バソキヤ
【バソキヤ】
周りに灯りの類は全く無かったが、空には満天の星空が広がっていた為、闇夜の中でもバソキヤは周囲の様子を見る事が出来た。
バソキヤの周囲には砕き裂かれた肉片が飛び散り、足元の大地は大量の血を吸い込んで青黒い汚泥と化していた。金属を編上げた鎖鎧を身に纏った巨躯のバソキヤがその大地を踏むと、踝辺りまで深く沈み込みそうなほどであった。
数百人が住む集落は、灯火も無く静まり返っており、動く者の気配は無かった。
(なんと酷い。皆殺しか……)
怒りに震えるバソキヤの背後より、音も気配も殺気さえも漂わせる事無く、星空だけの暗闇の中から〈奴ら〉が襲い掛かってきた。
空気の僅かな流れを肌で察知したバソキヤは、素早く短い詠唱を唱えると、頭部から突き出ている四本の捻れた大きな角――正確には魔力を集積する器官――に魔力を漲らせると、振り向きながら腰に下げた短剣を幾つか取り、背後の暗闇に投げた。
投げられた短剣は速度を増しながら輝きを放ち、小さな流星と化して〈奴ら〉に飛んでいった。その短剣の輝きに照らされて、バソキヤに襲い掛かってきた〈奴ら〉の姿が浮かび見えた。
バソキヤの種族は魔導の業に長けた種族であった。より純粋で大量の魔力を集積する為、頭部には角の様な魔力集積器官が生え、それが膨大な魔力の集積と制御を可能としていた。
そして、穏やかな気質と優れた叡智を持つバソキヤの種族は、長い年月を経て偉大な文化を生み、その魔力を使う為の術、魔導の術を発展させていた。しかし、〈奴ら〉はバソキヤの種族とは対極の進化の道を歩んできたかの様な者達であった。
魔導の術を発展させたが為に、肉体的には退化を余儀なくされたバソキヤの種族――バソキヤ自身は、突然変異として生まれ、〈奴ら〉に匹敵する肉体を誇っていたが――とは違い、〈奴ら〉は驚異的に頑強な肉体を持っていた。また、魔導の術を殆ど使えぬ代わりに、生命や肉体から生み出される力、生命力の放出とも言うべき力である闘気を無尽蔵にその体に漲らせ、それを全身に纏い戦う種族であった。
〈奴ら〉はバソキヤの種族の平均的な背丈を倍近く上回り、筋骨逞しい肉体は白い羽で覆われ、背中には大きな翼が生えていた。
その羽毛は鋼の様に硬く、〈奴ら〉が闘気を纏わせると、実際に鋼の刃をもはね返した。そして、鍛えられた肉体と背中の大きな翼から生まれる敏捷な動きは、常人の反射神経を凌駕した。
更には、〈奴ら〉の中でも闘気の術に優れた者は〈骨使い〉と呼ばれ、己の体内の骨格に闘気を漲らせて自在に強化変形させ、その強化変形させた骨格で肉体を覆い、どんな鋼よりも硬い刃や鎧と成して戦った。
短剣の輝きに照らされた〈奴ら〉の姿を見たバソキヤは、即座に〈奴ら〉の戦力を見極めた。
(数は八……九……、十程か。〈骨使い〉は居ない様だな)
輝く流星と化した短剣は、迫りくる〈奴ら〉の先頭の者の胸に吸い込まれる様に突き刺さったかに見えたが、闘気で硬質化された体を覆おう羽毛に弾かれた。その瞬間、輝く短剣は砕けたかと思うと、眩い光の塊となって〈奴ら〉の視界を白い世界へと変えた。
強烈な閃光で視力を一時失った〈奴ら〉の隙を突いて、バソキヤは頭部の器官に集積していた魔力を全身に漲らせて呪文を詠唱しながら、〈奴ら〉の先頭にいた者の懐に飛び込んだ。そして、右手を先ほど投げた短剣よりも輝かせると、鋼をも弾く〈奴ら〉の羽毛の鎧を貫いて先頭の者の腹部に右腕を手首まで刺し込んだ。
「グオワッ!」
腹を貫かれた〈奴ら〉は悲鳴とも怒号とも聞こえる叫びをあげた。バソキヤはそれを意に介する事無く詠唱を完成させると、その腹
の中に赤く明滅する小さな光球を残し、右腕を引き抜いて後ろに大
きく跳び退がった。
崩れ落ちる様に地に膝をついた先頭の者を飛び越え、後方にいた残りの〈奴ら〉が襲い掛かってこようとした瞬間、バソキヤはその場から動く事無く意識を集中すると、先ほど傷を負わせた者に向かって魔力を迸らせた。
(己が殺した命の報いを受けろ!)
うずくまる敵の腹部に埋め込まれた赤黒く明滅する光球はバソキヤが迸らせた魔力に反応し、腹の中から敵の全身に漲っていた闘気を吸収して膨張すると、数瞬後に轟音と共に爆ぜた。
赤黒い無数の飛礫が飛散し、周囲にいた〈奴ら〉の体にめり込むと、それはまた闘気を吸って膨張しては爆ぜた。幾つもの赤黒い光球が爆ぜる轟音と光が炸裂して、辺りは噴火する火山口の様であった。
爆ぜる轟音と光の炸裂が収まると、バソキヤに襲い掛かってきた〈奴ら〉の体は赤い肉片――バソキヤの種族は青い血が体に流れていたが、〈奴ら〉の体には真っ赤な血が流れていた――と化して周囲に四散し、自分達が惨殺した村人達の成れの果てである青い汚泥の上に赤い花を咲かせた。
襲い掛かってきた〈奴ら〉を始末したバソキヤの元に、周囲を探索していた部下が戻り報告した。
「バソキヤ様、あちらの丘が崩れ、その中より〈転移門〉が発見されました。恐らく、〈奴ら〉はあの〈転移門〉からやってきたと思われます」
「わかった。俺は〈転移門〉の封印に取り掛かる。お前は元老院に報告し、村人達の埋葬の手筈を整え、弔ってやってくれ」
バソキヤの言葉に、部下は言葉を失った。
「バソキヤ様……」
バソキヤは部下に優しく諭した。
「〈戦士〉と生まれた者は、〈奴ら〉が侵入する度に皆そうやって〈転移門〉を封印してきた。その犠牲があればこそ平和が守られてきたのだ。さあ、行け!」
「ははっ!」
部下はバソキヤに深々と頭を垂れると、急ぎ周囲の者に村人達の埋葬を命じ、元老院へ報告すべくその場を後にした。
バソキヤの種族が住む世界には、遥か古代の遺産とも言うべき遺物があり、その一つが〈転移門〉であった。現在は殆どの遺物は破壊されるかその機能を停止させていたが、時折稼動する〈転移門〉が発見される事があった。
〈転移門〉とは、遥か古代に他の世界との移動に使われていた物であったらしい。
一千年程前、バソキヤの種族が残された〈転移門〉の起動に成功した時、開かれた門から現れたのが〈奴ら〉だった。
バソキヤ達の世界へと侵入した〈奴ら〉は、殺戮と破壊の権化と化し、多くの犠牲者がでた。その時に、一族の中で極稀に突然変異として生まれる肉体的に先祖返りした者達が、決死の覚悟で〈奴ら〉と戦い撃退した。そして、最後は〈奴ら〉の世界にある〈転移門〉を破壊すべく、帰りのない死出の旅路に赴いたのであった。
それより、数十年から百年ほどに一度位の割合で、〈奴ら〉が新たな〈転移門〉を見つけだしてバソキヤの世界へと侵入してくるようになった。〈奴ら〉は〈転移門〉を起動させる事が出来ても複雑な制御方法は分からないらしく、侵入してくる人数は少数であったが、その都度多くの被害が出た。
その度に、〈戦士〉と呼ばれるバソキヤの様な突然変異生まれの者が戦って撃退し、最後は己の世界に別れを告げて向こうの世界へと赴き、〈奴ら〉の〈転移門〉を破壊するのが常となっていた。今まさに、バソキヤも己の任務を果たすべく、〈奴ら〉が通ってきた〈転移門〉から向こうの世界に赴こうとしていたのだった。
バソキヤは満天の星空を見上げた。美しい星々が夜空に輝いていた。
(美しいな……。さあ、行くか……)
バソキヤは己が故郷である守るべき世界へと別れを告げると、部下から報告のあった〈転移門〉を目指して歩き出した。
双魂の魔人は、アーナンドだけでなく、共に戦うバソキヤの物語でもあります^^