はじまり
第2話です。よろしくお願い致します。
空歴1912年
4つの大陸と5の国がある世界。
その世界は冷戦の真っただ中にあった。
--神聖オリンプト王国、通称「王国」
四方を海に囲まれ、東西に大国に挟まれた島国である。建国以来、度重なる戦争と干渉に耐え、独立を守りとおしてきた数少ない国でもある。
王都から東北東に300キロメートル、アーヘンの町。この町には、2つの滑走路がある。一本は綺麗に整地されコンクリートで固められた立派な滑走路で、もう一本は草を刈りローラーでならしただけで赤茶色の地面が、むき出しの滑走路だ。
その粗末な滑走路に3機の戦闘機と1機の小型爆撃機が駐機しており、人だかりが出来ている。
小型爆撃機の前席から金髪の少年が風防の天蓋を開けて立ち上がった。その顔には悔しさがにじみ出ていた。
「ははっ! バカねー。雲に逃げ込んだぐらいじゃ、私の追撃は振り切れないよ」
横からカーキ色の飛行服を着た、黒髪の少女が近づいてくる。少女は彼が乗る小型爆撃機を見つめた。機体は翼から胴体にかけて真っ赤なペイントがついている。
「これ、今演習だったからいいけど実戦だったらあんた死んでるよ。テネル」
テネルと呼ばれた少年はふてくされた顔をしながら、
「だって、ミナが雲中飛行が出来るようになってるなんて、思わなかった」
「最後の油断がダメねぇー。振り切ったと思ってたでしょ」
すると後席の天蓋が開き、茶髪の少女が顔を出した。
「あの……スミマセンでした見張り……私が油断したから」
ミナは茶髪の少女の方に向くと、
「カリエ、あなたは謝らなくていいの。このバカネルがいけないんだから」
「なっ! 誰がバカネルだ! ぼくはテネルというちゃんとした名前がある!」
テネルはカリエを睨みつけると、不機嫌そうに腕を組んだ。
「だいたい、後席の観測員は見張りを常にしておくべきじゃないのかな」
「うあ! サイテー、男がなに女の子のせいにしてるの?」
「僕は本当のことを言っただけ」
カリエは後席から降りると2人に1礼した。
「あの、スミマセンでした。失礼します」
去って行くカリエの後ろ姿を見つめていたテネルは、見えなくなるまで睨み続けていた。
たわわに実った麦畑の中をテネルが駆けていた。すでに日は西の山へと消えていくばかりで、テネルは自分を置いて帰ってしまった妹を恨みながら必死に地を蹴っていた。ここは王都から東に100キロメートル離れたメニーケと言う町のはずれである。
ようやく家が見えてきて、安堵と焦りの感情を入り混ぜながら家の戸の前に立った。
「かあさま! 申し訳ございません!」
叫びながら戸を開け、そのまま母の胸の中に飛び込む。甘い香水の匂いとぬくもりを感じていた。
「テネル、あれほど日が沈む前に帰ってきなさいと言ったのに、マユはもう帰ってきていますよ?」
「マユはぼくを置いて帰ったのです」
「ふふ、あなたは10歳とはいえお兄ちゃんなのですよ? 言い訳はお兄ちゃんらしくありません」
「でも……」
「お説教はここまでにして、早く食堂へいきましょう。お父様とマユがあなたの帰りを待っていました」
テネルは母から離れると一緒に食堂へと入って行った。
「お兄様おそーい! おなかぺこぺこだよ!」
「テネル、もう少し早く帰ってくるようにな。みんなを待たせてはいけないよ」
テネルは席に座るとまず父に「申し訳ございません」と詫びた。その後、妹のマユに「うるさいぞ」と言うと、
「帰ろうと言ってもお兄様が聞かなかったんだもん」
「まあよい、明日はいよいよこのメニーケの領主選挙前の演説会がある。その前日に小言をいうのもなんだからな」
その後、料理を胃にぐいぐい納っていった。食事を終えると父は早く寝るよう言った。
「おやすみなさい、とうさま」と言って、テネルとマユはベッドへ入った。横になるとすぐマユから静かな寝息が聞こえてくる。
ふと、耳をすませば食堂から父と母が楽しく談笑しているのが漏れ聞こえている。テネル自身そこに行きたかったが、父に注意されるのがなんだか不名誉な気がしてきた。先ほど母が言った「お兄ちゃん」という言葉も邪魔をする。そのまま知らないうちに深い眠りに沈んでいった。
次の日父は町の議場で熱弁をふるった。父が喋り終えると議員達から賞賛の声があがり、その様子を傍聴席で聞いていたテネルは自分もなんだか偉くなった様な錯覚に陥った。自分も家族もこれで安泰だと思えた。
興奮覚めやらぬ議場で、一本の腕が上がった。議長は議員達に「静粛に」と言うと、その腕を上げた議員を指差した。
「ノーブル議員」
ノーブルという議員は立ち上がると、不敵な笑みを顔面に張り付けこう言った。
「シャルマン殿の演説は大変素晴らしかった。しかし、あなたにはこの町の領主になる資格は無いと断言させていただく」
議員達は顔を見合わせ、一部からは壮絶な野次が飛んだ。父も何かを言おうとしていたが、間髪入れずノーブルが喋りだした。
「あなたは、8年前に結婚し、お2人の子供を儲けた。だがその子供、特にテネル・シャルマンは本当に婚姻後に儲けた子供なのか?」
「当たり前だ。何が言いたい?」
「あなたは若い頃好色として有名だった。テネル・シャルマンは婚姻前にできた子供ではないのですか?」
議場が騒然となった、これが本当なら1大スキャンダルだ。
「婚姻前に子供を儲けるなど決して許されない咎!神に対する反逆!つまり、悪魔だ!」
「何を言うか!そのような根拠のない虚こそが、神に対する反逆だ!」
議場はさらに興奮の渦に巻き込まれた。そして、先ほどまでの熱狂は別物となり、シャルマンの領主就任は不可能だと誰の目にも明らかであった。
テネルは我慢出来なくなり、母の制止を振り切って飛び出した。ノーブルの足元にまで駆けより、
「無礼者!とうさまに謝れ!」
ノーブルの顔は邪悪な笑みを湛えたまま、
「悪魔の子だ!大いなる罪を持った悪魔の子がここにいる!」
その後のことはよく覚えていなかった。テネルはただ泣きじゃくっているだけだった。議場でのことは、あっという間に町じゅうに広がった。当然、父は領主にはなれなかった。そればかりではない、噂は王都にまで広がり神官がやってきて、調査までした。どこへ行ってもシャルマン家は白い目で見られた。
父は3カ月後、納屋で首を吊った。遺書にはこんなことになってすまない、とだけ書かれていた。母が心を病むのはそれから間もなくのことである。
ノーブルはその後、領主に就任した。その時のパレードは盛大そのものだった。
1方、父の死後テネルは壊れてゆく母を日々肌で感じていた。毎日食卓に死んだ父の分の食事並ばせ、夜遅くまで帰って来るはずのない父を待ち続ける。そんな母をテネルは見て見ぬふりをすることしかできなかった。母の話すことに合わせ続けた。しかし、ついに言ってしまったのだ我慢できなかった。
「とうさまはもう死んでしまったんです!」
言うべきではなかった。それから母の精神崩壊はスピードを増していった。臨界点に達しようとする母をテネルは止めることはできなくなった。そしてついにその時がきた。母が自ら川へ飛び込んだのだ。近所の住民に助け上げられた時には、もう大量の水を飲み込んでいた。
「かあさま! 死なないで! ぼく達を置いていかないで!」
「テネル、マユごめんね……」
「そんなこと! 言わないで!」
マユは母に取りすがっている、涙と鼻水まみれになった顔を母の胸にうずめて。
「テネル……大いなる闇の中の一筋の光を、それだけを頼りに生きていって……」
「え……」
「けっして後ろを見ないで、強く生きていって」
「かあさま!」
母の死後、テネルとマユは親戚一家に引き取られ、テネルは14歳で陸軍に入営した。その後中等航空学校に入学し1年半操縦士としての知識と基礎を身につけた。そして空歴1912年、陸軍高等航空学校に入学した。父と母が自殺してから6年の歳月が経っていた。
その入学式でテネルはついに運命的な再開をした。航空学生総代という肩書きで壇上に姿を現した者は6年間憎しみ続けた一族、ノーブル家の長女カリエ・ノーブルであった。テネルは体中に火山の様な感情が、噴き出てくるのが分かった。なけなしの理性が腰についている短剣を抜こうとするのを止めていた。
ーー平和な我が家を地獄へ落した憎むべき敵
--いつかお前も……
ばっちん!
テネルの回想はそんな音と共に破られた。気づけばミナがテネルの飛行帽に付けている飛行眼鏡のゴムを引っ張っていた。
「痛ったい!」
「何、ボーっとしてんの? またバカなこと言ってカリエいじめて」
「いじめてない。それにあいつが悪いのは事実だよ」
「うぁ! やっぱサイテーだわ」
--あいつは我が家の全てを奪った本当の悪魔だ
--決して許さない、カリエ・ノーブル
「てか、あんたいつまで操縦席に突っ立っている気? あんたの汚した機体さっさとキレイにしたいってよ?」
みれば整備科の学生がちらちらとこちらを見てくる。
「ほら、さっさと行くよ。それにちゃんと明日の買い物付き合ってよね」
「わかってる! 君も上から目線やめてくれないかい?」
「カリエに対して上から目線の人に、言われる筋合いありませーん」
テネルはうるさい同期をほっておいて整備科の学生に機体を渡した。この後整備とペイント落しがなされる。テネルは飛行帽を外しながらカリエと同じ方へ歩いて行った。
明日は久しぶりの休暇である。