ユィン
【ユィン】
ユィンは〈竜殺し〉の配下の兵に案内されて、山道の砦の中を歩いていた。どうやら〈竜殺し〉の部屋へ向かっている様だった。
(〈オメガ〉、先ほど城壁の上からこちらを見ていた方が、〈竜殺し〉殿か?)
ユィンの言葉に、〈オメガ〉は苛ついた様子で答えた。
(ああ、そうだ)
(なにをそんなに怒っているんだ? この身なりの事か? 服はもうこれしかないんだ)
ユィンの身につけている服は、元々小汚い粗末な衣服であったが、イディオタや〈銀の槍〉との戦いで破れ擦り切れ、更には血と汗に汚れて異臭を放っていた。まるで乞食の様な出で立ちであった。
(そんな事ではない! ユィン、あれほど〈竜殺し〉と言う名前を口にするなと言っておいただろうが!)
〈オメガ〉の怒号に、ユィンが笑いながら答えた。
(ははは。忘れていたよ。老師が〈竜殺し〉と仰っていたので、ついうっかりと口にしてしまった。しかし、竜殺しになぞらえて呼ばれるほど強いのかい? その……、えっと、何だったかな……)
(エドワードだ)
(そう、エドワード殿だ。〈竜殺し〉の異名で呼ばれるとは名誉な事ではないのかい?)
怒りを通り越して呆れ果てた〈オメガ〉は、溜息をつきながら珍しくユィンを諭すように説明した。
(おい、もう一度言っておくぞ。絶対に〈竜殺し〉という名は口にするな。エドワードはその名で呼ばれるのを酷く嫌う。その名で奴を呼べるのはイディオタか、もしくは……命知らずの馬鹿だけだ)
(分かったよ)
(それと、〈竜殺し〉の名は誇称ではないぞ。奴は紛れもなく〈竜殺し〉……)
〈オメガ〉が言葉を言い終わらぬうちに、案内役の兵が一際大きな扉の前で足を止めた。
(おっ! どうやら着いたようだ)
(おい、ユィン! ちゃんと話を聞け!)
案内役の兵は扉を何度か叩くと、来訪者を案内した旨を告げた。間をおかずに、中から若い声で入室を許可する声が帰ってきた。
「おい、ここがエドワード様のお部屋だ。中に入れ」
兵はそう言うと、扉を開けてユィンに部屋に入る様に促し、ユィンが部屋に入ると扉を閉めて立ち去った。
部屋の中には、二十代半ばにしか見えない学者のような青年が一人、執務机の様なものに座っているだけであった。その髪は〈銀の槍〉よりも薄い色の金髪であった。
「私の弟弟子と言うのは君か?」
(この青年が〈竜殺し〉!?)
ユィンの言葉に、〈オメガ〉の怒号がまたも飛んだ。
(その名は忘れろ!それとエドワードを見た目で判断するなよ。お前も見た目通りの齢ではないだろうが。それとな、エドワードは正真正銘の〈竜殺し〉だ。絶対に怒らせるなよ。間違っても〈竜殺し〉って名を……)
〈オメガ〉の言葉に、ユィンは驚き思わず口走ってしまった。
「正真正銘の〈竜殺し〉!?」
人里離れた森林や険峻の頂に住む亜竜と呼ばれる小型で知能のさして高くない竜型生物でさえ、人間が抗するには至難と言わざるを得ない程の戦闘力を有していた。ましてや、竜と一般に呼ばれる種ともなれば、知能、魔力、身体能力等全てにおいて人間を凌駕しており、時に神にさえ例えられる事も有るほどであった。
その為、古代より優れた力を有する者を崇め称える誇称として〈竜殺し〉と呼ぶ事はあったが、本当の竜を倒した者など伝説やおとぎ話の中にしか存在しなかった。
何よりその竜自体が伝説の存在であり、斃したという者はおろか、その姿を眼にした者さえも数少なく、ただその力や伝承が伝え残っているだけであった。
それを、〈オメガ〉は目の前の〈竜殺し〉を正真正銘の竜を斃した者だと言ったのだ。ユィンが驚愕の余り、思わず口走るのも無理は無かった。
「そうだ……。私が〈竜殺し〉だ……」
静かに瞳を閉じながらも、その身より周囲を圧倒する程の魔力と闘気を溢れさせて、〈竜殺し〉はゆっくりとユィンに答えた。
「凄い……。さすがは〈竜殺し〉様だ……」
(おい! この馬鹿野郎! 一度ならずも二度までも……)
〈オメガ〉は、〈竜殺し〉の体より発する魔力と闘気に加え渦巻くほどの怒気を感じて、刹那に逃走するか戦闘体制に入るかの思案を巡らせたが、それは無駄となった。
爆発したかと思った〈竜殺し〉の怒気が突然に消え、その瞳には至らぬ弟を見守る優しい兄の様な光を宿していた。
(ふぅー。馬鹿過ぎてどうなるかと思ったが、その馬鹿過ぎる所が気に入られたようだな)
〈オメガ〉の言葉に、ユィンは自分の事を言われていると分からぬ様子であった。そして、無造作に〈竜殺し〉に数歩近づくと、その場にひれ伏した。
「弟弟子ユィン、お初にお目に掛かります。老師イディオタ様の最後のお言葉をお伝えする為、参上致しました」
ユィンの言葉に、〈竜殺し〉は思わず椅子を蹴り上げる様に立ち上がった。
「最後の言葉だと!? どういう事だ!?」
〈竜殺し〉の怒号に、ユィンは俯いたまま、重苦しそうに言葉を発した。
「イディオタ様は、先ほど……、私を庇って……、王国軍との戦闘で受けた傷により……、お亡くなりになりました……」
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