ユィン
【ユィン】
(この文字は……、一体……)
ユィンは武術や法術の修行の合間に、崇山寺に伝わる古代文明の物と思われる遺物や、古代文字を研究する遺房の研究を手伝っていた。
古代文明の文字の解読は朝廷の研究機関でも難航しており、学識深い崇山寺の学僧達でもなかなか進まなかった。しかし、ユィンは学僧達が苦労して解読していた古代文字を、次々と解読していったのだった。
だが、ユィンとて、完璧に読めるのではなく、前後の文字を見、記述されている単語の意味が何となく分かるような程度であった。ユィンはそれらの単語を繋げ、文意を推察しながら解読していたのだ。
しかし、新たに遺房に持ち込まれた遺物に刻まれていた文字は、はっきりと正確に意味を理解できた。意味を理解できるどころか、発音さえ頭に浮かんでくる様であった。
「ユィン、どうした? やはりその新しい文字は読めぬか?」
一緒に調査している学僧がユィンの様子がおかしいのに気づき声を掛けてきた。
(これ……は……)
「は、はい。これは読めません……。すみません……」
ユィンはとっさに嘘をついた事に、悪気を感じ済まなさそうに謝った。
「お前のお陰で研究は大分と進んでいるのだ。謝るどころか、こちらがお礼を言いたいくらいさ。気にするな」
学僧はそう言うと、その新たに見つかった遺物を脇に置くと、別の物を調査し始めた。その時、別の学僧がユィンに声を掛けた。
「おいユィン。タオジンさんが明日からの準備をするから手伝ってくれと、お前を呼んでいるぞ」
「は、はい」
ユィンは返事をすると、急いで遺房を出た。そして、タオジンの待つ部屋に戻る前にコンジュエの部屋に向かった。
(コンジュエ様なら何か分かるかもしれない)
「コンジュエ様、ユィンです」
「ユィン、入って構わぬぞ」
ユィンはコンジュエの返事と同時に部屋に入ると、扉を急いで閉めた。
「ユィンよ、どうしたのだ? 明日の準備で何かあったか?」
「いえ、実はいま遺房で新たな遺物の調査を手伝っていたのですが、それには今まで見た事のない文字が刻まれておりました」
「古代文字とは別の文字か?」
「はい」
「それは神代文字かもしれぬな。儂も詳しくはしらぬが、古代文明よりもさらに昔に、神々の文字があったという話を聞いた事がある。それがどうかしたか?」
(神々の文字……? あれは神の名前か……?)
ユィンの話しを聞いたコンジュエは、ユィンに尋ねた。
「その別の文字は、古代文字とはまったく違うのか?」
「いえ、形などは似ている所もあり、同系統の文字とは思うのですが……。しかし、別の文字と言っても良いほど遠く離れている感じなのです」
「ふむ。その文字がどうかしたのか?」
ユィンは辺りを伺いながら、声を落としてコンジュエに答えた。
「それが、古代文字は朧気に単語の意味が頭に浮かぶ感じだったのですが、その新しく見つかった文字は、はっきりと正確に意味が理解できるのです。それどころか、発音まで頭に浮かぶ感じで……」
コンジュエはユィンの言葉に驚いた様子だった。
「その事を学僧達に話したのか?」
ユィンはコンジュエに、自分が感じた不安を話した。
「いえ。とっさに読めないと嘘をついてしまいました……。何か自分の……、人間ではない部分と繋がりがあるのかもと思うと、恐ろしくて……」
ユィンの言葉を聞いたコンジュエは、ユィンを強く抱きしめた。そして、暖かい声で語りかけてくれた。
「ユィンよ。お主は人間だ。ただ、天より特別な力を授けられたのだ。人は姿形ではない。姿は人でも、醜い心を持つ者は悪鬼と同じであるし、悪鬼のような恐ろしい姿でも、優しい心をもっておれば、それは人と変わらぬ。お主の優しい心を儂は知っておるぞ」
コンジュエに抱きしめられて自分は人間だと言われ、ユィンの心から不安と恐れが消え、安らぎと喜びが満ちた。ユィンは心の中で呟いた。
(ありがとう……父上……)
「さあ、その文字の事はまた後日考えよう。今は明日からの托鉢の準備をし、早く休みなさい」
「はい。わかりました。コンジュエ様、有り難う御座いました」
「うむ」
ユィンはコンジュエの部屋を出てタオジンの待つ部屋に戻り、明日の出発の準備に取りかかった。
次の日の朝、ユィンとタオジンは、他の地方に向かう僧達と共に出発の挨拶を総寺管長に済ませた後、日が昇る前に寺を出発した。
ユィンは見送るコンジュエに笑顔で手を振った。これが二人の、親子として過ごす最後の時となった。
宜しくお願いします!




