ユィン
【ユィン】
イディオタの全身から恐るべき闘気が溢れ、その身の奥底に恐るべき魔力のうねりを感じたユィンは、退がって距離をとった。
(間合いに数歩踏み込まれただけで、全身から嫌な汗が噴き出してくる……)
イディオタの力を感じとったユィンは、全身の闘気を高めた。
(相手の方が間違いなく上だ。勝機があるとすれば、初手から全力で行くしかない!)
ユィンの感情をなぶるかの如く、イディオタが短く呟いた。
「小僧。来よ」
イディオタはそう言うと、右手を差し出してユィンを挑発するように手招きした。
(じいさん、俺はあんたより年上かも知れないんだぜ。その髭、引っこ抜いてやる!!)
ユィンは全身の闘気を爆発させて両腕に集めると、腕の骨を強化変形させて造りだした骨の刃に注ぎ込んだ。
両腕の甲から肘にかけて生え現れた骨の刃は、ユィンの黒い闘気を骨の髄まで吸収し、黒く輝いていた。
そして、骨の刃と同じように、全身の骨にも闘気を込めて強化変形させて全身を骨の鎧で覆うと、呪文の詠唱を口ずさみながらイディオタへと駆けた。
漆黒の鎧を身に纏い、さらにはその身から黒き闘気を溢れさせながら凄まじい速度で駆けるユィンは、まるで恐怖と闇が具現化したかの様だった。
「うおおぉぉぉー!」
詠唱を唱え終わったユィンは、雄叫びの様な叫び声と共に、イディオタへと跳躍した。
しかし、イディオタは怯む事なく、無手のままでユィンの跳躍を迎え受けた。
(なめるなよっ!)
ユィンはイディオタの正面から跳躍して襲い掛かりながら、右手を軽く動かしていくつかの印を結んだ。すると、透き通る透明の氷で出来た立方体が幾つも出現した。
ユィンがさらに印を結ぶと、その透明の氷の立方体は、イディオタの周囲の空中を自在に動き、ユィンの動きに合わせて的確な位置で足場となった。
イディオタの真っ正面に跳躍していたユィンは、その氷の立方体の足場を蹴ってイディオタの側面へと回ると、さらにまた足場を蹴り、イディオタの後背へと回り込んだ。
(喰らえ!)
ユィンは全身の闘気を右腕の骨の刃に集中して、イディオタを襲った。
無手のイディオタに受ける術は無かったはずが、イディオタの右手にはいつの間にか剣が握られており、ユィンの腕の刃を受け止めた。
しかし、ユィンの闘気を込めた骨の刃の威力に、イディオタの手に持つ剣は硝子が砕け散る様な音と共に光の粒子を霧散させながら砕け散った。
(今だ!)
剣を砕いたユィンは今が勝機と、氷の足場を蹴り飛ぶ速度をさらに速めて、イディオタの死角からまたも襲い掛かった。しかし、またもイディオタは無手から一瞬で剣を出し、ユィンの腕の刃を受け止めた。
鼓膜を痺れさせる衝撃音が響いた。今度はイディオタの剣は無傷で、ユィンの腕の刃に割れが生じた。
(またか! 一体どこから……。しかし、あの剣のなんと美しい事か……)
イディオタがまたも一瞬にして現し出した剣は、七色の光に包まれた、刀身の細い美しい長剣であった。
一瞬、イディオタの持つ剣の美しさに気を取られたユィンだったが、すぐに我に返ると、闘気を高めて腕の刃の割れ目に注ぎ込んだ。
(さすがに同じ手は通じぬか。ならば……)
闘気を吸わせて割れを塞ぐと共に、さらに腕の刃の太さと強度を増大させたユィンは、また氷の足場を蹴ってイディオタの周囲を駆け飛んだ。
ユィンは氷の立方体を固定せず、空中で自在に操って足場としている為、その動きは変幻自在で、さすがのイディオタもその動きを掴みかねている様子であった。
(イディオタ程の使い手がこの程度の動きに惑わされる事はあるまい。なればあの隙は罠か……)
イディオタの見せる隙を罠と感じ取ったユィンは、イディオタの死角で印を結びながら呪文を詠唱した。それが完成すると、イディオタが見せる隙へと飛び込んだ。
その瞬間、イディオタは身を翻してユィンの刃を避けると、何かの呪文を発動させた。それに呼応して周囲の大地から尖った石の鏃の様な物が飛び出し、ユィンの造りだした氷の足場を全て粉々に砕いた。
(やはり!)
ユィンは氷の足場が砕かれた時に呪文を発動させた。新たな術を足場の破片で隠す為に。
周囲に新たな仕掛けを巻いたユィンは、足場を失ったユィンを狙って薙払われたイディオタの剣を受け止めた力を利用して、後方に飛んでその危険な地点から逃れた。
そして、己の身が射程外へと出た瞬間、魔力を送って、氷の足場の破片に紛れさせてイディオタの周囲に巻いておいた火蛍を爆発させた。
ユィンが蒔いた火蛍の術は、通常なら目眩まし程度の火力しかもたないが、ユィンの尋常ならざる魔力を練り込んだ火蛍は、幾層にも炎を手繰り合わせた強力な物であった。しかも、氷の破片と見間違うほど大量にばら撒かれた火蛍の威力は凄まじかった。
(やったか!?)
実力でいえば、まだまだユィンではイディオタに敵うものではなかったが、ユィンを小僧と嘗めてかかったイディオタの隙を突いた今の攻撃であれば、イディオタを仕留める可能性は十分にあった。
ユィンがそう思い、爆煙の方へと何歩か足を踏み出した時、体を真っ二つに断たれる映像が脳裏に浮かんだ。
(!?)
全身が凍った様に動かなくなったユィンの前に、多少は煤で汚れてはいたが、無傷のイディオタが現れた。
「敵の生死を確認せずに、無思慮に近づくとは愚か者のする事じゃぞ。もう一歩踏み出しておれば、お主の体は真っ二つじゃ」
(無傷だと! そんな馬鹿な……、一体どうやってあの炎から!?)
「どうした? 急に言葉が分からぬ様になったか? 先ほどの攻撃はなかなかじゃったぞ」
目の前に立つ高齢の老人から発する気迫に気圧され、ユィンは指一本動かす事も出来なかった。
「どうした? 怖じ気付いたか? 泣いて許しを請うなら見逃してやってもよいぞ。小僧」
(泣いて謝る? 小僧? なめるなよ!!)
気圧されていたユィンだったが、イディオタの言葉に闘志を漲らせた。
両手の指から、闘気を込めた骨の飛礫を飛ばしてイディオタとの距離を取ると、魔力を集めながら両手で複雑な印を結び、長大な呪文を詠唱しはじめた。
「そんな事をせずとも、唱え終わるまで待ってやるわい」
イディオタはその場で無造作に立ち尽くしながら、ユィンが呪文を唱えるのを見ていた。
「しかし、時間を掛けるのう。実戦じゃ潰されとるぞ」
(その口、閉じさせてやる!)
「ハアァー!」
両手の複雑な印と、長い呪文の詠唱が完成した時、ユィンの気合いの声と共に氷で造られた巨大な龍が現れた。
「この形は東方の龍じゃな。えらく大きいのう」
ユィンは足を鋭い爪を持った手の様に変化させると、造りだした氷の龍の腹にその変化させた足の指を食い込ませて掴まった。
「老師……お待たせ……しました」
「ほほう。儂を老師と呼ぶか。やっと礼儀をわきまえる様になったのう」
「せいっ!!」
ユィンの掛け声と共に、巨大な氷の龍はその腹にユィンが貼り付いたまま、イディオタへと襲い掛かった。
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