いきるということ
概要:レッド諭す
義父の形見が喪われるかもしれないと聞いて息を詰まらせるウィルだったが、一拍を置いて呼吸を整えると首を横に振った。
「……いや、いい。義父さんのナイフは諦めるから」
鉱竜を狩る。言葉にすれば単純極まりなかったが、あんな巨体を持つ怪物相手の息の根を一体どうやって止めれば良いのか皆目見当がつかなかった。
そもそも魔法使いでさえ狩るのが難しいと言うなら呪い子、いや、鬼の子である自分では不可能ではないだろうか?
たしかに以前とは違い魔法への対抗手段を手に入れる事ができた。鋭敏な感覚や筋力的な能力が高まっているのも実感している。
けれども、それでどうしろと言うのだろうか?
あのゴブリンの魔法の威力はこの身で受けて知っている。今の自分にはあれ以上の破壊力を持った攻撃手段はない。なのに鉱竜は火玉の魔法を泰然と受け止めまるで意に介していなかったのだ。
更に、下手に刺激を与えればあのゴブリンの二の舞となって食われてしまう可能性すらあるのだ。
死んでしまえば元も子もないし、そもそもナイフを回収できる見込みはない。ここは諦めるしかないのだ。
なのに、
『……駄目だ』
「は?」
『ウィル。お前はあの形見を絶対に取り返さないといけない。だから諦めるっていう選択肢は、無い』
言うに事欠いて“駄目”とは。まさかの完全否定に唖然としつつも、明らかに現状に則していない意見を持つレッドに異議を唱える。
「だ、駄目ってなんだよ駄目って! 何言ってんだよ! 俺がいいって言ってんだからそれで良いだろ? お前だってこんな所で俺と心中するのは御免のはずだ。大体、あのでかいのを倒すのは魔法使いでも難しいんだろ? それが今の俺にできると思うか?」
『勿論オイラだって心中する気は無いさ。作戦はちゃんとある』
「作戦?」
『アイツの頭部に張り付いて、鱗の隙間から鬼の金棒を突き立てるんだ。そのままアイツの血を吸って限界重量まで到達すれば、頭が耐え切れずに潰れるはずだ』
鬼の金棒は本来対魔法使い戦を想定しており、その性能を全開にできれば単純な質量と鬼の子の怪力で敵の軽度な結界魔法と鎧を一緒くたに粉砕できるように設計されているらしい。
『体表面の鉱物や鱗がアイツの主な防御手段だ。それを避ければ倒せるくらいには鬼の金棒は重くなる』
「簡単に言うなよ。移動速度は遅いみたいだけど、ゴブリンを丸呑みにした動き自体はそこそこ素早かった。それにまだ問題がある。頭に張り付く方法は? 張り付いた後に振り落とされないようにするには? もし振り落とされたら――」
『んなもん全部根性で踏ん張るしかねえだろ』
懸念事項が全て“根性”でバッサリ一刀両断されてしまい思わず「馬鹿げてる……」と声に出して頭を抱えてしまう。
『馬鹿なのはお前だよウィル。何自分に嘘ついてんだ? 我を忘れる程に欲しがったものをそんなに簡単に諦められるはずないだろ?』
「諦めたくて諦めるわけじゃない! ……あの時は可能性があったからついムキになったんだ。今は違う。現実的に考えればそれは分かるだろ? たしかにあのナイフは俺にとっては大事なものだ。だけど、生きる為に必ず必要ってわけじゃない。そんな物の為に命を危険に晒すなんてそれこそ馬鹿のやる事だ」
本音を言えば未練はある。
だけど、もう見誤らない。無謀な事はしないと先程決意を新たにしたばかりのウィルは冷静さを意識して判断した結果、苦渋の選択をしたのだ。
なのにどうしてこのゴーレムもどきのスライムは、その決断を鈍らせるような事を言うのか。
『言っておくけど別にオイラはオヤジさんの形見だから取り返そうって言ってるわけじゃない。お前は大事な物って言ったが……お前自身がアレの本当の価値を理解しきれてないから、口だけでも“諦める”なんて言葉が吐き出せるんだよ』
「どういう意味だ?」
『自分自身を見殺しにするような真似はさせられないって話だ』
……自分を見殺しにする?
『いいか? たしかに客観的に見ればただのボロナイフで、今後生きていく上では必要なものじゃあないかもしれんけどさ。あれは最後の形見なんだろ? つまりオヤジさんとお前の繋がりを示すこの世でたった一つの物というわけだ』
「そんな事は分かっている。理解ったうえで選択したんだ。今更他人に言われなくてもそれくらい――」
『本当に分かってんのか? 見方を変えればアレは過去のお前の象徴でもあるって事なんだぞ?』
「……俺の過去の、象徴?」
どういう意味がすぐに理解できずにいるとレッドが懇々と諭し始める。
『当たり前だけどオイラはあの場所で出会う前のお前の事は知らない。いや、話だけなら聞いたけど、程度は別としてお前みたいな境遇の人間を見た事ないわけじゃないから“こいつも苦労してんだなあ”ぐらいの認識だったんよ』
ウィルは悪い意味で人々から浮いて目立つ少数派の人間であるのは確かだ。けれど、だからといってこの世で一番不幸である人間かと問われれば違うだろう。少なくとも五体満足で生きているのだから、自分と同じか或いはそれ以下の歳で死んでしまった奴に比べれば運が良かったと言えよう。
言ってしまえばただの少数派の中の一人に過ぎないのだ。
『オイラにとってお前はたまたま運良く出会えた鬼の子。ただそれだけだった』
「まるで今は違うって言い方だな」
『ああ。さっきお前が暴走して震脚を使った、あの時に見る目が変わった』
生きる事しか考えて無かったはずの少年が見せた執着。
レッドが初めて垣間見た、ウィルという人間の本質だった。
『あれを見て初めて“一人の鬼の子”って認識から“ウィルという人間”に変わった。んで、冷静なお前を取り乱させたオヤジさんの形見は、お前にとってただの形見じゃないって事も気付いた』
「当たり前だ。最後の形見なんだぞ?」
『いや、オイラが言いたい事とはちと違う。形見っていうのは要は墓と一緒だ。死んだ人間が残す最後の証でしかない。それこそ沢山あってもなくても他の人間が命を懸ける程の価値なんて無い』
「じゃあなんで……」
『でもウィルは命を懸けた。つまりお前はあの形見にそれ以上の価値を見出しているってわけだ』
違うか? と問われるが、ウィルは肯定も否定もできなかった。形見以上の価値を見出している、なんて言われても心当たりなんて無かったが、かと言って自分の暴走に対するレッドの仮説を否定するだけの考えも持ち合わせていなかった。
『沈黙は肯定と受け取るぞ?』
「……分かんない。急にそんな事言われたって、俺自身分かんないだよ……いくら義父さんの形見だからって自分の命より大事な理由なんて説明できないんだ」
『簡単な話だ。お前にとってアレはオヤジさんの形見なんかじゃない。お前がオヤジさんと一緒に居て過ごした時間の証……過去のお前そのものなんだ』
「……あ」
その言葉にウィルの中で何かがカチッと嵌ったような気がした。
これまで生きる為に切り捨ててきた多くのモノ。
義父の形見や自分のが所持していたものが無くなる度に感じていた喪失感は、他でもない自分自身が消えていく感覚だったのだ。
感情がマヒしていた?
辛い出来事が起きる度に訓練されて、それに慣れたからいつも冷静でいられた?
違う。
自分はただ心を、感情を、何かを喪う度に擦り減らし続けていただけだ。
多くの何かを感じ、自分自身を形作っていた過去の記憶は、日に日に薄れていく。
それを補強し支えるような思い出の物は、もう既にウィルの手元にはほとんど残っていない。
そして、唯一残っていた物は今――
『感情が無くなればそれはもう“人”とは言えない。このままお前の過去を見殺しにすれば、お前はいずれ――』
「なあレッド。生きるって、何だ?」
今まで自分が生きる為に行っていた事が、逆に自分自身を追い詰めていた事に気付いたウィルは、嘆息と共に自然にその問いを発していた。
「俺は、ただ死にたくなくてこれまで生きてきたんだ。生きる意味なんて無い。いやむしろ、意味なんて無い方が良い。一々何かに喜んだり悲しんだりしない方が楽で良いじゃないかって、そう思ってたんだ」
けれど、気付いてしまった。
自分が無意識に守りたいと思っていた物を。
喜び悲しむ、人としての心を。
「俺が生きる意味って、何だ?」
『知らんよ。それはウィル自身が考える事であって、オイラの管轄外だ』
ここまで人を焚きつけといてその態度か。と、ウィルが苦笑していると『ただ』と言葉が続いた。
『一つ言えるとしたら別にその答えは今すぐ出さなくても良いんじゃないか? って事だな』
「アレを倒した後ゆっくり考えればいいって?」
『そういう事だ』
こいつと出会ってからの短い間に、もう何度目だろうか?
こんな無茶を、実行に移す覚悟を固めさせられたのは?
「…………ハア。後で俺をその気にさせた事、後悔するなよ?」
『ウィルの方こそ、後でオイラに盛大に感謝する心積もりをしておけよ?』
なんとなくであったが、レッドがニヤリと笑った気がした。
レッドによるカウンセリング(二回目)によって、生まれて初めて人間らしいエゴの為に挑戦する気になったウィル君。
本編内ではグダグダ言っていましたが、本当に諦めるつもりならレッドの意見なんてガン無視して立ち去れば良いのに、それをしない時点でもう、ね?
そんなわけで当初ボスを務めるはずだったゴブリンを丸呑みにした鉱竜との狩猟戦に入り、次回からリード一章最終決戦となります。
客観的に言えば鉱竜君は特に悪い事をしたわけでもなく、普通に快適なマイホームで食っちゃ寝してスローライフな生活していただけの子なんですが、特に美味しいわけでもないゴブリンを食べてしまったが為に覚悟を固めたウィル君に死に物狂いで命を狙われる事になってしまいました。可哀想に。




