プロローグ
概要:主人公の生い立ち
俺が物心ついたとき、既に両親はこの世にはいなかった。
俺を拾った人、つまるところ義父曰く、両親共にその時流行っていた病気で死んでいたらしい。
らしい、というのはその死の瞬間を誰も見ていなかったそうだからだ。
何故ならその病気とやらは非常に凶悪だったものらしく、両親はおろか住んでいた村を全滅させていたそうだ。
その村の事情を知る者は誰も近づこうとせず、たまたま旅の途中で通りかかった義父も、最初はただならぬ様子にすぐ離れようとしたらしい。
赤子――つまるところ俺の事なんだが――の泣き声が聞こえなければ、の話だったが。
すぐに保護された俺はまだ辛うじて乳飲み子から脱した程度の年齢で、当然ながら酷く衰弱していたそうだ。
けれど、既に直近の村との交通が絶たれて数日が経過しており、加えて人間家畜問わずに全滅させた疫病からどうやって逃れられたのか?
要は衰弱程度で済んだ事が不可思議な話で、当の本人である俺自身でさえも謎というか、気味悪ささえ感じる話だ。
まあ、これだけなら奇跡の子などと呼ばれてもおかしくない話なのだが、残念ながらそう都合よくは済まなかった。
「この子には魔力が無い……呪い子だ」
拾われてから三年後。当時義父が住んでいた村で受けた洗礼式において、村人全員の前でそう宣言された。
されて、しまった。
後から聞いた話によるとこの世界には魔法と呼ばれるものがあり、それを使うには魔力なるものが必要であった。
この魔力、余程のことが無ければたいていの生物が持っていて当たり前。
街によっては魔力を使う事が前提の生活が成り立っているらしい。
魔力には種類があるらしく、洗礼式はその魔力の検査も兼ねている。
この検査の結果如何によってはお偉い貴族やら王族やらに取り立てられて、例えスラムの生まれでも一足飛びに立身出世の道が開けるらしい。
それが逆に魔力無しと判定されてしまった。
言い換えれば、能無し、足手纏い、家畜以下の存在宣言である。
俺はすぐに村から追い出される事になった。
まだ舌も回らない幼児であった俺に対して余りにも過酷な仕打ちだという声もあったそうだ。
が、俺の『疫病からの生き残り』という生い立ちが災いし、俺こそが疫病をもたらす悪魔であり、村に残した所で食い扶持以上の働きが期待できないという意見が出た。
『呪い』というものが事実かどうかはその時から今に至るまで俺自身分からないし、実感した事がない。
しかし、その時はその意見を支持する人間は圧倒的に多く、話し合いにすらならなかったという。
もっと言えば、件の洗礼式を執り行った教会の人間が『このまま野垂死なせるのは可愛そう』という何とも勝手な理由で殺され掛けたりした。
けれども、保護者であった義父が庇った為にこの時はなんとか生き延びれた。
正直な所、この時の義父の判断が正しかったとは思えない。
我ながら随分と悲惨な目に遭ったものだと思う(他人事のようだが、実際覚えてないのだからしょうがない)。
けれど、その後の事を考えればこの時俺は死んでおけば良かったのではないか? と思わずにはいられないのだ。
義父は冒険者と呼ばれる職業に就いていた。
どんな仕事なのか聞いたところやたら長くて熱の籠った冒険譚を語られたが・・・つまるところ旅をしながら人の代わりに戦ったり、探し物をしたり、とにかく何でもする仕事らしい。
義父曰くそこそこ名が通っていて、それなりの仲間がいたらしいが、今はいないらしい。
俺を拾って面倒を見ようとしたのも、どうやらその辺りに理由があるらしい。
義父はしばらく俺を連れてあちこち旅をした。
『呪い子』でも受け入れてくれる場所を探していると俺が気づいたのは、最初に呪い子と宣言されてから四年、つまり七歳になったぐらいだった。
この頃になると自分に向けられる他人からの視線がどのようなものか、さすがに自覚していた。
魔力というものは瞳に表れるとされていて、その人間が持つ魔力の特性によって瞳の色が変わる。
火や雷みたいな攻撃的なものは橙や黄色に。水や闇は青や紫。
そして魔力を持たない俺の瞳は黒。
だから、呪い子かどうかなんて一目で分かる。
それで冷めた目で見られるくらいなら問題ない。
家畜の糞を投げつけられるのも嫌だったが、まだいい。旅路にあるどこかの川で洗えればそれで終わりだからだ。
一番困ったのは暴力だ。
下手に大きな傷を負えば、薬なり包帯なりを使う。服が破けてしまえば、繕いの為に布を用意しなければならない。
義父がどれだけ冒険者として力を持っていたかは不明だったが、定住もできずに子供を連れたままではまともに金を稼げない。よって、そういったトラブルに巻き込まれればジリジリと物も金も無くなっていく。
また、言うまでもないが子供だった俺にとっても一番厳しい時だった。
体の痛みや物の消失に悲しみや恐れを抱けば相手は付け上がるし、抵抗すれば反感を買って激化する。
特に危なかったのはとある町での事。
義父が町の長と交渉している時に待っていた俺が、通りがかった同い年くらいの子供達にちょっかいを掛けられて、そのまま喧嘩になってしまった時だった。
結果を言うと、喧嘩には勝った。
旅の道すがら、義父は俺に冒険者としての手ほどきを受けていた。
魔法が使えないなりの戦い方を教えてもらっていた俺と、それに対していくら魔力持ちといっても大した訓練も受けておらず、安全な街の中でぬくぬくと暮らしていた坊ちゃん達とでは当然の結果だった。
けれど、そのすぐ後に子供達の親が出てきて散々にやり返された。
さすがに複数の大人相手にはどうにもならなかった。でも、それは、まだいい。
最悪な事に俺は衛兵に突き出されてしまい、その場で殺されそうになった。
その時に知ったのだが、どうやら洗礼式或いは冒険者ギルド等の公的機関で身分証明となる証を貰えるらしいのだが、その登録には魔力が必要であるのだ。
つまり、それを持たない俺は人間扱いされない、という事実だった。
『危険な獣は処分する』
本当に、野良犬以下の扱いだった。
ただ、この時も義父は謝り倒し、持っていた金銭全てを使って示談と賄賂を持ち掛けて、何とか解放してもらえた。
大人たちにやられた怪我の痛みで身動きが取れなかった俺を負ぶって、そのまま義父は街を出た。
全身に青痣を作って力が入らなかった俺はその身体と同様、心も酷く弱っていた。
既に、他人から悪意を向けられるのは慣れていた。涙も、怒りも、枯れかけていたと思う。
けれど、そんな俺でもまだ残っていた感情があった。
自分の不甲斐なさに対する悔しさと、そして、義父に対する申し訳無さだった。
「なんでオレをすてないの?」
少し前から抱いていた疑問。
「オレをすてたほうが、とうさんはらくになるよ?」
そして怖くて言い出せなかった言葉を、俺は背中越しに義父に掛けた。
もしこの言葉通りに義父が俺を放り出せば、その後の行き場はない。
普通の人とはまともに暮らせないし、自然の中で生きていくには子供であった俺では非力過ぎたからだ。
それでもこの時口にしたのは、いつも以上にの義父がその身を切った姿を目の当たりにした事と、自分
に対する諦めの気持ちが大きかったからだろう。
(こんなにオレのためにしてもらっても、なにもできないよ……)
このまま大人になっても、俺は、目の前のこの人に注いでもらった愛情、その欠片に値するものを返せない。
ささやかな親孝行も。
老いたこの人を支えるだけの甲斐性も。
自分の、幸せな姿も。
そんな自分の未来を、俺は想像できなかったし、期待なんて抱けるはずもなかった。
そんな俺を、どうしてこの人は見捨てないのだろう?
こんな無価値なもの、捨ててしまえば楽になれるはずなんだ。
――お互いに。
辛うじて動く手のひらに力が籠り、義父の旅人用の外套に皺ができた。
すると、義父はカラカラと笑い声をあげた。
「確かに諦めてしまえば楽かもなあ」
「……じゃあ」
「でもその選択はありえんよ」
そう鼻で笑って否定する義父にどうして? とたずねると。
「これは俺の“縁”だからだよ」
「えにし?」
「そう。人と人を結ぶ、見えない糸のようなもんだ。縁っていうのは気づかない内に色んな人と勝手に繋がるくせに、自分じゃあその糸は切れないんだ。切れたと思い込んでいても繋がっているし、切ろうとしたらそれが原因で別の縁が結ばれる事もある」
人によってはしがらみだと鬱陶しがることもあるな。
その言葉を聞いて、俺は不安に駆られた。
「……とうさんもうっとうしいっておもってる?」
「どうだろうなあ。そう思う事もあるし、そう思わない事もある。この人とは良い縁だなあと思ったら嬉しいし、逆に悪い縁だと思ったら面倒だと感じる事もある。けど、そんなの気にするだけ無駄なんだよ」
結ぼうと思って結べるものでないし、切ろうと思って切れるものでもない。
それが縁というものらしい。
「……どうにもできないことって、なんかヤダな」
義父のマントを掴んだ手に視線を落としつつ、ぽつり呟く。
人並みなんて贅沢は言わない。
ほんの少し、ほんの少しだけでも自分に魔力があれば、『呪い子』なんて呼ばれなかったのに。
こんな、生きる事を否定されるような日々じゃなくて、まともな生活が、送れたはずなのに。
そんな事を考えを吹き飛ばすように、義父が笑う。
「何馬鹿な事言ってるんだ。どうにもできない、ってことはないんだぞ?」
「え?」
「たしかに縁自体はどうこうできはしないんだけどな。努力次第でそのままならない糸を染める事はできるんだぞ?」
「そめる?」
「ああそうだ。最初はどんなに良縁だと思っても、ふとしたことで悪縁に変わる事なんてザラだ。逆に悪縁だったものが良縁に変わる事だってある。最後まで努力しないと、その縁がどんな風に染まるかなんて分からないんだ」
だから、
そう言って立ち止まると、義父は顔をこちら向けて、口の端をニッと上げた。
「俺は自分に結ばれた縁、それも深いものは全部良縁に染めたい。良縁しかなかった人生なんて最高だろう? だからお前との縁は絶対に諦めん。綺麗に染め上げてやる」
「お前は不器用だから俺みたいに全部は無理だろうが、縁を染めるだけの力は十分にある。俺が保証する」
「お前に結びついて、お前が幸せになれる縁は絶対にある。だからな?」
最後まで絶対に諦めるなよ――ウィル?
そう言って義父が俺を見た時の瞳を俺は、今でも忘れない。
その深い海のような蒼色の。
俺を、俺の奥底までを見据えたような。
そんな瞳を。
義父が死んだのは、それから数年後の事だった。
2018年1月18日。文の簡略化と改行増加など、少し改稿しました。