大魔王的謎存在
白い。真っ白い。
そしてひたすらに広い空間に、僕はぽつんと立ち尽くしていた。
「何処……?」
思わず呟く。だけど答えがないのは予想していた。
だって誰もいないのだから。
とりあえず左右へ首を回す。振り返ってみる。
やっぱり誰もいない。白が広がっているだけ。
『ここは、世界の狭間にある場所』
声が響いた。また振り返って、視線を上げる。
頭上に、真っ黒い靄みたいなものが浮かんでいた。
何なのか? さっぱり分からない。
不可思議な状況で、警戒を覚えるべきなんだろうけど、奇妙に落ち着いていた。
『我は名乗らぬ。名を告げただけで、おぬしの世界に影響を及ぼしてしまう』
「はぁ……とにかく、凄い人ってことですか?」
『おぬしの下へ行った鎧、クーラの製作者と認識しておけばよい』
言われてから思い出した。
そう、僕はあの甲冑を装着したはずだ。
その直後から意識が途切れている。
村が襲われて、一刻も早く対処しなきゃいけないのに。
『心配は無用。おぬしは意識だけ、この場に飛ばされた。事が済めば装着直後の時間軸に戻してやろう』
「そうは言われても、気になります」
『だが、どうしようもあるまい?』
「まあ確かに」
焦ったところで打つ手はなし。
うん。落ち着こう。
『なかなかに肝が座っておるのう。そういった部分も、クーラは気に入ったのか』
「気に入った? 貴方が送り込んだとかじゃなくて?」
『我は関与しておらぬ。アレに生命は与えたが、意志を尊重しておる。主人が欲しいと言うので、あちこちの世界を見せてやったがな』
壮大な話になってきた。
理解するのも難しい。聞き流していいものかな。
『まあよい。それよりも、チュートリアルを始めるとしよう』
「ちゅーとりある?」
『クーラを扱うには、様々な知識があった方がよい。仮にもアレは、我の娘であるからな。預けるのはそれなりの者であってもらわなくては、親として安心できぬ』
とどのつまり、いまの僕は、娘さんの親と挨拶を交わしている状況。
声から判断するに母親みたいだ。姿は黒いもやもやだけど。
ともあれ、甲冑と結婚? そんなのは望んでいない。
『要は、鍛えてやろうというのだ』
「……断る選択肢は?」
『無い。数十年ほど付き合ってもらうぞ』
いつの間にか、僕の前には机と椅子が現れていた。
何冊かの本も置かれている。
ここで勉強しろと、どうやらそういうことらしい。
しかも数十年? 聞き間違いかな? 逃げ出したくなってきた。
『うん? 走り込みから始めた方がよいか?』
「座学からで」
『懸命であるな。ではまず、とある世界の歴史から教えてやろう』
手も触れていないのに、勝手に本がめくられた。
仕方なく、そこへ目を落とす。
読めない。いや、僕は普通の文字なら読めるんだけど、使われている文字そのものが違っていた。
『む、そうか。では翻訳を……いや、言語講座から始めるべきであるな』
ひどく行き当たりばったりだ。
先が思いやられる。やっぱり逃げ出したい。
◇ ◇ ◇
ゆっくりと目蓋を押し開く。
兜に阻まれた視界は普段よりも狭い。
だけどそのおかげで、自分が甲冑の中にいるのだと実感できた。
『知識転写完了。ラディさん、気分はどうでしょう?』
「……酷い目に遭った気がする」
軽く頭を振りながら答える。
どうやら、この機能は甲冑が認識していたものと違ったらしい。
おかげで僕は死んだ。殺された。
そう言っても過言じゃないほどの体験だった。
ついさっきまでの僕とは、決定的に違ってしまっているから。
「知識を脳に書き込むんじゃなくて、地道に勉強させられたよ」
『……は?』
「しかも数十年」
『なんですか、そのアナクロで強引な手法は!?』
「おまけに、その記憶を消された」
『意味なかったじゃないですか!』
まあ完全に無意味という訳でもない。
正確には、“数十年も勉強した”というエピソード記憶だけ消された。
最初の簡単な会話と、別れの挨拶くらいは覚えているけど。
そういった訳で、知識だけは残っている。
あの大魔王的謎存在が言うには、精神の安定には必要な措置だそうだ。
死んで、生き返らせられた、ってところかな。
もしくは、異世界から転生してきたような不思議な気分だ。
ともかくも本当に酷い目に遭った。
だけどまあ、生きているのだから騒ぐほどじゃない。
「とりあえず、甲冑を扱うのには問題ないよ」
『本当ですかぁ?』
「言い合ってる暇もない。まずは生体探知。レーダー……って言うと意味が違うのか。電波じゃないから……とにかく情報を視覚にも送ってくれ」
ほんの数十秒前までは持っていなかった知識。
だけど当り前のように扱える。
奇妙な感覚ではあるけど、戸惑っている余裕もない。
「この大きな点が巨人かな?」
視覚に直接、映像が送られてきた。
村を俯瞰した地図の上に、数十個の光点が描かれている。
『位置からすると、まだ村には入っていませんね』
「壊されたのは見張り台みたいだ。でも、やっぱり向かってきてるね」
言いながら、思考を整理して落ち着ける。
視線を落とすと、甲冑に包まれた自分の手が見えた。
大型の重甲冑は、立てば見上げるほどの背丈がある。横にも太い。
まともに考えたら、小柄な僕が装備できるはずがなかった。
でも内部で体は柔らかく包まれている。
指先まで思うように動かせた。僕の動作をトレースしてくれている。
少々の違和感はあるけれど、慣れれば生身と遜色なくなりそうだ。
一歩を踏み出してみる。
足音が重い。百キロを軽く超えているのかな。
「パワーアシストも正常、と」
『いまはまだ熊と殴り合える程度ですけどね』
「充分だよ。むしろ贅沢なくらいだ」
いきなり力が増しても、きっと扱いきれない。
それよりも、この甲冑は成長する。その方が楽しめそうだ。
でもまずは巨人の討伐を優先。
ベッド脇に置いた魔導銃を手に取った。
「いきなり握り潰す、なんて失敗はなさそうだね」
『パワー制御機構も正常に作動しています』
武器は魔導銃が一丁。頑強な巨人相手だと心許ない。
だけど防御は万全。
戦い方次第では、充分に乗り切れるはずだ。
「よし、行こう」
『はい。伝説の鎧となるための、輝かしい一歩です』
伝説の鎧? そんなものを目指していたのか。
だったら他に相応しい装着者を選んでもよさそうなものだけど―――。
そういえば、と思い出す。
大魔王的謎存在からも告げられた。別れ際の言葉だったので覚えている。
ただ一言―――王を目指せ、と。
意味が分からない。王なんて、僕の柄じゃない。
だけど、妙に真剣な気配だったので忘れられそうになかった。
「……いまは考えている場合じゃないな」
一刻を争う事態だ。
伝説になるかどうかは知らないけど、まずは村の平和を守らないといけない。
「村を襲う魔物。初陣の相手としては悪くないんじゃないかな」
僕たちは部屋の外へと向かう。
ガツン、と。
出口に肩がつっかえた。
……このサイズに慣れるまで苦労しそうだ。
もう一話、夜に投降する予定です。