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戦士の宴  作者: 高橋 連
二章 前編 「黒き魔獣」
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ユィン

【ユィン】


 男児の心の中は怒りと悲しみが渦巻き、体の奥底より湧き起こる巨大な力と破壊衝動に支配されていた。

 そして、魔物と化した男児が激情のままに山を駆け下りて辿り着いた麓には、人間達の村があった。

 その小さな村には産業も無く、天領の霊山の麓である為に狩りもできず、田畑を耕し貧しくも慎ましやかな生活を送る人間達が住んでいた。

村は陽が落ち、田畑から村人達が戻り夕餉の支度をしようとしている頃であった。

そこに、身も心も魔物と化した男児が突如現れた。

(ちがう……ちが……う、ちがう!)

 村人達から感じる波動は怖れ、不安、恐怖であった。嫌な波動ではあったが、獣達を殺した人間達とは全く違う感情の波動だった。

 男児は必死に己の心に言い聞かせた。ちがう! と……。しかし、人間の姿を見た時には、もう既に遅かった。

男児の心の悲鳴も制止も振り切り、激情が、怒りが、全てを黒く染め上げ、目に映る人間達に襲い掛かり、破壊し、殺戮した。

「ウオォオォゥオオオオオオ!」

 男児はこの世の全てを憎むかの様な咆哮を轟かせながら、暗く黒い感情に身を委ねた……。

 魔物と化した男児は、強烈な闘気を込めた拳を繰り出しては辺りの人間の肉を裂き、骨を砕き、内蔵を撒き散らした。

更には、人を超越した膂力で逃げまどう人間を捕まえてその体を薄紙の様に引き裂き、泣き叫ぶ幼子の頭を無惨に踏み潰した。

男児は身の毛もよだつ悪寒と悲しみが心を浸すのと同時に、体の奥底から熱く猛々しい奔流のような興奮が滾るのを感じた。

 その時、殺戮と破壊の暴風と化していた男児の目に、一人の人間が飛び込んだ。

「やめろおぉぉっ!」

 その人間は怒りの闘気を体中から溢れさせていたが、男児が今まで人間達から感じた感情の波動の中でも、感じた事がない程に熱く大きく安らぐ様な感じがあった。 

「魔物は私がくい止める! 早く逃げろっ!!」

 その人間は魔物と化した己から他の人間を守る様に立ちはだかり、村の人間達を命を懸けて必死に逃がしていた。男児はその人間の動きを見たとき、頭の中で、新しい何かが弾けるのを感じた。

 それは直感などというものではなく、とても確かで正確な、そう、まるで経験が蘇った様な明確な記憶といった感覚、男児が経験した筈がないのに、完全に正しいと自覚する程の感覚であった。

その感覚は、この人間は危険だ! と男児に教えていた。

 男児は逃げまどう他の人間には目もくれず、目の前に立ちはだかった人間一人にだけ意識を集中した。すると、危険な信号と共に、殺戮や破壊とは違った熱い衝動が沸き起こった。

その衝動を男児は好んだ。暗く黒いものではなく、この時ははっきりと自覚はできなかったが、その衝動は肉体を躍動させ、動かし、命を感じさせた。

 男児の前に立ちはだかった人間は、一部の隙も見せる事なく、しかしさっきとは打って変わり、穏やかな闘気を漲らせながら男児に話しかけてきた。

「言葉が通じるか分からぬが、もし分かるなら聞け! 無用な殺生は為すべきではない。ここを去り二度と無用の殺生をせぬのなら、私もお主の命を奪わぬ」

 男児には人間の言葉はまだ完全には分からなかったが、伝わる波動からおおよその意味は感じ取れた。怒りに駆られて命を弄んだ自分の命さえも、尊く大切なものだと、この人間は伝え様としていた。

 その心に、男児の黒く染め上げられた心は急速に落ち着きを取り戻していた。そして、山の獣達を殺した者ではない人間達を、何の罪もない命を踏みにじった悲しみと後悔が男児の心の中を満たした。

 しかし、その心をも越える何かが、この人間との闘いを渇望した。それは、自分の体を形創る肉片の一つ一つが叫ぶ本能の様に感じられた。男児はその本能に従う事にした。

この時はまったく自覚はなかったであろうが、男児は魔物としてではなく、戦士として目の前の人間との闘いを渇望したのだ。

「ウオォォォォォォォ!」

 心を闇に支配された魔物ではなく、戦士としての雄叫びをあげ、男児は目の前の人間に襲い掛かった。

 今までとは男児の動きは違った。怒りと暴力に支配されていた時は、その破壊衝動にただ従い暴れていただけだったが、今は体の肉片が、頭の中が、心が、男児の全てに刻まれている何かが、自然とその体を動かしていた。

そして、男児の両腕の手の甲から肘の辺りにかけて、巨大な角の様な突起物が現れた。男児の頭の中の何かが、それを目の前の敵を貫き引き裂く為の武器だ! と告げ、男児の体を突き動かした。。

 それはまるで、数百年、数千年、数万年の時を闘い続けた戦士の記憶が、経験が、闘技が、男児の体の隅々に刻まれているかの様であった。男児はその頭の中の記憶に突き動かされるままに、両腕の武器を駆使して人間と闘った。

 しかし、その動きをもってしても、にわかには目の前の人間の動きは捉えられなかった。辛うじて人間の攻撃を捌き、反撃するのがやっとであった。

 どれ程の時が経ったであろうか。人間の動きが急に変わり、何かを呟いた。

「許せよ」

 その時、男児の頭の中で、危険を知らせる信号が鳴り響いた。

全身の毛と皮膚が逆立ち、目の前の人間が危険などではなく、完全なる脅威であると伝えていた。

 目の前の人間から膨大な量の闘気が溢れだした。

「シャァァァー!」

 鋭い息吹と共に、その人間は強烈な闘気を全身に纏い、男児の正面から尋常ならざる速度で間合いを越えると、拳を繰り出してきた。

 一見して見た目も速度も何の変哲もない一撃の様であったが、その拳は朧気に輝いていた。人間の体から溢れ出す膨大な闘気がその拳一つに収束し、恐るべき密度の闘気の固まりと化していたのである。

 男児はそれを見切り、両腕から生える角の様な突起物に闘気を集中してその一撃を受けた。だが、男児の闘気を込めた両腕の角は、あっけなく砕き貫かれ、人間の一撃は男児の胸を打った。

 人間の拳に込められていた闘気が男児の体を駆け巡り、全身を強烈な衝撃が襲った。体の中を激流の様に暴れ廻る人間の闘気は、男児の体内で弾け、内蔵を破壊した。

 一瞬時が止まったかの如く魔物と化した男児の体は硬直した後、紫色をした血を大量に吐血し、ゆっくりと両膝をついてそのまま地面に倒れ伏した。

「許せ……。南無阿弥陀仏」 

 人間が何か呟いていたが、薄れゆく意識の中、既にその声も感情の波動も感じ取れなかった。

男児の全身を覆って魔物と変化させていた闘気も消え去り、その体は元の男児の体に戻っていた。男児は更に吐血したが、その血は既に人間と同じ赤い血に戻っていた。

 男児は途絶え様とする意識の中、目の前で失われた様々な命の輝きを見た。それは幻覚であったのかもしれないが、山の殺された獣達の命、男児が奪った人間達の命、それらが自分を迎えにきている様に男児には感じられた。

 男児がその無数の輝きに飛び込み、光の固まりと一つになろうとした時、何かの力が男児の体に注ぎ込まれ、光へと歩む男児の体を重くした。

その力に逆らい、目の前の光へと懸命に進もうとしたが、意識とは裏腹に体はより重くなり、ついには一歩も動かなくなった。そして、目の前の光は消え去り。真っ暗な闇と静寂に包まれた。

(これが……死というものか……)

 そう思った瞬間、男児は意識を取り戻した。目を開けると、先程まで闘っていた人間が自分に生命力を注ぎ込んでくれていた。

(…………)

 何かは分からなかったが、男児の心の中に、熱く滾る何かが宿っていた。それは男児の両の眼より涙としてこぼれ落ちた。

 自分を救ってくれた――命だけではなく、その心までも――人間を見上げると、涙で歪みその顔は見えなかった。しかし、人間の顔が優しい笑みと安堵感で一杯になっているのがなぜか分かった。


読んで頂きありがとうございます^^


今後も宜しくお願い致します!




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