天丼
死ぬかと思った。
一軍を滅ぼせるほどの魔法を、まさか一人で受け止める羽目になるなんて想像もしていなかった。
「ふん! ややこしい格好をしているおぬしが悪いのだ!」
「それは自覚してるよ。心配も掛けちゃったみたいだし」
「し、心配などしておらぬ! いいか、おぬしを息子としているのは形だけなのだぞ! 勘違いして付け上がるな!」
僕は苦笑しながらも素直に頷く。
怒って涙まで流してくれたことは、僕の胸の内だけに留めておこう。
「それよりも、さっさと何が起こったのか話すのだ!」
「うん。まずは、この甲冑のことだけど……」
自宅に戻った僕たちは、居間のテーブルを挟んで向き合っていた。
温かい紅茶を淹れて、ひとまずは落ち着いている。
村の一角は荒れ地になったけど、人的被害は皆無だった。
精々、甲冑が土埃まみれになったくらいだ。
その甲冑も、兜部分はテーブルの上で大人しく話を聞いている。
「ふむ、俄かには信じ難い話ではあるが……」
一通りの経緯を聞き終えて、母さんは小さな唇を指先で撫でた。
思考を巡らせる時の癖だ。
じっとりとした眼差しを、鎮座している兜へと向ける。
『えっと……はじめまして、お義母さま。私はグラン・バエル―――』
「貴様にお義母さまと呼ばれる筋合いはない!」
ひぃっ!、と声を上げて兜は飛びずさる。
僕の背後に逃げ込もうとしたけど、すぐに捕まった。鷲掴みだ。
大陸最強とも称えられる魔術師は、近接戦闘も得意だった。
「要約するに、此度の騒動、貴様が諸悪の根源であるな?」
『え? あれ? どうしてそうなるんですか? ギガントロールの襲撃は偶然……』
「たわけ! 雑魚魔物のことなどどうでもよいわい。儂の居ぬ間にラディを誑かしおって。身体を包み、いじくり回し、おまけに一緒に寝るなど……なんと破廉恥な真似をするのだ!」
母さんは兜を掴んだまま、射殺しそうな眼差しを向ける。
握り潰さんばかりに力も込めていく。
兜はわたわたと暴れるが、とても逃げられそうもない。
『ら、ラディさん! 落ち着いてないで助けてください!』
「無理だよ。それに、壊れはしないだろ?」
『だとしても、怖いものは怖いんです!』
ガンガンガンガン!、と容赦無い音が響く。
多重術式によって念入りに固められた氷塊が、母さんの手に握られていた。
傍目にはまあ、子供が玩具で遊んでいるようにも見える。
かなり強引に平和的思考をフル稼働させれば、の話だけど。
「理解し合ったような会話をしおって。それを遺言にしてやろう」
さすがに氷塊程度では、頑丈な兜には傷ひとつ付かない。
というか、傷つける方法が存在するのかも疑問だ。
『破烈城砦』はけっして無敵じゃない。
追加装備や、その他の機能を働かせるには、装着者からの魔力供給が必要になる。
例えばパイルバンカーも、いまの僕だと十発くらいしか使えないだろう。
だけど最低限、“自己保全”に関わる部分は別だ。
永続的な高次元魔導効果を得ている。
簡単に言ってしまえば、とてつもなく頑丈。
絶対に壊れず、完璧に装着者を守る。
だからいくら母さんでも、クーラを葬るなんて不可能なはずだけど―――。
「貴様が頑丈さに自信があるのは分かった。しかし所詮、会ったその日に股を開くようなゆるゆる女よ。売春婦以下のクソッタレだと証明してやるぞ」
『んなっ……いくらお義母さまでも、その暴言は酷すぎます!』
「黙れ! お義母さま言うな! そのへらず口も二度と叩けぬようにしてくれるわ!」
眉を吊り上げて、母さんは懐へ手を伸ばした。
取り出したのは魔導銃。
片手で持てるほど銃身は短く、回転式の弾倉を備えている。
「母さん、それはさすがにやり過ぎじゃ……」
「うっさい! おぬしまで、こやつの肩を持つのか!?」
「いや、母さんの味方だよ」
『即答!?』
「ふっふっふ、当然であるな。ラディは儂のものだ! 死ね!」
果たして僕は将来、結婚できるんだろうか?
けっこう深刻な不安を抱えながら、銃声を聞く。
魔導銃にはいくつも種類があるけど、実弾を使うものは概ね破壊力に優れている。
予め、弾丸に様々な術式を込められるからだ。
貫通力を増したり、炎や雷撃といった特殊効果を付与できたりもする。
単純に、質量という利点もある。
それを使うというのは、母さんが本気だということ。
ただし、本気の殺意とは限らない。
「……ちっ、やはり頑丈であるな」
『と、当然です! 魔導銃なんてちっとも怖くないですよー!』
兜に弾かれた銃弾が、コロコロと床を転がる。
何発か、壁や天井に穴を空けていた。
「いったい、どういう魔導式を込めたらこうなるのだ? 読み取ろうにも、隠蔽すら何重にも施されているようではないか」
『この世界の魔導学では、まだまだ理解は難しいと思いますよ?』
「ふん、偉そうに言うでないわ。どうせ貴様自身は詳しく把握しておらんのだろう?」
『ぐ……そ、それはそうですけど……』
一人と一体は睨み合う。
会話は剣呑なのに、仲が良いように見えなくもない。
意外と上手くやっていけるんじゃないかな?
甲冑の心が耐えられれば、の話だけど。
「それにな、細かな構造は分からずとも、貴様の弱点は予想できるぞ」
『む、それは聞き捨てなりません。私に弱点など―――』
「氷結牢獄!」
高速発動された術式が、兜を包み込んだ。
一瞬にして、兜は氷漬けにされる。
キィン、と小気味良い音を残して、氷の塊は床に落ちた。
「くっくっく、動けず、喋ることも出来ぬであろう? これが貴様の弱点だ」
「そっか、壊れなくても封印は有り得るんだ」
思えば、対巨人戦でも地面に埋められそうになった。
あの時は膝程度で済んだけど、完全に埋められたら危ないところだった。
防御力はあっても過信はいけない。
今後は気をつけよう。
もっとも、そんな目に遭う状況に近づかなければいい。
そもそも戦いは苦手だ。
この平穏な村で暮らしていけば、そうそうトラブルも起きないだろう。
「さて、邪魔者は大人しくなった」
母さんは氷漬けの兜を踏みつける。
兜からの助けを求める視線が感じられた。でも後回しにさせてもらおう。
「次はおぬしだ。反省点は分かっておるか?」
「連絡が遅れたのは悪いと思ってるよ。でも突然のことで……」
「そっちではないわい。問題は……何故、逃げなかったのだ!」
びしり!、と小さな指が僕の顔に向けられた。
「相手はギガントロール。まともに戦えば……まあ、おぬしでも危険であろう?」
「それは分かるよ。でも、避難するためにも時間稼ぎは必要だった」
「たわけ! 他の者など放っておけ!」
一瞬、冗談かと思った。
村長として、あまりにも酷い発言。耳を疑いたくなる。
でもそれは、僕の認識が甘かったからだ。
「たとえ誰かが命を落としたとしても、それは儂の責任である。代理であるおぬしが背負おうなど、百年早いわい!」
沈黙するしかない。
僕はただ静かに頭を下げた。
「分かればよい。それと、まあ、よくやった。留守番としては上出来だ」
「教育の成果じゃないかな?」
「ふん。誉めたところで何もやらんぞ」
母さんは腕組みをして、そっぽを向く。
子供が拗ねたみたいな仕草だ。でもその耳は紅く染まっていた。
「ところで、その甲冑は本当に脱げんのか?」
「僕も色々試してみたけど、無理みたいだよ。素直に二年待った方がよさそう」
「二年後に脱げる保障もなかろう。それに、その格好ではすぐに困るぞ?」
「困るって、どういう……っと?」
いきなり視界が狭まった。
ひんやりとする。
兜が被さってきたんだけど―――あれ? 氷漬けだったはずじゃ?
「んなっ! 転移しただと!?」
『緊急装着完了。ラディさん、またなにやら大きな魔力反応がありますよ?』
そういえば緊急時の転移機能なんてものもあったっけ。
知識としてはあるけど、やはりまだ頭の中で整理しきれていない。
それよりもいまは、魔力反応とやらに意識を向けるべきか。
「また空から……今度は二つ、重なってる?」
『はい。ひとつは人間で、もうひとつは天馬でしょうか? 実際に会ったことはない魔物ですので、確実とは言えませんが』
推測するに、天馬に乗った人間だろうか。
すぐに思い至るのは天馬騎士。
軍の精鋭とされる部隊で、辺鄙な村に訪れるものじゃない。
「あー……そういえば、言い忘れておったが」
僕が首を捻っていると、母さんが躊躇いがちに口を開いた。
「村に巨人が現れたのは、メルベリアにも教えてしもうた。街で待っておるように言い含めはしたのだが……」
『メルベリアさんというのは?』
「隣に住んでる、僕の幼馴染だよ。『天恵』持ちで、半年前から街へ移ってた」
そんな話をしている内に、魔力反応が近づいてきた。
家の外から、馬の嘶き声も響いてくる。
どうやら天馬で間違いないらしい。
「あれ? でもメルベリアって、天馬まで与えられてたの?」
「強引に奪ってきたのではないか? あやつも慌てておったからのう」
母さんは呑気に答える。
だけど僕は顔を歪めずにはいられなかった。
もしも本当に奪ってきたのだとしたら一大事だ。
それに、また別の騒動も起こりそうな予感がする。
「ラディ、無事!? 助けに来たわよ!」
頭を抱える暇もない。
玄関から慌ただしい足音が近づいてきた。
そうして部屋の扉が開く。
目が合った。メルベリアと、甲冑姿の僕と。
メルベリアの手には、大きな鉄槌が握られていた。
「鎧のお化け!? なんだか分からないけど、退治してやるんだから!」
擁護するなら、母さんが魔導銃を持ったままだったのもマズかったのだろう。
戦っている最中だと見えなくもない。
すぐに誤解は解けたけど、テーブルがひとつ犠牲になった。