イディオタ
【イディオタ】
(〈アルファ〉よ、ではいくぞ!)
(ああ! 他の奴らも準備は出来ている)
イディオタは周囲に4つの〈賢者の石〉を放り投げた。そして、アルベールの胸に手を当てると、煌めく球体、〈イプシロン〉を取り出した。
〈イプシロン〉が取り出されたアルベールの体の中では、押さえつけられていた魔導師の魂が力を発揮し、アルベールの体を完全に支配した様であった。
(〈イプシロン〉、アルベールの魂をしっかりと護っておいてくれよ!)
(うん!)
〈イプシロン〉は光輝きながら、己の内に包み込んだアルベールの魂を護る様に、周囲に強力な結界を張っていた。
(始めるぞ! 皆の者、頼んだぞ!)
イディオタの精神波に応じる様に、アルベールの周囲に漂う様に浮かんでいた〈賢者の石〉達は強烈に輝きだした。それと同時に、アルベールから膨大な魔力が溢れだした。
(凄まじい魔力だな……)
(ああ。奴が完全に復活した様じゃな……)
アルベールの体は、膨大な魔力の噴出に伴ってその容貌を今や二十代半ばまで若返らせていた。そして、呪文を詠唱する事無く、王城の外壁と天井を打ち砕くと飛翔の術で天高く舞い上がった。
(追うぞ!)
イディオタは飛翔の呪文を唱え、アルベール――いや、今や復活した魔導師――を追って、天高く飛んだ。
追いすがるイディオタに気づいた魔導師は空中で止まると、イディオタに向かって軽く手を振った。その手の動きに併せて、魔導師から強力な雷がイディオタに向かって放たれた。
(詠唱なしでこの呪文か! 〈アルファ〉、受けるぞ!)
イディオタの周囲に張られた結界が、軋む様な音を発しながら魔導師の放った雷を受け止めた。
「ほぅ。我が雷を防ぐとは……。貴様は何者だ……?」
魔導師の言葉に、イディオタは応えなかった。
(おい、あいつ、お前の事さえ忘れちまったようだな)
(…………)
(イディオタ、諦めろ。もうあいつは……)
(わかっとるわい!)
「答えぬか。まぁ良い」
魔導師がそうつぶやくと、魔導師の掌に小さな火が灯った。その火は、魔導師の周囲を回りながら巨大化し、瞬く間に小さな家ほどの大きさにまで膨れ上がった。
「消えろ……」
魔導師がまたもや指を軽く弾く仕草をするだけで、その巨大な火炎球はイディオタに向かって弾けた。
(うお! おい、あれも受けるのか!?)
(受けるわけないじゃろがっ!)
イディオタは恐ろしい速度で迫る火炎球を辛うじてかわした。
イディオタを狙って放たれた火炎球は目標物に避けられると、そのまま地上の王城めがけて落下していった。
体の奥底から震わせる様な音を響かせて、巨大な火炎球は王城を抉るように突き進み、大地に巨大な穴を穿った。その直後、巨大な爆発音と共に王城は粉微塵に吹き飛んだ。
更に、王城があった場所に穿たれた巨大な穴から、闇夜に静まる王都を照らす無数の溶岩の龍が吹き出し、周囲の都を飲み込みながら焼き尽くした。
恐らく、王城は勿論、数十万の都の人々は全て溶岩の龍に飲み込まれ、誰一人、何一つ残ってはいないであろう。
(イディオタ、凄まじいな……)
(ああ、数百年前よりもさらに魔力が増しておる)
(しかし、天地から無尽蔵に魔力を吸収し、呪文の詠唱も無しで強力な術を操る姿は、魔導を志す者の最終形態だな……)
〈アルファ〉の言葉に、イディオタは怒りを吐き捨てるかの様に答えた。
(あんなものが最終形態なものか! そんな考えが、あやつを……)
(イディオタ、すまん……)
先ほどまで落ち着いた様子だった魔導師は、大地から無数の溶岩の龍が湧き起こり、大地を破壊して都を焼き尽くす様を見ると、人が変わった様に下品な笑い声を上げた。
「ぎゃははははははは! 皆殺しだぁ!」
狂った様に叫びながら魔導師は周囲に幾つもの巨大な火炎球を放った。その巨大な火炎球により、大地の形は変わり果て、見渡す周囲は全て炎と溶岩に飲まれ焼き尽くされていた。
「我が魔力のなんと強大な! 下賤の者共は全て焼き尽くされよ!」
「儂の……儂の宝を盗んだ痴れ者はどこじゃ! 返せ! 宝を返せ!」
「ああ……全てが燃える。これも神の定めなのです……。さあ……、死して神の御許に参りましょう……」
魔導師はまるで幾つもの人格を持つかの如く、声色も口調も次々に変わりながら、叫び、暴れ、破壊と死と憎悪を撒き散らしていた。
その様を悲しそうに見つめるイディオタに、〈アルファ〉が怪訝そうに尋ねた。
(あいつ、一体どうしたんだ……?)
〈アルファ〉の問いに、イディオタは瞳に沈痛な悲しみの光を湛えながら、擦れる声で答えた。
(かつて取り込んだ者達の残留思念によって、自我が飲み込まれたのじゃろう。記憶はおろか、以前は残っていた自我まで完全に消え去っておる……)
(これで決心が付いたか?)
〈アルファ〉の言葉に、イディオタは己の愚かさと罪深さに気がついた。
(あぁ、儂がもっと早く決心しておれば、数百年前の犠牲も、アルベールを巻き込む事もなかった……)
その言葉に、〈アルファ〉はイディオタを励ます様に言葉を返した。
(過ぎ去った過去は取り戻せぬ。現在において成すべき事を成せ、イディオタ)
(そうじゃな。すまぬ、〈アルファ〉よ)
(では、始めるぞ)
(おう!)
イディオタの声と共に、〈アルファ〉はイディオタの中で魔力を爆発させた。それに呼応して魔導師の周囲を囲んでいた〈賢者の石〉達も魔力を迸らせた。
イディオタが魂を震えさせる様な叫び声を発すると同時に、魔導師の周囲の空間が異様な音を発しながら歪み始めた。
魔導師は強力な魔力を操り、周囲に無数の結界を張り巡らせて歪む空間より己を護ろうと試みた。しかし、魔導師の周囲の空間は、その結界をも巻き込みながらさらに歪み、捻れ、いつしか巨大な渦となって周囲を飲み込み始めた。
周囲の空間や物質を飲み込む度に巨大な渦は淡く光輝き、まるで巨大な闇夜に浮かぶ「魔王の眼」の様に見えた。
「結界が!? こ、こんな馬鹿なこ……と……が!」
突如として宙空に現れた巨大な渦に飲み込まれまいと、魔導師は全ての魔力を振り絞ってその渦から逃れ様としたが、脱出どころか現在の座標を維持する事さえ困難であった。
そして、絶大な魔力と力を誇った魔導師も、全てを飲み込む「魔王の眼」に対しては僅かな時間抗うのが精一杯であった。
やがて悲鳴のような絶叫さえも渦に飲み込まれ、声無き叫びを上げながら消えていった。
「魔王の眼」は、魔導師を飲み込んだ後も、その勢いを弱める事無く周囲の空間を飲み込んでいった。そして、ついには魔導師も、イディオタも、溶岩の龍も、世界の全てが歪みの渦に飲み込まれ、世界は無となって消え去った。
歪みに飲み込まれた魔導師が意識を取り戻した時、その体は若返る前の五十代半ばのままで王の寝台に横たわっており、胸には深々とイディオタの腕がめり込んでいた。
苦痛も出血も無かったが、既に、溢れ出す程強力だった魔力は失われていた。
「こ……れは……」
体どころか、舌を動かす事さえ苦しそうな魔導師は、己の様を理解できない様子であった。
「お主は最初から、儂の作り出した時空間結界の中だったのじゃよ。最後にもう一度……、お主に逢いたくてな……」
「貴様は……いった……い……」
魔導師がそこまで言うと、イディオタはゆっくりと魔導師の胸から腕を引き抜いた。その途端、魔導師に支配されていたアルベールの体は、糸の切れた人形の様に崩れた。そして、イディオタの手には、淡く光る物が握られていた。
イディオタは一瞬躊躇したかに見えたが、すぐに意を決した表情に戻ると、その手の中の光を握り潰した。その光は、弾け消えるかの様に、または溶け舞散るかの如く、幾つもの小さな淡い輝きとなって消えた失せた。
イディオタは崩れ倒れるアルベールの体を支え起こすと、ゆっくりと光輝く〈イプシロン〉をアルベールの体の中に入れた。
(〈イプシロン〉、頼むぞ)
だがすぐに、〈イプシロン〉はアルベールの体から出てきてしまった。
(〈イプシロン〉どうした!? 無理だったのか……)
(大丈夫。アルベールの魂は体と繋がったよ。でも、もう僕と融合する程の力が魂には無いみたい……)
(そうか……。済まなかったのう)
そう言うと、イディオタは〈イプシロン〉を己の内に入れて仕舞うと、アルベールに精気を送って目覚めさせた。