アーナンド
【アーナンド】
アーナンドはヴィンセントの和平の申し出の条件を聞いて暫し考え込んだ。
後方のウェストフェン侯爵の討伐が成った今、ヴィンセントは全軍をもって一族を殲滅しても良いはずであった。仮に、兵士の犠牲を厭うと言うのであっても、自ら出向いてまで和平を申し出る必要は無かった。配下の者を使者に、降伏を勧告すれば済むであろう。
(これは罠か……)
(アーナンドよ、あの男がその様な小細工を弄するとは思えぬぞ)
アーナンドはバソキヤの言葉に、同調しながらも反論した。
(確かに、一国の宰相を務めるあの男が和平が成ったと思わせて我らを砦より誘き出し、包囲殲滅するなどという小細工を弄するとは思えぬが……。しかし、逆に言えば、一国の宰相であり王弟であるヴィンセントが我等の様な流浪の者に礼をもって接するとも思えぬ)
(では、どうするのだ?)
(そうだな。なれば……)
瞳を閉じて暫し考え込んでいたアーナンドは、思案を纏めると、瞳を開けた。そして、全身から凄まじい殺気を発しながら、両の手に闘気を凝縮させた。凝縮された闘気は魔力をはらみ、黒い刃の形へと変化していった。
その殺気に当てられて、ヴィンセントと共のランヌは身動きひとつできぬ様子であった。アーナンドの後ろに控えているシンハは、黙ってその様を見ていた。アーナンドは殺気を宿らせた右眼でヴィンセントを刺す様に睨むと、今にも飛び掛らんとその腰をあげた。
(アーナンド、お主の負けだな。お主がこれだけ殺気を発しても例の男は現れぬ。いまお主が本気で襲えばこの男を討ち取るのは容易かろう)
(ああ……)
(なれば、決まったな)
(ああ、この男は本気だ。俺の負けだ……)
アーナンドは腰を浮かせ、馬上より飛び降りると、ヴィンセントの馬前に跪いて平伏した。それを見た後方のシンハも下馬すると、同じ様に平伏した。
「閣下のお言葉を試させて頂きました。ご無礼は平にお許し下さりませ」
アーナンドの殺気の呪縛から開放されたヴィンセントは、息を一つ吐き出しながら額の汗を拭い、口を開いた。
「肝を冷やしたぞ。だが、我が心通じたのであればそれで良い。では、和平を受け、我が王に仕えてくれるのだな?」
アーナンドはヴィンセントの馬前に恭しく平伏したまま、よく通る大声で答えた。
「それはお断り申し上げる!」
「アーナンドよ、どうしてだ。何か望みがあるのであれば申すが良い。これ以上の争いは無用ぞ」
アーナンドは頭を上げヴィンセントの目を見ると、更に大きな声で答えた。
「和平ではなく、我が一族は降伏をさせて頂きます。しかし、それはフランカ王国にではなく、ヴィンセント閣下、貴方様に降伏させて頂きます」
アーナンドの言葉に、ヴィンセントは問い返した。
「それで一族の者は納得しようか? 私の体面を気遣う必要はないぞ。和平を結び、その後わが兄にである陛下に仕えてくれればそれで良いのだ」
ヴィンセントのその言葉に、アーナンドは頑なに否と答えた。
「それは先ほどお断り申し上げました」
「なれば、我が王には仕えては呉れぬと言う事か」
「我が一族が仕えるのは、その度量を認め降伏した方のみにです。我が一族はヴィンセント閣下にお仕えさせて頂く」
ヴィンセントは困惑した様子でランヌを見たが、ランヌも狼狽した様子であった。
「その気持ちは嬉しいが、我が臣下となるよりも、王の直臣となる方がそなたにとっても一族にとっても良いであろう」
「我が意思は既にお伝え申した。それが成らぬと仰るのであれば、我が一族は砦に籠もるより他は御座いません」
「こやつ、私を脅す気か。はははははは。致し方あるまいな。なればそなたと一族の降伏の申し出を受け、そなたを我が臣下に召抱えよう」
アーナンドはその言葉を聞くと、満面の笑みを浮かべながら地に額が着くほど平伏して礼を述べた。
「ははーっ! 有難き幸せ! なれば直ぐに我が一族は砦を辞去し、閣下の仰る地に赴きましょう」
「その必要は無い」
「はっ、その必要が無いとは……?」
「砦を辞去する必要は無いと申しているのだ」
「なれば、どう致せば……」
困惑するアーナンドに、今度はヴィンセントが悪戯小僧の様な笑みを浮かべながら答えた。
「そなたにあの砦と周辺の土地を与える。一族の者共はそこで暮らすが良い。だが、お主には王都にて私に仕えてもらうぞ。良いな?」
「この土地を我らに……? 我ら異国の者に土地を与えて下さるのですか……?」
ヴィンセントはアーナンドの言葉に、力強い声音で答えた。
「国の民とは、その国で生まれた者や住む者を言うのではない。その国を愛する者を言うのだ。お主や一族の者が、この国を愛し仕えてくれるのであれば、そなた達は我が国の臣民なのだ。何を遠慮する事があろうか」
返答できぬアーナンドに、ヴィンセントは更に言葉を続けた。
「それとも、お主はこの国を想い我に仕えるのは嫌か?」
(俺の目に間違いは無かった。この御方なれば誠心にてお仕えし、我が一族を託すに足るお方だ)
(これで、もう幼子に飢えや寒さを堪えさせなくて済むな)
バソキヤの言葉に、アーナンドは感慨深く答えた。
(ああ、もう誰に指差される事なく、大地に根をおろして暮らせるのだ……)
アーナンドは平伏したまま、ヴィンセントに答えた。
「このアーナンド、全身全霊にてお仕えさせて頂きます!」
平伏するアーナンドの顔の下の大地が濡れていた。
こうして、父や兄や一族の者を数多く失った戦いにより祖国を追われてから十数年、アーナンドとその一族の苦難の旅は終わりを迎えたのであった。
これで五章前編は終了です!
次回からは五章後編がスタートします!!
宜しくお願いします^^