第15話 封印解放
朝焼けの森を、アシェルたちは必死に駆け抜けていた。
地面には馬車の轍がはっきりと残り、朝日に照らされて銀色に光っている。それはまるで彼らを嘲笑う道しるべのようだった。
「くそっ、まだ追いつけないのか……!」ゼインが息を荒げて叫ぶ。
「このままじゃ追いつけないわね。」リィナが冷静に言いながらも、瞳には焦りが宿っていた。
しかし、峠を越えたところで――轍は突如として途切れていた。
「……消えた……?」アシェルが立ち止まり、呆然と地面を見下ろす。
「そんなはずない……さっきまで確かにここを……!」ゼインが地面を探るが、土は荒らされておらず、まるで最初から馬車がなかったかのように静まり返っていた。
リィナはため息をつき、腰のポーチから数枚の札を取り出した。それらは淡い青光を放ちながら宙に浮かび、複雑な紋様を描いていく。
「アナタたち……本当に気づかなかったの?」
その声音には、皮肉と呆れが混じっていた。
「……え?」アシェルとゼインが同時に首をかしげる。
リィナは冷ややかに言い放つ。
「ライラ。あの女、普通の商人じゃないって最初から分かってたわ。
だってそうでしょ? アシェル、思い出してみなさい。馬車で移動しているとき、あの女があなたの手の甲を見てこう言ったじゃない。」
『あら……その紋章……まさか、あなた……守護者様ですか?』
『まあ! なら、これから修行に行かれる途中なのですね?』
アシェルの顔色が変わった。
「……っ! 確かに……そんなこと、俺は何も話してないのに……!」
「そうよ。修練場のことを知ってる時点で普通じゃないわ。
だから私は、あの馬車に追跡符を仕込んでおいたの。」
そう言うと、リィナの札がひときわ明るく輝き、地面に新たな紋様を描き出す。
その光は一本の線となり、森の奥へと続いていく。
「……これがライラの馬車の位置を示しているわ。」
アシェルは悔しそうに叫んだ。
「だったら最初に言ってくれよ! 俺たちはずっと……!」
「脇が甘いという教訓をあなたに与えたかったのよ。」
リィナは涼しい顔で答える。
そのやりとりを聞いたゼインが吹き出した。
「……ははっ。言われてるぞ、アシェル」
「あなたも同じ、脇が甘いわよ、ゼイン。」
リィナが睨み返すと、ゼインは肩をすくめて口を閉ざした。
緊張感の戻った一行は、光が示す道を辿り森を駆け抜ける。
やがて鬱蒼とした木々の先に、黒々と口を開けた洞窟が現れた。
洞窟の奥には、異様な光景が広がっていた。
無数の封印機が整然と並び、その一つ一つから薄い瘴気が立ち上っている。そして、その中央にライラが立っていた。
「……思ったより早かったわね。」
ライラはゆっくりと振り返り、艶やかな笑みを浮かべる。
リィナが追跡札を出して言う
「怪しいと思たっから追跡札をつけさせてもらったわ」
いたずらっ子のように笑うライラ
「ふふ、追跡札? あれには最初から気づいていたわよ。
リィナ、あなたが私を疑っていることなんて、すぐに分かったわ。
あえてここに招待したのよ」
リィナが息を呑む。
その横でゼインが皮肉交じりに言った。
「……ははっ。お前も脇が甘いってさ、リィナ。」
リィナは悔しがってゼインを睨む。
「うるさいわね。計算通りよ。」
リィナは悔しげに睨み返した。
「ライラ!」アシェルが叫ぶ。「お前……俺たちを騙していたのか!」
ライラはゆっくりとフードを外し、肩を揺らして笑った。
「騙す? 違うわ。利用しただけよ。新米の守護者さんには、ちょうどいい餌だったから。」
彼女はバッと商人服を脱ぎ捨てる。
瞬間、緻密な法術師の装束がその身を包み、洞窟に淡い光を放った。
「……法術師……!?」ゼインが愕然とする。
「そうよ、私はドラスの法術師だった。」
ライラの声が冷たく響く。
「冥途の土産に昔話をしてあげる。
私は仲間と共に、あの雷獅子ライメイの討伐隊に参加していたわ。
けれど、何回目かの討伐遠征のとき、想定外の災魔将が現れた。
その時あいつは、ライメイは私たちを囮にして逃げたのよ。」
彼女の瞳が憎悪に染まり、声が震え出す。
「仲間はみんな殺された……! 残ったのは私一人。
英雄だと讃えられる守護者の裏の顔――それが雷獅子の正体!」
アシェルが言葉を失い、ゼインが拳を握り締める。
「だから私は誓ったの。
雷獅子の仮面を剥ぎ、奴を地獄に叩き落とすって!」
ライラは腕を広げ、周囲の封印機を指し示した。
「封印機は、これだけじゃないわ。
私はこれを――雷獅子が守る街の周辺に数百個、ばらばらに仕掛けておいたのよ!」
「なっ……!」リィナが息を呑む。
「封印を時間差で解除すれば、街は断続的に災魔に襲われる。
最初は混乱、次第に絶望、そして最後には完全な崩壊……!
雷獅子はその中で英雄として立ち回るでしょう。でも、
真実が露わになれば――あいつは自分の作り上げた“英雄像”の中で死ぬのよ!
化けの皮を剥いだところで死ぬより苦しい目に合わせてあげる予定よ。」
ライラの狂気を帯びた笑い声が洞窟に響き渡る。
「お前……狂ってる……!」アシェルが震える声で言った。
「狂っているのは、世界よ!それに鎧と共鳴できた守護者が狂っているなんてお笑いね!」ライラが叫ぶ。
「災魔と守護者の果てしない輪廻……私はそれを終わらせるの!
だから――新米の守護者、あなたにもここで死んでもらうわ。雷獅子に味方されたら面倒だもの」
彼女は手に札を構え、不気味に笑った。
「これでお別れよ。
私は雷獅子を殺しに行くから、あなたたちと遊んでいる暇はないの。」
次の瞬間、札が強烈な光を放ち、洞窟全体を白く染め上げた。
視界が奪われ、アシェルたちは思わず目を覆う。
光が収まったとき、ライラの姿は消えていた。
同時に――洞窟の入り口が爆発音とともに崩落する。
「っ……出口が……!」ゼインが顔を覆いながら叫ぶ。
崩れた岩が通路を完全に塞ぎ、退路は断たれた。
その直後、封印機が一斉に赤い光を放ち始める。
低いうなり声が響き、蓋が跳ね上がった。
「ギィィィィィッ!!」
数種類、数十体もの災魔が一斉に解き放たれる。
狼型、鳥型、蛇型……混沌とした群れが洞窟内を埋め尽くす。
「くそっ、逃げられたか……! でも今はこいつらを倒すしかない!」
アシェルが剣を抜き、前へ出る。
ゼインも封印術を構え、リィナは符をばらまきながら構えた。
洞窟の奥、赤い光が点滅する封印機の列が次々と開き、瘴気と悲鳴が吐き出される。
ゼインとリィナは必死に駆け回り、開いた封印機を拾っては地面に設置し、
出現した災魔を再封印していく。
また次の封印機へ駆けより封印を行う。
だが数は多く、封印術式が間に合わない。
「何とか――今のうちに再封印を!」ゼインが声を張る。
地面に紋を描き、封印術を展開していく。
しかしそれでも、全てを追い切ることは出来ない。
奥から、また別の封印機が赤く光り、まだ開ききっていない封印機から、
複数の災魔が吐き出される。数の増加に、二人の動きは次第に追いつかなくなっていった。
「数が──増えすぎる!」リィナが短く叫ぶ。
札を投げ、石の柵を生み出して数体を抑えるが、別の群れが角から押し寄せる。
アシェルは剣を構えたものの、相変わらず素人の動きしかできない。刃は災魔の鱗をかすめるだけで、まともに止められない。四方八方から押し寄せる影に、次第に囲まれていく。
「くっ……こいつら、止められない……!」アシェルの声が震える。体はまだ災魔長との闘いの傷が癒えていなかった。
群れが締め上げてくる。狼型が低く唸り、羽を広げた鳥型が急降下する。ゼインは封印の輪を次々に置いて回るが、数の勢いがそれを上回る。
アシェルは胸の中の何かが裂けるような感覚に襲われた。
母の叫び、妹の顔、広場の血――憎しみと無力感が煮えたぎる。剣を握る手に力が入る。
アシェルがとうとう決断する。
「しょうがない、鎧をつかう」
出した言葉は低く、覚悟に満ちていた。リィナが鋭く振り向く。
「わかったわ、でも暴走だけはしないでよ、こんな洞窟で大技つかったらすぐ生き埋めよ」
ゼインも思わず感極まって叫ぶ。
「生き埋めはいやだー!」
アシェルは二人の声を聞いて、ゆっくりと頷いた。目に決意が宿る。
「分かってるよ、でも暴走したら止めてくれ」
短い沈黙の後、アシェルは右手を地面に叩きつけた。
手甲の紋章が震え、紋様が石床に広がる。紋は瞬く間に円を描き、
金属がこすれる冷たい音が洞内に鳴る。
光の柱が天井まで伸び、暗い闇のような鎧が鋭く成形される。
甲冑は音もなくアシェルの身体を包み込み、瞬時に装着が完了した。
猛禽類を思わせる兜の意匠が彼の顔を覆い、肩の飾りがかすかに震える。
装着と同時に、アシェルは腰の柄を掴み、剣を引き抜いた。刃先は血と瘴気をはじくように冷たく光る。
彼の動きは一瞬にして変わった。素人だった身体が、鋭い一点へと収束する。
剣は風を切り、近づいた災魔の一体に真っ直ぐ突き立てられる。
「――!」鳥型の災魔が悲鳴を上げ、裂ける。血と瘴気が迸り、空間が暗い霧で染まる。刃は続けざまに振るわれ、次の狼型、蛇型の群れを断ち切った。だが、彼が刃を下ろすたびに胸の奥で何かが小さく崩れていく感触があった──鎧が求める代償を、身体が確かに受け取っている。
アシェルは一息に構え直し、振り向いてゼインとリィナを見る。彼らはきつく息を吐きながらも、彼の背を固める構えを見せている。
「二人とも行くぞ」アシェルの声は低く、揺るがなかった。
その声に、二人は小さく応じ、三人は再び災魔の群れへ飛び込んでいった。
「応!」「ええ!」
三人と災魔の群れが激突した。