ムニサイ
【ムニサイ】
トウヤの創り出した刃にその身を斬られ貫かれて絶命したムニサイの頭の中に、何者かの声が響いた。
(貴様は誰だ!?)
ムニサイの問いに、その声は暫しの沈黙の後応えた。
(私か……、私に名はない。私を創りし者は私の事を〈賢者の石〉と呼んだが、それは私の名ではない。それは種類と言う物の分類名だ。人というのはお主の名ではあるまい?)
ムニサイがその声が返した問いに答えずにいると、その声はまた話し出した。
(私はお主が握る刀の柄頭に嵌め込まれた石だ。だが、名は無い。それよりも、お主は力が欲しいのか? 無刀と呼ぶ技が欲しいのか?)
ムニサイはその問いに直ぐに答えた。
(ああ! 欲しい! 儂は人生の全てをその為に捧げてきたのだ!)
(ならば呉れてやろう……。私はもう厭いた。目的も無く思考するのに厭いたのだ。お主に我が力、呉れてやろう)
ムニサイの頭の中に響いた声がそう言うと、全身に力が漲り、闘気が溢れ迸った。そして、自然とそれを制御し操り凝縮して、刃を創り出す所作を体が行った。
ムニサイの体の周囲に、四本の刃が具現化し、宙に浮かんで漂った。しかし、思考は更に霞が掛かった様に混沌としていた。だが、頭の中に、無刀とトウヤの姿だけははっきりと浮かんでいた。
「これが無刀か! 儂はついに手に入れたのだ! この手に無刀を!!」
ムニサイの全身はトウヤに斬られ突かれた傷があり、そこから大量の出血をしていた。傷の中には心の臓に達するものさえもある様であった。その傷にムニサイは手を当てると、傷口から少量の血が滲み出るのみで、一切の鼓動は感じられなかった。
(おい! 儂の体はどうなったのだ!? 死んで生き返ったのか!? おい! 答えよ!)
ムニサイが頭の中で叫ぼうと、刀の柄頭に嵌められた石に向かって声を出そうと、あの声の主、己を〈賢者の石〉と言った声からの返事は無かった。だが、全身には驚くべき力が、闘気が漲っていた。その力は何処からか少しずつ抜け出ていく様に感じられたが、いまだムニサイの体には若き頃でも考えられぬ程の力が漲っているのが感じられた。
「トウヤよ、待っておれよ……。次は己の体を刻んでくれようぞ……」
ムニサイは掠れた声でそう呟くと、トウヤを探して館内を彷徨った。途中、トウヤとの闘いの騒動で目覚めたのか、屋敷の家人や住み込みの弟子達が目覚めており、ムニサイを見つけると駆け寄ってきた。
「ムニサイ様、そのお姿は一体……ゴブッ……」
ムニサイは目に付く者共を片端から斬り伏せて進んだ。無刀を駆使して殺戮の限りを尽くす師匠の前に、哀れにも弟子や家人達は声を上げる間も無く次々と命を落としていった。
(邪魔な羽虫共め!)
己の屋敷も弟子も家人も、全てがムニサイの頭の中から消え失せ、かわりに無刀への妄執と、トウヤへの怒りだけが渦巻いていた。
弟子や家人達はムニサイにとって羽虫が如き弱さで、ムニサイは自然と具現化させた無刀を消して、左手に持つ刀で斬り殺していった。己の至宝とも言える無刀を、羽虫潰しに使うのを厭ったのだ。
(儂の無刀に相応しい獲物はトウヤだけだ……、奴め、一体何処に隠れおった……)
ムニサイは広い屋敷を、弟子や家人全てを殺しながら彷徨い、トウヤを捜し歩いた。そして、トウヤらしき気配を感じてその方向に進むと、どこか見覚えのある若者が、旅支度を整えて館を出て行こうとする所であった。
(トウヤか!?)
「ムニサイ様!」
ムニサイの気配に気がついて振り返った若者は、ムニサイに向かってそう言うと、その姿を見て駆け寄ってきた。
「ムニサイ様、大丈夫ですか!?」
(……レンヤ……か。兄を屠る前に、小僧を刻むか……)
ムニサイの頭の中に、レンヤの名が浮かぶと、それは殺意へと変わった。体は自然な動きでその殺意を実際の行動へと結び付けた。
レンヤがムニサイに駆け寄ってその間境を越えた瞬間、ムニサイは尋常ならざる速度で襲い掛かった。
必殺の間合いを越え、ムニサイの刀はトウヤの頭部を打砕かんと風を切った。しかし、その刃がレンヤの頭部を砕く前に、レンヤの頭部の真上に宙空に浮かぶ刃が現れ、ムニサイの撃ち降ろした刀を受け止めた。
(ぬうぅ!)
ムニサイの左手に強い衝撃が走り、金属と岩がぶつかった様な甲高くも籠もった衝撃音が響いた。そして、ムニサイの左手の刀が割れ砕けた。
「貴様も……無刀……を……!」
(こんな小僧までも!)
ムニサイの心に怒りの波動が吹き荒れたが、その感情は直ぐに消え失せると、別の感情が沸き起こった。
(いや、それで良い……。無刀の力を存分に使いたかった所よ……。羽虫潰しには飽いたわ!)
ムニサイの心は高ぶり、笑いが漏れた。
「ふはははっ……、ふはははははははははははは……シャアァッー!」
ムニサイは地を蹴ると宙高く舞い上がった。
(何と素晴らしい力よ! まるで山野を駆け巡った若き頃に戻ったかのようだわい!)
そしてそのまま、宙空でムニサイは四本の刀を具現化して創り出すと、左手に持つ刀と合わせて五本の刃でレンヤに襲い掛かった。しかし、レンヤも三本の刃を具現化させると、ムニサイの斬撃を悉く受け止めた。
(ふっははは! 羽虫とは違って、さすがはあ奴の弟だけはある。だが、これならばどうだ!)
ムニサイはトウヤとの闘いの時に見せた、秘技であるあの足捌きを使って体を回転させ始めた。体の左右に具現化させた刃を配置し、自身を回転する巨大な刃の独楽と化してレンヤに斬り掛かった。
トウヤと違って、レンヤは今だその足捌きの高みに到達してはいない様であった。足捌きによる特異な連撃と具現化させた刃の数の差もあって、ムニサイの刃はレンヤの身を捉え始め、暫らくするとその刃をレンヤの血で紅く染めた。
(他愛も無い……。やはり、あ奴でなければ駄目か……。もう飽いたわい。そろそろ終わりとするか……)
レンヤをいたぶるのに飽きたムニサイが、わざと隙をつくりレンヤを誘うと、レンヤはその隙に誘われて突出してきた。
幾度か連撃をかわしてムニサイの懐に肉薄したが、連撃を避けきれなかったレンヤは、具現化させた三本の刃で連撃を受け止めた。その瞬間、レンヤの具現化させていた三本の刃は粉々に打砕かれた。
(馬鹿な小僧が!)
「ふはははははは! 小僧よ、終わりだ!」
ムニサイは具現化させた全ての刃でレンヤを襲わせた。
一本は上から頭部を、一本は右後方から背中を、一本は左下方から左足を、もう一本はレンヤの足元下段より心の臓を狙って襲い掛からせた。
レンヤは右手に持つ刀で一本を防ぎ、身を動かしてもう一本は避けられるであろう。だが、残りの二本は避けられまい。必勝必殺の布陣であった。しかし、レンヤはムニサイの予想に反して、右に飛んで逃げようとした。
(それは悪し!)
ムニサイは心の中で叫んだ。
如何に体術に優れ跳躍力に自信が有ろうと、宙に飛んでしまってはその後身動きが出来なくなる。ましてや、具現化させたか刃を自在に操る者が相手であれば、宙に浮いている獲物は格好の的となるだけであった。
ムニサイはなんの躊躇も無く、宙に飛んだレンヤ目掛けて具現化させた刃を襲わせた。宙で動けぬレンヤの体をムニサイの刃が貫こうとしたその時、レンヤが宙空で体を捻り新たな方向に跳躍すると、そのままムニサイの懐に飛び込んできた。
(馬鹿なっ! 一体!?)
ムニサイの目に、レンヤが具現化させた刃の破片が宙を舞っているのが映った。
(この破片を足場にしたのか!?)
ムニサイは思わず叫んだ。
「小僧っ! 舐めるなっ!!」
破片を足場に飛んだレンヤの跳躍の軌道を読んだムニサイは、その着地点を狙って具現化させた刃と己の左手に握る刀を振るって襲った。その刀がレンヤの間合いに入ると、レンヤの持つ刀が眩い光を放ちながらそのムニサイの刀を粉々に打砕いた。
(刃はまだあるぞ!)
ムニサイが残る刃でレンヤを襲おうとした時、その視界からレンヤの姿が掻き消えた。レンヤは砕いたムニサイの刀の破片を先程と同じ様に足場にし、今度はムニサイの背後に、完全なる死角へと跳躍して廻り込んでいたのだ。
(まだだっ!!)
「シャァッー!」
ムニサイは口から空気を噴出すような唸り声を吐いて体の中の迸る力を凝縮させると、一気に爆発させて新たな刃を、己の背後に具現化させた。そして、その刃でレンヤの頸部を狙い斬撃を放った。
その時、ムニサイの頭の中に、己を死の淵より蘇らせ、無刀を操る力を授けてくれたあの声が響いた。
(ムニサイよ、我の力は尽きた。これまで……だ。最後……に、溢れる……感情のうねりを……感じ……て楽しかった……ぞ。さら……ば……だ……)
ムニサイはその声に尋ね返した。
(まてっ! どう言う事だ!? 力が尽きたとは……)
ムニサイが頭の中に響く声にそう怒鳴った時、ムニサイの体の中に溢れていた力が突然に途絶えた。それと同様にムニサイの意識も、途絶えた事さえ理解する間も無く完全に消えうせた。
レンヤが渾身の力を込めた最後の一振りよりも速く、レンヤの首を刎ねる筈だった刃も、ムニサイの意識が途絶えたのと同じくして掻き消えた。
力が消え意識も無くなり、只の肉の塊と化したムニサイの体を、レンヤの渾身の斬撃が背後より襲い、その胴を両断した。