ヴィンセント
【ヴィンセント】
ヴィンセントは近衛兵の訓練を視察する為、近衛修練場にやって来ていた。
「今日は近衛兵試験の予定があったか?」
試験係官が少年と揉めているのを見たヴィンセントは、後ろに控える近衛士官に尋ねた。
「いえ、本日の予定は御座いません。しかし、閣下のご指示通り募集は随時しておりますので、本日飛び込みでやってきた者でしょう」
答えた近衛士官が走って試験係官に状況を尋ねようとしたが、ヴィンセントは遮った。
「よい。私が聞こう」
ヴィンセントはそう言うと、試験係官の所へ近寄って声をかけた。
「どうした? 何か問題でもあったのか?」
ヴィンセント自ら声を掛けてきた事に驚いた試験係官だったが、なんとか落ち着いて事情を説明した。
(なるほど……。身よりを無くし、あてもなく王都にやってきたのか……。無碍にするのも哀れだな。それに、本当に倍の距離で的に当てる事が出来るほどの腕前ならば、是非とも近衛に欲しい所だ……)
ヴィンセントは少年に試験を受ける事を許可してやると、係官に少年の言う距離で的を用意する様に指示をし、それをもって近衛兵試験とする様に命じた。
そして、観覧席へと向かい、ジョルジュという少年の弓の腕前を確かめるべく席に座った。
準備がすべて整い、ジョルジュと言う少年が進み出て、弓に矢をつがえ、引き絞った。
ジョルジュはしばし精神を集中させているのか、引き絞ったまま動きを止めていたが、やがて無造作に矢を放った。
放たれた矢は恐るべき速度で突き進み、真っ直ぐに的をめがけて風を切る様に飛んだ。その軌道から、矢は的を射抜くかに思えた。
(素晴らしい腕だな……)
その時、突如として突風が吹き起こった。風は矢を横から薙払う様に吹き付け、矢は風に煽られて僅かに横に逸れた。
(あの逸れ方では的には当たらぬな……。戦場では運の無い者から命を落とす。少年には不憫だが、諦めてもらおう……)
ヴィンセントがそう思った瞬間、突風で煽られた矢の軌道が、突風に逆らう様に変化して的を深々と射ぬいた。
(まさか!? そんな……。いや、もしやあの少年は……)
ヴィンセントは観覧席へジョルジュを呼び寄せた。
「ジョルジュとやら、見事な腕前だ」
「ヴィンセント様、では私は、ご、合格でしょうか?」
ヴィンセントは微笑みながら頷くと、ジョルジュに一つ質問をした。
「お主は合格だ。それより、急な突風で矢が逸れた時、私は外したと思ったがよく的に当たったな」
ジョルジュは嬉しそうに何度も頭を下げながら答えた。
「きっと、父から教わったおまじないのおかげです。矢を放つ時や、飛び行く矢に向かって、当たれ、当たれと念じると、矢が獲物に当たると教えられたのです。子供だましのおまじないですが、私はいつも唱えるようにしています」
ジョルジュは父のまじない言葉の話を恥ずかしそうに、だが嬉しそうに笑顔で話していた。
(この少年はまだ気づいてはおらぬのか……。まあ、それもよかろう……)
ヴィンセントは係官を呼ぶと、ジョルジュの近衛入隊の手続きを取るように命じ、配属は自分直属とすると命じた。
「はっ! かしこまりました!」
係官は幾つかの書類に何事かを書き込みながら、急ぎ足で立ち去っていった。
「ジョルジュといったかな。君はこれより近衛兵だ。私の直属兵として仕えてもらう。よろしくな」
ジョルジュはヴィンセントに何度も頭を下げた。すると、横にいた近衛士官が敬礼の仕方を教えてくれた。初めてするジョルジュの敬礼はなんとも不格好で、笑いを誘った。
だが、ヴィンセントは笑えなかった。
(戦乱で身寄りを亡くし、少年が生きる為に軍人になる……。その様な世の中を改めねば。こんな少年を二度と作らぬ様にしなければ……)
為政者としての決意がその胸にあったから……。
ヴィンセントはジョルジュを退がらせ、部下に命じて近衛宿舎に案内させると、自分は執務室に戻り、各貴族の動向を探らせていた配下の者から報告を受けていた。
「ヴィンセント殿下、南部の貴族には未だ目立った動きはありません」
ヴィンセントは畏まって報告を述べる片目の部下に、頷いてその働きを労った。
「そうか、ご苦労であった。これで暫くは兵器開発の為の時が稼げそうだな……」
ヴィンセントの言葉に、片目の男は良い知らせがあったと感じた様子だった。
「兵器開発の協力要請をしたイディオタ伯から良い返事がありましたか?」
「うむ。今は宮廷魔術師の職も辞し、俗事より隠遁しているイディオタ伯だが、今回の計画には全面的に協力して下さるそうだ。技術面の実務責任者として、イディオタ伯の弟子の中で最も優れた者を派遣してくれる事となった。数日中には到着する事であろう」
「腐敗した貴族共を駆逐し、王家による国土の完全統一。殿下の念願まで後少しですな」
ヴィンセントは片目の男の言葉に、表情をより険しくして答えた。
「平民による近衛軍の設立と、その近衛軍が装備する強力な兵器の開発。民が安心して暮らせる世を創る為には、この二つが要なのだ。いまだ暫し時はかかるであろうが……。必ずや成し遂げてみせる。アーナンドよ、お主の働きにも期待しておるぞ」
「ははっ!」
アーナンドと呼ばれた男は、恭しくひざまずいて答えた。
「畏まらずとも良い。それより話は変わるが、南部の辺境領の貴族が発狂して自殺したという報告が先日あったが、お主は聞いておるか?」
ヴィンセントの言葉に、〈片目〉は跪いたままの姿で、深く頭を下げながら答えた。
「殿下、勝手な事を致し、申し訳ございません……」
ヴィンセントは勘違いした部下に笑って頭を上げさせると、己の力の足りなさを悔いるかの如く瞳を閉じ、胸の中の決意を言葉にした。
「頭を上げよ。狂人の死をお主が謝る必要はない。私がするべき事をお主が代わって行ってくれただけなのだから……。いずれ人を人とも思わぬ貴族共全てに、その狂人の様に自害すれば良かったと思う日が来るであろう。いずれ必ずな……」
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