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戦士の宴  作者: 高橋 連
五章 前編 「双魂の魔人」
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アーナンド

【アーナンド】


 シンハは剣を構えると、全身から凄まじい闘気を吹き出させた。その闘気はシンハの全身を覆い、光り輝いていた。

 警備隊長はその闘気に気圧され、剣を構えながらも後ずさらぬ様に踏ん張るのが精一杯の様であった。

 シンハの闘気が一気に収束凝縮して爆発した瞬間、シンハの持つ剣が一閃した。剣は凄まじい速さで閃くと、シンハの左腕を肘の先から斬り落とした。

(そ、そんな!? どうして自分の腕を!)

 シンハは己の左腕を切り落とすと剣を鞘に仕舞い、闘気を左腕の傷口に集中させて止血をした。左腕の傷口の止血を終えると、シンハは地面に転がる己の左腕を右手で拾い、それを呆然と立ち尽くす警備隊長に差し出した。

「盗みには腕を……だったな。この腕で始末を着けてくれ」

 警備隊長は差し出された腕を震える手で受け取りながら、黙って頷いた。そして、剣を収めると、大声で周囲の野次馬に命じた。

「これでこの裁きは仕舞いだ! さあ! 散れ! 仕事に戻れ!」

 アーナンドは、一族最強の戦士であるシンハが戦わずして負けを認め、更にはアーナンドの腕ではなく、自分の腕を斬り落とした事に混乱した。

「叔父上! なぜです! なぜ……」

 アーナンドの言葉を、シンハは遮る様に怒鳴った。

「黙っていろと言った筈だ!」

 その剣幕に、アーナンドはそれ以上言葉を口に出来なかった。

(だって……、くそ! なぜ叔父上が……腕を……。俺が全て悪いのに……)

 うな垂れるアーナンドを引っ立てる様に立ち去ろうとするシンハに、警備隊長が声をかけた。

「我が都市の警備隊及び周辺都市に、貴殿の一族は信義に厚い信用の出来る者達だと伝えておこう。傷を厭われよ」

 シンハはその言葉に頭を下げると、アーナンドと共に馬に乗って静かに都市を出た。

(どうして最高の戦士の叔父上の腕が……。腕を切るなら役立たずの俺の腕を斬れば良かったのだ。どうせなら、あいつ等を斬れば良かっただ!)

 アーナンドは馬の上で揺られながら、心の中に渦巻く悔恨の念や、不甲斐ない己に対する怒りと憎悪、そして自分は役立たずどころか一族に迷惑を掛ける存在だと言う思いに苛まれていた。それら全てが悔しくて情けなくて、アーナンドの両の目から大粒の涙が止めどなく溢れた。

何の音もしない静かな砂漠の海を行きながら、嗚咽を漏らし泣くアーナンドにシンハが声をかけた。

「もう良い。己を責め続けてもどうにもならぬぞ。男なら過ぎた事よりこれからの事を考えよ」

 アーナンドはその言葉に、我を忘れて食って掛かった。一族の未来を考えて自分は出て行ったのだ。己の愚かな行為でまたしてもシンハや一族に迷惑を掛けたが、それもシンハが本気を出していればあんな都市警備隊の奴らに頭を下げる事もなく、ましてやシンハの腕を斬り落とす必要なんてなかった筈だ。

 少なくとも、自分は先を考えている。それよりも、自分の腕を切り落としたシンハの方こそ、先を考えていないとアーナンドには思われた。自分に代わって、一族を率いていかねばならぬのに……。その思いが爆発し、アーナンドは先ほどまで心の中で泣いて詫びていたシンハ相手に、己自身に向いていた怒りをぶちまけた。

「私は一族の未来を考えて去ろうとしたのです! 叔父上こそ、私の様な者の為に片腕を斬り落とすなんて、考えが足らぬのではないでしょうか! あんな奴ら、叔父上ならば全員斬り伏せる事など容易いはずでしょう!」

 アーナンドの言葉に、シンハは静かな声で答えた。

「警備隊の者を斬って逃げて、その後はどうなる? それで済むと思うのか?」

 シンハの言葉に、アーナンドは言葉に詰まった。それを見て、シンハは更に言葉を続けた。

「更に追っ手が来よう。その追っ手をも斬るのか? 確かに、あの程度の者達なら、何名追ってこようと斬り伏せられよう。だが、その先はどうなる?」

「それは……」

「今度は都市警備隊の者ではなく、都市国家の軍隊が追ってこよう。しかもその時は、お主を捕らえにではない」

「私を追ってではなければ軍隊が何故に追ってくるのですか? 叔父上を追ってくるというのですか?」

 シンハは首を振った。

「都市の治安を乱す外敵として、我ら一族を討伐に来るのだ。そうなればどうする?」

 アーナンドはその様な先まで考えてもいなかった。だが、己の過ちを認めるには幼すぎた。

「我らは誇り高い戦士の一族です! 挑んでくるというなら、返り討ちにするまでです!」

「なるほど。確かに戦えば我等一族が遅れをとる事はあるまい。だが、如何に我らとて無傷では済むまい。多くの者が傷つき命を落とし、それより先は周辺諸国に無法者の集団として警戒される事となろうな」

 アーナンドはシンハの言葉に、唇を硬く噛み結んで黙る事しか出来なかった。そのアーナンドに、シンハは落ち着いた声だが、聞く者を萎縮させずにおかない威厳を込めた口調で返事を強いた。

「さあ、どうするのだ。答えよ」

(そんな……くそっ! 俺は、我等は戦士の一族だ! 臆して命永らえる位なら、潔く戦って名誉の戦いで命を落とすほうが良い!)

 アーナンドはありったけの勇気を奮い起こすと、口を開いた。

「我らは戦士の一族、名誉の戦いで命を落とすなら本望です! そうなれば私が真っ先に先頭にたって敵を斬り伏せましょう。たとえこの命を失おうとも、名誉の為なら惜しくはありません!」

 アーナンドのその言葉に、今まで静かだったシンハの声音が、大地に降り落ちる雷の様な激しさで鳴り響いた。

「己の犯した罪を正そうと追ってくる人間を斬り殺す事にどんな名誉があるのだ! 己の罪を逃れる為に一族の者の命を危険に晒す事のどこが名誉の戦いなのだ! お前の名誉とは己の命を守る事を言うのか!」

 己の過ちに気づいていたアーナンドは、シンハのその言葉に、いっぱいになっていた心の激情が溢れ出した。

今までの様な一族の重荷などではない。今や自分は正義も名誉も失った最低の人間に成り下がったのだ。この世に生きる為にすがるべき何物をも失ったと感じたアーナンドは、ただただ赤子の様に泣き叫び喚いた。

「アーナンドよ、泣くなとは言わぬ。だが、俺の言葉をしかと聞け」 

 シンハはそう言うと、泣き叫ぶアーナンドに向かって言葉を続けた。だが、その声には先ほどの様な激しさはなかった。いつもの優しい声に戻っていた。

「アーナンドよ、罪は償えばよい。過ちは正せばよい。お前と言う男の価値は、罪を犯し、過ちを犯した後、何を成すかによって決まるのだ」

 泣きながらもシンハの言葉に耳を傾けるアーナンドに、シンハは言葉を続けた。

「アーナンドよ。父から、ヴィクラムからは、先代の跡目継承の時の話しは聞いているか?」

 アーナンドは嗚咽を堪えて、シンハに返事をした。

「はい……。聞いております」

「なんと聞いている?」

 シンハの声は何処となく、寂しげな声だった。アーナンドは涙を拭うと、気持ちを落ち着かせながら話した。

「はい。父からは、叔父上は庶子であった為、正嫡の父やその母上の事を慮り、頭領の跡目にと皆に願われながらも身を引いて下さったのだと言っておられました」

 アーナンドの言葉を聞いたシンハは、両の目を閉じると、短く呟いた。

「そうか……」

(叔父上はどうされたのだろうか……)

 アーナンドはシンハの態度をいぶかしみながらも、言葉を続けた。

「そして父上はこうも言われました。男は強くなくてはならぬ。だが、強いだけでは駄目だ、人の痛みを知る優しさをも持たねばならぬ。叔父上の様な、強く優しい男になるのだぞ、といつも仰っておりました」

アーナンドの言葉に、シンハは馬の歩みを緩めると、暫しの沈黙の後に口を開いた。

「俺はそんな男ではない。庶子の俺を我が子の様に愛し育ててくれたお前の父の母上様には感謝し、本当の母だと思って俺も慕った。お主の父も、俺を兄として慕ってくれた。その二人の事を考えなかった事は無い。庶子という境遇が、人の心を敏感に感じ取る術を俺に持たせたのは事実だ」

「ならば、父上の言う様に、叔父上は強く優しい男ではないですか」

「俺は決して強い男ではない」

 アーナンドは、シンハの言葉に剥きになって言葉を返した。父亡き今、一族最強の戦士と謳われる強さと、一族の重荷でしかない自分を唯一気遣ってくれる優しい叔父を、心から愛し尊敬していたのだ。例えその叔父自身の言葉といえど、尊敬するシンハを否定する言葉は許せるはずもなかった。

「一族最強の戦士である〈四肢〉筆頭の叔父上が、強い男ではないとはどういう事でしょうか! 私はそんな言葉を認める事は出来ません!」

「落ち着け。まずは、俺の話を黙って聞け」

 声を荒げるアーナンドに、シンハは落ち着く様に声をかけた。その声はどこか寂しげであった。

「はい……」

 そう言って頷くアーナンドに、シンハはアーナンドの父であるヴィクラムが一族の棟梁となる前の話を語りだした。


読んで下さって有難うございます^^



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