ヴィンセント
【ヴィンセント】
戦乱に荒れ果てた国土を艱難辛苦の戦いを経て統一した後も、いまだヴィンセントはその身を戦場から抜け出せずにいた。
戦乱を治め国土を統一した兄である英雄王アルベールの決断により、降伏を申し出た各地の貴族達は悉くその身を許され、既得の特権と領地を安堵された。それによって、確かに戦乱の収束は早まったが、国内に不安定な火種を抱える事となった。
今もその情勢を表すかの如く、東部の大貴族ウェストフェン侯爵の叛乱を討伐する為、ヴィンセントが王都の軍を率いて東へと進軍している最中であった。
(兄上はお優しすぎる……。だが、だからこそイディオタ殿をはじめ、多くの人間がついて来るのであろうな。しかし……)
ヴィンセントは討伐に向かう馬上で、激しく吹きすさぶ風雨に打たれながら世情の難しさを考えていた。
(このままではやがて低能下劣な貴族共によってこの国は食い潰されてしまう。その前に奴らを潰さねば……。しかし、この国をまた戦乱に晒す訳にはいかない。その為には、貴族共を圧倒する程の軍事力が必要だ……)
「ヴィンセント様、ヴィンセント様!」
思案に耽るヴィンセントに、副官が声を掛けた。
「どうした?」
「そろそろ日も落ちてまいります。この風雨の中、これ以上の進軍は馬の足を折り、兵士の士気にもかかわります。ここらで野営の準備を致しては如何でしょうか?」
ヴィンセントは副官に馬の歩みを緩める事無く応えた。
「此度の叛乱は毎度の不平貴族の叛乱とは分けが違う。叛乱を起こしたウェストフェン侯は旧王国では代々東部総督を務めた家だ。その軍事力と影響力は無視できぬ。故に急がねばならぬのだ」
「それは分かりますが、この期に及んで如何にウェストフェン侯と言えど、単独では我が王国軍に抗するのは……」
何かに気付いて言葉に詰まった副官に代わって、ヴィンセントが言葉を続けた。
「そうだ。恐らくはウェストフェン侯単独の計画ではあるまいな」
「では、急ぎ東部国境に急使を送り、ウェストフェン侯討伐の為に動員を掛けた国境守備兵を帰さねば! 更には東部国境に密偵を……」
ヴィンセントは片手を上げて、はやる副官の言葉を遮った。
「そう思ってな。出征前にランヌ将軍に命じ、東部国境守備隊には何があろうとその場を死守せよと使者を送らせてある。それと同時に密偵も国境を越えさせてドイチュ領内を探らせている。恐らくここ数日中に知らせを持って戻ってくるはずだ。その知らせが届くまでは進軍を緩めるわけにはいかぬ。落伍者は後から合流すればよい。今はウェストフェン侯領まで距離を稼ぐ事こそが肝要ぞ!」
「ははっ!」
副官はヴィンセントの言葉に返事をすると急ぎ伝令を呼び、落伍者の合流地点の指示を徹底させた。
その指示を持って駆け散る伝令と入れ替わる様に、別の伝令が馬を駆けさせてヴィンセントの待っていた知らせを持って来た。
懸念していた通り、ウェストフェン侯が隣国のドイチュ王国と内通している情報を掴んだヴィンセントは進軍の速度を更に速め、電撃的な進軍速度でウェストフェン侯領へ到達した。そのヴィンセントの軍を最初に迎えたのは、数百の兵が守備する侯領の境にある小さな砦であった。
守備する兵は褐色の肌をした異国の者達であった。恐らく傭兵であろう。
ヴィンセントの軍が驚異的な速度で領内に雪崩込んだ為、防備が整う前に包囲する事が出来たが、それでも尚、その砦は河を引き入れた堀と堅固な石壁によって護られており、落とすのには時間が掛かりそうだった。だが、それも兵の損耗を抑えながら戦えばの話であった。
如何に堅固な石造りといえど、所詮は数百の傭兵が籠もる小さな砦である。兵の被害を度外視して力攻めにすれば一両日で落とせるであろう。
ヴィンセントはランヌ将軍以下討伐軍の幹部を自分の幕舎に集めると、早速軍議を始めた。
「ヴィンセント様、ウェストフェン侯の叛乱ががドイチュと示し合わせての行動であれば、ドイチュ軍が国境を越えてくるのに早ければ十日程でしょう。ここからウェストフェン侯の居城までの行程と兵の休息、居城を落とすのに掛かる日数、それらを考えますとこの砦に日数を掛けているわけには参りません。どうせ使者を送って降伏を呼びかけても、ドイチュ軍がくるまでの時間稼ぎをされるだけでありましょう。かと言って放置して進めば後背を脅かされます。ここは力攻めで一気に落とすしか致し方ありますまい」
ランヌ将軍の言葉に、他の幹部も頷き同じ意見を述べた。軍幹部達の意見が出尽くすまでヴィンセントは沈黙したまま耳を傾けていた。軍議ではヴィンセントは常に幹部達に自由に議論をさせ、暫し考え込み、最後に決断を下すのが常であった。
たしかに選択肢としては、日数的に兵の損耗を度外視して力攻めにて落とすか、このまま放置して通過するか、降伏を呼びかけるかの三択であろう。もう一つ、軍を二つに分けて砦の押さえを残して通過するという選択肢もあったが、それは戦力の分散でしかなく下策であった。今回は、ランヌ将軍の言葉が正しかった。
放置して通過すれば背後を脅かされるであろうし、万が一にもウェストフェン侯の居城を落とす前にドイチュ軍が来襲すれば、三方より囲まれて全滅の危険に陥る可能性があった。
また、降伏を勧告する使者を送ったとしても、元よりドイチュと内通しての行動であれば降伏はしまい。交渉でいたずらに貴重な時間を浪費するだけに終わるであろう。だが、力攻めすれば多くの兵が命を落とす事となる。
兵士は戦場で敵の命を奪う事が任務であるが故に、逆に己の命を奪われる事があるのは至極当然の理である。しかし、戦乱が止んで間もないこの国の兵士の中には、食うや食わずの生活の為止む無く兵士となった農民も少なくなかった。ヴィンセントはそれらの者達に、僅かな時間の為に石の砦にその命をぶつけよとは命令したくは無かった。
「ランヌ、砦を守備しているのは異国の傭兵共であったな。ウェストフェン侯の正規兵は見えたか?」
「いえ、そういえばウェストフェン侯の正規兵は見えませんでしたな。居城の守備に正規兵は全てかき集めたのでしょうか。ただ、炊事に上がる煙の数や、時折見える人影から、どうやら守備する傭兵共の一族郎党も砦内にいるようです」
「異国の傭兵とその家族か……」
(金で雇われている者達ならば、寝返る事もあるであろう。家族が共に居るのならばなおさらだ。ここは賭けに出てみるか……)
ヴィンセントは思案がまとまると、時を浪費しなかった。
「よし、降伏の使者を砦に送れ。いや、和平の使者として礼をもって送るのだ」
「降伏ではなく、和平の使者ですか?」
「そうだ。あくまで対等な和平を談じたいと使者を送るのだ。そうだな……、明日の明け方に双方武器を帯びず、一名の共だけを連れ、砦と包囲する我が軍との間で話そうと伝えよ。あくまで対等に和平を談じようと伝えるのだぞ、良いな?」
「ははっ! 直ぐに使者を送ります」
ランヌ将軍はヴィンセントにそう応えると幕舎を出て、直ぐに使者の人選と準備を始めた。それに従い、他の幹部もヴィンセントに敬礼し幕舎をあとにした。
ヴィンセントは幕舎に一人になると、またも思案に耽りだした。
(恐らく和平は成るまいな……。だが、あの者共は捨て置けぬ。欲を出すと苦労させられる。しかし、自業自得と言うものか。致し方ない、そうなれば……)
ヴィンセントは考えをまとめると、幕舎の入り口を警備する兵に命じて、密偵を呼びにやらせた。
程なくして現れた密偵に、ヴィンセントは金貨で膨れた袋一つと厳重に封を施した密書を手渡すと、口頭で命令を告げた。
「これをドイチュ王都のコルト商館に届けてくれ。必ずコルト商館長に直に手渡すのだぞ。良いな」
「ははっ! お渡しする時の口上は御座いますでしょうか?」
ヴィンセントは暫し思案すると、早口に答えた。
「お返し致すには少々お時間を頂きたい、良しなにお願い申し上げる、そう伝えてくれ」
「畏まりました!」
「時はその袋より貴重ぞ。頼んだぞ!」
「ははっ! では!」
密偵はそう言うと、足早に幕舎を出て行った。
「済まぬが、今一度ランヌを呼んでくれぬか」
「はっ!」
ヴィンセントは密偵が出て行くと、入り口の兵士に命じランヌ将軍を呼びにいかせた。その後、ヴィンセントは軍議の為外に出ていた従者を呼ばずに自分で杯を二つ用意すると、葡萄酒を注いだ。
「ヴィンセント様、失礼致します」
ヴィンセントが葡萄酒を杯に注ぎ、ランヌ将軍を待ちながら一人先に飲み始めた時、ランヌ将軍が幕舎に入ってきた。ランヌ将軍は幕舎の机の上の葡萄酒を注がれた杯を見ると、目を閉じながら大きな溜息を吐き出した。
「ふー、またですか……」
「お前の好きな年代物の赤だぞ」
ランヌ将軍は溜息を漏らしながら首を振ると、その杯を手に取り葡萄酒を一口飲んだ。そして、諦めた様子で口を開いた。
「この様な年代物の赤を頂戴しては、どの様な厄介事でも嫌とは申せませぬなぁ……。それで、今度は何事でしょうか……」
(俺は家臣に恵まれているな)
ヴィンセントはランヌ将軍の言葉に笑みを浮かべると、囁く様に説明し始めた。
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