プロローグのお約束
夢を見た。
まだ孤児院にいて、ようやく祈りの言葉を覚えた頃の記憶だ。
薄暗い路地に隠れるようにして、賑やかな大通りを覗いていた。
魔導銃が脚光を浴びていなかった時代。
剣や槍、騎兵なんかが戦場の主役となって持て囃されていた。
その日は、大勢の人が大通りに集まっていた。
騎兵の列がゆっくりと進んで、迎える人々が歓声を上げる。
なにかの戦いで勝利して、みんながそれを祝っていた。
重厚な甲冑に身を包んだ騎士が手を振ると、歓声が一際大きくなった。
他の騎士も誇らしげに胸を張って、隊列は進んでいく。
そんな様子を、僕はぼんやりと見送った。
歓声は上げなかった。
晴れやかで華々しい世界は、とても遠くに感じられたから。
それでも―――、
「……綺麗だなあ」
輝く重甲冑を見つめて、ぼんやりと呟いていた。
◇ ◇ ◇
ドヌール村。住民は百名程度しかいない。
そこそこに美味しい小麦が採れる、長閑な農村だ。
一応、僕はそこで村長の息子となって暮らしている。
孤児院から拾い上げられた。まあ、いまはあまり関係のない話だ。
ともかくも村長の息子だ。
だから、この村のことはよく理解している。
近くに森は広がっていても、大きな熊が一番危ないくらいだ。
野盗だって現れない。自警団はあるけれど、ほとんど形だけのもの。
だからこの村に、豪華な重甲冑なんて存在しない。
全身鎧。フルプレートアーマー。
それが、ボクの部屋に置かれている。
壁を背に、ベッドの上に足を投げ出して腰掛けていた。
濃い赤色を基調にして、所々に装飾が施されている。
豪奢だ。少なくとも芸術品としての価値はあるだろう。
月明かりが光沢を照らして、神秘的な雰囲気を醸し出している。
だけど神秘的っていうのは、それだけ非日常的で不可思議なもの。
ここは平穏だけが特産のような村だ。
それを乱すような真似はやめてほしい。
世間では、都会に出て一旗上げるのを夢見る若者も多いそうだ。
一昔前なら冒険者、最近は魔導技師や銃士が人気だとか。
でも僕は村で暮らしていたい。
最近は、帝国や魔族との戦争が近い、なんて噂も流れていた。
国境付近での小競り合いも続いているとか。
尚更、国境から遠い村で安全に過ごしていたくなる。
そんな僕のささやかな望みを、目の前の甲冑は乱しそうなんだけど―――。
さて、いったい誰が置いたのか?
犯人候補として真っ先に挙がるのは母さんだけど、数日前から街へ出掛けている。
残念。事件は未解決で終わりそうだ。
なんてことを考えていると、重甲冑が微かに揺れた。
『はじめまして。重甲冑のグラン・バエル・クーラと申します』
喋った。カチャカチャと、兜を揺らして。
魔導武具? だけど知能を持った魔導具なんて聞いたこともない。
母さんが作ったにしても、随分と趣味が違っている。
『クーラとお呼びください。それでですね、私は―――』
部屋を出た。静かに扉を閉じる。
『え? ちょっ、待ってください。話を聞いてくださいよぉ!』
「寝る。おやすみなさい」
もうすっかり陽は落ちている。明日も朝から畑仕事だ。
客間は空いているし―――と、思い返して部屋に戻る。
『あ、よかった。戻ってきてくれたんですね』
「いや、枕を取りにきただけ」
『枕より気にすべきところがあるでしょう! 重甲冑ですよ!』
「そうだね。今時、珍しいね」
戦場で魔導銃が使われるようになって、重い鎧なんて廃れてしまった。
今でも着ているのは、一部の貴族か、人間離れした英傑くらいだ。
まあ、そんなことは僕にとっては関係ない。
枕を抱えて部屋を出る。今度こそ寝よう。
『待ってくださいってラディさん! いえ、ライデルロンド様ぁ!』
「僕の名前を知ってる? なんで?」
『ふっふっふ、それはですねえ―――』
「まあ、どうでもいいか」
『ちょっ、そこは興味を持ちましょうよ! 個人情報が漏れてるんですよ。放っておいていいんですかぁ!?』
耳も良いみたいだ。部屋の外に出たのに、僕の呟きを拾っていた。
甲冑に耳があるっていうのも変だけど、そういう魔導具―――んん?
『あ、今度こそ話を聞いてくれるんですね?』
「いや、中の人がいるんじゃないかと」
また部屋に戻って、兜を取り上げてみた。やはり甲冑の中味は空だ。
最初から人の気配は感じなかった。
だから素直に甲冑が喋っていると捉えたんだけど、間違いはなかった。
うん、疑問解消。今度こそ本当に寝よう。
『だから待ってくださいって! 大切な話があるんです』
「静かにしてなよ。もう夜だし、近所迷惑だ」
『いーやーでーすー! 話を聞いてくれるまで騒ぎますよ? 歌いますよ? 踊れはしませんが、甲冑界一と評判の美声を轟かせてやりますよ?』
甲冑界って、そんなものは存在しないだろう。
むしろ、存在していたら嫌だ。鎧が集まって井戸端会議でもしているのかな?
自分の装着者は毎日磨いてくれるとか。
体臭が芳ばしいとか。
そんな話題で盛り上がったりするんだろうか?
「甲冑界うんぬんはどうでもいいけど、騒がしいのは困るな」
『そうでしょう? ですから話を……』
「埋めようか」
『ヒドい!』
兜がカチャカチャと、抗議するみたいに揺れる。
しかし埋めるにしても、これだけ大きな甲冑だと運ぶだけでも一苦労だ。
喋るのは兜部分だけみたいだから、そこだけ埋めようかな。
『分かりました。こうなったら手短に言います』
「十文字以内で」
『……私を着てください!』
ギリギリ十文字以内だ。真面目だ。
ふざけた甲冑には違いないけど、ちょっとだけ好感度が上がった。
そういった点を考慮に入れて勘案してみよう。
「断るよ。おやすみ」
『ま、待ってくださいよー。せめてもうちょっと話を。説得材料はいっぱいあるんですから』
「そもそも大きさからして、僕には合わないよ」
目の前にある甲冑は、ぱっと見ただけでも大型だと分かる。
よっぽど体格に恵まれた人間じゃないと、まともに扱えないだろう。
対して、僕はかなり小柄な部類だ。
もうじき十五歳の成人なのに、遺憾ながら、女の子と間違われる時もある。
それなりに鍛錬もしたし、毎日の畑仕事だけでも体を動かしている。
だけど筋肉と言えるものは、ほとんどつかなかった。
同い年の女の子にも力負けするくらいだ。
まあ、お隣さんのアレと比べるのもどうかと思うけれど。
『サイズの心配は無用です。内部で自動調整できますから』
「……本当だとしたら、すごい鎧だね」
『そうですよ。凄まじいのです。なにせ私を創造されたのは大魔ぉ……と、それはともかく、装着してみたくなりましたよね?』
「いや、まったく」
『どうしてですか! いま、いい流れだったでしょう!?』
流れなんて知らない。
でも、上手い話には落とし穴があると決まっている。
こうやって会話を交わせるだけでも、高度な魔導具なのは分かる。
甲冑に使われている素材も、かなり良質な金属だろう。
軽く拳を当てると澄んだ音がする。
街の鍛冶屋に持っていけば、高額で買い取ってくれそうだ。
それだけに怪しい。
「呪いの装備だったりしない?」
『失敬です! そんな非科学的な物と一緒にしないでください』
非科学的? また知らない単語が出てきた。
さっき創造したのがどうとか、物騒な単語も聞こえた気がする。
問い質した方がいいのか、と思った時だ。
ドォン!、と大気を震わせるような音が響いてきた。
「……なんだ?」
『派手な音でしたね。大きなハンマーでも叩きつけたみたいな……あ、私を装着してくだされば、各種センサー類の機能も解放されますよ。異常もすぐに察知です』
また不可解な単語が出てきた。
だけど構っている場合じゃない。なにか大きな物が破壊されたような音だった。
まさかとは思うけど、魔物の襲撃だったりしたら一大事だ。
村長である母さんが居ないいま、僕が対応しなくてはいけない。
緊急連絡用の魔導具はあっても、街から帰ってくるには最速でも半日は掛かる。
「とりあえず、状況を把握しないと」
ひとつ深呼吸をしてから、部屋の窓を開ける。
二階で見晴らしは良いけれど、夜なので暗闇ばかりだ。
でも、こちらへ走ってくる人影が見えた。
「モーブおじさん!」
「お? おお、ラディ、大変だ! 魔物だぞ!」
返ってきたのは、やや間の抜けた慌てた声。
きっと混乱していて、モーブおじさんも状況が掴めていないのだろう。
僕は窓から身を乗り出して、指差された方向を見つめた。
まず思った。最悪だ、と。
見えたのは大きな人型の影。二階建てのお屋敷くらいはある。
巨人だ。詳しい種類は分からないけど、厄介な魔物には違いない。
普通なら、国の騎士団が討伐するような魔物だ。
この平和な村に現れるなんておかしい。
まだ村の外にいて距離はあるみたいだけど、いったいどうして―――。
「……考えてる場合じゃないな。おじさん、みんなに知らせて避難させて」
「え? いつもみたいに村長に退治してもらえば……」
「母さんは街に行ってるよ。忘れたの?」
僕は努めて平静に告げる。
一拍の間を置いて、モーブおじさんが愕然として目を見開いた。
「ど、どど、どうすんだよ? あれ、巨人だぞ? デカイぞ? 喰われちまうよ!」
「大丈夫だよ。みんなには、集会所へ避難してもらって。そこで状況を見て、すぐに街へ逃げられるようにも準備を」
僕もすぐに行く、と告げて部屋に戻る。
戸棚を開いて、その奥からひとつの武器を取り出した。
『ラディさんラディさん。聞いたところ、大変な事態なんですよね?』
「そうだよ。だから黙ってて」
『黙ってられません。こういう時こそ、私の出番です。巨人程度の攻撃じゃビクともしません。殴られても噛みつかれても、傷ひとつ付きませんよ』
構わずに、取り出した魔導銃の具合を確かめる。
銃身が長く両手持ちの、単発式魔導銃だ。
少々古い型だけど、熊くらいなら一発で仕留められる威力はある。
『魔導銃ですか。獣相手ならともかく、大型の魔物には通じないんじゃないでしょうか? 巨人は皮膚も硬く、肉厚だと聞いていますよ?』
「目や口を狙えば、上手くすれば倒せるよ」
『無茶ですよ! その前に潰されちゃいます。だったら―――』
自分を装着しろと、重甲冑はまた声を荒げる。
直感としては、その選択もアリだと思えていた。
これまで話した感じだと、目の前の彼女は嘘を吐くような性格じゃない。
正直者、というよりは深く物事を考えていないのだろう。
だから疑う必要はない。
でも不可思議な存在なのも確かだ。
いきなり変な物が現れると同時に、平穏な村への魔物の襲撃。
まるで見計らったかのような状況とも言える。
自分に頼れば危機を乗り越えられます、なんていうのは悪魔か悪徳商人の手口だ。
だから信じきれない。
我ながら慎重すぎるとは思う。
それでも、いまの僕は村長代理だ。賭けになるような行動を取っちゃいけない。
『分かりました。もう私を着てほしいとは言いません』
「ようやく諦めてくれたんだ」
『あ、いえ、後でまたお願いしますけどね。でもいまは、とにかく逃げてください』
その言葉に、僕は動きを止めた。
赤い重甲冑をまじまじと見つめる。
『ラディさんが村長の息子で、責任感が強いのは承知しています。村の皆さんを守ろうというのも理解しているつもりです。それでも敢えて言わせてもらいます。どうか逃げてください』
賭けなんてしちゃいけない。
もちろん、逃げるつもりもない。
だけど、信じてみるのはいいのかも知れない。
「クーラって言ったよね? 本当に、巨人に殴られても大丈夫なの?」
『え……あ、はい! 防御に関してはお任せください!』
嬉しそうな声とともに、兜がカチャカチャと揺れる。
胸部装甲の上に、青白く輝く紋様が浮かんだ。複雑な魔法陣だ。
『そこに触れてください。契約が結ばれて、装着は自動で行われます』
「……分かった」
僕はまた逡巡しつつも、一歩を踏み出した。
手を伸ばし、魔法陣に触れる。
瞬間、光が溢れた。
僕も重甲冑もその光に包まれて、僅かに浮かび上がる。
甲冑が開く。
部位ごとに分かれて、僕の全身に装着されていく。
どこか神秘的な情景だった。
『ああ……これが初めての装着。ラディさんが、私の中に入ってきます』
「……って、なんで妙な言い回しになってるの!?」
抗議の声を上げた。でも届いたかどうかは分からない。
装着はすぐに完了して、視界が真っ白に染まる。
その瞬間―――僕は、死んだ。
プロローグだけちょっと長め。
毎回の投降は、もうちょっと短めになる予定です。