竜殺し
【竜殺し】
配下の兵が案内してきた青年を部屋に通し、〈竜殺し〉は間近で見定めた。
(間違いなく〈オメガ〉の波動だな。だが、イディオタ様が変化した姿ではなさそうだ……)
〈竜殺し〉の言葉を、〈シータ〉が肯定した。
(ああ。〈オメガ〉の波動に混じって、この青年よりイディオタ様に似た波動を感じるが、別人の様だな……。であるならば、イディオタ様は一体?)
(この青年に聞けば、何か分かるだろう)
〈竜殺し〉は〈シータ〉にそう答えた後、目の前に立つ己の弟弟子と名乗る青年に尋ねた。
「私の弟弟子と言うのは君か?」
だが、弟弟子だと名乗る青年の口から出た言葉は、〈竜殺し〉が忌み嫌うあの呼び名であった。
「正真正銘の〈竜殺し〉!?」
配下の兵より聞いてはいたが、イディオタ以外で面と向かってその名で自分を呼ぶ人間がまだこの国にいる事に〈竜殺し〉は驚いた。面と向かってその名で呼ぶ者は、悉く冷たい骸にして黙らせてきたからだ。
驚きの後に、怒りと殺気が〈竜殺し〉の心に渦巻き始めた。
(おい、落ち着けよ)
(分かっている……)
〈竜殺し〉は〈シータ〉の言葉に、怒りと殺気を押さえ込みながら口を開いた。
「そうだ……。私が〈竜殺し〉だ……」
だが、その身から怒気と共に、魔力と闘気が渦巻いて溢れだしていた。しかし、〈竜殺し〉の無言の威圧を受けた青年は、縮こまる所か、その眼を輝かせてまたも例の名を口走った。
「凄い……。さすがは〈竜殺し〉様だ……」
(〈竜殺し〉! 落ち着けよ! 異国の者故、お主の事を知らぬのだろう。早まるなよ!)
〈竜殺し〉の中にいる〈賢者の石〉の〈シータ〉は、〈竜殺し〉の怒りが爆発すると感じ必死に宥めた。しかし、先程まで爆発寸前であった〈竜殺し〉の魔力と闘気は収まり、怒気までも消え失せた。
(お前も自分を制御できる様になってきたじゃないか。心配したぞ……)
緊張の解けた〈シータ〉の言葉に、〈竜殺し〉は笑い声で答えた。
(はーはははははは! 凄いだとよ。はーっはははははは)
(は?)
突然の事で困惑する〈シータ〉に、〈竜殺し〉は謝りながら答えた。
(すまん、すまん。あいつが余りに無邪気な尊敬の眼差しで凄いとか言うものだから、思わず笑ってしまったよ。はっはははは。恐らくあいつは俺の弟弟子だろう)
(と言う事は、イディオタ様はあの〈オメガ〉をこの青年に託したと言う事か!?)
〈竜殺し〉は歳の離れた弟を見守るような優しい眼で、目の前の青年を見つめながら〈シータ〉に答えた。
(そういう事だろうな)
目の前の青年は己の使命を思い出したのか、〈竜殺し〉の前にひれ伏し、改まった口調で言葉を発した。
「弟弟子ユィン、お初にお目に掛かります。老師イディオタ様の最後のお言葉をお伝えする為、参上致しました」
ユィンの言葉に、〈竜殺し〉は思わず椅子を蹴り上げる様に立ち上がった。
「最後の言葉だと!? どういう事だ!?」
目の前にひれ伏すユィンと名乗った青年は、悲痛の表情に顔を曇らせながら言葉を続けた。
「イディオタ様は、先ほど……、私を庇って……、王国軍との戦闘で受けた傷により……、お亡くなりになりました……」
(あのイディオタ様が亡くなっただと!? そんな馬鹿な!)
〈竜殺し〉の頭の中で、〈シータ〉の叫びが木霊した。〈竜殺し〉も同じ思いであった。
「イディオタ様が亡くなったなどと、信じられん……。一体何があったのだ、ユィンと申したな。詳しく話せ……」
「はい。事の発端は私が……」
「待て。ユィン、お主の記憶を覗かせてもらっても良いか?」
〈竜殺し〉は話し始めたユィンの言葉を遮って口を開いた。
「記憶を……? 私は構いませんが、その様な事が……?」
訳が分からぬ様子のユィンであったが、〈竜殺し〉はそれに構わずユィンの中の〈オメガ〉に話しかけた。
「〈オメガ〉、聞こえているな? ユィンの記憶を覗かせてもらう。イディオタ様と出会った時からの記憶情報を圧縮してくれ」
〈竜殺し〉はそう言ってゆっくりとユィンの前まで来ると、右の掌をユィンの額に重ねた。そして、ユィンの右手を掴むと、ユィンの右の掌も己の額に重ねた。
(〈シータ〉、記憶情報の圧縮解除を頼む)
(わかった!)
〈竜殺し〉の言葉に従って、ユィンの中の〈オメガ〉が記憶情報を圧縮し、それを〈シータ〉を介して〈竜殺し〉の頭の中に送り込んできた。〈竜殺し〉の頭の中に、ユィンの記憶が奔流の様に流れ込んだ。
イディオタとの出会いと闘い。イディオタがユィンに託した言葉や〈オメガ〉を授けた理由。更には、〈銀の槍〉との闘いとその結末……。
〈竜殺し〉はそれを数瞬の間に、己の体験として感じ理解した。
「そうか……。〈銀の槍〉も死んだか……」
〈竜殺し〉の寂しげな表情と言葉に、ユィンは悔恨の表情を浮かべた様子であった。
「いや、気にするな。お主に落ち度はない。それに、〈銀の槍〉はお主との闘いによって、最後に人の力の限界を超えたのだ。いや、取り戻したと言うべきか……。恐らく本望であろう……」
〈竜殺し〉はそう言うと、優しくユィンの肩を叩いた。そして、ユィンを椅子に座らせると、部屋の外にいる配下の兵を呼んだ。
「各部隊長を至急集合させろ。事は急を要する。急げ!」
「はっ!」
〈竜殺し〉の命を受けた兵は早足に駆けていった。
「ユィン、王国軍が迫っている。お主は私の配下の兵と共に急ぎ山頂の城館まで行ってくれ。イディオタ様の最後の言葉通り、城館の守備兵共々、彼らを逃す手伝いをしてくれぬか?」
「それは構いませんが、エドワード様はどうするのですか?」
ユィンの言葉に、〈竜殺し〉は笑って答えた。
「私は王国軍を足止めする。なに、お主等が逃げる時間位は稼げるだろうよ」
「それならば、私もお供いたします!」
ユィンの言葉に、〈竜殺し〉は出会って間もない弟弟子に愛しさが込み上げた。だが、なればこそ、尚更それを許すわけには行かなかった。
「それはならん。お主は山頂の城館にいるカミーユの事をイディオタ様より頼まれたのであろう。それに、お主自身にも成したいと思う事もあろう……」
「しかし……」
食い下がるユィンに、〈竜殺し〉は一喝した。
「ならん! お主はこの兄の言葉が聞けぬのか!」
ユィンは〈竜殺し〉の兄と言う言葉に、何かを感じた様であった。しばし眼を閉じた後、黙って頷いた。それと同時に伝令兵の声がした。
「エドワード様、各部隊長が参集致しました!」
〈竜殺し〉は伝令兵に、集まった部隊長達を部屋に入れる様に命じた。そして、集まった部隊長達にイディオタの言葉を伝えた。
「これよりイディオタ様のお言葉を伝える!」
部隊長達は、威厳のこもった〈竜殺し〉の声に、緊張の面持ちで続く言葉を待った。
「これより我軍は、山道の砦と山頂の城館を放棄して軍を解散する。各自落ち延びて各々新たな人生を生きよ! これはイディオタ様のご命令だ」
兵数で王国軍が優勢とはいえ、戦わずして軍を解散とは、長年イディオタ配下として戦ってきた彼らには納得がいかぬのであろう。部隊長達からざわめきと不満の声が吹き出した。
「これはイディオタ様の最後のご命令だ! 抗する事はこの俺が絶対に許さん!」
部隊長達は〈竜殺し〉の気迫に気圧されたが、更にその言葉に衝撃を受けた様であった。
「最後のご命令とは、どういう事ですか!?」
部隊長の中で古株のギスランと言う名の部隊長が、皆の不安を代表する様に〈竜殺し〉に質問した。
その言葉に、〈竜殺し〉は暫しの沈黙の後、ゆっくりと口を開いた。
「イディオタ様は先刻、王国軍との戦闘で亡くなられた……。亡くなられる間際に、イディオタ様の直弟子の一人である弟弟子のユィンが最後の言葉を託され、伝えに来てくれたのだ……」
〈竜殺し〉の言葉に合わせるように、ユィンは部隊長達に頭を下げて挨拶した。
「イディオタ様が亡くなったなんて……。そんな馬鹿な……」
「それならば尚更王国軍の奴らを殺して、イディオタ様の敵討ちを!」
「このまま引きさがれません!」
「そうだ! 王国軍の奴らと決戦だ!!」
部隊長達は激しく動揺し、徹底抗戦を口々に唱えだした。
「許さん! これはイディオタ様の最後のご意志なのだ。直弟子であるユィンも、お主等よりイディオタ様と付き合いの長い俺も、気持ちはお主達と同じだ……。だが、それを押し殺しているのだ」
〈竜殺し〉の言葉に、部隊長達は押し黙った。その中で、ギスランが言葉を発した。
「なぜイディオタ様は、一戦もする事無く撤退をご命令になったのですか? 数に劣るといえ、この砦と山頂の城館に立て篭もって戦えば、王国軍の奴らに一泡吹かせられるのではないですか?」
〈竜殺し〉は落ち着いた声で答えた。
「王国軍は新しい魔導兵器を装備しており、その戦闘力は侮れん。イディオタ様と共に、〈銀の槍〉も既に戦死した……」
部隊長達は、イディオタに続いて〈銀の槍〉までも戦死した事を聞かされ、言葉を失った。その様子をみたユィンは、何か言葉を発し様としたが、〈竜殺し〉はそれを遮るように言葉を続けた。
「仮に、王国軍に一泡吹かせたとしよう……。その後はどうする。王国軍は二度三度と、果てしなく押し寄せるぞ……。そうなってからではもう撤退は間に合わぬ。イディオタ様は、新たな人生を生きよと仰せなのだ。兵達の中には若い者もいる。部隊長として彼らを無事逃がしてやる事も大事だと思わぬか……?」
〈竜殺し〉の言葉に、部隊長達は俯いて己の不明を恥じている様であった。
「分かってくれれば良いのだ。ギスラン、お主は砦の兵を率いて山頂の城館に撤退し、城館の兵達にもこの命を伝えよ。そして、城館の金倉にある財貨を全て分配し、裏道より落ち延びさせよ」
「ははっ!」
「ユィン、お主はギスラン達に協力して兵達が落ち延びるのを手助けしてやってくれ。イディオタ様がお主に託したカミーユも、イディオタ様より魔術の手ほどきを多少は受けている。奴にも手伝わせろ」
「はい!」
「私はここに残り、王国軍を足止めする。では、準備を急げ! 王国軍がすぐにも押し寄せるぞ!」
ギスランとその他の部隊長達は、何も言わずに〈竜殺し〉に黙礼すると、撤退の準備をする為に部屋を後にした。
「ではエドワード様、私もこれにて失礼します。ご武運を……」
別れを述べるユィンに、〈竜殺し〉は最後の言葉をかけた。
「イディオタ様は我らの父だ。そしてお主は俺の弟だ。カミーユもお主の弟だ。お主はもう一人ではない。忘れるなよ……」
「はい……」
別れを惜しむユィンに、〈竜殺し〉はその眼の涙を拭ってやると、肩を叩いて行けと促した。
「では失礼します」
「達者でな!」
ユィンも部屋を後にし、一人残った〈竜殺し〉は椅子に腰掛けると、感慨深く部屋の中を眺めていた。
(おい、エドワードよ。イディオタ様の最後の映像をどう思う? それにあの若者の変化した姿は、まさにイディオタ様の……)
思案に耽る〈シータ〉を現実に引き戻すかの様に、〈竜殺し〉が答えた。
(どうもこうも、お前の思う通りだろうよ……。だがそれは後だ。まずは王国軍の足を止めて、小僧共の為に時間を稼いでやらねばならん)
(お主の闘いを見るのは久しぶりだな)
〈シータ〉の言葉に、〈竜殺し〉が毒づいた。
(お前はいつも見ているだけだな……。たまには他の〈賢者の石〉の様に、補助とか手伝いをしろよ)
(それはお主のせいだろうが。今でも私は能力を全力稼働させているのだぞ。戦闘の時だけ手伝う方がよっぽど楽だ!)
(ははは、冗談だよ。分かっているよ)
〈竜殺し〉は椅子に腰掛けながら部屋の窓を覗き、兵達が続々と山頂の城館に撤退する様を見ていた。そして、全ての兵が撤退したのを確認すると、〈シータ〉に声をかけた。
(行ったか。寂しくなるな……)
(うむ)
イディオタの三高弟の最後の一人である〈竜殺し〉は、自室の椅子に腰掛けながら、人の気配の無くなった砦の周囲を眺めていた。その姿は、来襲するであろう王国軍を待ち受ける猛将というよりも、片田舎の郷里に別れを告げる青年の様であった。
読んで下さって有難うございます^^