蝶花
車椅子をゆっくりと押す。
病院の敷地内にある桜が、咲き誇っていて美しい。
「お前が見たいつってた、山桜は無理だけどさぁ。ここも、十分キレイじゃね?」
修治は、ただゆっくりと車椅子を押しながら、少しばかりぶっきらぼうになって、ひときわ満開の桜の下で足を止める。少しかがんで、車椅子のブレーキをかけた。
ひらひらと、淡く色付いた桜が、花ごと、あるいは花びらとなって降ってくる。
「……あ……」
か細い声と共に、車椅子の陰から、白く細い腕が桜の方へとさしのべられた。
その手は桜の花をつかもうとしているのか、ちらほらとそそぐ花雪の中、白い手がひらひらと踊る。
「夕。楽しいか?」
その様子を車椅子の背に両腕を乗せて眺めていた修治は、上から妹の顔を覗き込んだ。
病的に痩せて白い妹の顔は、儚く美しいものに、修治は思えた。
自分とは三つしか違わない、十三歳の妹は、ほくろ一つない顔をほころばせた。
「……に、ちゃぁ……。あり…ガ、とお……」
夕の膝に、数枚の花びらが乗っている。
震える手でそれを慎重に持ち上げて、「……にー……」と、夕は修治を見上げた。
「ん?」
修治は夕に顔を近づける。
なんとなく、こういう時、夕は何かを自分に伝えたがっている時だと、修治は知っていた。
夕はうまく動かない舌で、ぱくぱくと口を開閉させながら、
「あ、あ、……の……ね。シャ…からぁ……が、ひ…ち…ち、…ちゃう……み、たい」
桜が、蝶みたい。
うまくしゃべれなかったことがお気に召さなかったのか、夕は眉間にしわを寄せて、
「ちよう!」
と言った。
修治はやさしく夕の頭にぽんぽんと手を乗せて、
「桜が蝶みてぇだって、いいたかったんだよな?」
確認した。
すると、安心したように夕はこくりとひとつ頷き、また魅入られたように、桜を眺めた。
夕の気が済むまで、自身も桜を見上げながら待ちつつ、修治は、
「リハビリやってさ、立てるようになったら、また一緒に山にいこーぜ」
と言って、夕の頭を見下ろした。
夕は修治の方へと体をひねって、必死に見上げて、にっこり笑った。
「俺まだ花っつーと桜とヒマワリと朝顔ぐれーしか知らねえから、また教えろよ」
「……にー。…ばぁ…か」
「ってめー。三歳年上の兄貴を馬鹿ってねーだろーが」
夕の笑顔がはじけた。
―――ある、春の日のこと。
ほ、ほのぼの、の、つもり……。
あ、ははは。今回が初の投稿となるものですから、作者的には、のんびりした話を……と思いました。気に入っていただけると、幸いにございます。
これから、そ、それなりの頻度で更新する予定です。
ぜひ、見に来てください。