アーナンド
【アーナンド】
アーナンドが犯した過ちのせいでシンハが右腕を無くしてから、幾年もの月日が経っていた。
一族の元に戻った当初は、シンハの片腕を無くした経緯や、棟梁の証である眼帯をしている事によって、今まで以上に一族の者から疎外感を感じ、孤独と嘲りと哀れみの日々を過ごした。
しかし、アーナンドはそれら全てから逃げる事無く、全てを正面から受け止めた。己の至らぬ点は素直に認め努力し、ただ直向に生きた。一族の者が厭う仕事を進んで行いそれを誇らず、孤独な時間を武術と学問に励み打ち込んだ。
それは精神的にも肉体的にも辛く厳しい日々であったが、アーナンドはそれを耐え抜いた。常に傍らにはシンハがいたが、その存在がアーナンドを支えたのではなかった。己の背に一族の未来を背負っているという重圧が精神を奮い起こし、その義務が肉体を頑健な物とし、その責任感がアーナンドに日々を耐え抜かせたのだ。
いつしか、アーナンドの直向なその姿を見る者の数は次第に増えていった。月日が経つとその言葉を聞く者は更に増えた。年月が経つとその力を認めぬ者は居なくなった。こうして、アーナンドは一族を率いる若き棟梁へと成長したのだった。
アーナンドは一族を率いて旅を続けながら、旅先で各地の争乱に傭兵として参加し日々の糧を稼いでいた。
かつては「戦士の一族」と呼ばれた一族の優れた戦闘能力は、雇い先の領主達に高く評価され、仕官の誘いも多数あった。しかし、アーナンドはそれらを全て断り、当ての無い放浪の旅を続けていた。
以前ならアーナンドのその決断に、安住の地を渇望していた一族の者達は異を唱えたかもしれなかったが、今やアーナンドの決断に異を唱える者は一人も居なかった。
「叔父上、此度も我侭をお許し下さい」
アーナンドは、自分の天幕に訪れたシンハの顔を見るなり、今回も雇い主であった地方領主からの仕官の誘いを断った事を謝った。
「頭を下げるな。お前は棟梁なのだ。その棟梁の決断に異を唱える者はおらぬ」
シンハはそう言いながら、アーナンドの頭を上げさせた。
「一族の繁栄の為に安住の地を早く手に入れねばならぬのは分かっております。しかし、己の利益のみに固執する矮小な者に、一族の運命を任せるわけにはいきません……。です……から……」
アーナンドは突然疲労に襲われ、膝から崩れた。辛うじて膝をついたが、全身の力が抜ける様な感覚と共に眩暈がして立ち上がれなかった。
「アーナンド! 大丈夫か! どうしたのだ!?」
アーナンドを心配し声を荒げるシンハを安心させ様と、アーナンドは手を振って立ち上がろうとしたが、遂には膝をつくこともままならぬ程に体の力が抜け、その場に倒れこんだ。
「わ……わかりません。急に……体中の力が……抜ける様な……」
その言葉に、シンハの眼光が鋭くなった。
「アーナンドよ、魔力と闘気を練り合わせてみよ。体中を循環させながら練り合わせ、それを左目に集中するのだ」
(魔力と闘気を練り合わせて……左目に……?)
アーナンドはシンハの言葉に従い、体に僅かに残った魔力と闘気を全身に巡らせる様に練り合わせると、それを左目に集中した。すると、全身を襲っていた疲労感は徐々に薄れ、なんとか立ち上がれるまでに回復した。
「叔父上、これは一体……。何かの病でしょうか?」
怪訝に尋ねるアーナンドに、シンハは笑みを浮かべながらアーナンドの背中を叩いた。
「ははははは。何を言っている! お前が棟梁の力を受け継ぐ準備が整ったというしるしだ!」
「棟梁の力ですか……。しかしそれは一体……」
「それは受け継げば分かる。お前は今おこなった魔力と闘気を練り合わせて循環させる作業を日々鍛錬するのだ。起きている時はもちろん、寝ている時も無意識に行える様にな。そして、体を襲う疲労感を感じる事が無くなった時、お前は名実共に真の棟梁となる」
「寝ている時も行える様にと言われましても……」
「泣き言は言わぬと誓ったのではなかったのか? 棟梁殿」
アーナンドは渋そうな顔をしながら、シンハの言う様に、魔力と闘気を全身に循環させながら練り合わせる鍛錬に取り掛かった。
「お前の準備が整うまで、一族の仕事は俺と〈四肢〉で執り行っておく。お前は何も考える事無くその鍛錬に集中しろ。分かったな?」
「申し訳ありません、叔父上」
瞳を閉じ、全身に魔力と闘気を巡らせながら謝るアーナンドに、シンハは首を振った。
「謝るのは俺の方だ。お前の父に続き、お前にも棟梁の重荷を背負わせてしまった」
「何を仰るのです、今は一族の為に生きる事こそ、私の喜びです!」
アーナンドの言葉に、シンハは更に首を振った。
「違うのだ。棟梁が受け継ぐ力は、依然話した様に一族が果たさねばならぬ約定の代償なのだ。棟梁はその代償を果たさねばならぬ。俺はこれ以上の事は知らぬが、その力を受け継いだ時に全て分かるだろう。すまぬな……」
「それが私の成すべき事なら、成すまでです……」
シンハは、アーナンドに深く頭を下げると、アーナンドの天幕を後にした。
それより数週間後、アーナンドは魔力と闘気を全身に巡らせ練り合わせる作業を、呼吸をするのと同じように自然と行えるようになっていた。意識する事無くその作業を行い、自然と左目に集中した。
「ようやく全てが整ったな」
シンハの言葉に、アーナンドは弾む声で答えた。
「はい! これより、跡目相続の儀式を執り行うのですね?」
「いや、跡目相続の儀式は既に済んでいるのだ」
シンハの言葉に、アーナンドは言葉を失った。
「終わっている……?」
「そうだ。その眼帯を着け、疲労感に襲われる事が、棟梁が継ぐべき力を有する証なのだ、つまり、跡目相続の儀式なのだ」
「では、叔父上の仰った魔力と闘気を練り合わせる作業は、一体何の為なのですか?」
シンハはアーナンドの瞳を真っ直ぐ見つめながら、厳かな声音で答えた。
「今より魔眼授継の儀式を行う。お前に身につけさせた魔力と闘気の循環練法は、この儀式を行う為のものだ」
「それは何処で執り行うのですか?」
シンハは全身から溢れ出る程に魔力を高めながらアーナンドの言葉に答えた。
「今、此処で執り行う。お前は時空を超え、一族の棟梁のみが受け継ぐ全てを知るであろう。俺が教えてやれるのはここまでだ。心の用意は良いか?」
(今、此処でやるのか!?)
アーナンドは薄暗く狭い己の天幕を見渡した。そして、口元に僅かな笑みを浮かべると、大きく頷いた。
シンハはそれを確認すると、無言のまま更に魔力を高めた。その魔力を右手の人差し指に集中させると、アーナンドの聞いた事も無い呪文の詠唱を始めた。それは短く単純な言葉の様だったが、アーナンドに意味は分からなかった。
(あの呪文は……一体……)
シンハが呪文を唱え指先の魔力を開放すると、アーナンドの意識は徐々に薄れ始めた。まるで眠り落ちて行くかの様に……。しかし、薄れ行く意識の裏側で、いまだかつて無い程に精神と感覚が研ぎ澄まされていくのも感じていた。
意識が薄れながら研ぎ澄まされていく。その不可思議な感覚の中、アーナンドは己がある男の体の中に居る事に気づいた。その男はどこか自分に似ている気がした。その男の目で見た物が、アーナンドの目にも映った。
その目に映ったのは、全身から凄まじい黒い闘気を溢れさせながら、両の手を刃に変形させ、右腕の刃を振りかぶりながら飛び掛って襲い来る魔物の姿であった。
(うおおぉっ!!)
アーナンドが驚きの叫びを上げた途端、アーナンドの意識は己に似た男の中から抜け出していた。
次にアーナンドの目に映った映像は、己の姿に似た男が襲い掛かってきた魔物の一撃を右腕に持った戦輪で受け止め、その戦輪ごと体を真っ二つに断ち割られた姿であった。
アーナンドは悟った。
(俺の意識はあの黒い魔物の中に居る……)
アーナンドの一族の秘められた過去が!?
読んで下さり有難うございます!!