第11話 翼、空を裂いて
翌朝。
昨夜、鎧と契約したアシェルは、まだ身体に残る重みと疲労を抱えながら、町外れの広場へと足を運んでいた。
あの夜、自分が倒れた場所――焦げた石畳と、まだ消えきらない災魔の瘴気が漂い、鼻をつく腐臭が残っている。
この光景は、災魔が現れる前の平穏な町を完全に破壊した現実を、容赦なく突きつけてきた。
アシェルは近くの木製ベンチに腰を下ろし、手の甲に刻まれた契約の紋をじっと見つめた。
金属光沢を帯びた紋章は、昨夜の儀式の証。触れるたび、胸の奥に冷たいものが広がる。
「……本当に、俺が……」
呟きは風にかき消された。母とアリアの笑顔、あの日の悲鳴――災魔がもたらしたすべてが脳裏に焼き付いて離れない。
復讐心と恐怖がせめぎ合い、心が千々に乱れる。
背後から足音が近づく。
アシェルが振り返ると、ゼインが立っていた。腕を組み、険しい目で彼を見下ろしている。
「……無事に契約できたようだな。」
ゼインの声は淡々としていたが、その奥には微かな安堵が混じっていた。
アシェルは立ち上がり、気まずそうに視線を逸らす。「……ああ。」
ゼインはしばらく黙ったままアシェルを見つめ、それから低く告げた。
「できるだけ……戦うな。災魔が現れたら、俺が封印する。」
「なっ……!」アシェルは驚きと怒りで顔を上げる。
「何言ってんだよ……俺は鎧を手に入れたんだぞ! 戦えるんだ!」
ゼインはその声を遮るように、ゆっくりと言葉を続けた。
「お前はまだ若すぎる。戦場に立たせるには……早すぎるんだ。
俺は何人も守護者を見てきたが、あいつらの末路はみんな同じだった。命を削り、災魔と相打ちになり……消えていく。」
ゼインの瞳がかすかに揺れる。「……俺にも弟がいた。あいつは災魔に殺された。もし生きてりゃ……今のお前くらいの年齢だ。」
静寂が落ちる。ゼインの拳は白くなるほど固く握りしめられていた。
「だから……お前まで死なせたくねぇんだよ。」
その言葉に、アシェルの胸が痛んだ。反論したい気持ちと、ゼインの想いを理解してしまう自分――その狭間で口を閉ざす。
そのとき、甲高い悲鳴が町の方角から響いた。
「きゃああああああっ!!」
アシェルとゼインが同時に振り返る。
空を覆うように、黒い影が群れを成して迫ってくる。
それは翼を持つ災魔たちだった。
羽ばたくたびに瘴気を撒き散らし、獣のような咆哮を上げながら急降下してくる。
「くそっ……数が多すぎる!」
ゼインは封印術を展開しようとするが、飛行する災魔は地上術式の範囲外で術が届かない。
「俺じゃ……空を飛ぶ災魔は封じられねぇ……!」
災魔の群れが町へと突っ込み、人々の悲鳴がさらに響き渡る。
アシェルの脳裏に、再び母とアリアの断末魔がよみがえった。
アシェルは強く歯を食いしばり、ゼインを一瞥する。
「ゼイン……俺が戦う!」
その一言には迷いがなかった。
アシェルの右手の甲が青白く輝き、その光が地面に広がっていく。
瞬く間に巨大な鷲の紋章が地面一面に浮かび上がる。
紋章が完成した瞬間、突風が巻き起こり、空気が震えた。
重厚な金属音とともに、鎧が地面からせり上がるように姿を現す。
闇のように重厚な甲冑が現れ瞬間的にアルシェの全身を覆った。
兜が閉じられると、赤黒い視界の中に空を飛ぶ災魔の群れが映し出される。
アシェルは無言で災魔を睨み据えた。
次の瞬間――背部の装甲が音を立てて開き、黒い金属の翼が展開する。
禍々しい羽音が広場に響き渡る。
ゼインは思わず目を見開き、息を呑む。
「……翼……? 空を飛ぶ鎧……こんなの、聞いたことがねぇ……!」
アシェルは地を蹴り、翼を広げて夜空へ飛翔した。
疾風が巻き起こり、その姿が一気に災魔の群れへと突っ込む。
腰に装着された剣を抜き放ち、翼を翻しながら急降下――
災魔を一体、また一体と斬り裂いていく。
血と瘴気が空中に散り、暗い空がより黒く染まった。
だが災魔の数は多く、アシェルの周囲を取り囲むように散開していく。
そのとき、空が赤黒く染まり、災魔たちが一斉にざわめき始めた。
群れを押し分け、巨大な影が現れる。
翼は他の災魔の数倍、角と爪は鋭く、邪悪な気配を放つ存在――災魔長。
ゼインが苦々しく呟く。「……っ! まさか、群れを束ねる災魔長まで……!」
災魔長が咆哮を上げると、衝撃波が走り、アシェルは制御を失って地面に叩きつけられた。
石畳が砕け、土煙が舞い上がる。
「アシェルッ!!」
ゼインが駆け寄り叫ぶ。
アシェルはゆっくりと立ち上がり、災魔長を睨みつけた。
その眼差しには、恐怖を越えた決意の炎が宿っていた。
災魔長が大地を踏み鳴らし、地面に大きなひびが走る。
アシェルは剣を構え、低く身を沈めて一歩踏み出す。