2. 名門分家の御子息様VS名門本家の愚息サマ
「オレとしてはさぁ、アトラスってだけで一目置かれる現状、どうかと思うんだよ」
それには当人であるユゥリーオ・アトラスも同意だが、本人を目の前にして言うものだろうか、と思わないでもない。しかしそう零したくなる心理も理解は出来る。
アトラス家は名門であり、今の魔術主流で一般人とも共存出来ているこの世を作り出した張本人。魔術師にとって英雄にして始祖その人である。だからつい、魔術師であればアトラスに特別な目を向けるものは多く、魔力がない一般人にもアトラスの名は英雄として広まっている。
逆に言えば他の名家はアトラス家の前に、所詮分家、といったような扱いを受けてしまう部分が皆無ではない。
事実初代アトラスからそう時代が経過していない頃、アトラスの家から独立し、独自の発展を遂げた家もあるし、結局元を辿れば全ての家はアトラスに通じる、みたいなところはある。
だからといってそれを心で理解するのは、多感な思春期の少年には簡単ではないだろう。プライドが高い人間となれば尚の事で、今正にユゥリーオを目の前に呆れながら言い捨てたロンザーがその典型例だ。
ロンザーの家、アガスタ家は大分有名な家で、重役も何人か輩出されている。ロンザーも入学と同時にその才能を期待されている生徒の1人で、その技術は申し分ない。
だからこそ余計に、名前で大きなアドバンテージを持つユゥリーオが目の上のたんこぶ、といったところか。
実際のユゥリーオは目の上のたんこぶにもならない、無害で無力な一般人。典型的な親の七光りで、実力者のロンザーがいちいち気にする相手でもないのだが、そんな事を言ったらロンザーの怒りに油を注ぐだけだろう。
ライバル視への困惑と、はっきり本人を目の前にアトラスの名だけで一目置かれるのはどうかと思うと言われた事にユゥリーオは、あははと力なく笑って頭を掻く。
もっともこの仕草もユゥリーオの幼く、場合によっては頼りなくも見られる外見に嫌に似合って、ロンザーには気楽に振舞っていると感じさせ、怒りを助長させるのかもしれないが。
「まあ、オレもさ、いつまでも自分のご先祖サンの名前が影響してるっていうのは、ちょっと堅苦しいっつーか、なんかそわそわして落ち着かねーんだよなぁ」
実際のところ、少なくともこの名門校において、名前による成績への影響はない。
いくらアトラスのご子息だからと言って成績が不良であれば入学できないし、退学もありうるし、他に優れた人間がいれば容赦なくその人間が首席を手にする。
ではアトラス家の人間が在学中、彼等の名前が1位から消えなかったのは何故かと言えば、純粋に本人達の実力である。その唯一の例外がユゥリーオだ。
ユゥリーオの優等生は、親の七光りと、何より天才的な魔術を誇るアクアによるもので、特に実技については名門のアガスタ家ご子息がライバル視するようなレベルじゃない。というか、スタートラインにさえ立っていない。
「またまた、そんな事言っちゃって。実際にユゥリーオくんの腕は凄いじゃない」
「うちの学校は贔屓とかがまかり通る学校じゃないしねぇ。いくらこの学校創立に初代アトラス様がすっごく貢献していて、仮にアトラスからお金が動いていたとしても、成績不良者をトップに置いとくなんて、ないない」
「分かっちゃいるけどよぉー」
女子2人から追撃を受け、ロンザーは拗ねたように頬を膨らませる。目付きの鋭さもあってちょっと怖い。子供っぽい顔立ちのユゥリーオがやっても、ただ幼い子供が拗ねて駄々を捏ねているだけに見える表情だろうに、顔立ちの違いとは残酷なものだ。
そんな事よりもごめんなさい。オレは家の力を存分に使ってトップの座に平然と座っています。正確に言えば家の力ではなく、アクアの力あってのものだが。
声に出せない謝罪を胸中で呟いていれば、ロンザーの目が射抜くようにユゥリーオを見た。蛇に睨まれた蛙のように本能的な恐怖を感じ、飛び上がりそうになるのをなんとか堪える。
「それによぉ、コイツの顔立ち、ガキっぽくて、幼くして実戦も重ね、名家の後継者として励んでいます、苦労してます、っていう風には見えないんだよ。ぬくぬくとアトラスっていうゆりかごに守られきってる幹感じがして腹立つのなんのって」
ロンザーの指摘はユゥリーオの幼い顔立ちにまで及んだ。幼顔は仕方がないと反論したいものの、他の名家のご子息様に比べて苦労や経験が顔に刻まれていないのは事実だ。
名家のご子息様は実際に必要とされて魔法を使う場が同年代の中では際立って多い。事実ユゥリーオも1生徒の身分でありながら集落を日照りから救うべく魔法を振るったり、人里に下りた獣を宥めたりと、そうしたエピソードには事欠かない。
それを繰り返しているご子息様達にはなんとなく、そうした場数を踏んだような雰囲気というか、落ち着きが外見にも伴ってくるのだが、ユゥリーオにはそれがない。
もっともユゥリーオはアクアが用意してくれている魔術装置を必要なタイミングで正確に使用しているだけであって、魔術は何も駆使していないというか、幼稚園児でも出来るような簡単なものさえ使えないため、経験が顔に出ないというのは仕方ないのかもしれない。
いくら魔術は装置で取り繕えても、そういう理屈じゃない部分については無理だ。
だからユゥリーオは、ロンザーの怒りに油を注ぎかねないと理解しながら、頼りなく笑って頬を掻くくらいしか出来ず。
今回もそれをしようとしたところで、あはは……という乾いた笑いを遮る様に、女子2人がユゥリーオに加勢した。
「あらぁ?ロンザー。そこがいいって分からないの?大人びてお高く纏っているだけが今は全てじゃないのよ。そもそもアトラス家は代々お若い顔立ちじゃないの」
「けっ。やっぱ才能があれば苦労なんて顔に刻まれない、ってか?」
「苦労を表に出さないだけでしょ。あんたみたくオレは苦労してる名門だぞー、っていうの、格好悪いわよー?」
「それにユゥリーオくん、魔術を使い終わった時、ちょっと憂い顔をするじゃない。それがとっても素敵なんだぁ。普段の子供っぽい可愛い顔とのギャップもあって、ついどきっとしちゃう」
それも本人を前に言う事ではないと思う。
しかし今のユゥリーオにとって重要なのはそこじゃなかった。顔をほのかに赤く染めて言う女子とは違う意味で、ユゥリーオはどきっとした。
魔術装置を使う時、ユゥリーオはそれが露見しないように、発動させる魔法を間違えないように、魔術装置の製作者に辿り着けないように、細心の注意を払って行っている。
そうでありながら同時に平静を装っているつもりだった。ただ魔術師学校に通う生徒が当たり前の事をしただけ。そんな態度で振舞う様にしていたのだが。
憂い顔なんて。そんな、いかにも何かあるのではと勘繰られる分かり易い顔をしていたとは思わなかった。気を付けないと。
「いやぁ、オレそんな変な顔してた?」
「オレは気付かなかったけどな」
「自覚して、意識してたらただの格好付けじゃない。まあ魔術師としては当然だけど、ユゥリーオは実技の時真剣な顔してるし、それだけでも普段の幼顔とのギャップは、ギャップ萌え女子にはホイホイじゃないの?私は普段の可愛い顔したユゥリーオの方が好みだけど」
「そうそう!実技の時のユゥリーオくん、格好良いんだぁ」
「ま、まあ、ありがとう……?」
半分はからかっているだけだろうが、そんな風に思う人間もいるなんて驚いた。
アトラスとして当然の期待、今代のアトラスはどれほどのものかという好奇は感じていたものの、そうした類の視線についてユゥリーオは一切無頓着で、無頓着だということはそこに対しての警戒も疎かだということだ。
ユゥリーオは些細な事であっても油断出来る立場ではない。気を引き締めなければと気持ちを改めつつ、表情は情けない笑顔、声は戸惑ったようなもの。自分の幼顔を存分に生かしてユゥリーオは、自分に相応しい反応を2人の女子に示す。
女子2人はなにやら勝手に盛り上がり、もはや当人さえ蚊帳の外に追い遣ってしまったようだが、そうはいかないのはロンザーだ。寧ろますます苛立っているようにも見える。
「……よし」
何かを決心したように呟き、ロンザー。
びしっと音が立ちかねない勢いでユゥリーオの眼前に人差し指を突きつけ、声高に宣言した。
「ユゥリーオ!今からオレと魔術勝負だ!!」
それは困る。
今日は実技が2時間分入っており、アクアに都合してもらった魔術装置はその分だけだ。もちろん発動時の操作で細かい調整は可能だし、アクアもなんらかのアクシデントを想定して魔術装置を製作してくれているだろうが、生徒同士の勝負に持ち出せるほど余裕はない。
ここで1つ装置を使い、次の実技時間までになんとか寮に寄れば間に合わなくもないのだが、アクアがなんと言おうとあまりアクアに迷惑や手間を掛けたくないというのがユゥリーオの本心である。
魔術装置の無駄な発動は避けたい。
……別にロンザーとの勝負を無駄だと思っているワケでもなければ、アトラス家の人間としてアガスタ家を下に見ているワケではない。これが授業の模擬戦だったら受けて立った可能性もあるのに。
かと言って魔術装置なしではユゥリーオはただの一般人。
秘密が露見する事になりかねないし、仮にそれを回避出来てもロンザーからは魔法の発動さえしないなんて舐めてるのかと余計な怒りと誤解を買いかねない。
魔術装置を使わず。
出来るだけ穏便に。
有名な家名を背負っている以上今更ではあるが、出来るだけ目立たずに。
それを意識した結果ユゥリーオの口から出る言葉は、自然と面白味のないものになる。
「でもほら、1年の内は原則実技以外での魔法使用は禁止だし」
勝負について受ける受けないは直接的に応えず、ロンザーとてとうに把握しているだろう校則の1節を今更のように口にする。
ロンザーが口をぽかんとして呆れ顔を見せ、更に何か言おうとしたところ遮って畳み掛けるようにユゥリーオは言葉を続ける。
悲しいかな。相手の主張を遮り自分の主張を口にしてしまうという手法は、アクアとのやり取りで慣れつつある。アクアには未だ敵わないが、クラスメイトを相手に言いよどむ事はないだろう。
そんな事よりもきちんと自分の力で魔術で勝ちたい。
本音は微塵も表出さず、もっともらしい言葉をユゥリーオは続ける。
「それに不測の事態を考えておくべきだろ?授業中は魔力暴走とかを防ぐ施設がバッチリだけど、急に生徒が魔法をぶっ放す事を表面上は想定してない教室や、校庭、つーか場所はどうあれ実技時間外に高位の魔力を放って衝突する事があれば、大惨事だって」
「そうよ。ただでさえ協力な魔力を持つ2人が勝負なんてしたら、下手したら学校壊れるわよ?まあ弁償のためのお金ならアトラスもアガスタも心配ないだろうけど、この学校、アトラスのご子息だろうとアガスタのご子息だろうと、問題起こしたら容赦なく退学にされるわよ。クビクビ」
「ユゥリーオくんの言う通り、さすがに魔法勝負は止めておいた方がいいと思うな」
勝手に盛り上がっていた女子2人も、いつの間にかロンザーとユゥリーオの会話を聞いていたらしい。
ユゥリーオを全面的に庇う言葉、それでいてもっともな正論にロンザーは言葉に詰まり、顔を気難しそうに動かして。
結局、ふん、とばかりに反っ歯をむいて落ち着いた。
その事に内心ほっとしたのは他でもない、ユゥリーオである。
これで魔術装置をいたずらに消費し、アクアの手を無駄に煩わせずに済んだ、と。
アクアの手を借りなければ魔術師として何も出来ない自分が、こういう時やはりどこかで情けなく感じられてしまう。
アクアになんと言われようとその情けなさも、アクアへの罪悪感も簡単には消えてくれない。
それでもそれは表に出さず、ユゥリーオはなんでもないように振舞ってみせる。
反っ歯をむいていたロンザーも本気で怒るなり、本格的に拗ねるなりしたワケではなく、ゆっくりとユゥリーオの方に顔を向ければ、再び人差し指を突きつけた。
「いつか絶対!模擬戦でも、なんなら2年になってからでも!絶対勝負するからな!アトラス家に負けっぱなしのロンザー・アガスタじゃねぇって証明してやる!」
「お手柔らかに頼むぜ!」
「……つーかあんたそれ、せめて筆記で1度でもユゥリーオに勝ってから言いなさいよね」
半眼で呆れたようにロンザーを見つめる女子の冷たい言い分に、ロンザーはどこか大袈裟にうっ、と言葉を詰まらせ。
そんなロンザーに女子2人はくすくすと明るく、からかうように笑う。
事実、筆記だけで言えばユゥリーオの成績は優秀で、優等生と呼ばれるに相応しいし、名門アトラス家のご子息として恥じないものである。
実戦を行うにも魔術を起こすための理論は覚えておいて損はないし、知識があればそれだけ魔術の幅も広がる。
それでも実技の授業が極めて少ない1年の内であればともかく、実技以外で魔術の使用を許される2年になった途端、筆記の成績がさほど重要でなくなるのも事実。社会に出てからも同様で、筆記が優秀だった生徒よりも実技が優秀だった生徒の方が優遇されているし、活躍もしている。
だからこそ筆記が劣るというのはまだ笑い話に出来て、ロンザーもコミカルな反応を見せた。
そもそも女子が筆記の成績を持ち出したのも、下手をすれば余計な乱闘になるか、ギスギスした雰囲気になりかねないロンザーとユゥリーオ、主に暴走を始めそうなロンザーを思って空気を変えるためだっただろうが。
そんな女子の気遣いに感謝してユゥリーオも控えめに苦笑する。嫌味にならないように。それこそ苦労の刻まれていない幼顔を存分に生かして。
結果ロンザーの棘はだいぶ取れて、和やかな談笑、というところに落ち着いた。そろそろ授業も始まるだろう。そうなればロンザーも表立って勝負を持ちかける事もない。
名家の出だからと贔屓される事なく実力が物を言う学校である以上、悪行も平等に評価される。その悪行は名家の子供であると悪目立ちしてしまうもので、優秀な家のご子息様もなかなかに大変なのだ。
と、その最もたるアトラス家のご子息であるユゥリーオは半ば他人事のように思う。
ロンザー・アガスタに限った話ではない。
ロンザーはまだユゥリーオと軽口を叩ける仲であることと、陰口を言えない実直な性格であることがあって長年名家の中で燻っているだろう感情を、素直にユゥリーオへとぶつけてくるが、他の家の子供達はそれをしない。でもそれをしないだけで、胸の内ではロンザーと同じような思いをどこかで抱いてはいるのだ。しかし目立つような悪事を働けば、自分の家の名前に傷が付く。だからこそ大人しくしている。
そうした事におかまいなしだったら、筆記の授業中だろうがユゥリーオの背後に魔法の何発かが打ち込まれていても不思議じゃない。もっともそんな事をしかねない粗暴な生徒はここにいないし、いたとしてもそうした生徒は家柄なんて気にする性質でないから、ユゥリーオ・アトラスにこだわる事もないのだが。
ユゥリーオはそうした彼等の事情によって救われている。
本来背後から不意に危害を加えられれば、反射的に防衛術が作動する。作動する速度や防衛術の強度については撃たれた側と撃った側の魔力によるが、この歳の、それも有名な魔術学校に通う生徒となれば強度の差こそあれ大抵防衛魔法は発動する。無防備で背後からの攻撃をまともに受ける魔術師なんていないだろう。
もちろん撃った側が高度な魔術師で、魔術自体にも穏業を仕掛け、自分よりも実力や魔力が下の人間に向ければ結果は変わる。
しかし受ける側がユゥリーオ・アトラスである場合。
ユゥリーオはそれこそ全ての魔術に対し、強度な防御魔法を展開出来なければおかしいのだ。高名な魔術師一家アトラスの跡継ぎに相応しい実力者、それこそ学内でのユゥリーオである以上、自分よりも格下に一切反応出来ませんでした、なんてあってはいけない。
だからロンザーに限らず、名家のご子息達はユゥリーオに不意の一撃を放てばいい。
それだけで今代のバランスはひっくり返るし、ユゥリーオにとって1番身近な人間で語るのならロンザーは名実共に優秀である。
少し筆記が弱いのと本音をぶつけずにはいられない実直すぎるところは欠点であるかもしれないが、完璧すぎる指導者は時に周囲を気後れさせるものだから丁度いい。
彼ほどの手腕であればアガスタ家をトップに導く事はできるだろうし、現在魔術師の始祖とも名高いアトラスの直々の子孫が魔力がないなんて知られたら、転落は早いだろうから。
それでも彼等はユゥリーオに不意の一撃を放ちはしない。
第一に彼等がユゥリーオの実力を過信しているから。
時につっかかってくるロンザーだって100パーセント疑っているワケではないし、彼は不意打ちを好む性格ではない。先程のように堂々と勝負を申し込むだろう。
そうすれば口先だけで適当にそれらしく言って断る事も、あらかじめ彼との勝負に備えて魔術装置を用意しておく事も出来る。
もう1つの理由は先程言ったように彼等は自らの家に傷を付ける事を疎んでいるから。
いくらアトラス家と比べれば分家にも等しいと言われようと、それなりに名前の通った立派な名家の子供達である。自分の家に傷を付ける事を進んで行おうとはしないし、自分の家に誇りを持ち、大切に思っている。
そう。
ユゥリーオがユゥリーオ・アトラスとして過ごすのに、自分の家やアクアの力だけじゃない。直接的ではないにせよ、他家の力まで借りて、ユゥリーオはアトラスのご子息としてここにいるのだ。
そんなもの止めてしまいたいと思う。
魔術師トップの称号は正当な実力者に与えられるべきだし、これ以上アクアに迷惑もかけたくない。
だけど勝手に止めることは出来ない。
両親が何を言うか。両親が周囲になんと言われるか。使用人の生活は?何よりアクアの立場は?そんな事を考えれば、結局ユゥリーオはアトラス家のご子息、さすがの優等生を演じているしかないのだ。
もしかしたらアクアと一緒に過ごせて、優等生としてちやほやされるこの日々に、甘えているのかもしれない。
そんな事を考えつつ、それでも表面上は何でもない風を装って、ユゥリーオは授業が始まるまでの数分間、ロンザー達と和やかな時間を過ごした。