片目
【〈片目〉】
(終わったな……)
〈片目〉がそう言った時、最初に異変に気がついたのは、魔力感知に長けたバソキヤの方であった。
(これ……は……!?)
(バソキヤ、どうした?)
その時、〈片目〉もバソキヤが言わんとしている異変に気がついた。
(あれは一体!?)
闘神像の腕に絡め取られ、その腕が描いた魔法陣によって最後を迎えるだけとなったユィンの周囲に、凄まじい魔力と闘気が集まりだした。
そのユィンの体から、漆黒の闇夜の様な黒い闘気が溢れ出してその姿を隠すと、その魔力と闘気は桁違いに膨張し、湿った衝撃音が響いた。
何かが引き千切られる様な音と共に、ユィンの周囲に満ちていた漆黒の闘気が晴れた。その中から、触手の捕縛より逃れたユィンが、触手の描いた魔法陣から魔力を吸い取っている姿が見えた。ユィンの体には変化が見られなかったが、その頭部には、巨大な一本の角が生え聳えていた。
(ば、馬鹿なっ!!)
(アーナンドよ、あの頭部の角は恐らく魔力集積器官であろう。だとすると、魔法陣から吸い上げた莫大な魔力で仕掛けてくる。迎え撃つ準備に掛かるぞ!)
〈片目〉はバソキヤの言葉で落ち着きを取り戻すと、腰に提げていた戦輪を手に取り、新たな呪文の詠唱を始めた。
〈片目〉の融合の際に同化された戦輪は、〈片目〉の魔力と闘気を吸い込み禍々しい黒い光を帯ていた。
〈片目〉が呪文を詠唱しながら戦輪に魔力を注ぎ込むと、それは更に怪しげな光を発し、〈片目〉が詠唱を完成させると、その戦輪の輪の中の空間が歪み始めた。
(アーナンド、来るぞ!)
バソキヤの声と同時に、頭に巨大な角を生やしたままのユィンが、〈片目〉に向かって駆けた。
(ああ、こちらも用意が出来た。やるぞ!)
〈片目〉はそう言うと、手にした幾枚もの戦輪を全て頭上に放り投げた。投げられた戦輪は〈片目〉の頭上で四方に弾け、〈片目〉の周囲の宙空に回転しながら漂い浮かんだ。
〈片目〉は両の掌から疾風の槍を創りだすと、それを手近な戦輪の輪の中の歪んだ空間に投げ込んだ。
(〈刀鍛冶〉の時と同じ次元通路化させた戦輪と疾風の槍か。それで奴を止められるか?)
(〈刀鍛冶〉の時よりも、些か趣向を凝らしてあるさ)
バソキヤの言葉に〈片目〉が微笑しながら答えた時、〈片目〉とバソキヤの視界からユィンの姿が掻き消えた。
(バソキヤ! 探知を頼む!)
〈片目〉の言葉と同時に、バソキヤの声が〈片目〉の頭の中で響いた。
(後ろだ!!)
〈片目〉の前方から駆け迫っていたユィンが突然に姿を掻き消したかと思うと、瞬時に〈片目〉の背後に移動し襲い掛かってきた。
(ちぃっ!)
〈片目〉は凄まじい反応速度を示した。振り向く事が間に合わないと判断すると、体を捻って右腕でユィンの一撃を受け流して、そのまま更に体を回転させて闘気を込めた左腕の一撃をユィンへと叩き込むと同時に、周囲の戦輪がユィンへと飛び襲った。
しかし、〈片目〉の左腕の一撃と戦輪は虚しく空を切った。
(消えた!?)
ユィンをまたも見失った〈片目〉に、バソキヤの怒号がまたも飛んだ。
(左だ!)
ユィンは今度も気配を感じさせる事無く瞬時に〈片目〉の左側面に移動し、その両腕に付けた凶悪な黒い刃を薙ぎ払ってきた。
「舐めるなよっ!」
〈片目〉はそう叫ぶと、左側面に現れたユィンの一撃を、左腕を差し出して受けようとした。ユィンの一撃で左腕は破壊されるであろうが、それと同時にユィンの動きを止め、周囲に放った戦輪と大剣と化した右腕の一撃でユィンの体を叩き砕く狙いであった。
一度放った魔術を戻せぬのと同じく、一度振り放った刃を止めるのは至難の業である。仮に止めたとしても、その無理な動きで体勢は崩れ、大きな隙を生む事となる。
〈片目〉が左腕を貫き砕かれる痛みに備えながら、恐るべき程の殺意をその右目に宿して右腕の一撃を放とうとした瞬間、またもユィンの姿が掻き消えた。
事の異常さに驚いたバソキヤは、〈片目〉に警告を発した。
(アーナンドよ、結界をはれ!)
〈片目〉はその声に無言の動作で答えた。周囲に放った戦輪に魔力を注ぎ込み、その中を飛び交う疾風の槍の数を数倍に増やした。それにより、〈片目〉の周囲に漂う戦輪の輪の中を、無数の疾風の槍が飛び交った。
〈片目〉が疾風の槍による結界を周囲に張ると同時に、前方にユィンの姿を捉えた。先程襲い掛かってきた時と同じ位置にユィンは立っていたが、その距離は瞬時に駆けられる様な距離ではなかった。
(奴は一体どうやって……)
唸る様な〈片目〉の言葉に、バソキヤが答えた。
(恐らく転移の術であろう)
バソキヤの言葉に〈片目〉は反論した。
(馬鹿な! 一度の転移であっても、それ相応の魔法陣と魔力が必要なのだぞ。ましてや、戦闘の最中に俺の動きに合わせて瞬時に転移の術式を組上げて飛ぶなど不可能だ!)
(確かに……)
(奴の術の正体が知れるまでは、迂闊に動けぬな)
〈片目〉はそう言うと、更に魔力を戦輪に注ぎ込んだ。そして、全神経を集中してユィンの動きを注視し、己の精神の一部を戦輪と繋げ、ユィンのどんな動きにも対応できる様に準備した。〈片目〉の準備が終わると、それを待っていたかの様にユィンが動いた。
ユィンはゆっくりと〈片目〉に向かって歩を進め、不意に微笑んだ。その瞬間、またもユィンは掻き消え、〈片目〉の視界から消え去った。