あなたに伝えたいことがあるのです 短編版
冷たい。
痛い。
冬になりかけの今の季節、水を被るには辛い季節だ。
夏なら、まだよかったのに。
気持ちいいし、すぐに乾いた。
後のことを、あまり気にせずにすんだのに。
俯きながら、全身から地面に滴り落ちる水を見つめる。
かなり量が多かったのか、水捌けのいい地面に水溜りができていた。
服や髪から臭い匂いがする。
掃除か何かで使った水みたい。
貴重な綺麗な水を、こんなことに使わないか。
シミがついたら、またマザーに怒られる。
ぼんやりとした意識の中で、それだけ浮かんだ。
殴られたお腹だけに熱が溜まっていて、寒いのか暑いのかわからない。
それが気持ち悪い。
もう何回殴られたのか、わからない。
毎日毎日、孤児院の子どもはもちろん、マザーたちにも叩かれたり蹴られたりする。
怪我をしていない場所は、ほとんどない。
治る前にまたつけられるから、傷のない身体を見たことがない。
手当てなんかされないから、古傷もいくつも残っている。
自分で手当てする方法も、知らない。
「何とか言えよ!言えるならなぁ!」
「言えるわけないよな!喋れない、異常者がっ!」
あはははっ
耳に痛いほど響く、嫌な笑い声。
人は、人と違うものを嫌悪する。
私は、人と話をすることができない。
泣くことはおろか、笑うことも、もちろん怒ることもできない。
声が出ないわけじゃない。
感情がないわけじゃない。
でも、ダメなのだ。
人を前にすると、声が出ない。
怖くて、感情を表に出すことができない。
他人はそれを、気持ち悪いと疎遠する。
そうして、普通とは違う私を、排除しようと攻撃するのだ。
仕方ないことだとわかっている。
わかっているけど、辛い。
逃げたいけど、逃げる場所なんてない。
ここから逃げても、まだ子どもの私は生きていけない。
悪い人に騙されて、もっと酷い目に遭うだけだとわかっている。
だから辛くとも、ここにいるしかない。
ここにいれば、少なくとも外よりは安全だろうから。
でもそれも、時間制限付き。
今は12歳だから、後3年もしたら、出ていかなくてはいけない。
それがこの孤児院の規則だから。
それはわかっている。
でも、話せない私を雇ってくれるところなんてない。
そうなれば、行き着く先は娼館だけ。
身体を売って、生きていかなければいけない。
そんな状態になってまで、生きていかないといけないのだろうか。
時々、思う。
いっそのこと、死んだ方がマシなのではないかって。
でも、死ぬ勇気もない。
私は臆病だから。
このまま生きるのも嫌、死ぬのも嫌。
私は優柔不断で、臆病者だ。
「あんたたち!何してんだい!?」
「げ!マザー!」
「いや、こいつがふざけて遊んでて!」
「ふんっ。だんまり!さっさと片付けて、洗濯しなっ!高貴なお客様が来るんだから、お前は裏で洗濯物を洗っときなっ!絶対、お客様の前に出るんじゃないよっ!」
俯きながら、コクリと頷く。
「ほら、あんたたちは着替えておいで!」
「「はーい」」
男の子たちは、マザーの後に続いて孤児院の中に戻って行った。
私はそれを見送って、服や髪をキツく絞る。
勢いを増して地面に落ちる水を見ながら、大きくなったら水溜りをぼんやりと眺める。
『言い返せばいいのによぅ』
頭上から羽ばたいてきた鴉が、肩に着地して苦言を呈する。
この鴉も普通ではない。
いつの頃からか覚えてないけど、気がついたら私のそばにいた。
私は、友人みたいなものと思っている。
それに、私の気持ちを汲み取り、代弁してくれる。
この鴉の名前はレーヴン。
人語を理解して人語を話す、不思議な鴉だ。
鴉の言葉に首を横に振って、否定する。
『ま、奴らに何言っても無駄か』
コクリと頷く。
何を言っても無駄。
それどころか、もっと状況が悪くなるかもしれない。
そもそも言葉がでないのだから、意味のない考えだけど。
私は転がった桶を拾って、裏の洗濯場所に歩いて行った。
『ま、どうせすぐ、状況は変わるさ』
レーヴンは意味深な発言をして、また何処かに飛んでいってしまった。
相変わらず、気まぐれな鴉だ。
気まぐれに来て、気まぐれに帰る。
レーヴンはいいな、翼があって。
翼があれば、私も何処か遠くに行けただろうか。
これも結局、意味のない考えだ。
意味のないことを考えていたって、時間の無駄になるだけ。
止めよう。
現実を見なくては。
裏の洗濯場所に着くと、そこにはたくさんの洗濯物の山が3つ。
洗濯当番は他にもいるはずなのに、誰も来ていない。
マザーが言っていた、特別なお客様が理由なんだろうか。
特別なお客様……
貴族の人が養子を探しに来たのかな?
時々、貴族の人が訪ねてくることがある。
養子が欲しかったり、使用人が欲しかったり。
その時が来ると、決まってる子どもたちは新しくて綺麗めの服を着せてもらっている。
特に女の子は、綺麗な服を喜んでいる。
子どもたちは、少しでもいい生活をしたいから、必死で媚を売る。
引き取られた先で、どんな扱いがされるかわからないのに。
それでも良い夢をみる。
私はというと、いつも裏の掃除や洗濯に回される。
担当の子が抜ける分、仕事がかなり増える。
担当の子がいても、私に押し付けるから、普段とあんまり変わらないと言えば変わらないけど。
私は人前で言葉を話せないから、貴族の前に出されることもない。
どうせ選ばれないというのと、言葉を話せない異常者がいることを知られたくないから。
だから、私はいつも裏方。
そして、貴族の訪問が終わる前に全ての仕事を終わらせてないと、キツく叱責される。
一人でこなすには無理な量だと、わかっていながら。
叱責の酷さは、マザーの機嫌に左右される。
孤児の引き取り先が決まれば、機嫌がいい。
引き取り先が決まらなかったり、貴族に厳しい言葉をかけられたら、機嫌が悪い。
今日はどちらだろうか。
できれば機嫌がいい方が、酷くならなくていいのだけど。
「……っ!」
冷たい。
痛い。
水が冷たくて、突き刺さるよう。
それに、昨日踏まれた手が、水に染みる。
幸い血は出てないから、血で洗濯物を汚すことにはならなくてすみそう。
まずは、乾くのに時間のかかる大物から。
何年も使い続けているシーツは、優しく擦らないと破けてしまう。
破いたら怒られるし、破けたシーツを使う子にも、酷い目に遭わされるだろう。
慎重に洗わないと。
全てのシーツが洗い終わったのは、太陽が頂点をすぎてから。
シーツを指定の場所に干して、また洗濯場所に戻る。
基本的に、私は昼ごはんを食べない。
いや、食べられない。
仕事が多すぎて、昼ごはんの時間を過ぎてしまうからだ。
時間を過ぎた子どものために、食事を置いておいてくれる優しい人なんかいない。
その場にいなければ、他の子が食べてしまう。
だから私は、いつも昼ごはん抜き。
次は服や下着の洗濯に移る。
こちらは小さいものが多いので、洗うのは簡単。
だけどその分汚れが強いので、力が必要。
これもシーツ同様、破らないように気をつけないと。
全部の洗濯物が終わる頃には、手が真っ赤に染まり、感覚がなくなってきていた。
息をハァと吹きかけて、少しでも手を温める。
冬が来るのが、毎年憂鬱な気分になる。
たくさんのアカギレと、戦わなくちゃいけないから。
決して分厚いとは言えない、ペラペラな服で過ごすのも辛い。
私に回ってくる服は、全員が着れなくなった服だけ。
だから、生地がペラペラ。
サイズも合わない。
でも、何も言えない。
言っては、いけない。
洗った服と下着は、シーツの横に干す。
早く乾いて欲しいけど、曇りだから時間がかかる。
大人たちの噂話で聞いたことがある。
ここ数十年、晴れと言う晴れがないんだって。
よくて太陽の光がわかる曇り。
でも、一年の7割が雨なんだって。
原因がわからないから、みんな困っているし、不安になっているんだとか。
年々孤児院の食事も寂しくなっていってる気がする。
私は普段から、みんなに食事を取られているから、あんまり実感はないけど。
洗濯が終わっても、子どもたちは出てこない。表で遊んでいるのか、まだ貴族の人と過ごしているのか。
まぁ、私には、関係ないか。
久しぶりの、のどかな時間。
他の子たちにじゃなされない時間は、とても貴重だ。
気分がいい。
誰もいないなら、少しくらい……いいよね?
「お日様さんさん、雲さんさようなら〜♪花は上を向いて笑って、風はささやきを届けてくれる〜♪」
私の願いを、拙い歌に込めて。
どうか、聞き届けておくれ。
私のささやきは、世界に届いた。
分厚い雲が流れて、眩しい太陽の光が地面を照らす。
蕾の花や元気がなくて俯いている花は、瑞々しく上を向く。
爽やかで暖かい風が、洗濯物を揺らしてたなびかせる。
気持ちのいい天気。
満足気に空を見上げて伸びをしていると、草を踏む音が、やけに大きく聞こえた。
「君は……いったい……」
ハッと振り返る。
そこにいたのは、まだ若い男性。
見られた……
見られた……
どうしよう……
頭が真っ白になって、身体から力が抜けてしまった。
見られた。
見られた。
見られた……!!
どうしよう、また化け物って言われる。
どうしよう。
どうしよう……
頭が真っ白になって、それだけしか考えられなくなる。
地面に座り込んだ身体は動かなくて、そのくせ震えは止まらない。
服の裾を掴んで、次の衝撃に備えるために身を固くした。
怖い。
何を言われる?
何をされる?
怖い。
怖くて顔を上げられない。
「君は……」
きた。
「君は、神に愛されているんだね。」
………………え?
「君のその力は、きっと神に祝福された証だ。愛の証なんだよ、きっと。とても、温かい愛だね。」
愛……
これが……この力が、愛?
俯きながら、頭を横に振る。
信じられない。
だって、本当にそうなら、私は両親に捨てられなかった。
他の人に殴られたり、蹴られたりしなかった。
異常者なんて、呼ばれなかった。
これが、愛のはず、ない。
愛はもっと、温かくて、尊いものなの。
これは、違う。
何度も何度も、頭を横に振る。
その男性はさらに距離を詰めてきて、私の前に膝をついた。
綺麗な服が、土で汚れる。
「愛されているよ。だって、こんなにも綺麗な光景を生み出せる。」
「ち……がう。わた……しは、いっぱい、傷つ……けた。」
「きっと、神は君に大切なことを教えてくれたんじゃないかな?」
大切な、こと?
そろそろと、名の知らない彼を見上げる。
彼は、優しく微笑んでいた。
初めて、私に対して向けられた、優しい表情。
「言葉は薬なんだ。量や使い方を間違えると、毒となって相手を傷つけて、時には殺してしまう。けれど、量や使い方を間違えなければ、相手を癒して救うことのできる。幸せにだってできる最良の治療薬となる。それを、教えてくれたんじゃないかなって、私は思うよ。」
薬……
人を傷つけて殺し、同時に癒して救う。
私の言葉は、誰かを救うことが、できるだろうか。
人を、癒すことができるだろうか。
傷つけるためじゃなく、癒すために使いたい。
「私と一緒に来ないかい?どうか、君の力を貸して欲しい。私たちを、救ってくれないだろうか?」
彼が片手を差し伸べる。
手を取って欲しいと、そう言われている。
こんな私に、選択肢をくれている。
私が、道を選ぶの?
私が、選んでいいの?
私に、できるのかな?
本当に……救うことが、できる?
この力が、役に立てる?
私が、すべきこと……
ううん、私が、したいこと。
私が、私自身で選ぶ道。
私は、未来を、この先の道を選んでいいんだ。
きっと、こんな機会は、二度と来ない。
これが、最初で最後。
私の分かれ道。
もしかしたら、選んだ先が間違った道かもしれない。
いずれ後悔するかもしれない。
でも、進んでみないと、結果はわからない。
立ち止まっていても、何も見えてこない。
進むしかないのなら、私は…………
私は震える手を、彼の手に乗せた。
そして、離さないように、縋るように、その手を握った。
短めの連載を考えています。
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