第二話
翌朝、目覚ましが鳴るより先に、IDチップの振動で叩き起こされた。
『リマインド:Public Score Match #2211-C “クロスジャッジ”
開催まで残り:13時間21分』
「……うるせぇ」
枕元で光る薄いホログラムを、手で雑に払う。
六畳ワンルームの天井が、寝起き特有のぼんやりした白さで目に刺さった。
昨夜の夜のことを、意識が徐々に思い出していく。
ディスカウントコンビニ。
損失補填アルゴリズム。
神崎アイリス。
そして──スコアマッチ、クロスジャッジ。
「……参加押したの、夢じゃなかったか」
腕を上げる。
手首のIDチップが反応して、現在のステータスが空中に浮かび上がった。
『久城シン
Score:13
ランク:ノーカット(要監視)
タグ:不正シミュレーション傾向/危険度:中』
「おはよう、世界。今日も俺を信用してねぇな」
苦笑しながら、ベッドから起き上がる。
床に脱ぎ捨てられたTシャツを足でどけて、部屋の隅の小さなシンクで顔を洗った。
鏡代わりにしている割れたスマホの画面には、ひどい寝癖頭と、うっすらクマの浮いた自分の顔。
(スコア十三の無職、ね)
文字にされると笑えるが、笑ってばかりもいられない。
クロスジャッジに出ると決めた以上、ただ勢いで突っ込んで勝てるほど甘い世界でもない。
スマホで掴んで、適当にインスタントコーヒーを淹れる。
紙コップから立ち上る安物の香りを吸い込みながら、検索ウィンドウにキーワードを打ち込んだ。
『クロスジャッジ ルール 過去マッチ』
スクロール。
古い動画、観戦ログ、ルール解説ブログ。
昨夜は招待状を開いた勢いでそのまま寝落ちしたから、ちゃんとした情報を頭に入れるのは今が初めてだ。
クロスジャッジ──
ざっくり言えば、「観客の心理をどれだけ性格に読めるか」を競うゲーム。
基本ルールはこうだ。
1.主催が一つのテーマを提示する。(例:「メトリカのスコア制度は正しいか?」)
2.両陣営は、そのテーマに対する“質問文”をそれぞれ作る。
観客は、その質問に「YES/NO」または「A/B」で回答する。
3.観客全体の回答結果を予測し、「YES:65%、NO:35%」といった形で自分の予想比率を宣言する。
4.実際の結果と自分の予想の「誤差」が少ない方がラウンド勝利。
三本勝負で、二本先取した陣営がマッチ勝者。
ポイントは、「質問文を自由に設定できる」こと。
同じテーマでも、
「あなたはスコア制度を“完全に”信用していますか?」と聞くのと、
「スコア制度に“ある程度は”賛成ですか?」では、結果がまるで違う。
(質問のワード選びがそのまま盤面、ってわけか)
さらに面倒なのは、プレイヤーが「自分の応援団」を連れてこられる点だ。
各陣営は、観客の中から“事前に選んだ三人”を自陣営側に固定できる。
残りは自由参加の一般顧客。
三人なんて誤差にも見えるが、この三人が「会場の空気を動かす役」に回ると、一気に影響力を持つ。
質問を聞いた後に一言コメントをしていいルールになっていて、そのコメントを聞いた他の観客が考えを変える、というパターンが多いらしい。
(なるほど。“質問文”と“空気づくり”の二段構えか)
コーヒーをすすりながら、頭の中で簡単なシミュレーションを回す。
俺とアイリスのペア。
合計スコアは、(980+13)で993。条件ギリギリ。
相手は同じく千以下のペア。
中そうのインフルエンサーと、スコア庁よりの解説者、とかその辺りが一番いやらしい。
昨日、アイリスが「出来レースで負けた」と言っていた。
おそらく、ルールの外側で何か仕掛けられたんだろう。
なら──今回は、こっちがルールの「端っこ」を掴みにいく番だ。
スマホを置いたタイミングで、IDチップが再び小さく震えた。
『着信:神崎アイリス』
「……朝から律儀だの、お嬢様」
通話ラインを開く。
「はいはい、もしもし、スコア13のノーカットです」
『おはようございます、スコア13のノーカットさん。──昨夜はよく眠れましたか?』
澄ました声が、耳の奥に響く。
寝起きテンションにこの丁寧さはちょっと疲れる。
「まあまあかな。で、朝から何の用だよ」
『下準備です。クロスジャッジは“当日ぶっつけ本番”で挑むと、大抵痛いめを見ますから』
「やっぱそうだよな」
『近くのカフェで会えますか?南七ブロックの、スコア庁支所の向かいにある──』
「ああ、あのやたら意識高い感じの店ね。プライム向けのラテしか置いてなさそうな」
『そんなことはありません。ノーカットでも座れる椅子ぐらいはあります』
「比喩にマジレスすんのやめろ」
ため息をついて、適当にパーカーを羽織る。
「わかった。三十分後ぐらいでいいか?」
『了解しました。ではその頃に』
通話が切れる。
スマホをポケットに突っ込んで、狭い部屋を一周見回した。
散らかった本と、安物の家具。
壁に貼ってあるのは、どこかで拾ってきた古いメトリカ市の地図。
俺の世界は、だいたいこの六畳と、この地図の範囲で完結していた。
そこに今日、ようやく“別のフィールド”が追加される。
「ま、たまには外のテーブルも悪くねぇか」
そう自分に言い聞かせて、部屋を出た。
南七ブロックのスコア庁支所前は、朝からそこそこの人通りだった。
就労スコアの更新、税ポイントの申請、マッチ観戦登録。
みんな、何かしら自分の数字をいじりに来ている。
その向かいにあるガラス張りのカフェ<CoreBean>。
店内の白いテーブルと金属椅子が、いかにも「中流以上ですよ」と主張していた。
ドアを開けると、コーヒーと甘いシロップの匂いが鼻をくすぐる。
「いらっしゃいませー。ご注文お決まりでしたら──」
「あとでで」
店員の声を軽く流して、店内を見渡す。
すぐに目に入った。
窓際、支所のビルがよく見える席。
そこに、背筋を伸ばして座っている少女。
白いブラウスに薄いグレーのジャケット。
昨日とは違う服だが、どれも「いいもの」だと一目で分かる。
神崎アイリスは、テーブルの上に薄型タブレットを開いていた。
俺に気づくと、軽く手を上げる。
「こっちです、シン」
「はいよ」
向かいの席に腰を下ろした瞬間、しれっと店員が現れる。
「ご注文は?」
「一番安いコーヒー」
「ブレンドのSサイズでよろしいですか?」
「それで」
店員が去るのを待ってから、アイリスがタブレットをこちらに向けてきた。
そこには、クロスジャッジの詳細なルール解説と、過去のマッチング。
「昨夜、ある程度は目を通されましたか?」
「まあな。質問文いじって観客の予測当てるゲームだろ。あと、固定三人と自由観客の二層構造」
「理解が早くて助かります」
アイリスは、少しだけ口元を緩める。
「今回のマッチのテーマは、もう公表されているんです」
画面には、大きな文字でこう書かれていた。
『テーマ:スコア都市メトリカにおける“底辺”の存在価値』
「うわ、また煽ってくるテーマだな」
「主催者のセンスが透けて見えますね。“底辺のくせに文句言うな”と言いたいのか、“底辺にも役割がある”と言わせて満足したいのか」
「どっちにしても、ろくでもねぇ」
ちょうどそのタイミングで、ブレンドコーヒーが運ばれてきた。
ありがたいことに、ちゃんとカップに入っている。
ひと口すすって、苦味で頭を少しだけ覚醒させる。
「で、相手は誰なんだ?もう分かってるのか」
「はい」
アイリスが別のタブを開く。
そこには、二人目のプロフィールが表示されていた。
一人目──
『天城ルカ Score:580 ランク:レギュラー上位
職業:ミッドレンジインフルエンサー
フォロワー:23万
主な活動:スコア向上テクニック紹介、ライフハック配信』
写真には、軽薄そうな笑顔の男が映っている。
茶髪、ピアス、ブランドロゴの入ったパーカー。
「親しみやすさ」と「小金持ち感」を絶妙にブレンドした見た目。
「うわ、いるわこういうの」
「人気はあります。中層以下の視聴者には、特に」
「“簡単にスコア100アップ”とか言って、課金させるタイプだな」
「だいたい合ってます」
アイリスは若干呆れ顔で頷いた。
「そして彼のパートナーが──」
二人目のプロフィールが表示される。
『折木カイ Score:380 ランク:グレイ上位
職業:スコア庁外郭団体職員(※現在求職中)
主な活動:スコア制度に関するコメンテーター/コンサル』
黒縁メガネにきっちりとしたスーツ姿。
「こいつ、多分嫌いなタイプだわ」
「私もです」
即答だった。
「以前、スコア関連の討論番組でご一緒したことがあります。“制度に不満があるのは理解できますが、まず自助努力が足りないのでは?”が口癖のような人でした」
「うん、嫌い確定だわ」
天城ルカ──こっちの観客の感情を煽る担当。
折木カイ──制度側の理屈で正当化する担当。
組み合わせとしては、相性が良すぎる。
「観客層の予想は?」
「今回のマッチ会場は、例のコンビニの併設マッチルームです。南七ブロック周辺の住人+天城ルカのファンがメインになるでしょう」
「ってことは、平均スコア300前後ってとこか」
「そうなりますね」
アイリスがタブレットを指で弾くと、簡易なグラフが表示された。
南七ブロック住人のスコア分布だ。
山のピークは230あたり。
下側に百未満が割と多く、上側の五百位上はほとんどいない。
「底辺よりの中層が多数派、か。自分たちを“底辺だ”を思っているけど、数字的にはギリギリそこじゃない、くらい」
「ええ、だからこそ、“自分より下を見て安心したい”層が一定数います」
アイリスの声がわずかに暗くなる。
スコア都市あるあるだ。
自分が溺れずに済むのは、“自分よりさらに沈んでいる誰か”がいるおかげ──そう信じたい人たち。
「天城ルカは、そこに“優しく寄り添うふり”をしてフォロワーを稼いできました。底辺を笑いながら、“でも俺が支えるから大丈夫”と言って」
「やっぱ嫌いだわ」
「でしょう?」
アイリスが珍しく、楽しそうに笑った。
「で、私たちの立ち位置は、その“底辺より下”です」
「いや、お前は980だろ」
「形式上は、です。私はプライム出身の天下人。あなたはノーカット。観客から見れば、“自分たちとは違う連中”に分類されます」
「あー……」
腑に落ちる。
天城&折木ペア:観客と同じ“中層の目線から”話してくれる味方。
アイリス&シンペア:上から目線の元プライムと、「どう見ても底辺」の危険人物。
構図としては、完全に不利。
「正面から“底辺にも価値がある!”って叫んでも、“はいはい綺麗事”って終わるな」
「ええ。ですから──」
アイリスが、タブレットに新しいページを開く。
そこには、でかでかと一文。
『観客は、自分が“底辺側”だと認めたがらない』
「この前提から始めましょう」
「素直だな、お前」
「事実ですから。なので、私たちの質問文は、“自分を底辺だと認めさせる”方向ではなく──」
「“自分はまだマシだ”って思わせる方向か」
「その通りです、シン」
アイリスの指先が、タブレットにさらさらと文字を走らせる。
『案1:「あなたは“自分より下の人間”の存在に、安心したことがありますか?」』
「うわ。性格悪ぃ質問きた」
「性格が悪いのは、質問ではありません。世界です」
「名言みたいに言うな」
でも、たしかに上手い。
「底辺の存在価値」というテーマからは少しだけズレているようで、芯は外していない。
“底辺がいるからこそ、自分はまだやれていると思える”。
それもまた一つの“存在価値”だ。
「ただし、この質問だと、観客は『いいえ』と答えやすいですね」
「だろうな。“そんなこと思ってないですぅ”って顔したがる」
「ですから、もう一段階ひねりましょう」
アイリスが案2と書き足す。
『案2:「あなたは、“自分より努力していない人”を見ると、少しイラッとしたことがありますか?」』
「……あー」
思わず声が漏れた。
これは言いやすい。
“自分では努力してる側”だと主張しながら、“下を見ている”本音を引き出せる。
「“安心したことがありますか?”より、“イラッとしたことがありますか?”の方が、感情として正当化しやすい。『自分は努力しているのに、あいつはしていない』という怒りは、美徳として語られがちですから」
「しかも、“自分より下の人間”とは言ってない。けど、実質的にはそう読ませてる」
「お見事です」
アイリスが軽く拍手をする。
「質問文の中に、観客が“勝手に補う言葉”の余白を残すのがポイントです。『底辺』という単語は使わない。でも、頭の中ではみんな誰かを想像する」
「性格悪いゲームだな、ほんと」
「そこがクロスジャッジの醍醐味です」
アイリスは、楽しそうに言った。
この人、たぶん本気でこう言うのが好きなんだろう。
「で、相手の質問文はどんな感じになると思う?」
「天城ルカなら、こうくる可能性が高いですね」
といって、さらっと書き足す。
『予想:天城案「あなたは“スコア0〜100の人”がこの街で優遇されるべきだと思いますか?」』
「うわ、雑ぅ」
「雑ですが、刺さりやすいです。観客の多さは300前後。0〜100は“自分より下”です。『自分より下を優遇するなんておかしい』という本音を引き出せます」
「そのうえで、“でも俺はそんな底辺の味方なんだよね〜”ってポーズ取るわけか」
「そうです。きっと、『だから、俺のチャンネルでは、底辺からでもスコアを上げる方法を教えてるんだ』とつなげるでしょう」
想像できてしまうのが、余計腹が立つ。
「じゃあ、こっちはその“未来のコメント”も含めて、予測に織り込まないといけないわけだ」
「ええ。クロスジャッジの難しいところは、“相手の質問文+コメント込みで、観客の最終回答がどう動くか”を読まないといけない点です」
「なるほど。“初期値”ではなく、“最後の値”を当てるゲームか」
コーヒーを飲み干して、カップをテーブルに置く。
「──で、一つ気になってるんだが」
「なんでしょう」
「固定三人、誰連れてく?」
この三人次第で、空気は大きく変わる。
全員をアイリス側のプライム寄りにしてしまえば、「高みからの説教」になって嫌われる。
かといって、全員を俺の知り合いみたいな底辺寄りにすると、今度は説得力が足りなくなる。
アイリスは少し考えてから、タブレットに三つの仮ラベルを書いた。
『案:固定三人
1.元・底辺/今・中層(努力で少し上がった人)
2.現・底辺
3.プライム層』
「バランス型か」
「はい。“下から上がった人” “まだ下にいる人” “ずっと上にいる人”──三つの視点が揃えば、観客は『どれか一つには共感できる』状態になります」
「なるほどな。ぎゃきに、天城の固定三人は?」
「おそらく、彼のフォロワーから選ばれるでしょう。“努力して這い上がりました!”っていうストーリーを持っている人たちです」
「はいはい、“元底辺ですぅ〜”っていう便利な看板ね」
そういうストーリーが完全な嘘だとは言わない。
実際に努力して上がってきた人もいるだろう。
ただ、それを「テンプレ化して売り物にする」ことに、俺はどうしても好感を持てないだけだ。
「──一人、心当たりがあります」
アイリスが、ふと視線を上げる。
「1人目の“元・底辺/今・中層”枠に、適役が」
「誰だ?」
「あなたの隣の部屋の住人です」
「……は?」
あまりにも意外な名前に、変な声が出た。
「いやいや、なんで隣の住人のこと知ってんだよ」
「昨夜、あなたの住居データを確認しました。隣室の住人のスコア推移が、非常に特徴的だったので」
タブレットに新しいグラフが表示される。
一つは俺のスコア推移。
もう一つは「204号室住人:柏木ユナ」と表示されている。
柏木ユナ──隣の部屋の女。
顔を合わせれば軽く会釈する程度で、深く話したことはない。
夜勤明けっぽい時間に帰ってくることが多いから、何かのサービス業だとは思っていたが。
そのグラフには、こう記されていた。
『Score推移:
半年前:25
三ヶ月前:70
一ヶ月前:120
現在:230』
「綺麗に右肩上がりだな」
「ええ、特筆すべきは、その内訳です」
棒グラフが細分化される。
『行動ポイント:+30
就労ポイント:+20
感情ポイント:+60
その他:+95』
「感情ポイントの伸びが異常に大きい。おそらく、何かしらの“他者貢献系”の行動を継続しているはずです」
「あー……」
思い当たる節が、まったくないわけでもなかった。
夜遅く、階段の踊り場で泣いている子どもに話しかけているのを見たことがある。
近所の老人と買い物袋を持って歩いているのも見た。
その度に、俺はそっと視線を逸らしてきた。
善行ポイントってやつは、目に入れると自分が惨めになるからだ。
「……そんなの見てたのかよ」
「スコア庁の端末から見えるのは、あくまで数字だけです。行動の実態までは分かりません。ですが──」
アイリスが俺を見る。
「あなたなら、知っているでしょう?」
「俺が知ってるのは、“やたら隣人に挨拶する声の明るい女”って情報ぐらいだ」
「十分です」
きっぱりと言われた。
「“底辺寄りの地区で、実際にスコアを上げつつある人”は、観客にとって非常に刺さる存在です。『自助努力で這い上がった』と主張する天城側に対し、『いや、あなたが言っている努力と、彼女のやっている努力は違う』というカウンターの核になり得ます」
「勝手に隣人をゲームに巻き込んでいいのかよ」
「もちろん、本人が同意すれば、です」
アイリスはタブレットを閉じ、真剣な表情になった。
「クロスジャッジは、観客を“駒”として扱うゲームです。駒にされる側には、何も見えていないことも多い。だからこそ私は、駒にする相手には事前に説明し、同意をとるつもりです」
「……前に負けたマッチは、それがなかった?」
「ええ」
アイリスの目が一瞬だけ冷たくなる。
「『大丈夫、あなたたちは何もしなくていいから』と甘言を弄しておきながら、裏でスコアを操作されていました」
「それで“理不尽な負け“か」
「はい。だから今度は──自分たちの側だけは、そういう真似をしたくないんです」
プライム出身のお嬢様がそう言うのは、少し意外だった。
上にいる連中は、だいたい「下はどう使っても構わない」と思っているものだとばかり。
「性格悪いゲームのくせに、変なところで真面目だよなお前」
「“性格が悪い”のと“卑怯”なのは別です」
その線引きが、彼女の中でははっきりしているらしい。
「分かった。じゃあ、昼までには隣に声かけてみる」
「お願いします」
アイリスが、ふっと力を抜いた笑みを浮かべる。
「あなたがそう言ってくれると思っていました」
「買い被りすぎだろ」
「いえ。昨夜、あなたは赤の他人のために自分のスコアを少しリスクに晒しました。そういう人は、案外、他人を駒として扱えないものです」
図星を刺されると、反論の言葉が出てこない。
代わりに、テーブルの上のカップを指先でくるくると回した。
「──なぁ、アイリス」
「はい」
「一つ確認しとくけどさ。俺たち、別に“正義の味方”やるわけじゃないよな」
「もちろんです」
即答だった。
「私たちがやるのは、“不公平に対してゲームで殴り返す”ことだけです。世界を変えるとか、底辺を救うとか、そんな大それたことは考えていません」
「そっちの方が性に合うわ」
「でしょう?」
アイリスが立ち上がる。
「では、いったん解散して、それぞれ準備を。マッチ開始は今夜二十二時。二十一時半に、あのコンビニ前で集合でいいですか?」
「了解。遅刻はしない」
「もし遅刻したら……」
「スコア削る?」
「私が個人的に怒ります」
「そっちの方が怖いな」
二人で軽く笑って、カフェを出た。
昼過ぎ。
自分の部屋の前で、しばらくドアノブを握ったまま固まっていた。
(……いや、隣に声かけるだけだろ)
そう言い聞かせて、隣の204号室のチャイムを押す。
数秒後、ガチャ、とチェーンロックの音。
隙間から覗いたのは、見慣れた顔だった。
茶色がかった髪を後ろでざっと結んで、コンビニのロゴ入りエプロンを着た女──柏木ユナ。
「あ、久城君?」
「ども。隣の者です」
「うん、知ってるよ?同じ階だし」
くすっと笑う声。
明るいけど、どこか疲れも混じっている。
「今、大丈夫か?」
「うーん、バイトまでのあと一時間ぐらいなら。……もしかして、また換気扇の音うるさかった?」
「違う違う。今日は別件」
俺は、簡単に事情を説明した。
スコアマッチ。
クロスジャッジ。
固定三人。
そして、彼女のスコア推移。
「──ってわけで、お前を一人目の固定枠に誘いたい」
ユナは、最初きょとんとしていたが、話が進むにつれ、表情が真剣になっていった。
「へぇ……そんな面倒なゲームがあるんだ」
「面倒って言うな。概ね合ってるけど」
「いやだってさ、“観客の心理を読むゲーム”って一番ややこしいやつでしょ。正解なんてないのに、正解を当てさせようとする感じ?」
「言い方なぁ……」
でも、そういう見方も間違いじゃない。
「で、あたしに“スコア上がった底辺枠”をやってほしい、と」
「語弊の塊だけど、要約するとそう」
「正直でよろしい」
ユナは、ドアチェーンを外して、「入っていいよ」と合図した。
部屋の中は、俺の部屋よりも少しだけ片付いていた。
小さな観葉植物と、安物だけど可愛いカーテン。
テーブルの上には、仕事用と思しきメモ帳が広がっている。
「座って」
「お邪魔します」
床に直接座布団。
テーブル越しに向かい合うと、ユナがメモ帳を裏返した。
「久城くんがそうやって頼みに来るってことは、多分ちゃんと考えてるんだろうから……私も真面目に聞くけどさ」
彼女は一度、深呼吸した。
「そのゲームで、あたしが何か失う可能性って、どれくらいある?」
真っ先にそれを聞くあたり、やっぱりこの人は“上がるべき人”なんだろうと思う。
「正直に言うと──ゼロじゃない」
ごまかさず、そう答えた。
「クロスジャッジの固定三人には、一応スコア変動の保護はかかっている。でも、完全じゃない。観客の感情の矛先がそっちに向けば、多少なりともマイナスが入る可能性はある」
「ふむふむ」
「逆に、うまくハマればプラスにもなる。“この人すごい”って好感持たれれば、感情ポイントは上がるから」
「リスクとリターンが両方あるわけだ」
「ああ。それを踏まえて、“やめとく”って言うなら、それでいい。代わりは他を当たる」
ユナは、少しだけ俯いて考え込んだ。
部屋の隅の、まだ片付いていない段ボール箱に視線が一瞬流れる。
「……あたしさ」
ぽつりと、独り言みたいに呟いた。
「このアパート来たとき、スコア25だったんだよね」
「知ってる」
「ちょ、知ってるの?」
「上から数字見られる奴が一人いてさ、そいつに聞いた」
「こわ。ストーカー?」
「違う。元・スコア庁だ」
「あー、そっちの方がこわい」
でも、とユナは笑う。
「25のとき、正直、何もかもどうでも良かったんだよね。仕事も続かなくて、親とも喧嘩して。“あー、あたしこのままどっかで数字0になって終わるんだろうなー”って」
「……想像はつく」
「でも、階段で泣いてた子どもを助けたときにさ。“ありがとう”って言われてスコアちょっと上がって──。“あ、まだ上がる余地あるんだ”って分かったら、急に世界がマシに見えたの」
その時のことを思い出しているのか、ユナの視線は少し遠くなる。
「それからは、なんかちょっとだけ“試してみたく”なった。どれくらい上に行けるかなって。コンビニの夜勤シフト増やしたり、近所のじいちゃんばあちゃんの荷物持ったり、子どもたちの宿題見たり」
「お前、ボランティアの塊かよ」
「いや、別に全部善意ってわけじゃないよ?“スコア上がると気持ちいいから”っていう、結構俗っぽい理由だし」
それでも、その俗っぽさが、多分一番信用できる。
「あたし、別にヒーローになりたいわけじゃないんだよね」
「だろうな」
「でも、“頑張ってるのに報われない人たち”を、“努力不足でしょ”って切り捨てるやつは、ちょっと嫌い」
「それは、完全に同意」
折木カイの顔が、脳裏に浮かぶ。
まだ会ってもいないのに、すでに殴りたい候補ナンバーワンだ。
「だから、そのゲームでさ。“あたしみたいな人間もいるよ”って、ちょっとだけ見せられるなら──」
ユナは顔を上げた。
「参加してもいいよ」
「いいのか」
「うん。ただし条件付き」
「なんだ」
「負けても、“ごめんね”って言わないこと」
あっけらかんとした笑顔。
「駒として使うって話、ちゃんとしてくれたのは嬉しかったし。その上で“駒でいいよ”って言ってるんだから、終わってから変に謝られたらムカつくじゃん?」
「……了解」
妙に納得してしまう理屈だった。
「じゃあ、二人目と三人目はアイリスが探す」
「アイリス?」
「ああ、相棒」
「へぇ、相棒なんだ」
ユナがニヤっと笑う。
「なに、その顔」
「ううん、“無職のくせに相棒できてんじゃん”って思っただけ」
「余計なお世話だ」
でも、不思議と悪い気はしなかった。
夕方から夜にかけて、時間はあっという間に過ぎた。
アイリスからは、「二人目はうまく確保できました」とだけメッセージが来た。
名前はまだ伏せられている。会場でのお楽しみ、らしい。
そして──二十一時二十五分。
ディスカウントコンビニ<メトリカ・マート南七>の前には、すでに小さな人だかりができていた。
店の外側に新しく設置されたホログラム看板には、
『本日22:00〜
Public Score Match #2211-C “クロスジャッジ”
観戦無料/スコア変動あり』
と派手な文字が踊っている。
「うわ、本当に店先でやるんだな……」
ユナと並んでその看板を見上げていると、背後から声がした。
「お待たせしました、シン、ユナさん」
アイリスが、少しフォーマルなワンピース姿で現れた。
その隣には、見覚えのある人がもう一人。
「……お前かよ」
「よー、久城」
片手を上げて笑うのは、同じアパートの住人ではなく、俺が以前“南七ブロック通信障害事件”のとき、一緒に人を誘導した相棒──
元・配送ドライバーで、現在は個人タクシー兼なんでも屋をやっている男、鳴海タクト。
「二人目の固定枠、“現場で混沌を捌いてきた人”としてぴったりかなと思いまして」
アイリスがさらっと言う。
「いや、たしかにそうだけどさ……」
「久城の相棒だって聞いたからさ。おもしろそうなゲームなら乗るしかないじゃん?」
タクトは、いつものラフなジャケットのまま、場違いなほど明るい笑顔を見せた。
「三人目は、会場内で合流します」
アイリスが、マッチルームの入口を指す。
「……行きましょうか。“底辺の存在価値”を、テーブルの上で測りに行く時間です」
自動ドアが開き、冷房の効いた空気と、ざわめきが流れ出てきた。
店の奥に増設されたマッチルームには、すでに観客たちが集まり始めている。
中央には、リング状のステージと巨大なホログラフィックディスプレイ。
その側には、例の男──天城ルカが、カメラに向かって軽快に手を振っていた。
「さぁみんな、今日も“楽しく真面目に”スコアの話をしていこうか!」
その声に、観客たちのざわめきが一段高くなる。
久城シン、Score13。
神崎アイリス、Score980。
柏木ユナ、Score230。
鳴海タクト、Score190。
そして、まだ姿を見せない三人目。
数字に縛られた子も街で、その数字を使って殴り合うためのゲームが、いよいよ始まろうとしていた。
──クロスジャッジ、第一ラウンド。
俺たちの最初の問いかけが、この街の“底辺”と“中層”をどれだけ揺らせるか。
それがすべてを決める。




