イディオタ (あとがき追加)
【イディオタ】
イディオタは何かを確信する様な面持ちで、アルベールに尋ねた。
「おいアルベール、〈イプシロン〉と話せるか?」
「ああ、さっきより話しやすい感じだ」
(やはりそうか……)
アルベールは〈イプシロン〉を吸収し、完全に融合した様だった。
(イディオタよ、奴が〈イプシロン〉を選んだのは偶然じゃなかったようだな)
(ああ、まさか適応者だったとは思わなんだわ。しかも、民の為なら自分の命を厭わぬとはな……)
イディオタの声には苦渋が溢れていた。
(しかし、奴を見逃すわけにはいかん。それだけはできん……)
苦しみを滲ませたイディオタの呟きを無視する様に、〈アルファ〉は不意にイディオタに問いかけた。
(イディオタよ、奴のあの結界は、あいつの魂がすでに目覚めた影響だよな?)
イディオタは〈アルファ〉の質問の意図が掴めぬ様子だったが、とりあえず答えた。
(ああ。覚醒しているのは間違いないだろうな)
(ではなぜアルベールの自我が残って、あいつの魂が表に出てこないのだ?)
(それは、はっきりとは分からぬが、遺物を起動させたり〈イプシロン〉に適応するだけあって、アルベールの魂にはあいつの魂を押さえ込む程の力が有るのであろう。だが、いつまでも自力であいつの魂を押さえ込めるとは……)
イディオタはそこまで言うと、〈アルファ〉の意図に気づいたようだった。
(そうか、アルベールが〈賢者の石〉の適応者なら、〈イプシロン〉と一緒にあいつの魂を押さえ込めるわけか!)
(そうだ。それもいつまで押さえ込めるかわからんが、押さえ込めなくなる前に〈イプシロン〉が予兆を感じ取るだろうし、それまでは無理に命を奪う事もなかろう)
イディオタは犯した罪の一つが許された様な安堵感で、心が少し救われた気がした。ほんの僅かではあったが……。
〈アルファ〉との会話に夢中になっていたイディオタを、アルベールの声が呼び戻した。
「イディオタと言ったかな? 俺はいつでも良いぞ。ばっさりやってくれ」
覚悟を決めて神妙な表情のアルベールに、イディオタは落ち着いた様子で口を開いた。
「その前にアルベール、手をだしてみろ」
イディオタに言われたままアルベールが差し出した手を、イディオタはしっかりと握った。
(〈イプシロン〉、聞こえるか?)
(イディオタ! 聞こえるよ。こんな事しなくても、貴方なら僕と話せるでしょ?)
(直接お前と話すには、アルベールの心の中に入らねばならん。人の心に無断で入るのはできるだけ避けたいんじゃよ)
(そっか)
(お前、儂らしくない気遣いをしているなと思っとるんじゃろ! まあええわい。それより、アルベールと一緒にあいつの魂を押さえ込めそうか?)
(うん。今はアルベール一人でも安定しているよ。僕が一緒に制御すれば、完全に押さえ込めると思う。それに、万に一があっても、急に崩壊する様な事はないと思うよ)
イディオタはそれを聞いて、アルベールに自分の決意を話した。
「アルベールよ、本当に済まないが、魔導師の魂がお前の自我や魂を飲み込む前にお前の命を絶たねばならん」
アルベールは出来る限りイディオタに気を使わせまいと思ったのだろう。明るい声で答えた。
「ああ、わかっているよ」
アルベールの心が伝わる度にイディオタの心は苦しんだ。しかし、アルベールが己の命を犠牲にするのと同じように、己の罪を購えないまでも、出来る限りの事をするのがせめてもの償いだとイディオタは考えていた。
「だが、お主が〈イプシロン〉に適応し融合した事によって、魔導師の魂を〈イプシロン〉の力を使って制御できそうなんじゃ」
「〈イプシロン〉もそんな事を言っていたが、俺の命はあんたに預けた。イディオタ、あんたが必要と判断したらいつでも俺の命を使ってくれ」
「すまぬな……。いつまであいつの魂を押さえ込めるか分からぬが、その時が来るまで、儂はお主の従者となろう」
そういって、イディオタは恭しく頭を下げた。
「ちょっと待ってくれ! 従者とか、俺にはそんな者は必要ないぞ」
困惑するアルベールに、イディオタは尋ねた。
「アルベール、お主に何か望みや夢はないか? 儂に出来る事ならなんとでも力添えしよう。それがせめてもの償いじゃ」
アルベールはしばし考えたあと、気恥ずかしそうに口を開いた。
「イディオタ、あんた程の人から見れば、俺などは取るに足らない力しか持たないのだろう。だが、それでもこの力を、この戦乱を治めて民が平安に暮らせる世を創ってくれる王に仕え、世の人々の為に役立てたかったのだ」
イディオタは目を閉じてアルベールの話を聞いていた。
(イディオタよ、こんな世に、こんな奴もまだいたのだな)
(あぁ、こんな奴がよりによってあいつの魂の依り代とは……)
「だから、出来れば……、イディオタ。あんたも民を救う王に仕え、あんたのその力を、民の為、世の為に使って欲しい。それが俺の願いだ」
イディオタはアルベールの願いに頷きながら問い返した。
「それは分かった。だが、この世を正す真の王が居なくては、儂も仕えようがないぞ。儂はそんな柄でもないしな」
(当たり前だ。お前のような奴に王など務まるものか)
イディオタの頭の中に、〈アルファ〉の馬鹿にした笑い声が木霊した。
(謙遜で言ったんじゃ! 儂の器のでかさを知らんのか!)
イディオタは己の器の小ささを、〈アルファ〉の挑発に乗ってさらけだした。そんなイディオタと〈アルファ〉のやり取りを知らぬアルベールは、更に言葉を続けた。
「俺もこの命がある限り探しつづけるが、イディオタ、あんたも一緒に真の王に足る人物を探してくれないか?」
アルベールの言葉を聞いて、イディオタは小狡そうな笑みを浮かべた。
「儂も探して良いのか? 見込み違いの男を連れてくるかもしれんぞ?」
「あんたの目にかなう人物に誤りがあろう筈がない。是非共に探して欲しい。そして、共に仕え世を正したい」
アルベールの真っ直ぐな目に吸い込まれそうな錯覚を覚えたイディオタは、咳払いを一つすると、跪いて改まった態度でアルベールにひれ伏した。
「おいおい、なんだよ、従者はいらないって言っただろ?」
イディオタは恭しく伏して言った。
「我が仕えるべき王よ! 我は才無き身なれど、是非ともその幕下の端にこの身を置く事をお許しくだされ」
「何を言っているんだよ、俺はただの旅の剣士だぜ! そんな大役できるわけがない!」
狼狽し後ずさるアルベールに、イディオタは大地を振るわせる程の声で一喝した。
「お主は儂に真の王を探せと言ったではないか! さらに、儂の目にかなった人物に間違いはないと! 男が一度口にした言葉を翻すのか!」
イディオタの打って変わった剣幕に、アルベールは何も言い返す事が出来なかった。
「アルベールよ、今の世に、お主ほど民を憂い、我が身を省みぬ男はおるまい。お主のような者こそ民の王に相応しい。儂はそう思う」
イディオタの自信に満ち溢れた言葉を聞いても、アルベールは自分が王になるなど思いもよらない様子だった。
(イディオタ、本当にこの男を王に担ぐのか?)
(ああ)
(こいつの命を犠牲にする代償か?)
(いや、王に足る人物だからじゃ!)
(そうか、お前が人の下につくとは、余程気に入ったとみえる)
イディオタは〈アルファ〉の軽口に答えずに、さらにアルベールを説得した。
「お主が王と思える人物に出会った時、その人物に仕えれば良いではないか。ただ、それまであてなく放浪するのか? 圧制に苦しむ民を少しでも解放するべきではないのか?」
国の荒廃は極まっており、アルベールに否と答える事は出来ないと踏んでの言葉であった。アルベールはイディオタの思惑通り頷くしかなかった。
イディオタはアルベールが王と成る事を了承して頷くと、短い呪文を詠唱した。すると、イディオタの外見が見る見るうちに見事な白髭をたくわえた老人へと変化した。
「えぇっ!? イディオタ、あんた一体? その口調からしてもしやと思ったが、それがあんたの本当の姿なのかい?」
イディオタの変化に驚くアルベールに、イディオタは怒りあらわに怒鳴り返した。
「阿呆! 儂は老人と違うわい、若者じゃ! ただ、救国の英雄王に付き従う者と言えば老魔導師が相場じゃろうが。それで魔導の術で変化しただけじゃ」
アルベールはどうにも腑に落ちなさそうだったが、「なるほど」と返事をした。そのアルベールの様子に勝ち誇った様な笑みを浮かべるイディオタに、〈アルファ〉が痛烈な皮肉が浴びせた。
(何が若者じゃ! だよ。若者がそんな言葉を使うわけがないだろうが)
(うるさいわい!)
こうしてイディオタは、民が安んじられる理想の国を創る戦いへと身を投じた。
そして、〈竜殺し〉、〈銀の槍〉、〈刀鍛冶〉の異名で呼ばれる三高弟を率いてアルベールを王とする為に戦った。
人外の力を持つ老魔導師を従えた剣士は、優れた弟やその理想の元に集まった配下の者に支えられながら幾多の困難と戦いを潜り抜け、腐敗した旧王朝を打倒し、遂には建国の英雄王となったのである。
このお話で、序章前編は終了となります。
このお話は、このあとに続く大きな歴史のうねり(これは今回のお話には出てこない事件ですが・・・)の発端となる物語の最初の、最初です。
このあと、イディオタとアルベールが戦いの末に掴み取った勝利は、フランカ王国に安寧の時代をもたらします。
しかし、その安寧の時代に、序章の後編で暗雲が立ち込め、やがて激しい戦いへと続いてい行くのです。
戦士の宴へと……。
まだまだ続くので、今後とも宜しくお願いします。