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戦士の宴  作者: 高橋 連
四章 前編 「王城の守護者」
137/211

ジョルジュ

【ジョルジュ】

 

 ジョルジュは王都の近衛修練場の端に設置された的を見据えながら弓に矢をつがえ、一つ息を吸い込むと、力一杯引き絞った。弓に張られた弦が伸び、弓が撓って、矢を引き絞る右手に神経が集中する。

 訓練中だった近衛兵達全てが手を止め、ジョルジュの矢に視線を向けていた。さらには、近衛兵総指令官であり王国宰相でもある王弟のヴィンセントまでもが、ジョルジュを閲兵式などで使われる観覧席より見ていた。

(落ち着け……。いつも通りに放てば当たる……)

「当たれ……当たれ……当たれ……」

 ジョルジュは幼き頃に父より教えられた矢を当てるまじないを呟きながら、父の事、母の事、そして故郷を旅立つきっかけとなったあの不思議な男の事を思い出していた……。


「ジョルジュ、矢をつがえろ……」

 ジョルジュの父は小声でジョルジュにそう言うと、手振りで左斜め方向の木の陰にいる鹿を示した。

「やれるな……?」

 父の問いに、ジョルジュは黙って頷くと、背中に提げた弓を左手に持ち、腰の矢筒から矢を一本取り出して、右手に持った。

 ジョルジュの持つ弓は通常よりは小振りの弓だったが、まだ子供のジョルジュにはそれでも大きいように思えた。しかし、日頃より弓の鍛錬を積んできたジョルジュは、子供ながらに左手に持つ弓に矢をつがえると、右手に全ての力を込めて引き絞った。

 そして、小声で呟いた。 

「当たれ……当たれ……当たれ……」

 父に教えられたまじないを呟くと、ジョルジュは右手の矢を離し、鹿に向かって矢を放った。

 ジョルジュの弓より放たれた矢は真っ直ぐに飛んで行き、鹿の胸に突き立った。心の臓を貫いたのだろう。鹿は声を出す間もなく地面に倒れた。

「よくやった!」

 ジョルジュの父は、口髭を生やした口元に微笑みを浮かべながら、ジョルジュの頭を撫でて日の光の様な淡い色の金髪をかき回した。

「さぁ、母さんが待っているぞ。帰ろう」

 ジョルジュの父はそう言うと、仕留めた鹿を肩に担ぎ山を降り始めた。

「父さん、もう少し獲物を探そうよ!」

 ジョルジュの言葉に、父は首を振って答えた。

「鹿一匹あれば暫く肉には困らないし、毛皮を売れば少しは金になる。父さんと母さんとお前の三人が暮らすにはこれで十分だ。無駄な殺生はやめておこう。さあ、帰るぞ!」

(ちぇっ! 父さんはいっつもそれだ……。でも今日は父さんに誉められた。母さんもきっとこの鹿をみたら誉めてくれるはずだ!)

「うん! はやく母さんに鹿を見せに帰ろう! 家まで競争だよ、父さん!」

 ジョルジュと父は笑いながら早足で山道を降り、家に帰った。

 その夜は、鹿肉の鍋を皆で囲んだ。ジョルジュの母はジョルジュの弓の腕前を父親以上だと誉め、父も同じようにジョルジュの弓の腕前を誉めてくれた。

 幼いジョルジュは、決して裕福ではなかったが笑いの絶えない幸せな家庭で愛に包まれながら育った。しかし、その幸せも突然に打ち砕かれた。

 フランカ国全土を覆う戦乱が、ジョルジュの住む辺境の地にまで及んだのである。

領主は民に法外な税を課し、支払えない民の末路は凄惨であった。税を支払えない民は、家を焼かれ、老人や子供など働けない者は槍で貫いて焼き殺し、働ける男や女は奴隷として売られた。その情け容赦ない仕打ちに民達は嘆き悲しみ、天を恨んだ。

 当然ジョルジュの父にも払える筈も無かったが、猟師として弓上手で有名だったジョルジュの父はその弓の技術を買われ、弓兵として戦に赴く事で税を免除してもらう事になった。

「ジョルジュ、母さんを頼んだぞ。必ず帰るからな……」

 ジョルジュの父はそう言うと、笑顔でまたジョルジュの頭を撫でて髪をかき回して家を出ていった。

 それが、ジョルジュが父を見た最後だった。

 それから数年して、アルベール王によって戦乱は治められ、戦さが終わって領主とその兵達が戻ってきたが、そこに父の姿は無かった。

 父を失ったジョルジュ母子に、領主は更に追い打ちをかけた。ジョルジュの父が戦死し、貸与していた弓矢等の装備が戻らなかった為、その装備品を弁償しろと言ってきたのだ。

 領主に逆らえばどうなるか知っていたジョルジュの母は、高利貸しからお金を借りて領主に支払った。

 その後、ジョルジュの母は、借金を返す為に懸命に働き、ジョルジュも山で狩りをして母を支えたが、毎月の支払いをするのが精一杯の生活が何年も続いた。

 やがてジョルジュが十六歳になった年に、疲労と栄養失調で病にかかった母は、ジョルジュの事を心配しながらこの世を去った。両親を失い一人残されたジョルジュの心には、もはや憎しみしか残されていなかった。

(父さんも母さんも、あいつのせいで死んだ……。あいつを殺してやる!)

 母の埋葬を済ませたジョルジュは、弓を担いで矢筒を握りしめると、家を飛び出して領主の館に向かって駆けだした。そして、領主の館の裏にある小高い山に登ると、山の木々に紛れ隠れながら、獣の血を啜り、生肉を喰らい、領主が庭に姿を現すまで何日も待った。

 ジョルジュが山に潜んで数日後、領主が新たに買い入れた馬に乗る為に庭に姿を現した。

(俺たち領民は飢え苦しみながら税を納めているのに、あいつは馬に乗ってお楽しみか!)

 領主は庭に大きな絨毯を敷き、その上を馬で駆け抜けると、また馬首を巡らせ絨毯の上を駆けた。それを何度も何度も楽しげに繰り返していた。

(貴族は馬に乗るときも絨毯を敷いて歩くのか。馬鹿か……?)

 ジョルジュがそう思いながら見ていると、領主が駆け抜けた絨毯の周囲の大地が、赤黒く染まっていた。

(あれは……?)

 ジョルジュは息を飲んだ。領主の配下の者が絨毯をめくると、その下にはまだ小さい子供が大勢敷き詰められていた。絨毯の下に敷かれていた全員が、馬の蹄で頭蓋や内蔵を砕かれて血塗れになって死んでいた。

(…………)

 ジョルジュは理解した。人の皮を被った獣から、自分を守る為に父も母もその命を賭してくれたのだと……。

 ジョルジュは心の内の殺意を更に高めると、無言で弓を持ち、矢をつがえて引き絞った。まるでその姿は、殺意を弓につがえて放とうとしているかの様だった。

「当たる……当たる……当たる……」

 ジョルジュがまじないを唱え、精神を集中して矢を放とうとした瞬間、後ろから男に声をかけられた。

「この距離で当たるのか?」

(領主の兵隊か!?)

 獲物を狩る時と同じく、周囲の自然と同化し精神を集中している時のジョルジュには、遠くを駆ける野兎の気配すら感じられるのに、背後の男は気配を感じさせる事なくジョルジュの背後に忍び立っていた。

 しかもなぜか、ジョルジュは振り返る事も、矢を放つ事も、体どころか指一本さえも動かす事ができなかった。

(何者だ……俺は殺されるのか……)

 ジョルジュの背後の男は、さらにジョルジュに声をかけた。

「俺は領主の手の者じゃない。そんなに緊張しなくても良いぞ……。それより、この距離で当てられるのか?」

 男の言葉で緊張が解けたのか、ジョルジュはやっと振り返る事ができた。

 ジョルジュの後ろに立っていた男は、南方の異国の者だろうか。褐色の肌に黒髪で、左目を眼帯で覆っていた。その眼帯には、見た事もない奇妙な紋様が描かれていた。歳は三十位に見えたが、よく分からなかった。服装は猟師の様な格好をしていたが、この辺りでは見た事がない。しかし、男が自分で言うように、どうやら領主の手の者ではなさそうだった。

「ああ。俺ならこの距離でもあいつの脳天を貫けるさ」

 ジョルジュはそう答えると、領主の館の方に向きなおり、また矢をつがえようとした。その時、男が何気なくジョルジュの右肩を掴んだ。

「そうか。しかしやめておけ……」

「邪魔をするな! 俺はあいつを殺して、父さんと母さんの仇を、村の皆の仇を討つんだ!」

 片目の男の手に、力が加わった。

「あの領主のやっている事は知っている。お前の家族の事も、そのほかの領民達の苦しみもな……。しかし、あいつを殺せば、お前も殺されるぞ」

 ジョルジュは振り返ると、矢を片目の男に向けながら怒鳴り返した。

「そんな事はどうでもいい! 一人で生きていたって意味はない! あいつを殺して俺も父さんと母さんの所にいくんだ。邪魔するならお前も殺すぞ!」

 片目の男は落ち着いた声で、ジョルジュに言った。

「お前は一人じゃない。お前の父と母はお前の心の中で生き続けているはずだ。自分達の命を捨ててまで生きて欲しいと願ったお前に、愛しい我子に、敵討ちなどをして欲しいと思うはずがない」

「余所者のお前に何が分かる!」

 感情が高ぶり、激情のままに怒鳴るジョルジュに、片目の男は優しい光を右目に宿しながら、静かに言った。

「嘘だと思うなら俺の目を見てみろ……」

 ジョルジュは言われるままに片目の男の右目を見ると、一瞬その瞳に吸い込まれたかの様な錯覚に襲われた。そして、頭の中に父と母との幸せで楽しかった思い出が溢れだし、その思いでの中の父と母が語りかけてきた。

 それは、両親が子を想い、幸せに生きて欲しいと願う言葉だった。

(父さん……母さん……。お、俺は……)

 ジョルジュの目から涙が溢れだし、手から弓と矢が落ちた。

「あの糞野郎の為に、お前が命を懸ける事はない。お前がやらなくとも、いずれ奴には天が裁きを行う筈だ……」

 ジョルジュは片目の男の言う天の捌きなどは信じられなかったが、父と母の為に、自分の為に、生きようと思った。

「お前の弓の腕前は父親譲りだと聞いているぞ。いま王都では王を護る近衛兵を募集している。お前の弓の腕ならきっと入隊できるはずだ。新たな人生を生きるつもりで、王都に行ってみたらどうだ?」

 ジョルジュは片目の男の言葉に頷いた。

「父も死に、母も死んでこの地にはもう何もありません……。自分の力を試すためにも、王都に行ってみます」

 片目の男は腰に吊した袋から銀貨を数枚取り出すと、ジョルジュの手に握らせた。

「王都までの路銀にすると良い。遠慮するな。ここで逢ったのも何かの縁だ」

 ジョルジュはその銀貨を握りしめると、片目の男に頭を下げた。

「俺の名はジョルジュっていいます。あなたのお名前は……?」

 片目の男は、少年の様な笑顔で笑うと、無言で手を振りながら山の奥へと走っていった。

 男の姿は疾風の様に消え去り、まるで幻を見ていたかの様だった。しかし、ジョルジュの手には先程の銀貨がしっかりと握られていた。

 そして、ジョルジュは近衛兵募集の試験を受けるべく、王都へと旅だった。

 

 王都についたジョルジュは、街の人間に道を聞きながら、近衛兵募集の試験をしているという近衛修練場へ向かった。

「あの……近衛兵を募集していると聞いて来たのですが……。募集はまだしていますか?」

 ジョルジュは近衛修練場の門衛に声をかけて聞いてみた。

「ああ。募集は随時やっている。試験は中に係りの者がいるから……、そうか、分からないよな。よし、俺が案内してやろう」

 門衛の近衛兵の男は、他の門衛に一言二言指示を出すと、親切に中にいる係官の所まで案内してくれた。

 後にジョルジュが知った事だが、近衛兵の大多数は平民出身者であり、それ故市井の者にも親切で親しまれているらしかった。

「あの帽子を被った男が試験係官だ。若いの、頑張れよ!」

 案内してくれた門衛はそう言ってジョルジュの背中を叩くと、笑いながら戻っていった。

 ジョルジュは帽子を被り、立派な口髭を蓄えた見るからに怖そうな試験係官に話しかけた。

「あの、近衛兵募集の試験を受けにきたのですが……」

「お前かなり若そうだが……。歳は幾つだ?」

「十六になります」

 試験係官は見た目とは違い、優しい口調で申し訳なさそうに答えた。

「すまんが、募集は十八歳からなのだ。規定の年齢より二つも下では試験を受けさせるわけにはいかん。十八になったらまたきてくれ」

 しかし、路銀を使い果たし、身よりもなく王都にやってきたジョルジュにとって、試験に落ちたのであればまだしも、受けられないから帰れといわれて分かりましたと帰れるはずもなかった。

「父も母も死に、身よりも行く所も無いのです! 試験だけでも受けさせてください!」

「しかしな、これは規則だからな……」

 ジョルジュは故郷で出会った片目の男の言葉を思い出した。

「そ、そうだ! 弓の腕なら誰にも負けません! いま練習している近衛兵の人達の倍の距離からでも的に当てて見せます! だから試験だけでも受けさせてください!」

「しかし、俺の一存では……」

 ジョルジュと係官が問答していると、何人かの近衛兵を連れた男が声をかけてきた。

「どうした? 何か問題でもあったのか?」

 係官の男はその声に振り返ると、裏返った声で返事をしながら、背筋をのばして敬礼をした。そして、ジョルジュにも怒鳴った。

「お、おい! ヴィンセント殿下だぞ! 跪かんか!」

「ヴィンセント殿下?」

 ジョルジュが首を捻りながら聞き返すと、係官は言葉を変えてジョルジュに怒鳴った。

「ば、馬鹿者! 宰相閣下だ! 王様の次にお偉いお方だ!!」

(王様の次に偉いっって!?)

 王様の次に偉いと聞いて、ジョルジュはひっくり返りながらその場に這いつくばった。

「良い良い。少年、楽にしてくれて構わぬ。小尉、何かあったのか?」

 係官は事の事情をヴィンセントに説明した。

「なるほど……。少年、名前はなんと言う?」

 ジョルジュは這いつくばりながら答えた。

「ジョルジュと申します」

 ヴィンセントはジョルジュの手を取って立たせながら口を開いた。

「身寄りが無いとは本当か?」

 ジョルジュはなんとか立ち上がって、緊張しながらも必死に答えた。

「はい。父も母も死に、兄弟もおりません。それで故郷を出て旅をし、やっと王都まで辿り着いたのです。お願いします! 弓の腕なら誰にもまけません! 試験だけでも受けさせて下さい!」

 ヴィンセントは頷きながら答えた。

「わかった。試験を受ける事を許可しよう。ただし、試験に落ちた時は諦めるのだぞ。約束できるな?」

「は、はい! 約束します!」

 ヴィンセントは試験係官に何事かを命じると、共の者を連れて観覧席へと去っていった。

「おい、ジョルジュとか言ったな。ヴィンセント殿下のご厚情で試験を今より実施する! 試験内容は、貴様が得意だと言った弓での試験となる。今よりお前が言った通常の倍の距離での的を用意するから、その的を射抜ければ合格、外せば不合格だ。分かったな?」

 ジョルジュは黙って頷くと、荷物の中から弓を取り出して弦を張り、持っていた矢筒の中から吟味して矢を選んだ。そうしてジョルジュが用意していると、試験係官が的の用意が出来たと告げた。

「的の用意は出来たぞ。お主の準備はできたか?」

「はい。出来ました」

 ジョルジュは弓を左手に握りしめながら答えた。

 用意された的までの距離の長さと、募集試験をわざわざヴィンセントが見物すると言う事に興味を覚えた近衛兵達は、全員がしばし手を止め、ジョルジュに注目した。

 ジョルジュは王都の近衛修練場の端に掲げられた的を見据えながら、弓に矢をつがえ、一つ息を吸い込むと、力一杯引き絞った。弓に張られた弦が伸び、弓が撓って、矢を引き絞る右手に神経が集中する。

 訓練中だった近衛兵達全てが手を止め、ジョルジュの矢に視線を向けていた。さらには、近衛兵総指令官であり王国宰相でもある王弟のヴィンセントまでもが、ジョルジュを閲兵式などで使われる観覧席より見ていた。

(おちつけ……。いつも通りに放てば当たる……)

「当たれ……当たれ……当たれ……」

 ジョルジュは幼き頃に父より教えられた矢を当てるまじないを呟きながら、父の事、母の事、そして故郷を旅立つきっかけとなったあの不思議な男の事を思い出していた……。

 そして、それらの思い出を己の力に代えるかの如くしばし目を閉じると、目を開くと同時に矢を放った。


こんばんは!


ジョルジュが新たに登場しました^-^


このキャラは結構お気に入りのキャラなんです。


新たにブックマークして下さった方、有難うございます!

今後とも宜しくお願いします^^

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