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Chapter.2 Days

「そっちに行ったぞ!早く撃ち殺せ!!」

「くそっ、もう5人もやられた!あれは化け物か!?」

 ジャングルに響き渡る男達の悲鳴。何発もの銃撃音。そして、獣の激しい息遣い。

「お逃げください、ボス。ここは私たちが食い止めますから!」

 黒スーツに身を包んだ男は、腰に提げた拳銃をホルスターから抜き両手に構えて、体のあちこちにパッドの付いた狩猟用の服を着たオールバックの老紳士に向かって叫んだ。

「一体何事だ。私はただ戯れに、猪狩りに来ただけだぞ」

「獣……いや、人間の子供です。どこからか来ていきなり襲い掛かって来たんですよ。何か武器を持っているらしく、既に5人の組員が殺されました。――――来ました、奴です!!」

 男にボスと呼ばれるその老紳士は、男の叫んだ方向に目を凝らした。その目に飛び込んできた光景は、にわかには信じ難いものだった。


 入り組んだ木々の間を枝を伝って四つ足で風のように通り抜け、一直線にこちらへと向かってくる全裸の少女。その手には、ナイフのように鋭く尖った気の枝が握り締められていた。


 老紳士の周りを囲む数人の護衛の男たちは、皆一様に叫びながら手に持った拳銃を乱射した。

 少女は飛び交ういくつもの銃弾を上下左右に動き回りながら次々と回避すると、おもむろに真下にいた男に飛び掛かり、その喉元を手に掴んだ鋭利な枝で切り裂いた。

「ほう…」

 老紳士は少女のその鮮やかな殺戮を見て、小さく感嘆のため息を漏らした。

「ガアアアアアアアアアアア!!」

 少女は断末魔の叫びを上げ倒れた男を蹴飛ばして地上に降りると、腰を屈めて雄たけびを上げながら突き進んだ。

「なんて奴だ…あれだけの銃撃をものともせず向かってくるなんて……」

「私がやる。離れていろ」

 護衛の男を押しのけ、老紳士は別の男の手から狩猟用のライフルを受け取り、肩のパッドに押し当てて迫り来る少女に狙いを定めた。


 ダンッ!


 勢いよく銃口から発射された弾丸はしかし、少女の獣じみた素早い身のこなしの前に、いとも簡単に避けられた。

 だがそれを予期していた老紳士は、回避するために体勢の崩れた少女に向けてもう一度引き金を引き絞った。


 ダンッ!


 常人を遥かに超える反射神経を持つ少女もさすがに瞬時には避けられず、直撃は免れたものの右肩を銃弾がかすめた事で少女の華奢な体は衝撃で吹き飛ばされ、もんどりうって地面に叩き落された。 

 それでも少女は戦う事を諦めず、震える肩を手で押さえてよろよろと立ち上がり、息を荒げながら千鳥足でなおも向かって来る。

 老紳士は狩猟用ライフルを投げ捨て腰から拳銃を取り出すと、少女の足を狙って2度発砲した。足を撃たれたことで少女は地面にうつ伏せに倒れ、泥の中に顔を埋めた。

「それほどまでに人間を憎む、その理由はなんだ?」

 少女の下に歩み寄り、老紳士は銃をしまって少女を見下ろした。

 泥にまみれた顔をゆっくりと上げ、少女は老紳士を見上げた。

 腰まで届く伸び放題の金髪。綺麗に化粧をすれば両家のお嬢様として通用するぐらいの美しく整った顔。しかし、そのエメラルドブルーの目には恐怖も悲しみも無い。あるのはただ、「怒り」だけ。

 その時老紳士は、少女の左目の瞳が失くなっている事に気が付いた。それどころか、左の瞼もただれている。何か火傷でも負ったのだろうか。もしかしたらこれが、少女が人を憎む原因かもしれない。

 だがそんな事はどうでもいい。重要なのは、この少女のあの卓越した身体能力。それと、まるでアイルランドの猟犬「アイリッシュ・テリア」のような、降りしきる銃弾の雨にも悠然と立ち向かうあの度胸。

「……君、この少女を連れて帰れ」

「え!?」

 老紳士は突然の命令に驚く護衛の男を無視して、もはや人語を解せずただうめき声を上げるだけの少女に背を向けて歩き出した。


「こいつは、私のいい『道具』になりそうだ……」

 

 

   *



 部屋に入るなり、バールは中央に置かれた穴だらけの粗末なソファーに、足を組んで座り込んだ。

 周囲の壁は全て防音仕様。監視カメラの類の物も一切なく、ただひたすらに「特別な人間たち」の密談の場としてその部屋は存在していた。もちろん今回も、人前では決して言えない、いわば裏の仕事の話であった。

「……それで、奴はもう殺ったのか?」

 前置きなど必要ない。バールは、アイリスが木製の大きなテーブルを挟んだ反対側のソファーに腰を下ろしたのを見るやいなや、身を乗り出してすぐに本題へと入った。

「はい。昨日の夜の内に―――」


「―――証拠は?」


 バールはまるで挑発するように、棘のある口調で言った。

「お前は知り合いの組の奴から紹介された、フリーの殺し屋だ。そいつが言うには凄腕の殺し屋みたいだが、何せまだガキだから、どれほどの実力を持っているかは分からねぇ。……ま、あの新入り驚かせる為に、皆であたかもずっと前から知ってたみたいに振舞ったけどよ。それでも何度かお前とは会ったりしたが実際に殺しをやってる姿を見てない以上、多少信用できないのは当然ってもんだろう」

 オーバーに両手を広げてみせ、注意深くバールはアイリスの次の言葉を待った。すると少しの躊躇もなく、アイリスはゆっくりと口を開いた。

「そう思われるのは確かに仕方のないことです。……証拠でしたら、今日の朝刊でも見ていただけたらいいと思います」

「朝刊ね…」

 それでもまだアイリスに疑いの目を向けたまま、バールはテーブルの上に置かれた固定電話に手を伸ばし、バーの店内にいるマスターに今日の朝刊を見るように頼んだ。閉ざされた空間であるこの部屋の外への連絡手段はこれだけなのだ。

 バールはしばしの間受話器に向かって「マジか!?」とか「へぇ〜!!」などと何回か相槌を打った後、受話器を元に戻すなり、狐のような顔に不気味な笑みを浮かべて歓喜した。

「――すげぇじゃねえか、お前!現場に全く証拠を残さず殺すとはよ!!……報酬はいくらがいい?望むだけの金をやるぞ」

 そう言ってバールはテーブルの下から銀色の頑丈そうなアタッシュケースを取り出し、テーブルの上に置いて鍵を開けた。中には100ドル紙幣がぎっしりと詰められている。全部でいくらあるのかまるで想像がつかない。

 しかしアイリスはそれにほとんど興味を示さず、またも抑揚のない平坦な口調で話し出した。

「いえ、そんなに要りません。…あ、でも折角だから100ドルだけ戴きます」

 首を振りながらアタッシュケースを遠ざけた後アイリスは何やら思い出したらしく、ケースの中から紙幣を一枚だけ取り、クシャクシャと丸めて右手に握り締めた。

「たった100ドルだけでいいのか?」

「はい」

 殺し屋が金を取らない、という不思議な光景に怪訝な顔をするバールに対して、アイリスはこくりと頷いた。

「それだけしか報酬を取らないとは。お前は、一体何のために殺し屋になったんだ?」

 バールはアタッシュケースの蓋を閉じ肩に担ぐと、ソファーから立ち上がり納得いかないという風にアイリスを見下ろした。

「それが私の人生だからです。殺し屋として生きる事が、私の唯一の存在意義なんです」

 機械が読み上げたような淡々とした語り。だがそこには何故か、有無を言わさない説得力があった。

 バールはそれを聞いて驚いたように何も言わなかったが、徐々に表情が綻んだかと思うと、遂には我慢できなくなって腹を抱えて大声で笑い出した。

「ガーハハハハハハッッ!!『唯一の存在意義』?そいつは傑作だ!――それじゃ、早速次の仕事だ」

 無造作にポケットからぐしゃぐしゃになった紙切れを取り出し、バールはそれをアイリスに投げ渡した。アイリスは眉一つ動かさず、ただ片手を必要最低限なだけ動かしてキャッチする。

 中には、10個以上の誰かの名前が下手な字で乱雑に描かれていた。どうやら、全て男の物らしい。

 これが新しい〈兎〉。

「これからも頼むぜ。俺達のグループが、このニューヨークを支配するようになるまでな」

 ひとしきり大笑いすると、バールは部屋のドアを乱暴に足でこじ開け、外へと出た。


 バールは、ニューヨークの郊外を中心に活動している弱小のアメリカンマフィアの首領である。今回はその勢力拡大を狙い、ライバルグループの首領の暗殺をアイリスに依頼したのであった……。



    *



 アイリスが〈クレイジー・ボンバー〉を出たのを見た瞬間、ジェシカは涼しげなニューヨークの空からその胸に一目散に飛び込んだ。

「…苦しいよ、ジェシカ」

 母親が甘えてくる我が子をあやす様に、アイリスは繊細な指使いでジェシカの絹のような体毛を撫でた。アイリスの表情はやはり普段と変わらないが、それでもどこか嬉しそうに見えた。それに対してジェシカは、自慢の美しい羽を千切れんばかりに羽ばたかせて歓喜している。どうやら感情表現はアイリスよりもジェシカの方が上手いようだ。

 ジェシカは、アイリスが森の奥深くで野生の動物と共に生きていた頃からの親友。そして殺し屋と生きることになった今も、変わらず共にいる。

「今日はお金が入ったから、ジェシカに御馳走買ってあげるね」

 店の外に置いてあった大きなスーツケースを引きずり、アイリスは右の手に100ドル紙幣を大事そうに握り締め、賑やかなニューヨークの街へと歩いていった。

 


 ―――これが、人を殺し続けなければならない少女に許された、数少ない安息のひととき。


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