日常② 近所の子
駄文なのはご容赦ください。。
夜明け前、山々の淵が明るくなり始めた頃。
鳥たちのさえずりを目覚まし代わりに起きたかずさは一階ではノエルが寝ているため、静かな足取りで二階から梯子を降り、外へ出た。
井戸で水を汲み、顔を洗う。ついでに昨日つけた傷も確認する。
昨日――初めてノエルに一本取った次の日。この調子で次も、と威勢よく挑んだかずさはノエルにコテンパンに打ち負かされた。もちろんかずさに油断は無かったが、ノエルはいつも以上に容赦がなく、ノエルとの圧倒的な差を嫌でも感じたのだった。
かずさは腕を捲り、昨日の訓練で出来た傷を確認する。自身の実力不足を文字通り痛感していた。
とはいえ、いつまでも落ち込んでいられない。今日は忙しい。いつもの畑仕事を終えた後、近所の子に文字を教える約束をしているのだ。そのすぐ後には幼馴染みと会う約束もある。
ノエルは村人から手伝いをお願いされたため、訓練は休みだ。
かずさは桶いっぱいにせっせと水を汲み、もう一度勢いよく顔を洗った。最後に、両手で頬をたたき、よーし!と気合を入れ、朝餉の支度をしに家に戻った。
正午。かずさは畑仕事を終え、家で土埃で汚れた服を着替え身綺麗にした後、近所の子、ユズハの家を訪ねた。
玄関の引き戸を叩き、ごめんくださいと言うと、中から若い女性が出てきた。ユズハの母親だ。腰ほどある長い黒髪を後ろで一つ結びにしている。綺麗な服を纏い、身綺麗にしているが目の下にはクマがあり、ほほ笑む笑顔からも疲れがにじみ出ている。
一年前、彼女の夫が突然他界した後、いろいろと苦労しているようだ。かずさも手伝いを買って出るが、遠慮がちなこの女性はあまり頼ってくれない。ちゃん休めているのかかずさは心配になるが、彼女の声で当初の目的を思い出す。
「あらあらかずさちゃん、いつもありがとうね」
「いえいえ、これくらい。私が好きでしているだけなので。ユズハいます?」
かずさの声を聞いてか、子供が二階から凄い勢いで階段を駆け下りてきた。
「かずさお姉ちゃんっ」
元気に出てきたのこの女の子がユズハだ。向日葵色の明るい服を纏い、蜜柑色の帯を後ろで可愛らしく蝶結びにしている。黒くてさらさらのおかっぱ髪にくりくりした瞳は無能力者の瞳の色、黒色を持つ。艶のある髪には桜の髪飾りが良く映える。
まだ五歳と幼いが、父親が亡くなってから急にしっかりしだした。母親を支えなければと、幼心に奮闘しているようだ。
その様子を心配したユズハの母親が様子見がてら、かずさに文字を教えてあげてほしいとお願いしたのがこの勉強会の始まりだった。
当初は、物心ついて間もないからか、幼い頃から遊んできたかずさにも緊張しているようだったが、いつの間にか、かずさの事を本当の姉の様に慕い甘えてくれるようになった。
かずさも慕ってくれるユズハをこの上なく可愛がった。風貌も似ているのでかずさと並ぶと本当の姉妹の様に見える。
仲の良い二人をほっとした表情で見つめながら、母親はお願いねとユズハを預けた。
文字の勉強は河原近くの広場でする。小規模なこの村では、文字を書く紙もペンも貴重なものだ。そのため村の子どもたちは完璧に文字を取得するまでは地面に何度も書いて覚える。広場は大きな砂利も少なく、平らな土地が広がっているため、文字の勉強には最適だ。
二人は広場で遊ぶ他の子どもたちの邪魔にならないように端の方で屈みながら地面に文字を書いていた。
最初にかずさがお手本を書いて見せる。
「これが“な”。これが“に”。じゃあ書いてみようか」
ペン代わりの小枝をユズハに渡す。
「えっと…これが…な…で、これが…」
かずさの言葉を復唱しながら懸命に覚えようとするユズハが可愛らしくて、かずさは自然と微笑んでしまう。
「ねえユズハ。ユズハは将来何になりたい?」
他愛もない会話。五歳女児なら、甘味屋や王道なところでお嫁さん、と答えるのが普通だろう。楽しみに予想するかずさにユズハは顔を上げて答える。
「うんとね…よくわかんないんだけど、お母さんのお手伝いが出来るようになりたい。ユズハまだ小さくて、お母さんみたいにお仕事もできないけど、最近は水くみとか、お洗濯とか少しずつできるようになったの。手伝うとお母さんはたくさんほめてくれるし、ねんねももっといっしょにしてくれるでしょ?だから、たくさんお手伝いできるように…」
一生懸命考えながら答えるユズハがいきなりあっと何かひらめいたように言う。
「ユズハ大人になりたいっ!」
五歳児が語る将来の夢、というにはあまりに夢のない答えだ。けれどもこの小さな女の子は母親の身を案じ、少しでも力になりたいと、大人になりたいと言った。本当に優しい子だ。
「…そっか…。うん、なれるよ。ユズハなら強くて優しくて立派な大人になれる」
かずさはユズハの小さな頭に手を乗せ、よしよしと優しくは撫でた。
嬉しそうに撫でられながらユズハは言う。
「お父さんみたいに?」
その問いに答えようとした時、桜の髪飾りが目に留まった。生前ユズハの父親がユズハにあげたものだ。 かずさにとっては大きな兄のような存在だったユズハの父親。今のかずさとユズハの様に、ユズハの父もまた幼いかずさの頭をなでていたことを不意に思い出し、気持ちが込み上げてくる。
気をそらそうと思わずユズハの髪をも揉みくちゃにしてしまう。
本当にすごい人だった。ユズハの様に良く笑い、誰よりも優しい人だった。しかし、死はそんな温かい人を突然遠くに連れ去ってしまった。
「もうっ。お姉ちゃんやめてっ」
かずさは、はっと思考から意識を戻し嫌がるユズハから手を離す。もう、と口を尖らせながら手櫛で髪を直していくユズハを見ながら、かずさは言う。
「なれるよ、ユズハなら。お父さんみたいに強くてかっこ良くて、温かい人に」
笑顔で返すかずさにむくれたユズハが言う。
「人が嫌がることをしたら、ごめんなさいしなくちゃなんだよ」
五歳児に叱責を受けたお姉さん(十五歳)。
「ごめん、ユズハ。ユズハがあんまりにも可愛すぎたからついついお姉ちゃんやりすぎちゃったよ」
精一杯の笑顔でやり過ごそうとするかずさを、じとーとした目で見つめるユズハ。かずさが自分が思っているより「お姉さん」ではないこと気づくのもそう遠くなさそうだ。
「はっ。ユズハ、“さくら”って書ける?ユズハが大好きなお花だよ」
「ユズハかけるよっ」
かずさの誘導にまんまと乗ったユズハ。かずさは自身の「お姉さん」像の崩壊を回避したことに安堵し、勉強会を続けるのだった。