別れ①
翌朝、かずさはいつものように日が昇る少し前に起き、井戸で顔を洗う。
この時期の朝はすでに寒く、わずかに霜も降りている。田んぼの麦は夜露で濡れ、朝日が差し込みむと目下には輝く黄金の海原が広がる。
ふと、かずさは陽の光で白んだ山脈を見る。あそこを親父様は登ったのか。
昨夜の話でノエルとかずさは外界から来た人間ということを初めて知った。慣れ親しんだこの風景が急に遠く感じてくる。
呪いをかけられた事実はどうあがいても覆らない。村に残るか、外に出るか、あとは自分の選択次第だ。
未だに抱えた自身の喪失という恐怖は残るものの、一晩寝てだいぶ心の整理ができた。
かずさは、両手で自身の頬をたたき、カツを入れる。こんな呪いに、気持ちまで負けちゃいけない。今一度気を引き締める。
――結論は出た。
家に戻り、朝餉の支度をする。朝日も昇ったこの時間になると、ノエルも起きて畑の様子を見に行く。ノエルが採ってくる畑の作物を待ちつつ、米とみそ汁の準備をする。
畑から戻ったノエルは、すでに外の井戸で洗ってあるナスや根菜を適当に切って準備したみそ汁の中に入れる。
かずさは窯の火を調整しつつ煮込んでいく。炊事場の下に置いてある壺から、梅干しと、きゅうりの糠漬けを取り出し、皿に盛る。
炊けた米を茶碗に盛り、みそ汁もお椀に注ぐ。準備ができたら、閉じた囲炉裏の蓋に机を乗せ、その上に食事を並べる。
朝食の準備ができたので、外で鍛錬しているノエルを玄関から呼ぶ。
二人で朝餉を食べる。いつも通りの朝である。
食事後、かずさは食べた食器を横に置き、姿勢を正すと、ノエルに丁寧に頭を下げた。
「今までありがとうございました。明日、発ちます」
ノエルも予測をしていたのか、少し間をおいてから返事をする。
「そうか」
ノエルは特に反応もせず、ただ、受け止める。
「今日の夕方、いつもの山で、最後に稽古をつけてもらえませんか」
正真正銘、これが最後の日。
「ああ」
かずさは、とうとう口にしてしまった決断に、自然と涙が込み上げてきた。ここでの生活が終わる。
朝餉後、最後の挨拶をするためにお世話になった人達にだけ、挨拶をすることにした。この村の大半の住民には先の一件で避けられているため、訪ねる人は最小限にする。
初めに訪れたのは一番近くのユズハの家だ。村を出ることは二人には伝えない。きっと自分たちのせいだと責任を感じるだろうし、引き止められても困るからだ。二人には後日、ノエルから手紙を渡してもらうことにした。
「ごめんください」
晴天の空の下、かずさは元気に玄関から声をかける。
間もなくして母親が出てきた。
いつも顔色が悪いが、今日はさらにげっそりして見える。明らかに体調が悪そうだ。窶れた姿を見るに、十分に食べれていないのだろう。先日の儀式での一件が要因か。
「あの…大丈夫ですか。体調あまり良くないのでは…」
壁に寄りかかりながら大丈夫、と答える母親。
「ごめんなさい、ユズハは遊びに行ってて…もうすぐ帰ってくると思うわ」
ユズハを待つにしてもこのまま放ってはおけない。しばらく考えたかずさはある提案をする。
「ちょっと椅子と台所、お借りしてもいいですか」
「ええ、かまわないけど…何するの?」
不思議がる母親に家に置いてあった小さな椅子を二つ外に置いたかずさは、母親を誘導する。
「まあまあ、こちらにお座りください」
降り注ぐ陽の光に一瞬まぶしそうなしぐさをして玄関の外に出た母親は促されるまま椅子に座る。
彼女は暖かい陽光を浴びながら最近外出していなかったことに気づく。
かずさは一瞬で自宅に戻り、持ってきたジャスミンの葉でお茶を作る。
再び外にでてきたかずさは茶が入った湯呑みをユズハの母親に差し出す。
二人は並んで座りながら見下ろす村の景色を眺める。日が昇ると、朝とは違って暖かい空気が体を包む。
「気持ちのいい日ですね」
茶をすすりながらかずさは言う。
「そうね…こんなに良い気分になったの、いつぶりかしら」
二人は心地のいい風を感じながら、ゆったりとした時間を過ごす。
かずさは母親が落ち着いたのを確認して、話し出す。
「あの、ユズハのお母さん、頑張りすぎです。もう少し私たちを頼ってください」
突然なんの事かと、ユズハの母親はキョトンとした顔になる。
かずさは構わず続ける。
「私も小さい頃は旦那さんとよく遊んでもらってました。お互い様です。困ったら頼ってください。ちょっとしたことでもいいんです。高い場所の物が取れないとか、南瓜が固すぎて切れないとか、そういう事でいいんです。親父様は一見不愛想ですけど、優しいのですぐに手伝ってくれます」
母親は目を丸くしてかずさを見つめている。
自分はもうこの村にはいない。かずさも正直こんな提案をするのは心苦しいが、ユズハの母親をこのままにはしておけなかった。それにノエルが助けを求める人を放って置かないこともよく知っている。
曲がりなりにも親子かな、などとかずさは思いながらも二パッとした笑顔で続ける。
「私が身体を張って守ったユズハを悲しませないでください。ユズハにとってたった一人の家族なんですから、身体にはお気を付けて。無理、しないでください」
言いながら、かずさは自分に毒づいた。たった一人の家族なんてどの口が言ってるんだ。自分はそのたった一人の家族と離れようとしてるのに。
その言葉を聞いた母親は俯き、膝の上に涙が落ちる。
それを見たかずさは慌てて謝る。
「わわわ、すみませんっ。失礼なこと言いましたっ。すみませんっ」
涙をぬぐいながらこちらをみる母親の顔には笑顔があった。
「ううん、ありがとう。そうね、あの子には私しかいないものね。しっかりするわ。困ったときもちゃんと頼ることにする」
その表情を見たかずさは胸をなでおろした。
「あー!かずさお姉ちゃんがお母さん泣かせてるー!わるいこだー!」
ちょうど帰ってきたユズハにまずいところを見られてしまった。ユズハはこちらに走ってきたかと思えば短い腕で椅子に座るかずさの膝の上をポコポコ叩いている。
それを見て母親が慌てて止める。
「こら、お姉ちゃんは、お母さんに優しくしてくれたの。叩いちゃダメ」
母親の話を聞いたユズハはハッとして一歩下がって頭を下げた。
「ごめんなさい」
シュンと落ち込むユズハが可愛いくて抱っこして、膝の上に座らせる。そのままほっぺを自分のとすり合わせてすりすりする。
「お姉ちゃん、なにー?」
ぷにぷにのほっぺたの感触を味わいながらかずさはユズハを抱きしめる。
「んー?大好きだぞー、ユズハー」
ユズハにぺたぺた触りながら、腕の中の暖かい生き物を堪能する。
かずさは自分がこの少女を守れた事を誇りに思う。本当に救えて良かった。自分の記憶と代償にこの小さな愛しい存在を守れたのなら、記憶なんて安いもんだ。
「変なお姉ちゃん」
ユズハの笑い声が、秋晴れの空に響く。今日はとてもいい日だ。
とりあえず、かずさ主人公のお話はあと三話で一つ完結とします。
続きは明日、水曜日の17時頃に投稿予定です。→間違えてたので訂正しました、、
長いのに、私の拙い(誤字だらけの)文章をここまで読んでくださりありがとうございました。
ひき続き楽しんでくださるとうれしいです。




