ユィン
【ユィン】
ユィンは駆けに駆け、次の日の夕暮れには崇山寺に辿り着いた。崇山寺の門前には、遺房で研究を手伝っている学僧がユィンを待っていた。
「ユ、ユィン! ま、待っていたぞ! コンジュエ様がお待ちだ」
慌てた様子の学僧であったが、コンジュエに会いたい一心のユィンは、疑う事なく学僧の案内に従ってついていった。
「はい。わかりました」
案内されたのは武術の修練や試験に使われる修練場であった。その中央にコンジュエの姿があった。
(コンジュエ様……、コンジュエ様……)
コンジュエの姿を見たユィンの心から、タオジンを失った悲しみと、愛するコンジュエにすがる子供の叫びの様な感情の波動が溢れ出た。
「案内ご苦労! 巻き添えにするやもしれぬ故、他の者は修練場より退避せよ!」
(コンジュエ様、一体!?)
ユィンはコンジュエの言葉に事態を掴めぬまま困惑していた。そして、ユィンがコンジュエに歩み寄ろうと修練場に足を踏み入れた瞬間、周囲に法術による強力な結界が張り巡らされるのを感じた。
「ユィン! その方を朝廷への反逆の罪で処刑する!」
(コンジュエ様が俺を処刑!?)
コンジュエの言葉に、ユィンは衝撃を受けた。
(きっと朝廷の奴等に騙されておいでなのだ!)
「ま、待って下さい! 朝廷の兵士達は……」
ユィンは必死に弁明しようとしたが、コンジュエの怒号によって遮られた。
「問答無用! 納得出来ぬのであればその拳で抗うがよい!」
ユィンに対峙するコンジュエの全身から、強烈な闘気が溢れだし、その闘気が収まったかとおもうと、コンジュエの両の拳に恐るべき闘気が凝縮されていた。
(金剛掌! コンジュエ様、まさか本気で……。コンジュエ様、そんな……)
「ユィン、金剛掌は金剛掌でしか受けられぬぞ!」
コンジュエはそう言うと、ユィンに向かってゆっくりと間合いを詰めてきた。
しかし、ユィンは両の拳に金剛掌を宿らせ迫るコンジュエに対し、構えをとる事もできなかった。
(コンジュエ様なら、話せばきっと、きっと分かって下さる!)
「コンジュエ様! 私の、私の話を聞いて下さい!」
しかし、コンジュエはユィンの言葉に耳を貸す様子はなかった。コンジュエの瞳に、恐ろしいまでの殺気の輝きが宿り、コンジュエの体から周囲を歪ます程の殺気が溢れてユィンを刺し貫いた。
(この殺気は! コンジュエ様……、本気なのですね!)
コンジュエの殺気に刺し貫かれ、ユィンの全身から冷や汗が吹き流れた。しかし、それでもユィンは、コンジュエと闘う事などできなかった。
「愚か者め! 貴様には成すべき事があったのではないのか!」
コンジュエの言葉にユィンは衝撃を受けた。コンジュエに教えられた事、タオジンの死によって決意した事、それら全てがユィンの心の中で渦巻いた。
(しかし……、コンジュエ様に拳を向けるなんて俺にはできない!)
ユィンはコンジュエの殺気に触れても、決断できなかった。
己の成すべき事や成さなくてはならぬ事と、コンジュエに受けた恩との間で、ユィンは揺れ動いていた。
その時、じりじりと間合いを詰めていたコンジュエが、ユィンとの間合いを詰める足を止めた。
(コンジュエ様! 私の話を聞いてくださる気になってくださったのかも)
しかし、ユィンの淡い期待はすぐに打ち砕かれた。
「愚か者は、そのまま呆けて死ぬるが良い!!」
コンジュエはそう叫ぶと、大地を飛ぶ様に駆け、一気にユィンの間合いへと入った。
ユィンの間合いに踏み込んだコンジュエは、左の掌を右の拳に重ね、闘気を右拳に全て注ぎ込むと、腰を低く落とし、体毎ぶつける様に、真っ直ぐに打ち込んできた。
コンジュエの両の手に宿る金剛掌の持つ恐るべき力が、一つに重なってユィンに迫った。それは死そのものであった。
迫りくる死が、ユィンの本能とも言うべきものを呼び覚まし、ユィンの体を突き動かした。
(ぐうぅぅっ!)
ユィンの体中から闘気が右手に集まり、ユィンはコンジュエの金剛掌を受け流そうとした。しかし、コンジュエが闘気を集中した金剛掌を、ユィンの技量では完全に受け流す事は出来なかった。
コンジュエの金剛掌の威力でユィンの右腕は千切れる程捻れ、更には内蔵も損傷し、後方に吹き飛ばされ血反吐を吐いて倒れ伏した。
(お、俺はまだ生きているのか……。コンジュエ様は……)
コンジュエの本気の金剛掌を受けて生きている事に驚き、更には追撃がない事に不思議を感じたユィンは、コンジュエを探した。
激痛の中、辺りを見回すユィンの目に映ったのは、天を見上げて目を閉じているコンジュエの姿であった。
(コンジュエ様、不詳の弟子をお許し下さい……)
コンジュエが本気で放つ金剛掌を受けて生きている筈がなかった。更には、ユィンの息の根を止めるので有れば、動けぬ今、追撃がない事はそれ以上にあり得ない事であった。
ユィンは今になって、コンジュエが命をかけて大事な事を伝えようとしている事にやっと気がついた。
己自身で決断し、己が正しいと信じる道を歩めと言っている事に……。
ユィンは決意した。
(コンジュエ様はきっと全て分かっておいでなのだろう……。しかし、朝廷に逆らえば罪無き崇山寺の僧達が殺される。その為、心を殺して俺を討つ決意をなさったのだろう。しかし、俺にも生きる道を己で掴めと、ずっと教え諭して下さっていたのだな……)
ユィンは全身の経絡を開き闘気を巡らせた。
ユィンの全身を駆け巡る闘気は、やがて激しく凶々しい程強大な、異質な物へと変化していった。
(コンジュエ様。ユィン、お教え有り難く受け取りました! 未熟ながらも、己の道を参らせていただきます)
目を開いたコンジュエは、ユィンに向かって叫んだ。
「次が最後ぞ。恨むなら我を恨め…………。参る!」
コンジュエがユィンに向かって迫ろうとした時、ユィンの体の中の闘気は完全に今までとは別の黒い闘気へと変化していた。それは全身から溢れだし、ユィンを包み込んだ。
それと同時に、ユィンの体は急激に変化した。全身の細胞が変質し、組み替えられ、強大な黒い闘気の力を喰らい、膨張爆発した。
その黒い闘気の中から、異形の黒い魔物と化したユィンが現れた。
変化前のユィンは、腕の靱帯や骨が破壊され、内蔵にも損傷を負う程の深手を受けていたが、異形の魔物と化したその姿には、外傷は見受けられなかった。
(変化後の再生能力で腕は治ったけど、内蔵の傷はもう暫し掛かりそうだな……)
ユィンは闘気を循環させ増大し、体の再生能力を更に高めた。そして、素早く両の手を動かして法術の印を結びながら、呪文を詠唱し始めた。それと共に、ユィンの魔力が活性化した。
「はあぁぁっー!」
ユィンの気合いと共に、六つの氷で出来た盾が出現した。その氷の盾はユィンを守るかの様に宙に浮かびながら、ユィンの周りをゆっくりと回転しはじめた。
(コンジュエ様、参ります!)
「はっ!」
ユィンは掛け声と共に、あたかもユィンを待つ様に立っているコンジュエに向かって駆けだした。
異形の姿と化したユィンの脚は、恐るべき力で大地を蹴り、その巨体からは想像もつかぬ速度でコンジュエに迫った。
ユィンがコンジュエの目前で魔力を集中しながら短く何事かを唱えると、氷の盾の一つがコンジュエの顔前で粉々に砕け散り、小さな氷片と化してコンジュエの眼に襲い掛かった。その隙に、ユィンは右に体を倒してコンジュエの左側から後背に周り込み、死角から闘気を込めた拳をコンジュエへと繰り出した。
ユィンの拳がコンジュエの背中に触れると思われた瞬間、コンジュエは体を捻りながら、右拳を繰り出し、ユィンの拳を右拳の金剛掌で迎え撃った。
堅い何かが割れる様な音が聞こえた。ユィンの右拳は砕け、右腕自体も肘の辺りまで有り得ない方向に砕け曲がっていた。
「ぐうおぉ!」
ユィンの苦痛の声が響いた。
ユィンの右拳を砕いたコンジュエは、体を捻って振り向きながら右拳を繰り出した勢いを利用し、更に体を独楽の様に回転させながら金剛掌を繰り出してきた。
ユィンは後ろに退がりながらそれを避け、破壊された右腕を再生させて体勢を整え様としたが、それは無惨な結果に終わった。
後ろに退がれば退がる程、独楽となったコンジュエの回転と速度が増し、無数の拳が繰り出された。ユィンはそれを残った左腕で受けたが、右腕と同様に砕け折られた。
(しまった! 次が来る!!)
コンジュエの回転はそれでも勢いは衰えず、ユィンの右腕と左腕を砕いたコンジュエの金剛掌がユィンを狙って繰り出される。
ユィンは残った五枚の氷の盾を全て重ねて襲い来るコンジュエの金剛掌を防いだが、五枚重ねた氷の盾は、まるで薄氷を踏み割るかの如く砕き貫かれた。
迫り来る死が、ユィンの中の何かを弾けさせた。頭の中で何かが木霊し、それがまたも体を突き動かした。
「うおお!」
ユィンは右脚で大地を蹴ると、コンジュエの回転と同じ方向に体を捻って飛びながら、左脚の裏でコンジュエの金剛掌を蹴るようにして後方に大きく飛び退がった。跳ね飛ばされたと言った方が正確だったかもしれない。
ユィンはコンジュエとの間に距離を稼ぎ、独楽の様に迫る金剛掌からは逃れたが、両腕と左脚は完全に破壊され、叩き割られた竹竿の様になっていた。
(急いで再生しないと!)
ユィンは体内の気を練り、破壊された手足の再生を急いだ。しかし、異形の姿と化して超再生能力を身につけたユィンの体と言えど、コンジュエの次の攻撃までに再生するのは不可能であった。
(これまでか……)
「金剛掌は金剛掌でしか受けれらぬと言ったはずだ! この痴れ者め!」
諦めかけていたユィンに、コンジュエの怒号が飛んだ。
「は、はい、私も拳に闘気を収束させたつもりだったのですが……」
「収束では足りぬ。気を循環させて増大し、更に収束させて凝縮する。それを拳に宿して一気に爆発させるのだ」
コンジュエはそう言うと、全身の闘気を循環させて増大し、更にはそれを収束させて凝縮すると、全ての闘気を拳に集めて爆発させた。コンジュエの拳から闘気が溢れ、輝きを纏った。
(変化したせいか、今ならコンジュエ様の気の流れが見える! 循環、凝縮、爆発……)
ユィンはコンジュエの気の流れを見ながら、己の体内の闘気を循環させ凝縮し爆発させた。すると、全身に力が漲る様だった。
(この感覚か……。これなら回復も間に合うか……)
「見よ、崇山寺武術の奥義、金剛掌を! この拳で貴様を葬ってくれるわ!」
コンジュエはそう言うと、今まで以上に闘気を高めて拳に集中させた様だった。
(コンジュエ様は俺に金剛掌を会得させようと……、運命に抗う術を与えようとして下さっているのか……)
傷の八分程度、ひとまずは動かせる程に手足を再生させたユィンは、闘気を循環させて増大させながら、先ほどの氷の盾の法術をもう一度詠唱した。
それを見届けるかの様に静かに立っていたコンジュエが、ゆっくりと腰を落とし、大地に根を降ろした如く構えた。
「次こそは成敗してくれん! 来よ!」
(俺から動くのを待つ事によって、回復の時間を下さっているのか。コンジュエ様、ありがとうございます……。俺は懸命に抗い、コンジュエ様を越えて行きます! 必ず!)
ユィンはコンジュエの与えてくれた時間を無駄にせず、更に闘気を爆発させ、傷の回復に専念した。超再生能力を備えたユィンの異形の体は、瞬く間に破壊された箇所を治した。
そして、氷の盾の詠唱も完了し、またも六枚の氷の盾がユィンを守るように周囲に浮かんだ。
(金剛掌は金剛掌でしか受けられぬ……か。次は受けてみせる!)
ユィンは丁寧に闘気を循環させて増大し、それを収束させて両の拳に凝縮すると、一気に爆発させて解き放った。
それはコンジュエの様に光輝く闘気ではなく、漆黒の闇さえ呑む様な黒い闘気であったが、ユィンの拳を黒く輝かせた。
(コンジュエ様、不詳の弟子ユィン、今一度参ります!)
「ガアアァァァァ!」
腕も脚も完全に再生したユィンは、獰猛な咆哮をあげると、コンジュエに向かって襲い掛かった。
本日2話目のアップです!
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