本能が望む事
概要:鉱竜戦開始
「確認するけど真っ向勝負するしか無いんだよな?」
『現状だとな。もう少しウィルが成長すれば小細工できるんだが、無い物ねだりしてもしょうがない』
目下でのんびりと岩壁を食んでいる鉱竜を見つつ、方針を確認する。
狩猟対象は先程の闖入者の事を意識の外に置いているらしく、食事に夢中であった。
「しかし、見れば見る程でかいな……」
『ビビってるのか?』
「茶化さないでよ。あんなの初めて見た上に立ち向かわなきゃいけないこっちの身になってくれ」
前足の太さだけでも数人分はあるのだ。
正直言って、戦う事を覚悟したところでどうこうできる気が全くしなかった。
『ビビる必要なんて無いだろ? どうせもう鉱竜程度の相手なら死ぬことは無いだろうし』
「いや、普通に食べられかねないと思うんだ思うんだけど?」
『よほど予想外の事が無けりゃそれはない。ゴブリン達との乱戦の時に思ったが、お前多分もう無意識だけで戦えるようになってるんだろ?』
「……アレってやっぱり気のせいじゃなかったのか」
身体が勝手に避けるようなあの得体のしれない感覚を思い出す。
「何なんだアレ? 気付いた時にはもう体が勝手に動いてるようになってたんだけど?」
『何ってウィルだよ』
「はい?」
『人間の心は二種類ある、いわゆる理性と本能ってやつだ。で、理性は考える事は得意だけど体動かすのは苦手で、逆に本能は考えるのが苦手で体を動かすのが得意なんだ』
人間は考える生き物だから普段は理性を優先して行動しているが、要所では本能で動くのだという。
『鬼の子として鬼術を使う、つまり生命力を操作するようになった事でウィルの肉体は活性化し始めた。それによって動物が本来持っている能力が解放されて、それまで理性に埋もれていた本能的な力も目覚めだしているんだ』
「何かに動かされてたような気がしたけど、その何かは俺自身だったってオチか?」
信じ難い話であったが、分からない話でもなかった。
けれど、仮にそれが本当なのだとしたら何故ウィルは不気味さや嫌悪感を感じていたのか? 無自覚といっても自分自身なら嫌厭するのは不自然ではないだろうか。
その疑問を呈するとレッドは『そりゃそうだろうよ』と言った。
『だってお前、ついさっきまで自分の本能を全否定してたじゃんか。自分の欲求を嫌って、現実的じゃないって言って無視してたんだ。嫌いなヤツの判断なんて普通信じられないだろ?』
義父が亡くなってからその形見を喪いそうになる度に、手を伸ばそうとする自分を抑え込みその選択を否定し続けた。
生きる為にと嘯いて自分の本能的な欲求、衝動を嫌っていたのではないか? と言われてしまえば否定できなかった。
「本能の判断を俺自身が信じ切れていないから苦しく感じてたってこと?」
『ああ。でも、お前はさっき自分の欲求に向き合ってその正体に気付けたんだ。長い間無視し続けたからまだ難しいかもしれないけど、本能的な自分を少しでも信じられるようになれればお前が言う所の気味悪さはなくなっていくはずだ』
不快感はいずれ解消されると聞いて少し安堵したものの、この後そう時間を置かずに鉱竜と戦わなければならないので“いずれ”では困る事に気づく。
「本能的な自分を信じるって具体的にどうすれば良いんだ?」
『普段から適度に自分の欲求に従って少しずつ、ってのが一番自然なんだけど……まあ、今回は時間が無いわけで、“荒療治”するしかないわな』
「荒療治……嫌な予感しかしないけど、つまり?」
『何にも考えずに突っ込む! 突撃だ!』
結局そうなるのかと、どうあがいても真正面からぶつかるしかない事を察したウィルは、諦めの境地で静かに得物を手にすると目の前の斜面を降り始め、地の底にて待つ鉱竜との戦いへ身を投じるのだった。
でかい。
それ以外言えないのかと指摘されそうなくらいに、相対したウィルが抱いた感想はその一言に尽きた。
少しずつ、静かに回り込むように近付く。鉱竜は最初はあまり気にしない素振りであったが、ある程度まで距離を詰めると首をもたげてジロリと睨んできた。
どうやら、死角に回らせてくれる気はないらしく、あと一歩でも踏み込めば完全に敵と見なされそうだった。
『さっきのゴブリンのせいで大分気が立ってるみたいだな』
「それは嬉しくない情報だな」
立ち止まってその剣呑なその目を見据えると、鬼の金棒を握る手に力が入った。
今からこの目の前にいる巨体を打ち倒す。
それができるかどうかは分からないが、然もなければ自分の大切な物が消えてしまう事を思い、気持ちを奮い立たせる。
縄張りに近付かれた鉱竜の怒気がピリピリと空気を伝って肌を刺す。
嫌な感じはするが、不思議と恐怖は感じなかった。
ウィルは呼吸を整えるようにスゥと息を吸った。
「……いくぞ!」
息を吐き出すと同時に斜面を蹴ると、それが始まりの合図であるかのように、鉱竜が威嚇の咆哮を上げた。
『良いか? 本能に身を任せて戦うコツは衝動に身を任せて、一つの目標に集中して動く事だ。とりあえず今はどうやってアイツの頭に張り付くかだけ考えろ』
駈けながらレッドの言葉が頭に響く。
相手の頭はもたげてるせいで今は高い位置にある。直接登れそうにはない。頭を下げさせるか、首に取り付いてよじ登る以外にはなさそうだ。
頭を下げさせる方法は思いつかないので、巨体をよじ登って伝っていくしか無さそうだった。
鉱竜の横っ腹に大きく回り込むように移動する。
体が大きいせいかやはり移動には難があるらしく、鉱竜はのっそりと侵入者を追って回頭してくるが、追い付かれる前にそのまま胴体に飛びつこうと一気に接近する。
が。
(っ! まずい!)
「! ぐッ……!」
体表面に析出しているデコボコとした鉱石類が良い取っ手になりそうだと、それに目掛けて跳んだ瞬間に嫌な気配が全身に突き刺さる。
直後に、巨体が一瞬震えると、その小さな動きだけで体当たりが飛んできた。
ウィルは人間数人分の身長は優に超える距離を吹き飛ばされて転がされるが、直前に察知できた為になんとか最低限の受け身は取れた。
『ちょっと不用意だったな』
「ぐうう……不用意も何も、跳んだ後じゃどうにもならないよ。あと、やっぱり移動はそうでも無いけど動作自体は遅くないよコイツ」
体が大きい分相手にとっては震える程度の僅かな動作であっても、人間にとっては脅威的な範囲をカバーしており、結果的にその迎撃速度はゴブリンの比ではなかった。
『でもまあ致命的ではないだろ? 危険察知で一応は受け身取れたみたいだし、よっぽどの事が無ければ死にそうに無いのはこれで分かったろ?』
「……まあ、ね。油断禁物なのは変わらないし、まだちゃんとうまく戦えてないのが嫌な感じだけど」
本能に対する不安、いや不信感はまだ残っていた。
意識していた為にまだその危険察知を受け入れて咄嗟に鬼の金棒で受けて直撃は避けれたものの、攻撃への対処は遅れ気味で、威力を殺しきれず衝撃で内臓が揺れて息が詰まってしまった。
「でも、思っていたより余裕がありそうなのが分かったのは収穫かな」
一方で、実は鉱竜よりゴブリン達の方が厄介だったとも感じていた。
数任せに間断なく四方八方から常に殺意が飛んできた時と違って、今は文字通り目の前の事だけに集中していれば良いのが精神的にはかなり楽だった。
加えて、油断せず一定の距離を保てさえすれば相手の攻撃に晒される事が無く、回避が容易な点も大きい。
『そうか。そうなるとやっぱり問題はどうやって頭に取り付くかだな』
「うん。せめて少しだけでも良いから動きが止められれば良いんだけど……」
試しに逃げながら“止まれ”と念じながら柏手を打ってみるものの、こちらを追跡する回頭行動が止まる事は全くなかった。
『今のウィルじゃ暗示や威圧で鉱竜を硬直させるのはまだ難しいみたいだな』
「いや、とりあえず試しただけだから。……というか、まるで成長さえすれば止められるみたいな言い方なのは気のせい?」
『気のせいじゃねえぞ。正直、肉体的に成熟してれば正攻法で撲殺は多分可能だし、もう少し鬼術の練度があれば鉱竜にも普通に通用するはずだ』
一体どんな怪物の話をしているのかと思いかけたウィルだったが、少し前までの自分を思い返してみると、魔法も使えないの呪い子だったのがこの短期間で大分人間離れしてきてるよな、と思い直す。
おそらく、数日前の自分に伝えたとしてもこんなことになるなんて信じてはもらえないだろう。
ゴブリンとの乱戦を生き残るようになっているどころか、こんな化け物と自分の意思で戦うようになっているなんて。
(……そういえばレッドが言ってたな。これは俺が元々持っている力だって)
周囲の人間と同じように魔法が使えなくても、こうして自分は戦う力を得る事ができた。
人とは違うやり方で、生き伸びる事ができている。
もしかしたら、気付いてないだけで自分なりのやり方というものがもっと多くあるのかもしれない。
自分が本能というものの存在を知らなかったように。
(そうだ……もっと本能的な判断ってやつに身を任せてみたら良いんじゃないか? 生き残る為だけじゃなくて、こう、もっと何かを勝ち取る時にも……)
ウィルの脳裏に過ぎるのは咄嗟に震脚を放った、あの時のこと。
今思えば、アレは理屈を考えず本能的に使っていた気がした。
あの時は暴走と言っても過言ではなく色々と大惨事になってしまったが、結果だけ言えば状況の打開に繋がった。
同じように新しい何かを閃けば、あの巨大なトカゲをどうにかできるかもしれない。
(あの時の状態を再現できれば……)
とりあえず形だけでも暴走時を再現するべく、強引な突撃を敢行する。
同じ轍を踏まない様に体当たりだけは注意しつつ、再び横から胴体部分への取り付きを試みた。
今度は凹凸部分に手を掛ける事には成功するが、すぐに水に濡れた狼のように身震いされて振り落とされてしまう。
『……ウィルぅ。さすがに今のは無いわぁ』
「うるさい」
着地したところを大きな足で踏みつけられそうになるのを、慌てて飛び込み前転で回避して距離を取る。
いくら何でも考え無しだとレッドにごもっともな指摘を受けるが、彼にだけは言われたくないと思うのは何故だろうか?
(それよりも、やっぱり単純な動きの真似じゃダメか……)
一先ず安全圏に退避すべく、傾斜した岩壁に沿う形で走って距離を取りながら、上手くいかない原因を探る。
そもそもあの時は本能の暴走という理屈の無い行動だったが、今回は意図的な考えて実行した“理性”による行動で、しかもその理性自体が「これで良いのか?」と疑問を抱いていた。
あの時は衝動で身体が勝手に動いた上に、文字通り我を忘れたかのように自分の行動に違和感を覚えなかった。まるで全てがうまく嚙み合ったような一体感というべきか、不安を感じないどころか妙な安心感すら感じていた気すらする。
(……本能の衝動的な行動ってなんだ?)
普通に考えれば我慢できない程やりたい事で、それは暴走時に抱いていた感情と共通している。
けれども、今やろうとしている事は本能が望んでいたはずの義父の形見奪還だ。
なのに今は何故かうまくいってない。
形見を取り返したい、という気持ちはたしかにある。それは暴走時と同じだ。
違うのはあの時は感情を揺さぶられる程の衝動があったものが、今回はそのような事はないという事だ。
(もしかして……俺の本能が今一番やりたい事は違うのか?)
形見を取り返すよりやりたい事がある?
いや、流石にそれは無いはず。けれど、他に思い当たる事も……。
(……くそっ! こうしてる間も時間が無くなるっていうのに!)
今回は期せずして生死の心配はあまり無い状態になったが、“形見の消化”という目に見えない制限時間というあまり経験の無い制約がウィルを焦らせる。
(早く、早く倒さないと……!)
『それじゃね?』
と、ここまでウィルの思考を静聴していたレッドがポツリと呟く。
「……え?」
『だから、今のウィルの本能が望んでること。“鉱竜を少しでも早く倒したい”んじゃないのか?』
レッドのその指摘を聞いた瞬間、ウィルの中で何かがストンと腑に落ちるのを感じる。
『無理さえしなけりゃ安全に戦えるが、距離を取ったり慎重に対応しようとすればするほど攻め手が少なくなるだろ? 急いで決着を付けようとするのとは真逆の行動を取っているんだから、理性と本能が一致してないんじゃないか?』
どうやら自然に安全策を取ろうとしていた事自体が、本能的な願望とは一致してなかったらしい。
「なるほど……」
『で、どうする? 具体的な打開策が無い現状じゃあ、早く倒そうと焦って接近すればするほど危ないだけじゃないか?』
「…………元々、今回は命懸けでいくつもりだったんだ。自分の本能を信じれるようになる為にも、せいぜい焦ってじたばたしてみるよ」
鉱竜に挑むと決めた時点で覚悟はしていたのだ。
震脚と同じように、本能がもたらす可能性がある奇跡を信じて、ウィルは自分の衝動のままに動くことに決めた。
『そっか』
「そっかって……それだけ?」
『ウィルと同化した時にオイラの覚悟はもう決めてあるし、欲しいものを得るときは大概危険が付きものだかんな』
あんまり無謀な事すんならちょっとは口出しするけどさ、と最後に付け足したはしたものの、レッドはウィルの決断を尊重してくれるらしい。
『今回は本能だけで暴走した時と違って、先に理性で考えた上での選択だからな。ちゃんと危険だって自覚した上でそれでもやるって言うんなら、止めるのは野暮ってもんさ』
「そうか……ありがとう」
『お礼なら地上に戻ってからたっぷりしてもらうから気にすんな』
レッドはうぇへへへと笑いながらそう言った。
「よし、とにかく試してみるか」
相手を倒したい。
殺したい。
その衝動のまま動くのであれば、有効かどうかは度外視してただ欲求のままに攻撃を仕掛けてみるのが一番だ。
一先ず有効打の為に急所を狙うという考えを頭の中から一旦捨て置き、手にした得物の一撃を相手に浴びせる事だけを考え、唯一接地している相手の脚部目掛けて突進する。
踏みつけられないよう間合いを見計らい、力の限り踏み込んで大振りで鬼の金棒を打ち付ける。
ガキン、と火花と金属質の音を散らし、体表面の鉱石片が飛んだ。
打ち据えた衝撃がウィルの腕に痺れるような反動として襲う。
その一方で、鉱竜にはあまり影響を与えていないらしく身じろぎのような蹴りでウィルの身体を跳ね飛ばした。
「くっ……!」
重い衝撃に思わず声を漏らすものの、今回はうまく捌くことに成功し、地面を転がる事どころか体勢を崩す事も無く立ち上がる。
『どうだ?』
「……なんか、いけそうな感じがする」
突進している時、言いようのない充足した高揚感を得た。
相手の体表面をわずかに削っただけの、傍から見れば攻撃とも呼べない一撃を与えた時、自分の中で何かが満たされた気がした。
客観的に見れば無意味としか言えない、歯も生えていないような子犬が魔狼に噛みついたような行動だったが、しかし、その子犬の意識に大きな変化を与えていた。
気付けばウィルは既に駆け出していた。
直前の行動と全く同じ。何の変哲もない、ただの突撃。
ただ、確実にウィルの中では大きな変革が起きていた。
腕に残った痺れるような反動だったが、同時に手応えを残していた。
岩どころかまるで山そのものに叩きつけたかのような、圧倒的質量感が。
視覚だけでは分からなかった、“鉱竜”という実体を感じ取り、捉えた感触が。
ウィルの、その一撃を引き出した。
(『喰らえ!』)
その刹那の心境は、本人であるウィル自身も良く分からなかった。
強いて言うなら、強者へ挑戦する戦士のような、自分の全力をただぶつけるだけという、ひたすらにその一心で振るったものだった。
動き自体も、直前に相手へ与えたものとほぼ変わらなかった。
けれど、実際にその金属塊が堅牢な鉱竜の体表面に打ち付けられた時に、その違いが現れた。
析出していた鉱石の皮が抉れた。
中身である鉱竜が本来持つ鱗さえも数枚だけではあったが、引きちぎる様にして剥ぎ取られた。
久しく感じていなかったであろう神経の刺激が、呻き声として鉱竜の大口から漏れる。
反射的にその脚を引っ込めてしまい、体勢の均衡を崩す。
グラリと、その巨体が傾いた。
そしてこの日、小さな岩山はその生において初めて“転ぶ”という体験をしたのだった。
ようやく、ようやくウィル君の覚醒が本格的に始まりました!
これで無双できる下準備ができました! (ただし無双するとは言ってない)
こういう心理的な描写が好きで、一度始めると止まらなくて、いつもこの倍の文量になってしまいます(汗)
シェイプアップするの大変です。筆が乗る時程難産ってどういう事なのか……。
次回か次々回くらいには鉱竜を仕留めたいですね。




