バソキヤ
【バソキヤ】
〈片目〉とユィンの戦いの後、バソキヤが宿る〈片目〉の眼帯は、大空より舞い降りた大鷲がその鍵爪でしっかりと握り王都まで飛び運んでくれた。そして、ユィンの意を受けた大鷲は王都につくと、近衛府の門衛の目の前にバソキヤが宿る眼帯を地に置いて飛び去った。
空より降り立った大鷲が眼前に置いていった物を見た近衛府の門衛は、それが何なのかすぐに気がつくと、大慌てで拾い上役に走り届けた。〈片目〉は、次期国王でもあり近衛総司令でもあるヴィンセントの側近として度々近衛府を訪れており、王都の近衛軍の者には顔が知られていた。当然、その左眼につけた眼帯の事も皆が見知っていた。
近衛府の留守居役をしていた仕官は、その眼帯を自身で〈片目〉の邸宅まで急ぎ届けた。叛乱を起こしたイディオタ伯討伐に参加している〈片目〉の眼帯を、空より大鷲が届けたともなれば、これは何かあったと判断せざるを得ない。ましてや、最悪の場合も考えられると思った近衛仕官は、使いの者ではなく自身で届けたのであった。その仕官の考えは正しかった。
眼帯が〈片目〉の邸宅に届けられた頃には、陽もすっかり落ち、夕闇が王都を吞み込んでいた。
(この戦いの留守居役にシンハが残っていて良かった。事の経緯はシンハに直接思念を送り話す他あるまいな……。しかし、その後をどうするか……)
バソキヤは今後の〈片目〉一族の事を思い悩んでいた。〈片目〉の最後の戦いと己の事は、〈片目〉を支えてきた長老でもあるシンハに語るとしても、その後が問題であった。
バソキヤが存在する為には、自身の精神力を消費せねばならず、それを賄うには外部から魔力と闘気の供給を受けねばならなかった。しかし、一族の棟梁である〈片目〉は死に、その後を継ぐべき息子達も未だ幼かった。長子のサンジャイでさえ十三歳になったばかりである。
バソキヤの事は、一族の棟梁かその跡継ぎにしか知らされぬ秘中の秘であり、そのバソキヤが宿る眼帯を受け継ぎ、バソキヤと融合する事こそが棟梁となる資格でもあった。
また、言い換えれば、バソキヤと融合できるには、優れた能力以外にアーユルの血を受け継いで居なければならず、一族の棟梁となるべきアーユルの直系の子孫――〈片目〉の一族は同族婚を繰り返しており、一族の者全員の中には濃い薄いの差はあれどアーユルの血が流れていた。その為、確率的には一族の者であれば誰でもバソキヤと融合できる可能性はあった。しかし、融合するには膨大な魔力と闘気を供給する能力と素質が求められる為、一族の棟梁の直系男子の中でも、最も優れた者に融合が受け継がれていったのである――の中でも限られた素質の者しか融合する事はできなかった。それに、バソキヤは〈片目〉の息子達以外と融合する気も無かったし、出来るとも思えなかった。
であれば、〈片目〉の長子であるサンジャイでは今すぐには融合できず、バソキヤに膨大な魔力と闘気を供給する準備が整うまでには最低でもあと数年は掛かるであろう。己は眼帯内に込められたユィンの膨大な魔力で、封印状態で眠っていれば十数年は永らえることはできるが、その間、幼い棟梁を頂いた一族の行く末が心配であった。
(一族や息子達の事はシンハに委ねるしかあるまい。だが、まずはアーナンドの最後を話さねばならぬな……)
バソキヤがそんな風に思考を巡らせている中、〈片目〉の眼帯は近衛府の仕官より一族の者に手渡され、そしてサンジャイの元に運ばれた。
(留守居役のシンハではなく、幼い息子の元に運ばれるとはどういう事だ……)
如何に跡継ぎであろうと、一族の長老でもあり留守を任されたシンハの元ではなく、幼い息子の元に運ばれた事にバソキヤは違和感を覚えた。
「サンジャイ様、近衛府より届いたアーナンド様の物と思われる眼帯をお持ちいたしました」
近衛府仕官を応接した一族の重臣の者がサンジャイの部屋に眼帯を運んできた。父の眼帯が届けられたという報せを聞いていたサンジャイは、静かな声音でそれに答えた。
「どうぞ。お入り下さい」
その声に、眼帯を両の手で恭しく持っていた重臣は、サンジャイの部屋の扉を開き、中に入った。
「その机の上に置いて下さい」
重臣は言われた通りに、部屋の中央に置かれた机の上に〈片目〉の眼帯を丁寧に置くと、背を向けて立つサンジャイに礼をし、黙って部屋を退室した。
サンジャイの部屋は、奥の寝室と手前の応接室という造りになっており、今は手前の応接室の中央に置かれた机の上にバソキヤが宿る眼帯は置かれていた。
応接室には机と四脚の椅子しかなく、あとはこれといった内装も無い質素な部屋であった。サンジャイは、机に――というか、部屋の入り口である扉に――背を向けて立っていた。
(致し方ない。まずはサンジャイに話すしかないか。しかし、どこから話すべきか……)
バソキヤが己の事をサンジャイにどう話しを切り出そうか思案をしていると、それに割り込む様に思念が送られてきた。
(やはり……。父は亡くなられたのですね。バソキヤ様)
その思念にバソキヤは驚きを隠せなかった。
(お主……なぜ俺の事を、いや、名前までも……)
バソキヤのこの思念にサンジャイは振り返ると、真っ直ぐに〈片目〉の眼帯を見つめながら答えた。
(シンハ様より、以前から聞いておりました)
(そうであったか……。しかし、その歳で思念での会話もできるとは、やはりアーナンドの息子だな。では、どこから語ろうか……)
バソキヤがそう言ったとき、サンジャイは静かに答えた。
(いえ、説明は不要です。バソキヤ様と融合すれば、父の最期の記憶も見られましょう……)
(確かに融合すれば記憶を繋げる事もできるが、お主が俺と融合できる様になるにはまだ短くとも数年は掛かるであろう。その前に、お主は父の最期を聞かねばなるまい)
(私の準備は出来ております。いまここで融合を、魔眼授継の儀式を執り行いたいと思います。これは、留守居役でもあるシンハ様もご了承済みの事です)
サンジャイのその言葉に、バソキヤは言葉を正す様に魔眼授継の儀式の本質を説明しようとした。
(魔眼授継の儀式とは、我と融合すると言う事だ。だが、融合と言ってはいるが、正確には俺がお主に寄生する事なのだ。即ち、お主が俺を養う魔力と闘気を持たねばならぬと言う事だ。如何にお主がアーナンドの素質を受け継いでいるとはいえ、その歳では……)
サンジャイはバソキヤの言葉を遮って答えた。
(先程も言った様に私の準備は出来ております。私は父上から邪眼の力を受け継ぎました)
そう言うサンジャイの両の目が、怪しく光った。
(邪眼を既に開眼している素質は認めようぞ。しかし、根本的に魔力と闘気の量が足らぬのだ。無理に俺と融合すれば、魔力と闘気が枯渇し、俺どころかお主まで共に死ぬであろうぞ)
しかし、バソキヤの強い戒めを聞いているのかいないのか分からぬ様子で、サンジャイは机の上に置かれた〈片目〉の眼帯を掴むと、おもむろに左眼を隠す様に顔につけ始めた。
(馬鹿な事を……。シンハには融合の事を聞いてはおらぬのか?)
眼帯を装着しながら、サンジャイは答えた。
(聞いております。また、先程もお伝えした様にシンハ様はこの事をご了承済みです。私に魔眼授継の儀式を執り行う準備が出来ていると判断されたが故に、シンハは魔眼授継の儀式を執り行う事をご了承し、バソキヤ様の封印された眼帯を私の元に運ばせたのです)
(シンハが準備は出来て居ると申したのか? 馬鹿な!)
どう考えても、年端の行かぬサンジャイに、バソキヤを養うだけの魔力と闘気があるとは思えなかった。しかも、一族の中でもバソキヤの事をしる唯一の人間であるシンハまでもが、準備が整っていると判断するなど到底信じられぬ話であった。
亡き友の息子を、子供の話しを信じて失うわけにはいかなかった。
(眼帯を付けた所で、我とは融合できぬぞ。お主が……)
そこまで言って、バソキヤは言葉を失った。眼帯に宿るバソキヤにの中に、凄まじい量の魔力と闘気が注がれてきたのだった。それはどこか懐かしい思いがした。それは似ていたのだ。遥か昔に感じた力に……。
(バソキヤ様。では、魔眼授継の儀式、始めましょう)
そう言うサンジャイの額には、アーユルが宿していた最強の魔力と闘気を生み出す第三の瞳、竪眼が見開かれていた。
(そうか……。数百年の時を経て……)
その懐かしくも猛々しく滾る魔力と闘気を吞み込みながら、バソキヤは眼帯に宿る己の魂が荒ぶるのを感じた。そして、更に思念が流れ出た。
(やっと、出会えたのだな……。お主の生まれ変わりに……)
書くかどうかわかりませんが、構想ではこの後の物語は、
ヴィンセント、ジョルジュ、サンジャイが主要人物となる予定です。




