味わいたいだけだったとか言わないよね?」

『いや、たしかにオイラも久しぶりに魚食べたいなあ、とか思ったけどさ。それだけって事は無いぞ? お前に食欲に目覚めてもらっていっぱい食べてほしいと思っているのは本当だ』

「それで俺がいっぱい食べるようになったらその分お前も楽しめるようになると?」

『それでお前の身体が成長すれば生き残りやすくなる。お互いにウィンウィンだろう?』


 たしかにウィルは損をしているわけではない。なのだが……騙されていたような複雑な気持ちになってしまうのは何故だろうか?


『そんな事より魚焼こうぜ』


 判然としない宿主の事などお構いなしの様子でレッドが食事の支度をするように促してくる。


 モヤモヤした気持ちを吐き出すように溜息をつくと、近くにあった適当な木の枝を拾って地面に線を引き始める。


 数日前にレッドから教わった“魔法陣術”の構築である。


 これは、一般的によく知られている魔術の基礎理論を形にしたもので、ここに魔力を流せば魔法になるらしい。


『単に魔法を使うだけならこんな小難しい事を考えなくても良いみたいなんだけどな。少ない魔力で魔法を使うにはかなり効率的な方法なんよ』


 レッドいわく、本来なら単順な魔術に魔法陣術を利用するというのはまずやらないという。


 使うとしても駆け出しの魔法使いやあまりにも複雑で大規模な魔法を行使するときの補助、そして魔道具として物体に機能を持たせる時など使う場面は限定される。


 要は“魚を焼く程度の事でわざわざ使うなんて馬鹿げている”という程の面倒な手法なのだ。


 まず、普通なら思い浮かべるだけで済むものをわざわざ書かなければならないのだ。それも、かなり綺麗かつ正確に。


 その為、一番簡単な“火を起こす”という魔法でも、経験の浅いウィルはで何度もやり直しする羽目になる。


 その上何とか陣の構築に成功しても、魔力とその触媒が無いと使えない。


 ウィルの場合、魔力は先日の鉱竜の魔晶石から、触媒はソレと相性の良い鉱竜の血液を魔法陣の線に流し込む事になっていた。


「こんなに面倒だと、自分が魔法を使っている実感がまったく無いんだけど……」


 鉱竜の血が入った水筒を慎重に傾けつつ、あまりにも地味で不便な作業の繰り返しに辟易したウィルが愚痴をこぼす。


『そりゃまあ、魔法使い達が鬼の子を見下す事が多いのはそういう事だからな。自分達ができている便利で先進的で常識的な生活ができない存在。あいつ等からすれば魔法が使えない人間っていうのは、文明から遠く離れた未開の地で不便を不便とも思わないで暮らしている蛮族と同じにしか見えないんよ』


 言葉もしゃべれない猿より自分が劣っているとはウィルだって思っていないだろう? と、レッドが言った。


「他の人から見た俺と、俺から見た猿とどっちがマシに見えるかな?」

『猿』

「……さすがに即答されるとは思ってなかったなあ」


 泣くべきだろうか? と思っていると盛大な溜息をレッドがつく。


『そんなバカな事を考えて落ち込むなんて猿だってやんねーよ。どっちがマシとか考える暇があれば、さっさと“発火”しちまえ』


 言われるがままに鉱竜の血を溝に流しこんで、そに魔晶石を翳して魔力を流すと、流した場所から広がるようにして魔法陣が淡い黄色の光を放つ。


 程なくして魔法陣の中心に小さな紅い火種が生み出されるので、すかさず燃料となる乾いた木の枝を放り込んで火を起こす。


『ようし。じゃあ魚を火に掛けろ。ちゃんと遠火でな』


 無事に魔法が発動し、ウィルはホッと息を吐く。


 実の所、火を起こすだけなら魔法に頼らずともできる方法をウィルはいくつか知っていた。

 そして、現状ではそれに掛かる労力はどれもどっこいどっこいで、不慣れであるという所を鑑みればむしろ魔法陣を用いた方法が一番面倒で苦労するものだったりする。


 加えて、今まで勉強らしい勉強をしてこなかった少年が覚えるものとしては、あまりにも専門的かつ座学的な要素が多いこの魔法陣術という代物は、中々に負担が大きいものだった。


 おまけにそういった座学要素を修めるのに必須と言っても過言ではない筆記用具の類はウィルの境遇では持っているはずもなく、その学習速度は非常に遅々としたものであった。


「……早く覚えたいなあ」

『筆記用具があればもう少し楽になるんだけどな。紙とかに完成した陣を保存しておけば使いまわせるし、現状だと消費する一方の触媒の減りを抑えられるしな』


 現状だとウィルが魔法陣術を習得するのに最も効率的なのは実地練習あるのみだが、その実地練習を行うにも魔晶石に込められた魔力もそれを使うのに必要な触媒である血液も有限である上に少ない。


 練習で消費していざ必要な時に足りなくなる事を考えると、おいそれと使う事はできない。


『それでもペースとしてはまだ良い方だとは思うけどな。ウィルが文字を書けたからその練習も省けたし、基本的な計算なんかも知っていた上に少し難しい計算方法もオイラが教えたらすぐに覚えたからな』


 それがなければ今頃はまだ魔法陣の実地訓練もできていなかったはずだとレッドは言った。


『読み書きを教えてくれた親父さんに感謝だな』


 レッドの『助かったわ~』というしみじみとした言葉にウィルも「正直、役に立つ日が来るとは思っていなかったけどね」と肩を竦めた。


 養父が遺したものは意外と少なくなかった事に、ここ数日でウィルは気付いていた。


 食料と毒物の見分け方に始まり薬草等の野外活動に必要な知識に、色んな武器の特徴や使い方など、よくお世話になっているものは元々大変に役立っていたが。


 最近まで使う機会があまりなかった読み書き計算に、本当に使う機会があるのか分からない行儀作法や丁寧な言葉使いなども、そういえば教わっていたなと思い出していた。


(行儀作法とか本当に役に立つの? なんて言ってイヤイヤしてた時もあったなあ……)


 教わったものの中で最も苦痛だった訓練を思い返す。


 その時の養父の言い分としては“戦闘時のおける姿勢維持訓練のついでに覚えてしまえ”というものだった。丁寧な言葉遣いもそのついでで教え込まれた。


 どんな状況・状態でも常にきちんとした姿勢が保っていれば、いざという時に余計な危険を回避できる、との事だったが。正直、ウィルがその恩恵を感じた事はなかった。


(一体、何のために俺にあんな事を教えていたんだか)


 改めて考えてみると、自分の親だというのに謎だらけである。

 が、この謎については深く考えない事にウィルは決めていた。

 そもそもの一番大きな謎として、周囲からの孤立を顧みずにウィルを保護して養育した事自体が一番意味不明だからである。


 別に、養父からの情を疑っているわけではない。


 自分が養父に抱いていたモノと養父から自分に向けられていたモノにそう違いがない事を、ウィルは確信を持っていた。

 のだが、それが最初から自分にソレが向けられていたと思える程、ウィルも子供ではない。


 ヒトが利己的な生物であるのは、これまで生きてきた中で嫌と言うほど経験しているから。


 だからこそ、ウィルは結局最期まで自分の父について理解できず、故にそれに関連した謎についても思考を放棄してしまっていた。


(直接聞いた時も結局“そういう縁だったから”としか言わなかったし……)


 まあ、今はとりあえず感謝だけしておこう、と今日もまたウィルは自分の父について考える事を放棄するのだった。

無学の子供が適当に使う魔法>魔法陣術。


技術や使い方、状況次第では効果は逆転しますが、利便性や汎用性で言うのなら魔法陣そのままは圧倒的に劣ります。

例えるなら文書作成で言う所の毛筆とPCくらい利便性の差がありますが、使い様によっては書道のようにこっちの方が良いよねって感じです。

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