第一話
俺の価値は、今日も数字一桁分だけ地べたを這っている。
メトリカ・シティ南区第七ブロック──住民からは「底辺ストリート」と呼ばれているエリアの、唯一まともに明かりがついている店。
ディスカウントコンビニ<メトリカ・マート南七>。ここが、俺・久城シンの主戦場だ。
理由は単純。
この店は、毎日二十二時ちょうどに弁当が一斉に値引きされる。
俺の体内時計はそのタイミングを秒単位で覚えていて、店のドアが自動で開く音を聞いた瞬間、自然と足が動いてくるようになってしまった。
「……あと三十秒」
冷蔵ショーケース前。
半額シールを貼るバイトの姉ちゃんが、弁当たちを一列に流れるのを眺めながら、心の中でカウントを切る。
天井モニターでは、さっきからずっと“今日のスコアニュース”が流れている。
『本日のトップスコアラーは──スコア982、神崎グループご令嬢・神崎アイリスさんです!』
ぱぁっと画面いっぱいに、整った顔立ちの少女の写真が映る。
完璧な笑顔。整った髪型。背景に映るのは高層タワーのラウンジらしい。
「知らねぇよ」
小声でだけ毒を吐く。
このコンビニに来る客の平均スコアなんて、せいぜい二百台。
俺に至っては──。
ふと、ドアの横に設置された簡易スキャナに目をやる。
黒い端末に、自分のIDチップを軽くかざしてみた。
ピッ。
『ユーザー:久城シン
現在スコア:12
ランク:ノーカット(無職)
推奨:軽作業マッチ・モニター調整プログラムへの参加』
「はいはい、知ってた」
わざわざ見なきゃよかったと後悔しながら、スキャナから手を離す。
十二。
メトリカのスコアは0〜1000のレンジで決まっていて、五百が「普通」、八百以上がプライム層、百未満は“ほぼ人権なし”のノーカット扱い。
その中での十二だ。
統計に乗る価値もない、誤差の端っこ。
別に、スコア制度に文句を言うつもりはない。
この街で生きるってことは、こう言うことだと分かっているから。
ただ──
(弁当買うだけで、これ以上削るのはやめろよな)
そう思いながら、ちょうど半額シールを貼り終えたチキン南蛮弁当をカゴへ放り込む。
レジへ向かう。
この時間だけはセルフレジだけが稼働している。
画面に「IDチップをかざしてください」と表示されていて、言われた通りに右手首を読み取り部へ近づけた。
ピッ。
「商品をスキャンしてください」
弁当のバーコードを読み取らせる。
ピッ。
「チキン南蛮弁当──定価498ポイント、値引き後249ポイント」
画面の表示をざっと確認して、「決済へ」をタップした、その瞬間──
「決済エラー。信用スコアの不審な変動が検出されました」
耳障りな電子音が、店内にくぐもって響いた。
……なんだって?
視線をモニターの先に向ける。
小さなオーバレイ表示がにじむように浮かび上がり、数字が変化して行くのが見えた。
『Score:12→8』
「は?」
口から間抜けな声が漏れる。
弁当ひとつ買おうとしただけで、スコアが四も落ちた。
普通、スコアがこのレベルで動くのは、犯罪や重大な違反行為をした時だけだ。
暴力、窃盗、情報偽装、公共物破壊……俺、今の十秒で何かやったか?
「お客様?」
近くにいた細身の店員が、不安そうにこちらを覗き込んでくる。
胸元には<メトリカ・マート南七>のロゴ入り名札。
「すみません、システム側から“スコア不正操作”のアラートが出てまして……お客様、何かされましたか?」
「いや、俺が聞きたいんだけど」
一応、レジ画面を操作する店員の指先を見守る。
画面の右上には、目立たないグレー文字が存在していた。
『※試験運用中:損失補填アルゴリズムVer.2.1』
損失補填アルゴリズム。
ああ、そういうことかよ。
店の「値引きしすぎによる赤字」を埋め合わせるため、“スコアが怪しい客”を自動判定して、レジ側で負担させる仕組み──そんな噂をネットで見たことがある。
まさか本当に導入してるとは思わなかったが。
「お客様、最近、スコアが急激に変動したりしてませんか?マッチゲームに参加されたりとか──」
「してねぇよ。というか、してたとしても、それと弁当は関係ないだろ」
俺の語気が少し荒くなる。
その時だった。
自動ドアが開く音とともに、つめたい夜風が吹き込む。
振り向いた俺の視界に、異物みたいに浮かぶシルエットがあった。
この通りには似合わない、やたらと上品そうなコート。
艶のある黒髪をきっちりまとめて、真っ直ぐな足で店内へ入っていく少女。
片手には、明らかにこのコンビニの雰囲気にはそぐわないブランドバッグ。
もう片方の手には、スマートグラス端末。
(……なんでこんなとこにプライム層が来てんだよ)
天井モニターのランキングで何度も見た顔だ。
ついさっきも「本日のトップスコアラー」として紹介されていた。
神崎グループのご令嬢、神崎アイリス。
現物は、画面越しよりもさらに「完成されている」という印象だった。
背筋が真っ直ぐで、動きに一切の無駄がない。
それが逆に、この安っぽい蛍光灯の下では浮きに浮いている。
彼女は俺なんかには目もくれず、ショーケースへ一直線に歩いて行き、簡単に温められそうなパンとジュースだけをカゴに入れた。
セルフレジに立つ。IDチップをかざす。スキャン。決済ボタンを押す──
「決済エラー。信用スコアの不正操作が検出されました。警備を要請します」
店内に、さっきと同じ電子音が鳴り響く。
え?
さすがの俺も、二度見した。
天井モニターの片隅の数字が、リアイルタイムで変わる。
『神崎アイリス Score:980→70』
桁、間違えてないか?
九百台から一気に二桁へ落ちるなんて、普通はありえない。
大規模テロでも起こさない限り、そんな急降下は起きないはずだ。
店内がざわつく。
「え、今“神崎アイリス”って──」
「ニュースで見たことあるぞ……」
「七十って、グレイ層どころかノーカット目前じゃねぇか……何やったんだよ」
好奇と恐怖が混ざった視線が、一斉に彼女へ向かう。
しかし当の本人は、眉ひとつ動かさなかった。
セルフレジの画面を、落ち着いた動作で呼び出し直す。
「ログを表示してください」
『要求は却下されました。当端末は損失補填アルゴリズムVer.2.1のテストモードに──』
その文言を見た瞬間、俺はさっきの自分のケースと繋がった。
(あー……なるほどね)
店員と神崎の間に警備ドローンが滑り込んでくる。
白と青のボディに<SECURITY>の文字。
レンズアイが赤く点滅している。
「対象ユーザーを確認。スコアの急激な低下を検知。要観察対象につき、一時拘束を推奨します」
合成音声が、店内の空気をさらに冷やす。
店員は明らかに戸惑っていた。
「あ、あの……神崎様ですよね?ニュースで……あの、本当に申し訳ないんですが、こちらもシステムの指示に従わないと──」
「構いません」
アイリスは、ぴたりと動きを止めた。
その瞳は静かで、焦りの色は一切見えない。
「ただし、その前に。この店とレジシステム側が、どの規約のもとこの損失補填アルゴリズムを運用しているのか、条項番号を提示してください」
「え、じょ、条項……?」
店員が固まる。
警備ドローンが代わりに答えた。
「当アルゴリズムは、“店舗損失軽減プログラム試験運用規約・附則第三条”に基づき──」
「その附則第三条は、一般消費者への公開承諾を必須としています。しかし私は、店内のどこにもその説明文を見ていません。あるいは──」
アイリスの視線が、天井の隅や出入り口を舐めるように走る。
「説明文のフォントサイズを“視認困難レベル”に設定している可能性が高い。いわゆる“抜け道利用”です。違いますか?」
「当端末は、その質問に答える権限を持ちません」
ドローンの合成音声が同じフレーズを繰り返した瞬間、店内の空気がわずかにざわついた。
「視認困難レベルって……」
「要は、客にバレないようにこっそりスコア削ってるってことか?」
「やべぇなこの店」
人々の囁きが、じわじわと店内を満たしていく。
スコアは行動だけでじゃなく、“他人の感情”のも反応する。
店への不信感は、即座に「店舗スコア」の軽微なマイナスとして集計されるはずだ。
だが──このままだと、アイリス一人が犠牲になる。
俺は、ため息をついた。
「なぁ」
気づけば、俺の口が勝手に動いていた。
セルフレジのレジの隙間から、一歩前へ出る。
警備ドローンのレンズが俺を認識し、警告音を小さく鳴らす。
「一般客は下がってください。当件に関与すると──」
「うるせぇよ。俺のスコアなんて、もう下げるとこ残ってねぇから安心しな」
軽く肩をすくめて、レジ画面を指差す。
さっきから気になっていた箇所を、わざと大きめの声で読み上げる。
「“損失補填アルゴリズムVer.2.1※テスト運用中。顧客の同意なく仕様が変更される場合があります”」
店内が、一瞬静まり返る。
その後──
「え、それマジで書いてある?」
「写真撮っとけよ」
「同意なくってどういうことだよ、スコア勝手にいじられてんのか?」
さっきより露骨なざわつきが起きた。
俺はその反応を待っていた。
「……な?」
店員に視線を戻す。
「あんたら、客のスコアを実験材料にしてるってことだよ。説明もろくにしないで、“不審な変動”とか言ってるけどさ──」
レジ上のカメラにわざと顔を向けて、ニヤッと笑う。
「不審なのは、どっちだ?」
“世論”──つまり顧客の感情が一方向に傾いた時、スコアシステムはリスク評価をやり直す。
俺がネットで拾い読みした、スコア庁の技術資料にはそう書いてあった。
数秒の沈黙のあと、ドローンの目の色が赤から黄色へと変わる。
「……再評価中。店舗損失軽減プログラム運用リスクが基準値を超過しました。テストモードを一時停止します」
「決済ログを再照会。対象ユーザー・神崎アイリスの決済に不正は見られません──スコア変動をロールバックします」
天井モニターの数字が、再び変わる。
『神崎アイリス Score:70→980』
店内から、小さな安堵と驚きのため息が漏れた。
ついでに、俺のIDチップも一瞬光る。
『久城シン Score:8→13』
「おお、ちょっと上がった」
思わず口に出てしまう。
誤差の範囲とはいえ、久々に見た“上昇矢印”だった。
店員は冷や汗をかきながら、深々と頭を下げる。
「か、神崎様、この度は……本当に申し訳ありませんでした!こちら、商品代は無料で結構ですので──」
「いえ、支払いはします」
アイリスは、静かにレジにカードを差し込む。
さっきの一件で、彼女のスコアはもとに戻ったが、店の評価は微妙に下がったはずだ。
それは、それでいい。
俺は、自分のカゴをレジに置き直す。
「こっちの“スコア不正操作”もロールバックしてくれない?」
「も、もちろんです!」
店員が慌てて操作する。
俺のスコアも、もとの十二に戻った。
……いや、さっき十三になってたはずなんだけど、と突っ込むのはやめた。
惜しいが、一ポイントのために揉めるほど暇じゃない。
会計を終え、ビニール袋を提げて自動ドアへ向かう。
背後でドローンと店員がバタバタしている音がする。
外は、昼間に降った雨の残り香がアスファルトにこびりついていた。
街灯とネオンが水たまりに揺れて、やけに綺麗に見えるのが腹立たしい。
「──待ってください」
背中から、澄んだ声が飛んできた。
振り向くと、さっきの少女──神崎アイリスが、店の出入口に立っていた。
コンビニのビニール袋を片手に持ち、もう片方の手で髪を押さえている。
「さっきは助けていただき、ありがとうございました」
「別に。ムカついたから口を挟んだだけだ」
本音だ。俺は、理不尽が嫌いだ。
自分に降ってくる分にはまだ諦めがつくが、他人にまでぶっかけてるところを見ると、どうにも我慢ならない。
「それでも、です」
アイリスは、歩幅を乱すことなくこちらへ近づいてくる。
近くで見ると、余計に“画面の中の人間”感が強い。
肌のきめ細かさとか、姿勢の良さとか、全部が整いすぎている。
「久城シンさん、ですよね」
「……なんで名前知ってんだ」
「店内スキャナのログで見えました。あれくらいの情報なら、誰でも参照できますので」
「ああ、そういやそうだったな」
IDチップの情報は、基本的に「その場の公的端末」なら誰でもある程度見られる。
住所や詳細プロファイルまでは出ないが、名前とスコアぐらいは丸見えだ。
「さっきのあなたの行動」
アイリスは、夜風に揺れる髪を押さえながら言った。
「“顧客の感情を使ってシステムを揺さぶる”──典型的なスコアマッチ用のムーブです」
「……別に、そんなつもりじゃねぇけど」
「つもりがなかったのに、あそこまで綺麗に決まるのは、才能です」
真顔で言われると、否定しづらい。
というか、スコアマッチ、って単語を一般人が口にするのはなかなか珍しい。
「神崎アイリス。ご存知の通り、スコア980──だった人間です」
「過去形なんだ」
「さっき、七十まで落とされましたから。ロールバックしましたが、その時点でシステムには“要注意フラグ”が立ちました。今後、私に対する判定は厳しくなるでしょうね」
あっさりという。
プライム層ってのは、こういうのを気にしないメンタルが標準装備なのか。
「で、その要注意お嬢様が、底辺ストリートのコンビニで何してんだよ」
「あなたに会いにきました」
「……は?」
思考が数秒止まった。
「いや、だって、初対面だろ俺ら」
「初対面ではありません。少なくとも、私は以前からあなたを知っています」
さらっと怖いことを言うな、この人。
「久城シン。数ヶ月前の“南七ブロック通信障害事件”覚えてますか?」
「……あー、あれな」
このブロックだけ、数時間ネットも決済も使えなくなった事件。
スコア計算も止まり、店も交通も全部麻痺して、軽いパニックになった。
「市のログによれば、あなたはあのとき、停止中の交通信号の“行列パターン”から裏道の混雑度を予測し、近隣住民を誘導しました。結果、避難の遅延による事故はゼロ。しかし、その行動は正式に報告されず、“行き当たりばったりの偶然”として処理されています」
「……なんでそんなこと知ってんだよ」
「スコア庁のデータベースには、公開/非公開問わず、そういったログが残っています。私は、そこにアクセスする権限を──少しだけ持っていました」
“持っていました”。
つまり、今はその権限を失っている、ということだろう。
「あなたのスコアが十二なのは、おかしいんです。本来なら、あの時点で最低でもプラス五十は加算されていてもおかしくない」
「まあ、そのへんで色々あってさ」
俺は、適当にはぐらかす。
実際、“南七ブロック通信障害事件”のあと、俺のスコアは一時的に上がりかけた。
でも、そのすぐ後に別のタグがつけられた。
『要監視:不正シミュレーション傾向あり』
──という、ありがたいラベルが。
原因は分かっている。
スコア制度の抜け道を検証するために、ちょっと“余計なスクリプト”を走らせたせいだ。
そのせいで、俺のスコアは「上がりにくい扱い」になった。
天井には届かないよう抑えられている。
世界から、「ほどほどの底辺」と言うポジションを割り当てられたわけだ。
「だから、どうでもいい。俺のスコアがどうだろうと、弁当が買えればそれで──」
「“どうでもいい”と言える人の目では、ありませんでした」
アイリスが、まっすぐこちらを見て言った。
「さっき、あなたは明らかに“戦略”を組んで動きました。テスト運用中の文字を読み、観客の視線を誘導し、店のシステムとリスク評価を逆算して──」
「そんな大層なもんじゃねぇよ。ただ、あのフォントサイズじゃ普通読めないから、“読めるやつが読んでやんないと、不公平だろ”ってだけだ」
「そう言うのを、世間では“才能”と呼ぶんです」
彼女の口元が、ほんの少しだけ柔らかくなった。
「久城シンさん、あなた──」
一拍の間。
「スコアマッチに、興味はありませんか?」
来た。
その単語を、俺は何度もモニター越しに見てきた。
スコアマッチ。
正式名称:Public Score Match。
スコア同士を賭けて争う、メトリカ最大の娯楽にして、唯一合法的な“戦争”。
勝てば、自分のスコアと社会的立場を一気に引き上げることができる。
負ければ、その逆。
テレビやネット中継では、毎日のようにハイレベルな試合が中継されている。
ただのカードゲームやボードゲームに見えて、その裏では政治や企業の思惑すら絡んでいると言われる世界だ。
「興味は……」
俺は、空を見上げる。
高層ビルの合間に、点々とスコア表示のホログラムが浮いている。
プライム層980。
レギュラー層643。
グレイ層310。
そして、ノーカット十三──さっき微増した俺の数字。
「ないと言えば嘘になる」
正直に答える。
「でも俺みたいな“要監視タグ付き”は、普通のマッチには呼ばれねぇよ。システムが嫌う。“予定調和のゲーム”を壊しかねない駒なんて、テーブルの上には置きたくないだろ」
「だからこそ、です」
アイリスの瞳に、わずかな熱が宿る。
「私はつい最近、あるスコアマッチで“理不尽な負け方”をしました。ルールの外側から仕組まれた、出来レース。その結果が、さっきの一時的な七十です」
冤罪、ってやつか。
さっき店内で見た彼女の落ち着きは、初めてじゃない種類の理不尽だったから、かもしてない。
「私は、それをひっくり返したい。スコア制度そのものを壊すつもりはありません。ただ、“ルールを曲げて自分だけ得をする連中”を、ゲームのテーブル上で叩き潰したい」
その言葉には、久城シンという一個人から見ても、妙な説得力があった。
「そのためには、私一人の力では足りません。システムの仕様を“内側から知っている私”と──顧客の感情と行列パターンから世界を読み、理不尽に抗うあなた。この二人が組めば、“勝てる”と思いませんか?」
「……大きく出たな、お嬢様」
「アイリスで構いません」
「じゃあ俺も、シンでいい」
「わかりました、シン」
アイリスは、すっとスマートグラスに触れる。
数秒後、俺のIDチップが小さく震えた。
『新規通知:Public Score Match 招待状』
視界の端に、システムオーバーレイが浮かび上がる。
「おいおいおい……」
「私は、有力なマッチ主催者に少しコネがあります。“要監視タグ付きのノーカットと組んで出たい”と伝えたら、むしろ食いつかれました」
「いいのかよ、それ」
「いいんです。あなたがさっき言ったでしょう?“読んでるやつが読んでやんないと、不公平だろ”って」
アイリスの目が、わずかに笑った。
「不公平は、まとめてテーブルの上に乗せてしまいましょう。そこでなら、私たちは堂々と──“ゲームとして”叩き潰せます」
通知ウィンドウを開くと、マッチ名と簡単な説明が表示されていた。
『Public Score Match #2211-C
タイトル:クロスジャッジ
形式:ペアマッチ
参加条件:合計スコア1000以下のペア
勝利報酬:各自+100スコア/次期マッチ優先出場権』
「クロスジャッジ、ね」
噂で聞いたことがある。
顧客の意見とプレイヤーの予測が交差する、心理戦特化型マッチ。
合計スコア千以下──
つまり、上層の連中は出てこない。
底辺と中層だけの、泥臭い勝負になる。
「どうしますか、シン」
アイリスが、まっすぐに俺を見る。
「この招待状を“拒否”することもできます。その場合、私は別のパートナーを探すだけ。あなたの生活は、明日もきっと今日と同じように続くでしょう」
「脅してんのか、褒めてんのか分かんねぇな、それ」
「半分脅し、半分本気です」
あっさり言い切るあたり、正直でよろしい。
俺は、ビニール袋の中のチキン南蛮弁当を見下ろした。
冷えかけたソースが、コンビニの白い光を反射している。
このまま帰って、電子レンジで温めて、適当に動画でも見ながら食う。
いつも通りの夜。
いつも通りの、十二ポイントの人生。
それも悪くはない。
それだけで生きていけるなら、それでいい。
──そう思えるほど、俺はまだ達観できていないらしい。
「一つだけ聞かせろ」
「どうぞ」
「これ、勝ったらどうなんだ?俺のスコアは上がる。それは分かる。でも、お前は?」
アイリスは、ほんの一瞬だけ言葉を選んだ。
「私のスコアは──元に戻るか、あるいは全てを失います」
「……リスク、高ぇな」
「もともと、私には失いたくないものが多すぎました。その結果が、今です。だから、これからは少しだけバランスを変えようと思っています」
その顔には、不思議と清々しさがあった。
「失う覚悟をした人間は、案外、強いですよ」
「そうかよ」
どこまで本気か分からない。
でも──
(“全部失ってもいい”って顔じゃない)
アイリスの瞳の奥には、まだ何か守りたいものが残っている気がした。
その「何か」がなんなのかは知らない。
知る義務もない。
ただ、自分だけにリスクを負っているわけじゃないのは分かった。
──そう言うのには、弱い。
自分でも、面倒くさい性格だと思う。
「……一戦だけだぞ」
ため息混じりに、俺は言った。
「やってみて、クソみたいな出来レースだったら、その場でテーブルひっくり返して帰るからな」
「その時は、一緒にひっくり返しましょう」
アイリスが微笑む。
プライムそうの笑顔ってやつは、こうも眩しいのか。
「パートナー登録、承認しても?
「好きにしろよ、相棒」
その言葉をトリガーにしたかのように、通知ウィンドウの「参加する」ボタンが、やけに大きく見えた。
指先で、それを軽くタップする。
『参加登録が完了しました。
Public Score Match #2211-C “クロスジャッジ”
開催日時:明日 二十二時
会場:メトリカ・マート南七 併設マッチルーム』
「よりによって、ここかよ……」
思わず苦笑する。
さっきまで損失補填アルゴリズムを回してやがった店が、今度はマッチ会場か。
「因縁の場所で戦う方が、燃えるでしょう?」
「お前、けっこう性格悪いな」
「よく言われます」
夜風が、二人の間を通り抜けていく。
スコア都市・メトリカの雑多なネオンが、遠くで瞬いた。
数字に縛られたこの街で、ようやく“ゲームらしいゲーム”の招待状が、俺の足元に転がってきた。
さて──
久城シン、スコア十三の無職。
明日からしばらく、“無職のまま”でいられる保証は、もうどこにもないらしい。




