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我ら皆罪人なれば、此岸は八大地獄の六となり

作者: 小鳥遊

「え…た…いま…お台場上空…レインボーブリッジ…様子を…し…ます…!」

 すぐ傍を低空飛行するヘリコプターのローターが立てる騒音に紛れて、リポーターの声が途切れ途切れに聞こえる。

 凄まじい風で砂埃が巻き起こり、僕はたまらず目をつむった。

「危険だ!今すぐ高度を上げなさい!!!」

 拡声器でヘリに怒鳴るのは、我らが第4機動隊の保竹隊長だ。普段は温厚で『ホトケ隊長』なんて呼ばれている彼だが、さすがに今日は余裕が無いらしい。真夏の日差しの下、重装備でもう16時間も警戒を続けている。隊長でさえこうなのだ。他の隊員の誰しもが、体力的にも精神的にも限界を迎えつつある。ぐるりと周囲を見渡すと、どの隊員も、皆苦しげな表情だ。無理もない。

「おい!ボーっとしてんな」

 背中を強く叩かれる。振り返ると、同期の渡部がそこにいた。こいつとは数々の修羅場を共に駆け抜けてきた。まぁ、言ってみれば戦友というやつである。他の隊員たちに比べて、こいつの眼だけは未だ鋭い光を失っていない。

「お前は大丈夫そうだな。渡部」

「ん? このくらいホトケさんのシゴキにくらべたら大したことないだろ」

 ケロリ、とした表情で渡部は応える。単純なやつは羨ましい。

「そうじゃなくてさ」

「ああ、わかった。今回の相手のことか」

 今回の相手。そう。問題は今回の相手、暴徒たちのことなのだ。


 我ら第四機動隊と第6機動隊は現在、レインボーブリッジのど真ん中にいる。全員重装備で大盾を構えて整列し、もうすぐ台場の『施設』からここに到着するであろう暴徒の軍勢の影を睨み据えている。聞けば、彼らは皆、角材や鉄パイプで武装しているという。また、火炎瓶を持っていたとの報告も上がっている。

「まったく、100年前じゃねぇんだからさ…」

 渡部が呆れた口調で言う。僕は曖昧に笑って返す。

 恐らく彼らとは、衝突することになるだろう。力と力のぶつかり合い。僕は暴力は嫌いだが、職業上それは得意なのだった。それはきっと、この渡部や、ここにいる隊員たち全員がそうだ。

 そう。ぶつかり合えば負けることはない。絶対に力で負ける相手ではないのだ。負けようの無い相手なのだ。なぜならば、今ここに向かっている暴徒たちは皆、病に蝕まれた、命僅かな老人たちばかりなのだから。


 2062年、7月。未知のウィルスが日本を襲った。通称『古穫り(ことり)』ウィルスの名前は感染者に共通して見られる症状はただひとつ。『1週間以内の確実な死』であった。治療法は皆無。その症状に日本中が気づいたとき、パニックが社会全体を襲うだろうと誰しもが考えた。だが、1ヶ月が過ぎた8月。日本社会は未だ正常に機能している。

 絶対的な終わりをもたらす死神が目をつけたのは、僕たちのような若い人間ではなかった。また、隊長たちのような働き者でもなかった。ウィルスに感染するのは、かつて『ニート』と呼ばれていた老人たちだけだったのだ。

 何故このようなウィルスが存在するのか。存在し得るのか。それは現在分かっていない。もしかすると『ニート』としての記憶や習慣、それらのシナプスを構築した脳だけが、このウィルスの影響を受けるのかもしれない、などと学者たちは言っている。ウィルスが変異し、感染者の条件が広がることを恐れた日本政府は、感染者予備群たちを各地に建設した隔離施設に閉じ込めることにした。ここ、お台場もその施設の建設地の一つだ。

 台場に隔離された2万人は、この1ヶ月で2000人に数を減らしていた。ニートとして生きたために、資産もなく、身よりもない。そして年金も無い。そんな老人たちを閉じ込めて、自動的に死ぬのを待つだけ。日本政府の、社会の、僕たちの答えは、あまりにも冷たいものだった―のかもしれない。彼らにとっては。

 事件の発端は2日前だ。台場の隔離施設で、火災が発生した。原因は不明。この影響で施設内の電気系統がダウンした。重厚な扉のオートロックから解放された老人たちは、混乱に乗じて施設を脱走。

 これだけなら良かった。しかし、彼らは昨日、施設から強奪した情報端末を使い、ネットワーク上から政府に戦宣布告をしたのだ。

「我々はかつて、ニートと呼ばれ苦しみ、蔑まれ、心を病んで生きてきた。お前たちは我々を笑いものにし、優越感に浸るための踏み台にしてきた。そして今度は、お前たちは我々に『牢屋の中で勝手に死ね』と要求した。我々はその要求を拒絶する。タダでは死なない。我々はお前たちに復讐して、死ぬ」

 復讐の下に団結した2000人は武装し、まっすぐに国会議事堂を目指して行進している。歪みきった狂気に取り憑かれて。


「おい、来たぞ」

 渡部の緊迫した声で、僕の意識は思考は周囲の現実に引き戻される。気がつくと、周囲の空気は既に張り詰めていた。いよいよ始まるのだ。見ると、僕らの前方数百メートル。砂埃で霞んだ空気に揺らぐ、陽炎のような暴徒達の姿が見えた。そのシルエットは細長い棒があちらこちらから飛び出しており、まるでヤマアラシのようだ。

 ヤマアラシのジレンマ。温もりを求めて近づけば近づくほど、お互いに相手を傷つけてしまう。彼らは誰かを傷つけてきたのか。傷つけられてきたのか。或いは、それすらも。

「諸君!」

 整列する僕ら隊員達の前に立つ保竹隊長が、口を開く。

「暴徒の軍勢は2000。数の上では、我らは圧倒的に不利である!」

 隊長の大音声が空気を震わせる。周囲を飛ぶ数台のヘリの騒音など、全く問題にならない。

「だがヤツらは弱った老人達だ。我々機動隊に情けは要らん。守るべきを守り!排すべきを排せ!以上!」

 この人の、どこが『ホトケ』なものか。一瞬前まで僕の心に降りていた妙なシンパシーは消し飛び、思わず笑みが口に浮かぶ。他の隊員達も同じ気持なのだろう。「応」という声が次々に上がる。

 そうだ。僕たちに迷う必要など無い。守られるべきは彼らではない。日々汗水を流して働く人々なのだ。


 暴徒立ちはさらに近づき、直ぐにでも衝突可能な距離にいる。5メートルと言ったところか。しかし目の前に蠢く老人たちは、静かに佇んで動こうとしなかった。皆右手に角材やパイプ、左手に火のついていない火炎瓶を持っているにも関わらず。

「攻撃……してこないな」

 渡部が呟く。確かに、おかしい。この距離ならば、とうの昔に火炎瓶を投げてきていたっておかしくはない。不気味なやつらだ。とは言え、こちらも迂闊に手は出せない。膠着状態である。

 見れば、暴徒たちの顔は皆青白く、死人のようだった。足取りは不確かで覚束ない。老いて落ち窪んだ眼には狂った憎しみの光だけがギラギラと輝いている。なるほど、保竹隊長の言う通りだ。僕たちに情けはいらない。こいつらは人間に見えない。亡者だ。やれる。やってやる。目の前の敵への恐怖を、敢えて残酷な感情で覆い隠す。僕ら第四機動隊のニックネームは『鬼』。ヤツらを地獄に縛り付ける、僕らは鬼だ。

「総員、警棒抜け!」

 この距離ではガス弾は却って味方を危険にさらす。隊長は格闘戦で、彼ら2000人を制圧するつもりなのだ。僕ら隊員は、規則的な動作で警棒を構える。半端な相手ならば、この様子を見るだけで威圧感に腰が引けるだろう。

 だが、暴徒の表情に変化は無い。彼らは僕らの戦闘態勢を見て取ると、マッチやライターで思い思いに火炎瓶に着火し始めた。向こうもやる気だ。号令をかける人間が居ないところをみると、彼らにリーダーは存在しないのか。しかし、この距離で火炎瓶は――。

「あっ」

 隊員の一人が間の抜けた声を上げた。そちらに目をやったときにはもう遅かった。予想以上に素早く動いた暴徒の一人が、5メートルの距離をあっという間に縮め、一人の隊員に組み付いていた。

 ぱりん。

 乾いた音が響いた。組み付いた老人が、自分の足元に火炎瓶を落としたのだ。硬いアスファルトにぶつかり、瓶のガラスは冗談のように、綺麗に砕けた。たちまち、ぱっと炎が踊り出す。そして老人と、隊員を包んだ。間を置かず、あちらこちらで炎が上がる。老人たちが次々と、火炎瓶を抱えて突っ込んできたのだ。

 巻き起こる絶叫。怒号。混乱。そして狂気。屈強な鬼達が一人、また一人と炎に包まれ悲鳴を上げる。老人たちは自らを燃やしながら、誰彼構わず抱きついて回る。僕にはまるで現実感がない。なんてことだ。そう、これは――。

「自爆だ!」

 誰かが叫んだ。そう、自爆だ。訓練に訓練を重ねた機動隊たちが、炎にまかれて逃げ惑う。仲間を助けようとして、別の老人に組み付かれる。そしてまた炎が拡散する。

 隊列は崩れた。暴徒を押さえつける壁は既に無い。嗚呼、なんて僕たちは何て脆かったのだろう。そして何て愚かだったのだろう。老人たちの狙いは、はなから僕達との心中だったのだ。この程度のこと、やって当然と考えるべきだった。しかし想定できなかった。対処できなかった。

 続く絶叫。怒号。混乱。狂気。

 あちらこちらで、黒く炎を上げる細い身体が横たわっている。若い隊員たちは苦悶の表情で走り回っている。ああ、地獄がこの世に現れたなら。それはきっと。

「おい!おい!退くぞ!」

 僕に向かって大声を張り上げているのは渡部だ。隊長が何か叫んでいる。多分、退却命令なのだろうが、周囲の混乱で音が聞こえない。見ると、何人もの同僚たちが老人たちの自爆の炎に包まれている。

「渡部――」

 僕は戦友の声に応えようと振り向き、そして、見た。

「うっ」

 くぐもった声。渡部の目が見開かれている。背中におぶさるように、枯れ木のような身体の老人が組み付いていた。

「ははは」

 笑った。青白い、枯れ木のような老人が、僕の眼を見て。その手には瓶。そこからゆっくりと、老いた指が離れていく。握力の束縛から解放された瓶は、重力のままにアスファルトへと吸い込まれていく。

 ぱりん。

 次の瞬間。渡部と老人の姿は紅の中に掻き消えた。遠くで、誰かが叫んでいる声が聞こえる。

「各地…施設…一斉蜂起…報道を見た…行き先は…原発…」

 夢の中にいるような感覚。僕はここにいるんだろうか? 本当に? 

 誰かを傷つけ、誰かに傷つけられ。そうやってしか生きられない僕たちは、どこに行けばよかったのだろう。どうすればよかったのだろう。

 ふと、誰かが僕を優しく抱きしめてくれた。母さんだろうか。そういえばもう2年も実家に帰っていない。今週末には帰れるからさ。だから。


 乾いた音、紅蓮。


昔、某所にて投稿したものを加筆修正した。

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