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かずさとノエル①

 一面真っ白だ。霧が辺り一帯に広がっていて何もない空間が広がる。空は無いが上の方は何故か明るい。かずさは一人見知らぬ場所に立っていた。不思議と温かいその場所はとても居心地が良かった。

 「ここどこ…」

 目覚めたらここにいた。自分は今まで何をしていて、どうしてこんな場所にいるのだろうか。自分の状況を振り帰ろうと考えを巡らせるが、かずさはすぐに思考を止めた。

 遠くに黒い影が見えのだ。目を凝らすと、それは二人の人影のようだ。二つの影はゆっくりと歩いて近づいてくる。敵か味方かもわからない存在が近づいてきているのに、不思議と不安はなかった。寧ろ安心感すら感じていた。

 やがて近づいてきた二人の影が男女だとわかった時、影は少し離れた位置で止まった。

 「だ…だれですか…」

 敵意を感じていないとはいえ、見知らぬ相手だ。かずさはおずおずと尋ねる。

 影の二人は驚いたようにお互い見つめ合い、かずさを見て、女性の影だけがゆっくりと近づいてくる。

 現れたのは黒髪に黒い瞳を持った、優しそうな若い女性だった。村の住民と同じ容姿をしているが、服装は所々レースの装飾がされた白い絹のワンピースを着ている。かずさの知らない人物だが、どこかで見たことがある気がする。

 女性は口を開いて何か言葉を発しているようだが、かずさの耳には音ひとつ聞こえない。頭を傾けるかずさに女性は聞こえないと分かったのか苦笑している。かずさの目を見つめ女性はゆっくりと口を動かしながら触れられる位置まで近づく。

『か・ず・さ』

 女性はかずさの頬を優しく撫でてから、抱きしめた。

 されるがままになっていたかずさだが、抱きしめられた時に感じた女性の香りや温かさに今まで感じた事のない懐かしさを感じた。会ったことも無いのに、覚えてるわけないのに、自分と似た顔をした女性の存在に感じた事のない安心感を感じた。

 「っ…おかあ…さん?」

 優しく抱きしめてくれる腕がさらにぎゅっとかずさを包み込んだ。気づけば子どものようにかずさはむせび泣いていた。子ども時代にもこんなに泣いたことはない。必死に女性の背中を抱きしめ、肩に顔を埋める。

 「私とても幸せだよ?親父様はぶっきらぼうだけど優しいし、良い友達もいるし、妹みたいな子だっている。他の村人の皆にも良くしてもらってる。でも、やっぱり、どこかで…どこかであなたたちに会いたいって思ってた。羨ましく思ってた…」

 母親の温かさにずっと包まれていたい。ずっとこのまま抱きしめてもらいたい。

 力強く抱きしめるかずさに母親は優しく肩を持ち引き離す。そして涙やら鼻水やらでぐちゃぐちゃなかずさの顔を指で優しくぬぐった。泣くことでいっぱいいっぱいだったかずさだが、母親と顔を合わせて初めて母親も目を赤く腫らし、泣いていることに気づいた。横を向くといつの間にか青い髪に群青の目をした男性がかずさを優しく見つめていた。この男もまた母と同じ異国風の作務衣に似た格好をしている。男は泣きじゃくるかずさの頭を優しく撫でる。かずさは直感的にこの男が自分の父であることを悟った。

 「おと…さっ…」

 涙が止まらなかった。この世で唯一無二の温かさに触れ、このままずっとこの二人の傍に居続けたいと思った。現実には手に入らなかったぬくもりだ。どこにも存在しないはずの自分の居場所だ。求めていたのはこういう場所だったのかもしれないと思った矢先、両親は縋り付くかずさの手をゆっくりと外し、距離を取った。最後に手を握った二人は優しくほほ笑んだ後、ゆっくりと遠くを指差した。

 かずさはそちらの方向を見るが、子どもの様に嫌々と首を振る。

 「私ずっとここにいたいっ」

 困った顔をした両親だったが再度同じ方向を指差し、今度はしっかりとかずさの目を見つめる。その目は温かく、そして信頼に満ちた強い目だった。

 あなたは必ず戻る。戻って最後までやり遂げると分かっている。そういう信頼の目。

 かずさ自身行かねばならないことはわかっている。だが、ここを離れればもう会えないかもしれない。足が動かなかった。

 ――と、母親が父親の制止を振り切りかずさのもとに駆け寄ったかと思ったら、額に温かいものが振れた。またかずさの顔を両手で包んで口にする。

『あ・い・し・て・る』

 母親は呆けたかずさをそのまま突き飛ばした。

 倒れ込んだかずさはすぐに起き上がって振り返るが、もうどこにも二人の姿は無かった。温かい、唯一無二の存在がもういないことにまた寂しさが込み上げてくるが、必死で堪える。指で示された方へ歩いていく。歩きながら、ここに来る前の状況が徐々に思いだされる。自分はユズハを救うため神の不敬を買ってしまった。これからどんな状況が待っているか自分にはわからない。それでも、ユズハを助けるためにした行動に悔いはない。ああしなければ、きっとかずさはかずさのままではいられなかった。

 さあ、行こう。歩みを止められない。起こったことは覆らない。前に進むしかないのだ。



 心地よい鳥のさえずりがかずさの耳をくすぐる。二階の窓から差し込む陽光が優しく顔を照らす。

昨日の出来事が嘘のように空には清々しい青空が広がっている。

かずさは差し込んできた陽光でキラキラと反射した睫毛を震わせ、目を覚ました。夢を見ていたのだろうか。目じりには何故かたくさんの涙の跡が残っていた。身体を起こし、辺りを見回すが、いつもと変わらない朝の景色だ。

 日が昇っているのを見ると、かずさはいつもより遅く起きてしまったようだ。服は寝間着に着替えさせてあるし、布団にも運ばれている。ノエルが介抱してくれたようだ。

 ぱたんと再び布団に仰向けになる。天井の梁を見つめながら昨日の事を思い出す。あの後、――かずさが神に飲み込まれた後、何があったのか全く記憶がない。ユズハは無事なのか、めぐみ子は正気に戻ったのか、自分がしたことで他の誰かが不幸を被っていないか。考えれば考えるほど悪い結果ばかり考えてしまう。

 居ても立ってもいられず飛び起きるかずさだが、いつものように上手く立てず、思わずよろける。

外傷は無いものの、一夜明けただけでは本調子とはいかないようだ。布団の横に置いてあった赤と黒の半纏はんてんを羽織り、壁伝いに歩いていき、梯子をゆっくり下りる。     

下からは食事の準備しているのか食欲をそそる良い匂いがしている。

 梯子を下りると、土間の台所でノエルが何やら作っている。気配でわかるのかノエルはかずさの方を見ずに話す。

 「もう身体はいいのか」

いつも通りのノエルの様子にかずさは少し安堵する。

 「はい。遅く起きてしまってすみません。親父さま、今手伝いますね」

 いつも通り落ち着いているノエルの様子から、最悪の事態は免れたのではと希望的観測をする。

 よろけながらもノエルの元に向かおうとした時、ノエルが鍋をかき混ぜながら制止した。

 「もう出来た。お前はそのまま待っておけ」

 「…はい」

 身体のだるさは残るが、少し休めば昼過ぎには本調子に戻るほどだ。体調は悪くないのだが、気遣いにそのまま甘えさせて貰う。かずさはいつもの食事場所、火がついた囲炉裏の前に座布団を敷いてちょこんと座る。

 秋も深まり、冬の訪れも近い。山の中にあるこの村は朝と夜の冷え込みが少しずつ厳しくなって来た。かずさは悴む(かじか)手を火にかざす。

 いつもはかずさが早く起きるため、朝餉の支度は専らかずさの担当だ。特に取り決めていたわけではないが、幼い頃から自発的にするようになってからは、ずっとかずさがやってきたこと。偶にノエルが作ってくれるのは、子どもの頃かずさが熱を出したり、怪我をした時だけだ。だから、なんとなくノエルが台所に立つ姿が新鮮で、特別な感じがして少しむず痒い。

 ソワソワして待っていると準備が終わったのか、布巾を取っ手に巻いてノエルが片手で鍋を持ってきた。左手には二人分の湯呑を持っている。

 湯気を立ち昇らせる鍋の中身は出汁の良い香りがする山菜と卵の雑炊だった。かずさの周りもいい匂いで満たされる。

 囲炉裏の天井からつり下がった自在鉤に鍋を吊るすと再び台所に戻り、右手に二人分の茶碗と箸を、左手に暑い茶を入れた急須を持ち、かずさの対面に座る。

 ノエルは玉杓子でゆっくりと中のものを混ぜ始める。そんなノエルをかずさは物珍しそうに見ていた。

何も言わず、いつも通りのぶっきらぼうな表情のままだが、ノエルなりにかずさを労わっているのが感じられて、かずさは胸の奥がまたムズムズした。

 左手で一つ茶碗を取り、杓子しゃくしで掬ったものをつぐ。ノエルは箸と一緒にそれをかずさに差し出さす。

 「ん」

 「……あ、はいっ。ありがとうございます…」

 珍しい姿に見とれていたかずさは慌てて受け取る。茶碗の中のいい香りが鼻孔ををくすぐる。出来立ての湯気が覗き込んだかずさの顔を包む。見るからにおいしそうで、そしてあのノエルが準備してくれた食事に緩みっぱなしのかずさの顔がさらに緩む。

 食事の準備が整ったノエルと一緒に手を合わせて自然の恵みと命に感謝した後、ゆっくりと粥を口に運ぶ。

 口の中で出汁の香りとほのかな山菜の香りが引き立て合っていて実に美味しい。そして想像以上に優しい味だった。

 かずさは満面の笑みでもう一度言う。

 「ありがとうございます。親父様」

 何も特別な事を言っているわけではないのにノエルは目を見開き少し驚いた表情をした。が、すぐにいつもの調子で返事を返す。

 「……ああ」

 一瞬驚いた表情をしたことに不思議がりながらも、ノエルのぶっきら棒な優しさに安堵したかずさは、雑炊を掻き込んだ。

囲炉裏ご飯、いつか食べたいね。

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