表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
戦士の宴  作者: 高橋 連
序章 前篇 「建国の英雄王」
1/211

イディオタ

【イディオタ】


 ある街の市場に、不思議な男が品を並べていた。

 その男は、綿の粗織りの頭巾がついた袖付き外套を着ており、華奢な感じの小男であった。

男が来ていた外套は、元は白い生地だった様だが、今は酷く汚れ薄暗い暗い灰色となっていた。

その姿は、どう見ても旅の商人には見えず、衣服の汚れ具合から食い詰めた流民の乞食にしか見えなかった。

 しかし、人に媚びる風でもなく、生活に困窮している様子でもなかった。そればかりか、どこか裕福な長者を思わせる笑顔を浮かべ、その瞳には溢れんばかりの知性の輝きが見えた。

更に不思議なのは、小男の歳は三十代半ばの様に見えるが、時折老人の如き雰囲気を漂わせている事であった。人によっては小男を老人と思った者も居たであろう。薄汚い乞食に見える小男は、その様などこか超然とした不可思議な雰囲気を纏った男であった。

 

 この国は長年続く内乱で国土が荒れ果て、貧苦に喘ぎ飢えた地方の農民達が都市部に流れ込んでいた。その為、この街の市も清濁合わさった雑多な賑わいと喧噪に溢れていた。

しかし、小男の前に人は居なかった。小男が乞食の様な身なりであったせいもあるであろうが、人の居ない理由はそれだけではなかった。

 他の場所では様々な品や食べ物が並べられているのに対し、小男が並べているのはただの石ころであったからだ。

戦乱で荒れ果て、その日の食事どころか生きる事さえ難しい世の中で、ただの石を買う物好きは居ないであろう。

(おい、イディオタよ。ただの石ころが売れるわけないだろ)

 乞食の様な身なりの小男の頭の中で、何者かの声が響き渡った。その声は、小男の事をイディオタと呼んでいた。

(うるさいわい! 古代文字が刻まれた〈賢者の石〉じゃ!)

 イディオタと呼ばれた小男は、声をださずに頭の中でその声に必死になって怒鳴り返した。しかし、声の相手は、それを小馬鹿にした様子で更に言い返してきた。

(おまえがそこら辺に転がっていた石に文字を彫っただけだろうが。それに適当に彫っているから、何だか訳の分からない傷にしか見えないぞ)

(ぬぅ……。ちゃんと本物の〈賢者の石〉も売っとるぞ)

(俺らを石ころと一緒に並べて売るな!)

(〈アルファ〉よ、そんなに怒らんでも……。本物がないと騙しているみたいで気が引けるじゃろ。だから、ちょこっと置いているだけじゃよ。それに、商売は偽装で例の男をまっとるんじゃ。ここを通るはずだからな)

(本当かよ……)

 イディオタは、頭の中で〈アルファ〉という名の何者かと話しながらも、客寄せに必死になっていた。

「持つ者に知恵と力を授けると言われる伝説の〈賢者の石〉だよ! 今なら大特価だよ!」

(売る気満々じゃないか!)

(路銀がもう無くてな……。まっとる小僧に土産も買いたいしな……)

(石ころにしか見えないから買う奴は居ないだろうが……。万が一売れたらどうするのだ)

(買った奴の後を付けて、人気のない所で奪い返すんじゃ!)

(お前最低だな……)

(…………)


 暫らくして、温和な笑顔を浮かべた旅の男が市に現れた。

 年は三十を過ぎた頃の筈であったが、長く艶のある黒髪と鍛え抜かれた体から受ける印象は、もう少し歳若に感じられた。背丈は小男よりも優に頭二つ以上は高い偉丈夫であった。

 男は各地を旅してきたのであろう。頭巾がついた袖なしの長い外套を纏っていたが、その外套も衣服も垢埃でかなり汚れていた。だが、その身なりとは裏腹に男の自然な足運びや、纏った外套から時折覗く古びてはいるが良く手入れのされた腰に提げた大剣から、男が手練の剣士である事が伺い知れた。

(〈アルファ〉よ、来たぞ!)

(ん? あいつが例の男か?)

(ああ。間違いない。微かだが奴の魂の波動を感じる)

(しかし、邪悪な気は全くないな)

(ふむ。たしかにな……。まだ覚醒しておらぬのだろう)

(イディオタ、こっちにくるぞ)

 イディオタの並べる品を見に、男がイディオタの方に歩いてきた。

「これって本当にあの伝説の〈賢者の石〉なのかい?」

「ああ、本物じゃ!」

「はははははは」

 男はイディオタの言葉を全く信じていない様だったが、石には興味をもっている様子だった。

「じゃあ、一つ貰おうかな」

「おお! 毎度!」

 イディオタは嬉しそうに返事をし、古代文字を彫った石を手にとって古い布に包もうとした。

「あ、それじゃなくて、その奥に置いてある右側のやつが良いな」

 男がそう言って指さした石は、なんの変哲もない、文字さえ彫ってないただの石ころであった。

(おい、どうするんだよ! 奴が買おうとしているのは〈イプシロン〉じゃないか)

(石ころにしか見えない物を買うなんて阿呆なやつじゃな……)

(阿呆はお前だろ! 〈イプシロン〉が泣きそうになっているぞ)

 イディオタは必死になって文字を刻んだ偽物をすすめた。

「こっちの方が文字が彫ってあって良い物じゃよ!」

「いや、そっちの奥の石の方が綺麗だから、それを貰うよ」

「毎度……」

 そう言ってイディオタは、本物の〈賢者の石〉である〈イプシロン〉を古布の切れ端に包むと、男に渡して金を受け取った。

(おいおい! 売るのかよ!)

(今からこいつの命を奪うんじゃ。そのあと〈イプシロン〉を取り返せば良いじゃろ)

(なんか納得できんが。まあ、そうだな……)

「ありがとう! 弟に良い土産ができたよ。じゃあ」

 男は古い布に包まれた〈イプシロン〉を懐に入れ、背を向けて立ち去ろうとした。その刹那、素早く、だが焦る様子もなく、腰の大剣の留め金を外すと一分の隙も無く身構えていた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ