幼馴染①
儀式の祭儀場となった社は村の北側、山の上にある。二百もの階段を登り切れば儀式が行われた広場を隔てて荘厳な社が鎮座する。
夜になれば灯る両脇の灯篭は日中の今はただの石柱だ。儀式中は夜だったため社の全容が大きいこと以外わからなかったが、なるほど、こうしてみるとやはり立派である。
村の中で一番大きな建造物でもある社は本殿と幣殿からなっている高床式建築だ。正面手前にある建物が巫子と村人との面会場である幣殿。その奥に神が眠るとされる場であり、巫子の住居場所でもある本殿がある。
原則巫子となった者は祭事以外の面会は禁じられている。しかし、この掟は緩いもので巫女自身が決める”特例”として面会する場合、御簾越しでの対面は可能だ。巫子が拒絶しない限り面会は可能なのである。
とはいえ御簾無しの対面が出来るのは身の回りの世話をする極少数の侍女くらいで、家族すら顔を合わせることはできない。敷地内には巫子と社を守る守り人も数人いるのだが、もちろん彼らもよほどの有事がない限り、巫子の姿を見ることは無い。
一度巫子に選ばれれば向こう五十年ほとんど社の敷地内から出られない故の特例なのだろう。村人たちは口には出さないが、ほぼ軟禁状態の巫子の環境に少なからず憐れみを感じている。
かずさも例にもれず通常であれば面会は許されないが、この特例があれば面会できる。
長い階段を一気に登り切り、軽い足取りで社に向かうかずさの目の前にいきなり人影が表れた。危うくぶつかりかけたが、そこは持ち前の反射神経と身体能力で一瞬にして後ろに飛び距離を取る。
立ちふさがった人物は鈴懸を羽織り、白色の袴を纏った社の守り人である。全身白装束のその男は赤色に紺の奇妙な文様の入った面をしている。 男は右手に持った槍をゆっくりとかずさに向けて構える。面会謝絶の巫子に会いに来たとはいえ、これはいささか物騒である。この男はかずさに敵意を持っているようだ。もしかすると神の怒りを買ったかずさを巫子に近づけてはいけない命令でも出たのだろうか。
長年戦闘訓練を積んできたかずさには、その槍使いがなかなかのやり手だと瞬時に判断し、腰の小刀に手をかける。沈黙が二人の間に流れる。
しかしこの守り人、敵意は伺えるがまるで殺気が無い。
「ふはっ」
緊張感の無い笑い声が仮面の下から聞こえ、かずさは困惑する。
あはははと笑いながら構えを解いた男の声はかずさも良く知る声だ。
「よう。元気そうじゃねーか」
腹を抱えながらゆっくり上げた仮面の下には、いつもの皮肉っぽい笑みを浮かべたナオトの顔があった。
大声で笑うナオトの姿に、これまで張り詰めていたかずさの緊張がほぐれた。
「なんだ、ナオトか~。良かったー」
構えを解き脱力するかずさに半分泣きながら笑っていたナオトが声をかける。
「お~い、どうしたよ。いつもの調子はどうした~?さっきまで怖え顔して社の守り人に何しようとしてたんだよ…ふっ…あの時のお前の顔といったら、まさに『推し通るッ』って感じでっ。オレぁ内心ひやひやしてたんだぜ?訓練してるっつったってお前相手じゃご自慢の小刀で木っ端みじんだかんなっ。はははっ。また思い出したらおかしくなってきた」
不安になりながらも親友に会うため、覚悟を持って来ているのにこの態度は解せない。笑いすぎにも程がある。ナオトというのがまた無性に腹が立つ。いっそのことご希望通り三枚に下ろした後で木臼ですり潰してやろうか――。
怒りのまま立ち上がり目を光らせてナオトを見るかずさだったが、その白装束を見て我に返る。
「ナオト…君、守り人になったの?」
身構えて怒られる覚悟をしていたナオトは拍子抜けし、かずさの視線が自身の装いに向けられていることに気づく。
「ああ…これ。そうだ。志願してなった。……めぐみ子を一人になんてできないだろ」
儀式中手を握り、あの時も一目散にめぐみ子に駆け寄っていた姿を思い出す。自分と同じようにナオトもめぐみ子を大切に思っている。めぐみ子もそんなナオトに救われたはずだ。二人は巫女と守り人という立場になってでもめぐみ子を支える覚悟をしたのだろう。
二人の関係性をほほえましく思いながら、思わずナオトを見てにやけてしまった。
「オイ、何だその顔はっ」
小ばかにしているとでも思ったのだろう、不機嫌になるナオト。いつも通りのやり取りに先ほどまで不安だった気持ちもいくらか軽くなった。
かずさは笑いながら社の方へと駆け出していく。
「あ、オイッ」
ナオトが後ろで何か言っているが聞く耳持たずだ。
他の守り人は別の方向にいるのか、今はナオト以外いない。今のうちにと社へ駆け込む。
かずさは草履を脱ぎ、階段を登り扉の前で正座し、頭を下げ面会を申し出る。
「かずさでございます。この度は新たな巫子様と面会したく、参上いたしました。何卒お願い申し上げます」
誰かはわからないが幣殿の中には巫子への取次ぎを行う者がいる。そのため、友人に会うために少々面倒ではあるが、面会の許可をもらわねばならない。
中の人物はしばらく沈黙した後返事をした。
「……ならぬ。お主は去れ」
声の主は老婆であった。村の中で老婆は何人もいるが、この声は先日儀式で聞いたばかりである。元巫子である老婆で間違いない。それよりも会えないとはどういうことか。
「誠に恐縮ではございますが、巫子様へ取り次いでいただけたのでしょうか――」
「取り次ぐ必要などない。去れ」
間髪入れずに元巫子は返す。聞く耳持たずだ。このままではめぐみ子に会うことができない。頭を下げたままどうしたものかと考えていたかずさの耳に幣殿の奥の方から慌ただしい足音と共に怒号が聞こえた。
「これはどういうことだっ!勝手に面会を拒絶した挙句、私の客を帰そうとするなどっ」
凛とした少女の声が響く。明らかに怒気を孕んだその言葉に老婆は慌てた様子も見せず、さも当然のように返答する。
「何をおっしゃっておいでですか。あの者は神の怒りを受けた者。この社に招こうことなど許されることではありません。ここは私に任せてどうぞ中へ――」
「控えろっ。それは私が決めることだ。神がお怒りになるかはもはやそなたがわかることではないっ。そなたにはその権利も力ももうないのだから!」
傍にいた幼なじみ二人が今まで聞いたことのないめぐみ子の声を聴き、思わず顔を上げてしまった。老婆は呆気にとられたのか、しばらく沈黙が流れた後、バタバタとした足音と共に「し、失礼致しましたっ」という慌てた様子で社の奥へと入ってしまったようだ。
大きなため息が聞こえ、しばらくするとかずさの前の扉がゆっくりと開いた。他の侍女たちの静止をよそに、中から白い巫女装束を着ためぐみ子が出てきた。本来なら中の御簾の裏に鎮座していなければならないのだろうが、よほど急いでいたのだろう。
先ほど怒鳴ったからか、白い肌を真っ赤に高揚させ少し荒い息をしている。見上げるかずさと目を合わせ、しばらく見つめると顔をぐしゃぐしゃにして泣き出した。めぐみ子は何事かと戸惑うかずさめがけて、階段から駆け下り抱きしめた。
いつも穏やかな笑顔でかずさ達を見守ってきためぐみ子とは違う、内に秘めた感情をこんなにも出した姿をかずさは初めて見た。
抱きしめる力強さや、顔を肩に埋めて声を漏らす姿は余程のことがあったのだろうとかずさは察した。それは、自分自身が巫子に選ばれてしまった不幸もあるかもしれないが、このめぐみ子という娘はおそらくそれだけでこうはならない。きっと、自分より大切な何か、誰かのために泣いているのだと、かずさはすぐに分かった。
それがきっと自分のために泣いてくれているということも。
めぐみ子の背をゆっくりさすりながら努めて穏やかな口調で話し出す。
「…よしよし。めぐみ子。巫子になったとたん大きな子供に戻った?私の着物もこのままじゃめぐみ子の涙で染まっちゃうよ。…どうどう…落ち着いて」
まるで馬でもなだめているかの様に少し茶化すかずさだったが、しばらくしてもかずさの胸の中にめぐみ子は顔を埋めたままだ。助けを求めようとナオトの方を見るが、何故かナオトも腕を目に当て泣いている。
犬猿の仲のナオトすらこの有様。幼なじみ二人に泣かれたかずさはこのまま日が暮れるんじゃないか、と天を仰ぐ。空は既に茜色に染まり、冷たい秋風が吹き抜ける。
三年前に書いたまま放置してました(-_-;) 勿体ないので頑張って続き、最後まで書いてみます。




